土浦連続通り魔事件|死刑になりたくて殺人…究極の身勝手男

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土浦連続通り魔殺人日本の凶悪事件

土浦連続殺傷事件

「人生に絶望して死にたいが、自殺は無理だから死刑になろう」、それがこの事件のすべてだった。
金川真大(24歳)は、そのために大量殺人を起こそうと考え、2008年3月19日、23日の2日間に9人を襲撃、うち2人が死亡した。
自己愛性人格障害と診断された彼は、そのプライドの高さゆえ、自ら人生を無意味なものに変えてしまっていたのだ。
死刑が抑止力にならない場合があることを、世間に知らしめた恐ろしい事件である。

事件データ

犯人金川真大まさひろ(当時24歳)
犯行種別通り魔殺人事件
事件発生日2008年3月19日、23日
犯行場所茨城県土浦市
被害者数2人死亡、7人負傷
判決死刑
2013年2月21日執行(29歳没)
動機死刑になるため
キーワード死刑願望、自己愛性人格障害

事件の経緯

金川真大(当時24歳)は高校卒業後、進学も就職もせず家でテレビゲームをして過ごしていた。欲しいゲームソフトがあればコンビニでアルバイトをして、買えるだけの金額がたまれば辞めるという暮らしだった。

彼は高校3年の時から「この世に生きていても仕方ない」という想いに捉われていたが、自殺は痛くて無理だから人を殺して死刑になりたいと考えていた。

金川は、最初のターゲットとして自身のを予定していた。しかし、決行日としていた2008年3月19日、金川が起きた時には妹は出かけていて、家には不在だった。

そこで計画を変更、出身小学校を襲うことにしてマウンテンバイクで出向いた。ところが、この日は卒業式で人が多かったため、失敗のリスクを考えこれも断念。中学や高校も同じだろうと考えた金川は学校をあきらめ、ほかでターゲットを探すことにした。

第1の事件:2008年3月19日

金川は、マウンテンバイクで土浦市中村南あたりを流していた。そして、たまたま見かけた三浦芳一さん(72歳)を殺害しようと決める。三浦さんは自宅の玄関先にいたが、金川は背後から首筋に包丁を突き刺した。

金川は動悸が激しく打つのを感じた。彼はマウンテンバイクを置き去りにしたまま、路地を走り抜けた。そのうち救急車のサイレンが聞こえてきたため、自転車を回収するのはあきらめることにした。
服を見ると返り血がついていたので、一旦帰ることにして、徒歩で自宅に戻った。

金川は、今捕まるわけにはいかないと考えていた。彼にとっては「死刑になるための殺人」なのだから、被害者が1人では死刑にならない可能性が高いからだった。

自宅で血の付いた服をスーツに着替え、電車で秋葉原に向かった。スーツ姿で秋葉原にいれば、見つかりにくいだろうと考えてのことだった。
秋葉原に着くと、見た目を変えるために理髪店で丸坊主にし、ビジネスホテルにチェックインした。夕方のニュースでは被害者が死亡したのを知り、金川は「死んで良かった」と思ったという。

三浦さんの死因は、頸動脈切断による失血死だった。事件の時「助けてくれ」という声を聞いた2階の次女(34)が、玄関前で血を流して倒れている三浦さんを発見して、すぐ通報したが助からなかった。

現場に残されたマウンテンバイクから、身元はすぐに割れた。警察は金川の自宅を捜査、血染めの服、音声による犯行声明などが見つかったため犯人であると断定されている状態だった。

翌20日、金川はスーツ姿で電気街へ行き、この日発売のゲームソフトを購入。そしてホテルの部屋で一日中そのゲームをして過ごした。この日は疲れていたせいか、なんとなく次の殺人を起こす気にはならなかった。

21日、心配した母親からのメールを確認。返信には「おれが犯人だよ。犠牲者が増えるよ!」と警察を挑発する文章を書いた。
そしてこの日、指名手配されたことをニュースで知る。

22日、常磐線ひたち野うしく駅から荒川沖駅に向かって歩きながら、次のターゲットを物色した。しかし、うまく探せなかったので断念。この時、県警に「早く捕まえてごらん」などと挑発の電話をしている。

この日は、幼少期を過ごした横浜で泊まろうと考え移動した。ところが、ホテルは満室だったので東京に戻り、神田のホテルに泊まることにした。そろそろ逮捕も近い気がしていたので、「何としても明日は大量殺人をしよう」と決め、計画を練った。

第2の事件:2008年3月23日

荒川沖駅
8人が襲撃された荒川沖駅

3月23日。犯行場所は「人が多過ぎず、少な過ぎず、よく知っている場所」がいいと考えて、荒川沖駅に決めていた。黒い上着に黒いニット帽を被り、午前11時過ぎに下車した。

金川は滑り止め用にゴム手袋をつけ、包丁サバイバルナイフを手にした。そして準備が整うと、奇声を上げながら西口エレベーター付近から東口への2階自由通路を、手当たり次第に男女5人に切りつけていった。突然の凶行に、現場は騒然となる。

金川を警戒していた警察は、この駅にも数人が張り込んでいた。しかし彼らは金川に気づかず、逆に襲撃されてしまう。他の捜査員も確保に失敗し、金川を見失った。

現場から離れることができた金川は、自首して捕まるため交番へ向かって歩いた。彼の計画はあくまで「人を殺して死刑になる」ことで、そのためには逮捕されなければならないのだ。
到着したのは駅から200mほど離れた荒川沖地区交番だった。ここまでの道中、複数の通行人とすれ違ったが、犯行で体力を消耗したため手を出さなかった。

到着した交番内に、警官は不在だった。仕方がないので、備え付けの通報用電話を使い、自分が犯人であることを告げた。その後すぐに警察官が駆けつけ、金川は抵抗することなく現行犯逮捕された。

土浦連続通り魔殺人事件

第2の現場となった荒川沖駅では、警官を含めて8人が襲撃された。そのうち、阿見町に住む山上高広さん(27歳)が死亡、2人が重体、5人が軽傷を負った。

金川真大の生い立ち

金川真大

金川真大は、1983年10月13日生まれ。
父親は外務省ノンキャリア官僚で、事件当時は外交史料館課長補佐をしていた。他の家族は、パート勤務の母親、妹2人、弟の6人家族。幼少期は父親の仕事の都合で、上海、ニューオーリンズで生活した。

小学校は、横浜市内の公立校に通った。この頃から父親は仕事が多忙になり、家族と触れ合う時間が無くなり、育児は母親に任せきりとなる。父親は子供が小さい頃は子煩悩であり、土日には子供たちと触れ合う時間も持っていたが、子供の学力やしつけに関しては厳しい態度をとっていた。

父親は金川について、小学3年生頃から”彼に対する期待”と、”実際の成長ぶり”とのギャップを感じるようになる。小学6年生の時の学習評価は「真面目に取り組むが、限られた時間内での学習が苦手」であった。

学力優先主義の父親とは異なり、母親は ”生きる力” や ”人間力” を伸ばす教育をした。そのため対人関係についての評価も徐々に改善、人間的な成長がうかがえた。
小学5年生の時に土浦市に家を購入し、引っ越した。中学時代はおとなしく控えめな性格で、反抗期はなかった。

茨城女子大生殺人事件・廣瀬晃一

金川の中学校の同級生茨城女子大生殺人事件廣瀬晃一がいる。
同じ学年から2人の殺人犯が出て、しかもそのうちのひとりが死刑囚というのは、かなり稀なことである。

高校は私立霞ヶ浦高等学校に入学、弓道部に入る。弓道部では、高校2年生の時に全国大会に出場した。
夏ごろから超常現象に興味を持つようになり、部室で座禅や瞑想にふけるようになる。
沖縄の修学旅行の感想文は、人類への敵意をむき出しにした内容であった。金川は担任に注意された時、「心のままに書いただけ」と答えている。

逆効果になった哲学書

このころ、父親から子供向けの哲学書を買い与えられる。この本は、金川が「死刑になるための殺人」を実行するにあたって、思想的なバックボーンになったとされている。

高校3年生の9月頃に「大学には興味がなくなった」と、就職希望に転向する。教諭の紹介で市内の和菓子会社に応募したが、面接は中止、工場見学だけで帰された。実際には不採用だったのだが、金川は「自分から面接を受けるのを止めた」と言い続けていた。

その後、「卒業単位が足りない分を、レポート提出で補う」という教諭の提案に「卒業しなくてもいい」と自暴自棄になる。最終的には弓道部員の説得によって、何とか卒業にこぎ着けるも、進学も就職もしなかった。

このころから金川は、自身の「プライド」と「現実」の折り合いをつけることに苦悩し、友人に自殺願望を明かしている。

高校卒業後は、テレビゲームをしたりマンガを読んだりして過ごしていた。上の妹と弟も不登校になり、母親は子育てについて悩んだが、父親は相変わらず多忙で家庭のことには目を向けなかった。そのくせ「学校に余計なことは言うな」とクギを刺した。

このころには、兄弟姉妹間の会話もほとんどなく、家庭内はギスギスしていた。上の妹は「母に声を聞かせたくない」という理由から、筆談で会話をしていた。金川は、この妹を最初のターゲットにしようと考えていた。
金川も家族との関わりを避けて、食事もひとりでとっていた。

殺害計画

金川は、ゲームなどで金が必要になった時だけはアルバイトをしていた。しかし、勤務評価はどこも良かったという。やがて生きる目的を見失い、死を望むようになる。しかし自殺は痛いので、人を殺して死刑になる道を選んだ。

父親の定年を間近に控えた2008年1月16日、コンビニのアルバイトを辞める。そしてアルバイトで得た金で、殺害の準備を始めた。ホームセンターで包丁、ネットオークションでサバイバルナイフ、デパートでリュックサック、変装用のスーツやネクタイも購入した。
また、逃走資金として40万円を引き出した。

3月17日、2台もっている携帯電話の片方に犯行声明を残した。
当初の計画は、気に入らなかった上の妹を殺し、次に近くの学校を襲撃する予定だった。18日に決行予定のつもりだったが、朝起きると妹はすでに外出していたため、翌日に決行を延ばした。

だが、翌19日も妹は不在だった。そのため小学校に行ったが、卒業式で人が多すぎると断念して住宅街でたまたま見かけた高齢男性(72歳)をターゲットに決め殺害。

23日、荒川沖駅にて無差別に人を襲撃し27歳男性を殺害、その後自首した。
裁判では死刑を希望する態度で臨み、第一審でその通り死刑が言い渡される。弁護人が控訴するも、金川が自ら取り下げたため、2010年1月5日に死刑が確定した。

2013年2月21日、東京拘置所にて死刑が執行された。(享年29歳)
この日は、奈良小1女児殺害事件小林薫(大阪拘置所)、名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件の武藤恵喜(名古屋拘置所)が同時に執行されている。

金川真大が影響を受けた本

金川が高校2年の頃、父親から「子どものための哲学対話」(永井均・著)を買い与えられる。
常識を疑い世界の新たな見方を提示する、という趣旨で書かれた子ども向けの哲学書である。金川が「死刑になるための殺人」を計画する思想的な背景になったとされている。

内容は「僕」と猫のペネトレの対話形式で構成されているのだが、問題の一節が以下である。

世の中がきみに与えることができるいちばん重い罰は死刑だね? 死刑以上の重罰はないだろ? ということはつまり、世の中は、死ぬつもりならなにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。認めざるをえないのさ。

子どものための哲学対話 (講談社文庫)

金川は子ども向け哲学書のこの文章を ”真に受けたのではないか” といわれている。

全国規模のゲーム大会で準優勝

金川は、2003年8月に秋葉原で行われたゲームの関東地区の大会で準優勝となっている。
ネットのニュース記事でも金川について書かれており、「実力派ゲーマー」であるとされている。

金川真大
ゲーム大会の様子。逮捕時とは違いロン毛の金川真大
ネット記事の内容

最後まで勝ち残ったのは、冷静に戦い抜いた○○さんと金川真大さんのお二人。
特に金川さんは「△□全国大会」で優勝した○○さんを、準決勝で接戦の末に破り、決勝にコマを進めただけにかなりの実力者。

不遜な態度で臨んだ裁判

事情聴取では、「死刑になるために人を殺した」という動機を淡々と供述した。この動機が、あまりにも荒唐無稽だったため、4月下旬から精神鑑定を行うことになった。
その結果、金川真大は「自己愛性人格障害」であると診断され、責任能力については認められると判断された。
そして、9月1日、水戸地方検察庁は金川を殺人などの罪で起訴した。

第一審:水戸地裁

2009年5月1日の初公判で、金川真大被告は罪状認否にて起訴内容を認めた。

検察側は冒頭陳述で「被告はテレビゲームに興じ、家族との会話はほとんどなかった」と指摘した。
動機については「ゲームの世界と比べて、現実世界のつまらなさに耐えられなくなった。しかし、父親が定年退職すれば、ゲームの時間を削って働かなければならない。つまらない毎日と決別するため、確実かつ苦しまずに死ぬには死刑が一番。そのためには、何人もの人間を殺害する必要があると考えた」と説明した。
また、凶器や変装用のスーツを準備していたことなどから、犯行は計画的だとし、精神鑑定結果を踏まえ、金川被告には「完全責任能力がある」と主張した。

一方、弁護人は、「被告は血を見ると失神することが以前からあったが、凶行時は返り血を浴びるほどだったにもかかわらず失神していない。当時の精神状態について調べる必要がある。被告にとって死刑は極刑ではなくご褒美に過ぎないため、死刑判決はその本来の目的に沿わないものである」と主張した。

弁護側は「統合失調症の初期の特徴を呈しており、犯行当時、心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあった可能性がある」とし、再鑑定を求めた。裁判長は、これを認める判断をしている。
このあと、被害者の傷跡の画像がスクリーンに映し出された時に金川が失神、審理は30分間中断された。

弁護人の記者会見

弁護人はこの後の記者会見で、金川の人格について「反抗期の子どもみたいな所がある」「本当に弱みを見せたくない、仮に後悔していても、絶対に言わない印象」と語った。
また、裁判の進行に興味を持ったり、弁護人や報道記者の接見を断らないことから、「死刑以外のことに関心を閉ざしてはおらず、まだまともになる道が残されているのではないか」と語った。

以前、読売新聞の記者が、金川の高校時代の後輩を伴って面会に訪れた時、記者のみの時と比べて、より快活で思い出話に昂じていた。
後輩が、金川が事件を起こしたことに「ショックを受けた」ことを話すと、金川の顔は笑顔ながらも紅潮し、目には涙が浮かんでいたという。

6月3日の第3回公判で、動機について金川被告は「自殺は痛い。人にギロチンのボタンを押してもらう方が楽だから死刑を利用する」と陳述。遺族や被害者に対する謝罪の思いは「感じない」と言い、「俺を殺さなければ、死刑になるまで殺し続けます」と早期の死刑執行を望む考えを示した。

自己愛性人格障害

6月19日の第4回公判では、1回目の精神鑑定を行った筑波大学准教授・佐藤親次が出廷。弁護側が主張していた「統合失調症」説を否定した。

また、”殺人はいけないこと” という常識自体は理解していることから妄想でもなく、「自己愛性人格障害と推定される。人格障害は精神病ではないため責任能力が認められる」と結論付けた。
また、鑑定中に金川からアナグラムの問題を出題され、これの答え合わせを公判中に金川と行い、日常会話が可能なので精神病ではない、と証拠づけた。

メディアの依頼で金川と面会した東京工業大学教授・影山任佐は「物事の理解は出来るが、捉え方のズレが大きい。自分の無力感を認めないようにするために、人格のゆがみが現れたのではないか」とコメントした。

7月3日の第5回公判では、遺族の意見陳述があったが、裁判が長引くことに激高した金川は、閉廷直前、目の前の机をひっくり返して一部を破壊した。これにより、監置10日の処分が下る。

9月3日の第6回公判では2回目の精神鑑定の結果が公表され、やはり自己愛性人格障害であると判断された。裁判所が精神鑑定依頼した国立精神・神経センターの岡田幸之精神鑑定研究室長が、弁護側の証人として出廷。岡田氏は「自己愛性人格障害と診断できるが、善悪の判断能力、行為制御能力への影響はない」と述べ、完全責任能力があるとの見方を示した。

弁護側の「犯行時、統合失調症の初期症状があった」との主張については、「その可能性はまったく否定する」と断じた。

希望通りの死刑判決

11月13日に論告求刑公判が開かれ、検察側は死刑を求刑した。
「死にたいという願望を、無関係の他人を殺害して死刑になることで満たそうとした」とし、動機は身勝手・自己中心的で、反省の態度も皆無と批判。そして「被告の性格を矯正することは不可能」と、更生の可能性を否定した。
さらに「単なる人格障害に過ぎず、完全責任能力があったことは明白。減刑の余地はない」と述べた。

弁護側は、「心神耗弱の疑いはぬぐいきれない」としたうえで「死刑を求める被告に死刑を与えるなら、死刑が刑として機能しない。強盗に金をやるようなものだ。死刑判決はご褒美になるので無意味。被告に必要なのは治療」と無期懲役を求めた。

裁判長に最終陳述を求められた金川は、座ったまま「無駄ですね」と小さな声でつぶやいた。弁護士に促されると「何も言うことはありません」とはっきり答えた。裁判長は陳述放棄とみなして結審した。

2009年12月18日に判決公判が開かれ、裁判長は主文を後回しにして判決理由から朗読を始めた。

判決理由
  • 犯行は人格障害によるもので、完全な責任能力がある
  • 「殺人は悪ではない」という信念は被告人の主観であり、責任能力の判断に影響しない
  • 極めて残忍な犯行で、死刑願望を満たすという動機は強く非難されるべき
  • 犯罪史上まれな重大事件。反省の態度もなく、更生の可能性は極めて厳しい
  • 「生きがいがない」のは自尊心のせいで人間関係が築けなかったため。生きがいを見つける機会を自ら放棄した
  • 同じ家庭環境の妹や弟はそれぞれ生きがいを見出しており、原因は家庭ではなく本人
  • 高校卒業後の自堕落な生活をみれば、生きがいを見出せないのは自業自得である
  • 被告人の信念は子供向けの哲学書からの引き写しであり、文字面しか読めない被告人に更生の余地はない

最後に裁判長は、「人の気持ちを理解するのは基本的なことなのに、なぜあなたは他人のことを考える余裕がないのか。よく考えてほしい」と語った。
そして検察側の求刑通り被告人・金川真大に死刑判決を言い渡した。

控訴を自ら取り下げた

弁護側は即日控訴した。
しかし、金川は読売新聞の取材に応じ、控訴を取り下げる意向を改めて語った。金川は笑みを浮かべ、「完全勝利といったところでしょうか。(死刑願望が)変わることはない」と話した。

判決で「浅はかな信念に強く執着」と指摘されたことには「常識に縛られている側から、そう見えても仕方ない」と述べ、「あとは死刑執行までの時間をいかに短くするか。国が執行に動かなければ、裁判に訴える」とした。

金川真大被告は12月28日、水戸拘置支所に控訴取り下げ書を提出、控訴期限の2010年1月5日午前0時に死刑が確定した。

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