
安全だと思っている生活圏に、いきなり殺人鬼が現れ襲ってくる。
考えただけでも怖いです。そして、あってはならないことです。
何の落ち度もない人たちを襲う「通り魔事件」ですが、司法もやはり厳しく対応しているようで、ほとんどの事件で死刑判決が出ています。
そして身勝手度100%で同情の余地がない場合、死刑確定から執行までが短い傾向にあります。
ここに紹介した中では「土浦連続殺傷事件」は3年1ヶ月、「下関駅通り魔事件」は3年8カ月と、平均といわれる7~8年を大きく下回っています。(両事件とも同情の余地はまったくありません)
1.池袋通り魔殺人事件|造田博
犯人 | 造田博(当時23歳) ぞうだ ひろし |
発生日 | 1999年9月8日 |
発生場所 | 池袋(東京都) |
被害者数 | 2人死亡、6人負傷 |
判決 | 死刑 |
詳細記事 | 池袋通り魔殺人事件 |
不遇な若者が世間に牙をむいた事件
造田博は高校生の頃、両親に捨てられた過去を持つ。
彼の両親はギャンブルの借金から逃れるため夜逃げしたのだが、造田は家にひとり残された。それでも当初は生活費を届けに時々は家に来てくれたが、造田が高校を辞めてアルバイトするようになると、それもなくなった。
そんな不遇な境遇でも、造田は職を転々としながらどうにか生きてきた。しかしそのうち、その努力が報われないことに大きな不満や怒りを覚えるようになる。やがて彼は「努力せずとも享楽的な暮らしのできる恵まれた者達」に対し、殺意を芽生えさせていく。
造田は親族らに迷惑をかけることを躊躇していたが、1999年9月8日正午前、その思いを断ち切りついに犯行を決意。池袋の東急ハンズ前でいきなり包丁とハンマーを両手に持ち、手当たり次第に通行人に襲い掛かった。
この犯行で2人が死亡、6人が重軽傷を負った。裁判では最高裁まで争ったが、判決は死刑。
白昼の繁華街で起こった大惨事に、世間が震撼した事件だった。
現在、造田博死刑囚は東京拘置所に収監中である。
2.秋葉原通り魔事件|加藤智大
犯人 | 加藤智大(当時25歳) かとう ともひろ |
発生日 | 2008年6月8日 |
発生場所 | 秋葉原(東京都) |
被害者数 | 7人死亡、10人負傷 |
判決 | 死刑(2022.7.26執行済み) |
詳細記事 | 秋葉原通り魔事件 |
日本一有名な通り魔事件
2008年6月8日、日曜日。恒例の歩行者天国の秋葉原は、大勢の買い物客らで賑わっていた。
そんな昼下がりの12時30分頃、1台のトラックが赤信号を無視して交差点を突っ走ってくる。トラックは止まることなく、青信号で渡る歩行者5人を次々とはね飛ばした。まわりは騒然としたが、この時点では交通事故と認識されていて、負傷者の救護にあたる人もいた。
そのトラックから降りてきたのは加藤智大。彼の手にはダガーナイフが握られ、視界に入った人に次々と体当たりして刺していった。交通事故だと思っていた人々は、何が起きているのかわからず、現場はパニックとなる。
ただ、大都会だけあって警察の到着も早かった。加藤は追われ、路地に追い詰められる。加藤はナイフで抵抗したが、銃を向けられ観念する。ナイフを捨てた加藤は、その場で現行犯逮捕された。
凶行は2分あまり。しかしその短い時間で7人が死亡、負傷者は10人におよんだ。
動機は「世間にアピールしたかった」
この事件は世間の注目を集め、連日報道されることとなる。
「母親の異常に厳しい英才教育」、「落ちこぼれた心の闇」、「社会的な孤立」など、真偽取り混ぜた情報が交錯した。特に動機については「雇用」などの社会問題に照らし合わせ、各社が仮説を報じたが、のちに当の加藤がすべて否定している。
加藤はインターネット掲示板のスレ主だったが、当時の加藤は、生活のすべてを掲示板に依存していた。その大事な掲示板が ”荒らし” に遭ってユーザーが引いていった。管理者に報告するも対処してもらえず、それが大きな不満となって事件を起こしたのだ。
のちに加藤本人はこう明言している。「ひと言で言うと、アピールのためです。自分がどれだけ悩み、苦しんでいたか、世の中の人に分かってほしかったのです」
真実が明らかになるにつれ、「ただのかまってちゃんではないのか?」という声も多く聞かれるようになった。しかし、その代償はあまりにも大きい死刑判決だった。
東京拘置所に収監中だった加藤智大死刑囚は、2022年7月26日、死刑が執行された。(享年39歳)
3.マツダ本社工場連続殺傷事件|引寺利明
犯人 | 引寺利明(当時42歳) ひきじ としあき |
発生日 | 2010年6月22日 |
発生場所 | マツダ工場(広島県) |
被害者数 | 1人死亡、11人負傷 |
判決 | 無期懲役 |
詳細記事 | マツダ工場連続殺傷事件 |
秋葉原通り魔事件に影響を受けた
通り魔事件としては日本で一番有名といっていい秋葉原通り魔事件。この事件の犯人・加藤智大を賛辞していた引寺利明。
「あいつすごいな」「あんなことよくやったよな」
興奮して語る引寺に、知人男性は大きな違和感を覚えたという。
そんな引寺だったが、秋葉原事件の2年後、同じような通り魔事件を起こすことになる。
「マツダ工場で同僚から嫌がらせ(集団ストーカー被害)を受けた。マツダが嫌がらせを止めなかったので、マツダに復讐しようとした」本人の語る動機は、このようなものだった。
彼は2010年6月22日、広島県のマツダ工場に不法に侵入、手当たり次第に従業員をはねて回り、1人が死亡、11人に重軽傷を負わせた。
嫌がらせの事実はなかった
しかし、マツダ工場に勤めたのはわずか2週間。実際の勤務日数は8日間だけ。この短い期間に、しかも入ったばかりの新人に対し、嫌がらせも何もあるとは思えない。
それを証明するように、引寺が「妄想性障害」であることが精神鑑定で明らかになる。捜査でも嫌がらせの事実は確認できず、被害妄想による思い込みと判断されていた。
精神的な病とはいえ、思い込みだけで重大犯罪に走った引寺利明。裁判では無期懲役となったが、もし死者が2人以上出ていれば、死刑判決となった可能性は高い。それほど悪質な犯行だった。
現在、引寺利明は岡山刑務所に服役中である。
もっと詳しい「マツダ工場連続殺傷事件」へ →
4.下関駅通り魔事件|上部康明
犯人 | 上部康明(当時35歳) うわべ やすあき |
発生日 | 1999年9月29日 |
発生場所 | JR下関駅(山口県) |
被害者数 | 5人死亡、10人負傷 |
判決 | 死刑 |
詳細記事 | 下関駅通り魔事件 |
対人恐怖症で人生がうまくいかない
通勤や通学でいつも利用する駅が、突然に地獄絵図となるー。
そんな場面は誰しも想像したくないものだが、上部康明はそれを実現させてしまった。
1999年9月29日午後4時25分頃、白い車がガラス戸を突き破って駅構内に侵入する。ブレーキとアクセルの踏み間違いではない。車を運転する上部康明は、人を殺すために故意に入ってきたのだ。
上部は駅構内を暴走し、7人の利用客をはねていく。約60m進んだところで車は停車、上部は包丁を手に車を降りた。
彼は包丁を振り回しながら改札を通り、ホームへと駆け上がる。そして8人に切りつけたあと、駅員に取り押さえられ、鉄道警察隊に現行犯逮捕された。
この凶行で車にはねられた7人のうち2人が死亡、包丁で切り付けられた8人のうち3人が死亡した。
身勝手すぎる動機
上部康明は大学時代に対人恐怖症を発症し、他人と視線が合っただけで、「相手が自分を嫌っているのではないか」と考え悩むほどだった。卒業後、専門医の治療を受けてなんとか就職できるようにはなった。しかし人間関係がネックでどこも長続きしない中、「上部と所長だけ」の会社で、安心して長く働ける会社にめぐり合う。
のちに1級建築士の資格を取って独立した際、この会社からは仕事をまわしてもらった。仕事は軌道に乗り、交際女性とも結婚。このまま順調な生活が続けば、彼が恐ろしい事件を起こすことはなかったかもしれない。だが、ここから上部の人生は大きく狂いだす。
- 些細なことで仲違いして、仕事をもらえなくなり生活苦に
- 両親から同居を拒否され、妻はニュージーランドに移住
- 運送業を始めた矢先、台風の高潮を被って軽トラックが修理不能に
- 軽トラックは保険未加入だったので、ローン130万円だけが残る
- 一時帰国した妻から、離婚の申し出
こうして「万事休す」となった上部は、自暴自棄となり事件を起こした。「両親や世間に思い知らせてやる」という身勝手な動機で、大量殺人したあと自殺する計画だったのだ。
上部康明は2008年7月11日に死刑が確定、2012年3月29日、死刑執行となった。(48歳没)
もっと詳しい「下関駅通り魔事件」へ →
5.土浦連続通り魔事件|金川真大
犯人 | 金川真大(当時24歳) かながわ まさひろ |
発生日 | 2008年3月19日、23日 |
発生場所 | 土浦市の住宅、荒川沖駅(茨城県) |
被害者数 | 2人死亡、7人負傷 |
判決 | 死刑 |
詳細記事 | 土浦連続通り魔事件 |
殺害動機は「死刑になりたいから」
死刑囚というのは、身勝手でも何かしらの「動機」があって殺人事件を起こし、その結果として「死刑」になる。しかしこの金川真大という男の場合は、本末転倒だった。
彼は、死刑になるために”殺人”という犯罪に手を染めたのだ。
金川は高校時代から少しずつおかしくなり、沖縄の修学旅行の感想文は、人類への敵意をむき出しにした内容で教師から注意を受けたという。その後も卒業が危うくなるほど自暴自棄になり、なんとか卒業にはこぎつけたものの、進学も就職もせず引きこもっていた。
彼は次第に生きる意味を見出せなくなり、死にたいと考えるようになる。通常はここまで思いつめると「自殺」という選択肢になるのだが、彼の場合は違った。
自分では死ねないので「死刑」にしてもらおう、と考えたのだ。
逆効果だった哲学書
最初のターゲットはなんと実の妹を予定していた。しかしタイミングが合わず、急遽近所の見知らぬ高齢男性を殺害。金川はそのまま秋葉原に逃走し、ホテルに泊まるなどして数日過ごした。
そして2008年3月23日、常磐線「荒川沖駅」で通り魔事件を起こした。ここでは張り込みの警官を含む8人を襲い、そのうち1人の男性が死亡、2人が重体、5人が軽傷を負った。
その後、死刑にしてもらうのに必要な「逮捕」のため、自首している。
金川の父親は、事件前に「子ども向けの哲学書」を金川に読ませていた。この本は主人公と猫の対話形式で構成されているのだが、その中に「死刑」に関する一節がある。
「この世で一番重い罰は死刑。ということは死刑を覚悟するなら何をしてもいいということになる」
簡単に説明すると、このような内容である。金川はこの言葉の「裏に隠された意味」を探ろうとせず、額面通り理解してしまったのではないかといわれている。
金川昌大は2010年1月5日に死刑が確定し、2013年2月21日に執行された。(29歳没)