光市母子殺害事件|少年犯罪で死刑は、心証が悪すぎたせい?

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福田孝行 日本の凶悪事件

光市母子殺害事件

1999年4月14日、18歳の少年である福田孝行は、排水検査を装い強姦目的でアパートの一室に入ることに成功、この部屋に住む母子を殺害した。
第一審では無期懲役の判決が出たものの、最高裁は審理差し戻しを決定する。孝行は、「未成年に死刑はない」と考えていたようで、反省とは程遠い内容の手紙を友人に送ったり、「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」といった ”荒唐無稽な供述” をくり返していた。これらは、少年であることを差し置いてもかなり心証の悪いものであることは、間違いなかった。
”少年だから7年ほどで出られる” と思っていた孝行だが、最高裁で死刑が確定した。

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事件データ

犯人福田孝行(当時18歳)
(現在は大月孝行
犯行種別殺人事件
事件発生日1999年4月14日
犯行場所山口県光市
被害者数2人死亡
判決死刑
広島拘置所に収監中
動機強姦目的
キーワード少年犯罪、死刑

事件の経緯

光市母子殺害事件現場
事件のあった7棟は、現在は取り壊されている

山口県光市に住む福田孝行(当時18)は高校を卒業後、地元の水道配管設備会社に就職し、見習い社員として働き始めた。ところが、10日も経たないうちに欠勤して、友人と遊ぶようになる。

1999年4月14日、この日も朝から欠勤して友人と遊ぼうと考え、出勤を装うため会社の作業服を着て自宅を出た。友人宅ではテレビゲームをして遊び、昼食は自宅の新日鐵社宅団地に戻って食べた。その後再び自宅を出て、自転車を置いてある社宅団地3棟に向かった。

孝行はその時、「美人な奥さんと、無理やりにでも性行為をしてみたい」という気持ちになった。その時点では「そんなことが本当にできるのだろうか」と半信半疑でもあった。

排水検査を装い侵入

それでも彼は、布テープや紐などを持ち、社宅団地の10棟から7棟にかけて、排水検査の作業員を装って個別に訪問することにした。呼び鈴を鳴らし出てきた住民たちは、作業着を着ている孝行を怪しむことなく、偽の排水検査に協力した。
孝行はこのことで自信を得て、これなら本当に強姦できるかもしれないと考えていた。

午後2時20分頃、7棟4階の部屋のドアから顔を出したのは、主婦の本村弥生さん(当時23歳)だった。右手でドアを開け、左手には生後11か月の夕夏ちゃんを抱いていた。

孝行が排水検査の旨を告げると、彼女は疑うことなく部屋に招き入れてくれた。彼女は若くてかわいい女性だった。孝行はその時、本来の目的である「強姦してでも性行為をしたい」という気持ちが高ぶってくるのを感じた。

孝行は、まずはトイレ等で排水検査をしているふりをしながら、様子をうかがった。

母子もろとも殺害

光市母子殺害事件

しばらく作業のふりを続けていたが、弥生さんのすきを見つけた孝行は背後から抱きついた。

突然のことに彼女は驚き、大声で悲鳴を上げた。そして手足をばたつかせ、激しく抵抗した。それは孝行が想定した以上だった。「これをなんとかしないと目的を遂げることはできない」と考えた孝行は、弥生さんを殺害することを決意した。

孝行は弥生さんを押し倒し、仰向けになった彼女に馬乗りになったうえで両手で首を絞めた。そのまま力を込め続けていると、弥生さんは動かなくなった。孝行は、もう息をしていない彼女の服を脱がせ、体をさわったあと死姦して射精した。

少年犯罪はどのように裁かれるのか

ふと気が付くと、女児が激しく泣き続け、はいはいをして母親のもとに近寄ろうとしていた。孝行は泣き声にイライラした。これでは泣き声で犯行が発覚してしまうと考え、女児の首を紐で締め付けて殺害した。

そして犯行の発覚を遅らせるため、女児の遺体を押入の天袋に投げ入れ、弥生さんの遺体を押入の下段に隠した。自分の指紋が付着した部分には、洗浄剤スプレーなどで証拠隠滅工作をした。

部屋を出る前、孝行は財布を盗んでいる。財布には、現金約300円および地域振興券約6000円相当が入っていた。

4日後に逮捕

仕事を終えて帰宅した夫・本村洋さんによって事件は発覚する。

本村さんは押し入れの妻を見て110番通報し、光警察署(山口県警察)の署員が駆けつけた。この時点では弥生さんの遺体しか見つかっていなかったが、その後の捜索で、押入の天袋から女児の遺体も見つかった。

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これを受け、山口県警は捜査本部を設置して捜査を開始した。孝行は事件後、友人の家に行ったりゲームセンターで遊んだりして暮らしていたが、事件から4日後の4月18日、殺人容疑で福田孝行を逮捕した。

その後、山口家裁は6月4日に少年審判で検察官送致(逆送)を決定。6月11日、孝行は殺人等で起訴された。

福田孝行(大月孝行)の生い立ち

福田孝行(大月孝行)

福田孝行は、1981年3月16日生まれ。
両親は見合いで知り合ったが、父親は結婚前に母親を強姦、結局2人は結婚することになる。
孝行は、この両親の長男として生まれた。

孝行の父親と被害者の夫・本村洋さんは新日鐵に勤務していて、同じ社宅に住んでいた。

父親は日常的にDVをしており、母親はそれに耐えていた。孝行が母親を庇おうとすると、暴力の矛先は孝行にも向けられたという。
また、父親は給料のほとんどを酒とギャンブルにつぎ込み、お金がなくなると母親の実家に借金をしていた。

父親から受けた虐待
  • 小学生にあがると、理由もなく殴られるようになる
  • 海でボートからわざと落とされ、這い上がろうとするとさらに突き落とす
  • 小学4年ぐらいの時、風呂場で足を持って逆さ吊りにされ、浴槽に上半身を入れられ溺れそうになる

不遇な少年時代

父親のひどいDVは、母親のうつ病を悪化させた。そして1993年9月22日、耐え兼ねた母親は自宅のガレージで首吊り自殺をする。この時父親は、中学1年の孝行に母親を地面に下ろすように命じ、失禁した母親の体を拭かせたという。

孝行の精神鑑定では、彼は当時18歳にもかかわらず、精神年齢は母親が自殺した12歳の時点で止まっているとされた。これは母親の死のショックのためだったかもしれない。
その後、父親はフィリピン人女性と再婚しており、孝行の弟(三男)は、この再婚相手が母親である。

死刑賛成弁護士

1999年4月14日、本事件を起こす。4日後の4月18日、山口県警が殺人容疑で福田孝行を逮捕。

2000年3月22日、山口地裁は、孝行に無期懲役判決を下す。これに検察側は控訴。
2002年3月14日、広島高裁が一審を支持、無期懲役判決、検察側は上告。

ここまでは通常の流れだが、2006年6月20日、最高裁は二審判決を破棄して、広島高裁に審理を差し戻す判決を出した。そして差し戻し控訴審で、2008年4月22日、広島高裁は死刑判決を下す。弁護側は上するも、2012年2月20日、最高裁が上告を棄却、孝行の死刑が確定した。

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孝行は支援者の大月順子さんと養子縁組をしたため、現在の名前は、大月孝行と変わっている。
これは、近親者のみしか面会できないことに対する、支援者団体の手段であると考えられる。

その後、孝行は再審請求したが、2020年12月7日に最高裁が特別抗告を棄却し、再審請求が認められないことが確定した。
現在、大月孝行は広島拘置所に収監されている。

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裁判

光市母子殺害事件

この事件は、世間の関心が異常に高く、テレビの報道番組やワイドショーでも、連日この話題で持ち切りだった。そして、犯行当時18歳の少年だった福田孝行被告に対し、裁判で極刑が言い渡されるのかが、注目の的となっていた。

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この事件は2022年4月1日の少年法改正前の事件で、福田孝行被告は「少年」として扱われる年齢であった。しかしあまりの凶悪さに、この原則が通用しない裁判となった。

第一審(山口地裁):無期懲役

1999年8月11日の初公判で、福田孝行被告は起訴事実を認めた。

12月22日の論告求刑で、検察側は強姦目的の計画的な犯行だったと主張。生い立ちなどについても「母親の自殺と犯行は関係ない。欲望と感情のまま、母子を殺害した冷酷かつ残虐極まりない犯行。真摯な反省もなく、遺族は極刑を望んでいる。」と述べ、死刑を求刑した。

弁護側は、被害者宅に入ったあとに犯行の意思が芽生えたもので、計画性はなかったとした。「母親の自殺と父親の再婚で心の支えを失った。被告の未熟さは顕著で、18歳未満を死刑にしないという少年法の精神が適用されるべきだ」と主張した。

2000年3月22日、一審判決は無期懲役だった。裁判長は「犯行は身勝手、自己中心的で酌量の余地はないが、犯行当時18歳になったばかりの少年であり、矯正教育により更生の可能性がないとはいえない。被告はそれなりに反省の情を芽生えさせている」と理由を述べた。

検察側は、量刑不当を理由に控訴した。

控訴審(広島高裁):無期懲役

2000年9月7日に控訴審初公判が開かれた。検察側は、一審判決について批判して死刑を求め、弁護側は「更生の可能性」を認めた一審判決を妥当として検察側の控訴棄却を求めた。

10月5日の第2回公判で、被害者の夫である本村洋さんの証人尋問が行われ、本村さんは死刑判決を求めた。

反省の色が見られない手紙

2001年4月26日の公判で、事件後に孝行が友人に出した計23通の手紙が、検察側の証拠として採用された。これは、一審の公判中から判決後にかけ、友人に宛てたもので、一部が公開された。

友人に出した手紙の一部
  • 「7年そこそこで地表にひょっこり芽を出すからよろしくな」
  • 「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる」
  • 「裁判官、サツ(警察)、弁護士、検事。私を裁けるものはこの世におらず」
  • 「検察のバカ」

文面にはわいせつな言葉も多く、「反省がみられない」と指摘された。さらに事件後、被害者の権利擁護や少年法改正に取り組んでいる被害者の夫・本村氏に対し「調子づいている」と、からかう内容も多かった。

孝行被告は「不謹慎なところもあると思うが、相手を笑わそうとしたもので、公開されるとは思わないで書いた」と釈明。弁護側は「本人の同意なしに証拠とするのは、憲法が保障した信書の秘密を侵害する」と主張したが退けられた。

2002年1月15日の最終弁論で、検察側は「被告からは反省の情が全くうかがえず、今なお遺族感情は厳しく、極刑以外に選択の余地はない」として死刑を主張。
弁護側は「少年の更生可能性を認めた一審判決の無期懲役は妥当」と述べ、死刑回避を求めた。

2002年3月14日、判決で裁判長は、無期懲役を言い渡した。殺害の計画性を否定し、最大の争点だった更生可能性についても、以下のような点を考慮した一審判決を支持した形となった。

  1. 18歳になったばかりで、内面が未熟
  2. 前科がなく、顕著な犯罪的傾向がない
  3. 家庭環境が不遇
  4. 矯正は可能とする鑑別結果

また、「不十分だが、悔悟の気持ちを抱いている」と指摘した。検察側は、判決を不服として上告した。

上告審(最高裁):審理差し戻し

安田好弘弁護士
安田好弘弁護士

2006年3月6日付で、安田好弘弁護士らが新たに弁護人となり、3月14日の法廷にこの弁護士らが出廷しない騒ぎがあった。
刑事訴訟法では「3年を超える懲役、禁固刑にあたる事件の公判は、弁護人なしで開くことができない」と規定されているため、新たな弁論期日を4月18日に指定した。
そして最高裁は、「出頭在廷命令」を2人の弁護士に出した。

出頭在廷命令

裁判員制度での審理遅延を防ぐため、2005年11月施行の「改正刑事訴訟法」で新設された規定で、適用は全裁判所で初めてだった。
弁護人が命令に従わない場合、裁判所は、10万円以下の過料と開廷費用の賠償を命じることができ、その場合、弁護士会に懲戒などの処分も請求しなければならない。

5月20日、最高裁は、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した

裁判長は「何ら落ち度のない2人の命を奪った犯行は冷酷かつ残虐で、発覚を遅らせようとするなど犯行後の情状も良くない。特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と指摘した。

また、事前の殺害計画はなかったことは認めたが、「強姦するために殺害を決意していて、偶発的な犯行とはいえない」と述べた。さらに、犯行時18歳の少年だったことは死刑回避の理由とならない、と指摘。理由として「罪の深刻さと向き合っているとはいえず、犯罪的傾向も軽視できない」と説明した。

差し戻し控訴審:死刑

2007年5月24日の差し戻し控訴審初公判、被告側には21人の弁護士団が就いた。(後に1人解任)
弁護側は、この差し戻し控訴審から、ガラリと言い分を変えて傷害致死罪を主張している。

行為今までの主張差し戻し控訴審の主張
訪問強姦相手を見つけるため、アパートを戸別に訪問した 会社を欠勤した罪悪感をまぎらわすための仕事のまねごと
抱きつき強姦目的で被害者に抱きついた 被害者に自殺した母親を重ね、甘える思いで抱きついた
妻殺害強姦しようとして抵抗されたので、殺害してから乱暴しようとした予想外に騒がれ、口をふさいだつもりが誤って首を押さえ続け窒息死した
女児殺害泣き声に腹が立ち、これでは泣き声で犯行が発覚してしまうと考えた泣きやまないので首にひもをまいて、蝶々結びにしたら、死んでしまった

弁護側は独自の精神鑑定などから、犯行時の精神年齢は12歳程度だったとし、当時の心理状況を「幼少期からの父の虐待と中学1年時に母親を自殺で亡くしたストレスなどで、幼児化した状態」と説明した。女性の殺害については「母に対する人恋しさに起因する母胎回帰」と論じ、殺意や強姦目的はなく、傷害致死罪に当たると主張した。

孝行の供述も変わった

孝行の供述も、これまでとは大きく変わっている。

被告人質問で孝行は、「赤ちゃんを抱くお母さんに甘えたいという衝動に駆られた。背後から抱きついたが、性的なものは期待していなかった」などと述べ、殺意や強姦目的を否認した。

また、女児の遺体を押し入れの天袋に入れた理由について「押し入れはドラえもんの何でも願いをかなえてくれる四次元ポケットで、ドラえもんが何とかしてくれると思った」と説明した。
女性を死姦したことについては、以前読んだことのある小説を参考にして「生き返ってほしいという思いでやった」と述べた。

死姦した理由

小説「魔界転生」の中で「女性の死体に精子を入れることで、亡くなった人が生き返る」という一節がある。これを参考に、生き返って欲しいという思いで被害者を姦淫した、という荒唐無稽な主張を展開したのだ。

現場アパートを戸別訪問した理由については、「義母に抱きついて甘えようとした時、突き放されて寂しかった。そのため、ぬくもりが欲しくなり、多くの人と話をしようと思い訪問した。部屋に入るつもりはなかった」と述べ、改めて強姦目的を否認した。

作業服を着て排水検査員になりすました点については「作業服を身にまとうことで、会話がしやすくなるという期待があった。ロールプレイングゲームのように会話を交わし、次のステージに行くという感覚」と話した。そして、強姦目的ではなかったかと聞かれ「違います」と答えた。

これまで認めていた起訴事実を否認した理由については「当初は犯行を否認していた。しかし、それでは死刑の公算が高まる、生きて償いなさい、と検察官に言われ調書に署名した。なのに一審で死刑を求刑され、裏切られたと思った」と話した。
当初の弁護士からも「検察側の主張をのんで、無期懲役を維持した方がよい」と助言を受けたとも述べた。

孝行は「事件と向き合うことができず、真実を言えなかった。今、法廷で述べたことは真実です」と話した。そのうえで、「亡くなった2人のことを考えると、生きたいとは言えません。よければ生かしていただきたい」と述べた。

殺害方法について

検察側が主張する殺害方法についても、弁護側は否定した。
弁護側の証人である日本医科大大学院の大野曜吉教授は、女性の殺害方法について絞殺を否定している。検察側が主張するような、首の損傷は見られないというのだ。

女児の殺害方法についても、遺体の損傷から「床にたたきつけた」とする検察側の主張を否定。ひもで首を絞めたとされる点も「痕跡がない」と指摘した。

別の弁護側の証人として上野正彦・元東京都監察医務院長が出廷、「口をふさごうと右手で(逆手で)押さえていたら、誤って首を押さえた」とする弁護側の主張を肯定した。検察側が主張する「両手の親指で圧迫した」痕跡はないという見解だった。

これに対し、検察側の依頼で遺体の法医鑑定をした、川崎医療福祉大学の石津日出雄教授は、「逆手だと力が入らず、簡単に払いのけられ、現実的にはあり得ない」と否定した。

10月18日の最終弁論で、検察側は「被告の弁解は言い逃れで、死刑を回避する理由はない」として改めて死刑を求めた。そして、孝行被告の新たな供述について、「弁護側の法医・精神鑑定に合わせ、供述を変えたのは明らか」と、不合理さを指摘した。

女性の殺害方法に関しては「口を押えようとして、誤って首を絞めてしまった」と殺意を否定した点について「5分以上素手で圧迫し続けていて、殺意は明らか。逆手では力が入らず、現実的にあり得ない。遺体の所見とも一致しない」と反論した。

強姦の計画性についても「姦淫は生き返らせるため」とする弁護側の主張に対し、「唐突に言い出したもので、明らかに荒唐無稽のこじつけ」と主張した。

不可解な弁護方針が「死刑」に導いた?

裁判長は、主文の言い渡しを後回しにし、判決理由の朗読から始めた。

まず、孝行被告が供述を変えた点について「新たな弁護人から捜査段階の調書を差し入れられ、『初めて真実と異なることが記載されているのに気づいた』とするが、ありえない」「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認していない。起訴から6年半もたって、新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で、到底納得できない」と述べた。

また、弁護側の主張する「口を押えようとして、誤って首を絞めてしまった」とする殺害方法について「その方法で窒息死させるのは困難であり、遺体の所見とも整合しない」としてこれを退けた。
その他の殺害方法に関する供述についても、信用できないと否定した。

さらに、”被害女性に母を重ねて抱きついた” とする弁護側の「母胎回帰ストーリー」を「犯行とあまりにもかけ離れている」と否定。「性欲を満たすため、犯行に及んだと推認するのが合理的」と述べた。
孝行被告が強姦について「女性を生き返らせるため」としたことについて、「荒唐無稽な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。

犯行時、18歳だったことについても「死刑を回避すべきという弁護人の主張には賛同し難い」とした。また、孝行被告の新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは、改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「せっかく芽生えていた反省の気持ちが、薄らいだとも考えられる」とした。 

そして裁判長は「犯行は冷酷残虐で非人間的と言わざるを得ない。殺害の計画性や強姦の強固な意思があったとは言えないが、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」「身勝手かつ、自己中心的で、人格を無視した卑劣な犯行」と述べ、一審の量刑は軽すぎると判断した。
そして、孝行に死刑を言い渡した。(弁護側は上告した)

上告審:死刑確定

2012年1月23日の最高裁弁論で、弁護側は「新供述こそが真実で、差し戻し控訴審の認定は誤り。孝行被告の深刻な精神的未熟さを無視せず、特性を理解して審理すべきだ」と主張した。

さらに「孝行被告は、死者復活の儀式のことを、恥ずかしさからずっと言い出せなかった。死刑回避のために考え出した言い訳ではない」と訴えた。

また、主任弁護人の安田好弘弁護士は、「孝行被告は ”死刑はない” と思っていたが、求刑されて恐ろしくなった。嘘でも殺意を認めれば、死刑を免れることができると思った」と述べた。そして「傷害致死罪が成立するにすぎない。反省を深めており、立ち直りは可能」として死刑回避を主張した。

検察側は、「結果や遺族の処罰感情などに照らすと、刑事責任は誠に重大。死刑を回避すべき特段の事情は何ら認められない」とした。

2012年2月20日、最高裁の判断は、差し戻し控訴審の死刑判決を支持、孝行の死刑が確定した。

「平穏で幸せな生活を送っていた母子が白昼、自宅で惨殺された事件として、社会に大きな影響を与えた。犯行時、少年であったことなど、酌むべき事情を十分考慮しても、刑事責任はあまりにも重大」として死刑はやむを得ないと判断した。

死刑確定後のエピソード

実名報道

死刑確定によって、福田孝行が社会復帰する見込みがなくなった
そのため、これまでの匿名報道から実名報道に切り替えるマスコミと、従来どおり匿名報道で通すマスコミとで判断が分かれた。

実名報道のマスコミ

  • 朝日新聞:「国家によって生命を奪われる刑の対象者は、明らかにされているべきだとの判断」(2004年に少年死刑囚については原則実名報道する方針を決めている)
  • 読売新聞:「死刑が確定すれば、社会復帰の機会はなくなる。また、国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事」
  • 産経新聞:「死刑が事実上確定し、社会復帰などを前提とした更生の機会は失われる。事件の重大性も考慮」
  • 日本経済新聞:「犯行時少年だった被告に死刑判決が下された重大性に加え、被告の更生の機会がなくなることを考慮」

また、テレビ局ではNHK在京キー局は実名報道に切り替えた。

匿名報道のマスコミ

  • 毎日新聞:「母子の尊い命が奪われた非道極まりない事件だが、少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を変更すべきでないと判断」
  • 中日新聞・東京新聞:「死刑が確定しても再審や恩赦の制度があり、元少年の更生の可能性が直ちに消えるわけではない」

日本弁護士連合会は、2012年2月24日付で、実名報道について「少年法61条に明らかに反する事態であって、極めて遺憾」「今後同様の実名報道、写真掲載等がなされることがないよう、強く要望する」とする、会長声明を発表した。(会長:宇都宮健児)

被害者遺族の本村洋さん

本村洋

被害者・本村弥生さんの夫であり、夕夏ちゃんの父親である本村洋さん(当時23歳)は、事件直後からテレビに出演するなどして、意見や主張を述べていた。

彼は犯罪被害者遺族として、「日本では犯罪被害者の権利が何ひとつ守られていない」ことを痛感し、同様に妻を殺害された、元日本弁護士連合会副会長・岡村勲氏らと共に犯罪被害者の会を設立し、幹事に就任した。(現・全国犯罪被害者の会
そして、犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。

本村さんは裁判中、死刑判決を望むことを表明し続けてきた。
2001年12月26日の意見陳述では、福田孝行被告に対し「被告人が犯した罪は、万死に値する。いかなる判決が下されようとも、このことだけは忘れないで欲しい」と述べている。

なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日

そして一審の無期懲役判決には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい。そうすれば私が殺す」と発言。しかし、二審判決(無期懲役)では「裁判官も、私たち遺族の気持ちを分かったうえで判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言した。

死刑が確定したことについては「死刑判決が出て満足している」とした一方、「喜びとか嬉しいという感情はない」と話した。孝行被告に対しては硬い表情で「胸を張って死刑という刑罰を受け止めてほしい」と語った。

本村さんは、現在も犯罪被害者の権利確立のために、執筆・講演を通じて活動をしている。

橋下徹氏の呼びかけ

橋下徹・光市母子殺害事件

2007年5月27日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」での弁護士・橋下徹氏の発言が物議をかもした。

彼は、光市母子殺害事件弁護団に対し「あの弁護団に対して許せないと思うなら、弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい」と視聴者に呼びかけたのだ。これを見て賛同した視聴者から、7558通の懲戒請求書が弁護士会に届いた。

これに反発した「光市母子殺害事件弁護団」のうち4人が、2007年9月に橋下に損害賠償を求める訴えを広島地裁に起こした。

一審・二審では、橋下氏の行為を不法行為と認定して損害賠償を命じた。
しかし、最高裁は2011年7月15日、橋下氏の行為は「弁護士として問題なしとはいえない」が、懲戒請求の呼びかけそのものは不法行為とはいえないとして、原告の訴えを棄却した。

江川紹子氏は、この懲戒請求呼びかけについて「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もある。実際、懲戒請求をした側が敗訴し、50万円の慰謝料を支払うよう求める判決が出ているケースもある。橋下は、そういう負担リスクを説明せず、”誰でも簡単に”できると、気楽なノリでしゃべっている」と批判した。

折れない心 人間関係に悩まない生き方

2007年の弁護士に対する懲戒請求件数は、前年1367件の約7倍に当たる9585件となり、うち84%(8095件)が光市母子殺害事件弁護団に対するものだった。

しかし、東京・大阪・仙台・広島のいずれの弁護士会も、処分せずの結論を出した。これに対し橋下氏は、「たかじんのそこまで言って委員会」(2007年12月9日放送)において、「7000通も懲戒請求が出てるのに、何にも意味がない」と懲戒請求制度や弁護士会の態度に不満を洩らしている。

【凶悪過ぎ】未成年でも死刑になった事件【5選】

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