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マツダ本社工場連続殺傷事件|マツダ社員なら誰でもよかった…

マツダ工場無差別殺傷事件/引寺利明日本の凶悪事件
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マツダ本社工場連続殺傷事件

「マツダ工場で、同僚から集団ストーカー行為をされた」
この”妄想”を現実のものと思い込んだ引寺利明は、2010年6月22日、その復讐のため広島県のマツダ本社宇品工場に車で侵入して従業員12人を次々とはねた。この凶行により1人が死亡、11人が重軽傷を負う大惨事となった。
引寺は裁判で無期懲役となるが、再犯を予告するなど常識外れな態度が目立った。また、遺族に100万円を要求するなど、まったく理解不能な行動で世間を唖然とさせた。

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事件データ

犯人引寺利明(当時42歳)
読み:ひきじ としあき
犯行種別通り魔殺人事件
犯行日2010年6月22日
場所広島市南区仁保沖町
マツダ本社宇品工場・東正門前
被害者数1人死亡、11人負傷
判決無期懲役:岡山刑務所に服役中
動機妄想による「マツダへの恨み」
キーワード秋葉原通り魔事件

 

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「マツダ本社工場連続殺傷事件」の経緯

マツダ本社宇品工場・東正門
マツダ本社宇品工場・東正門

2010年6月22日午前7時35分頃、引寺利明(当時42歳)は、広島市南区仁保沖町の「マツダ本社宇品工場」東正門前にファミリアS-ワゴンに乗ってやってきた。

この工場には4月上旬に2週間だけ期間工として勤務したが、辞めてすでに2か月が経っていた。引寺はその短い期間に「同僚から集団ストーカー被害に遭った」という ”妄想” が出ていて、自分ではそれが現実のことだと信じ込んでいた。そして、この日はその復讐のために来たのだ。

工場の始業は午前8時15分。この時間はちょうど、夜勤と日勤の従業員が入れ替わる時間帯で、人の流れが多かった。引寺は東正門を70kmのスピードで突っ込み、従業員2人をはねた。

その後、引寺は警備員の制止を振り切って敷地内に侵入、周回して次々と5人をはねた。さらに敷地内の東洋大橋を渡り猿猴川を越え、800m離れた本社工場まで進んでさらに5人をはねた。
工場内を約10分間、距離にして約5km、時速40~70kmで暴走し、午前7時45分頃、南区大州の北門より逃走した。

マツダ工場殺傷事件・逮捕現場
引寺が通報・逮捕された現場(マツダ工場を一望できる)

北門から逃走して40分後、北東に4.6kmほど離れた工場を一望できる府中町畑賀峠(瀬戸ハイム上)で、引寺は「わしがやった」と110番通報。駆けつけた警察官が、殺人未遂罪および包丁を隠し持っていたとして、午前8時23分に現行犯逮捕した。

引寺は事件後、知人男性Aに電話をかけている。

「たった今、マツダへの長年の恨みを晴らした。わしは死刑になるじゃろう」と言う引寺に、知人が何をやったのか聞くと「昼のニュースを見れば分かる」ともったいぶった。

そして、「わしはとうとう秋葉原を超えたよ」と勝ち誇ったように言うと、一方的に電話を切ったという。

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嫌がらせの事実はなかった

引寺は12人に危害を加えたが、そのうちマツダ正社員の浜田博志さん(39歳)が死亡、11人が重軽傷を負った。被害者はすべて男性で、重傷2人(36歳、29歳)、軽症9人(19歳~50歳)だった。

引寺は逮捕後、「マツダ工場で同僚から集団ストーカー行為をされた。マツダが嫌がらせを止めなかったので、マツダに復讐しようとした」と供述している。しかし、警察の捜査では嫌がらせの事実は確認できず被害妄想による思い込みと判断された。

犯行現場にはブレーキ痕がほとんど残されておらず、犯行車両のファミリアS-ワゴンはフロントガラスが大きく破損し、ボンネットも変形していた。また、車内からは刃渡り約18cmの包丁が発見されている。

引寺が影響を受けたとされる秋葉原通り魔事件でも、犯人の加藤智大は車で人をはねた後、用意していたダガーナイフで通行人を刺している。

引寺は6月23日、殺人未遂と銃刀法違反の疑いで広島地方検察庁に送致された。

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引寺利明の生い立ち

引寺利明(マツダ工場事件)

引寺利明は、広島市内の創価学会信者の家庭に生まれた。家族は両親と妹。父親はマツダに勤務しており、夜勤が多かったという。
小学校高学年の頃に実母が亡くなり、数年後、父親は看護士の女性と再婚。引寺はこの継母とは折り合いが悪く、よく言い争いする声が近所に響いていたという。

広島市内の高校を卒業後、広島県府中町にあるマツダの協力部品メーカーに入社。自動車座席の試作品を作る部署に約6年半勤め、1992年に依願退職した。人事責任者は「在籍時に問題を起こした記録はない」と話した。

その後、職を転々としていたが、2008年に自己破産している。

マツダ本社宇品工場には、2010年3月25日に6ヶ月契約の期間社員として入社。4月1日から同工場でバンパーの製造業務に当たっていたが、14日になって退職した。実質勤務はわずか8日間だった。

マツダは事件当日正午から、広島県府中町の本社で記者会見して、4月14日に引寺本人から退職を申し立てられ、受理したと明言しています。一方で引寺は「マツダに解雇された恨み」を事件の動機に挙げています。

30代半ばまでは実家暮らしで、夜中でも車のエンジンの爆音を立ててよく父親に叱られていたそうだ。その後、事件当時まで広島市安佐南区上安2丁目の学生の多いアパートで独り暮らしをしていた。

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おとなしい印象だった

まわりの人から見て引寺は、 ”危険人物” という印象ではなかったようだ。それだけに、恐ろしい凶行に驚きを隠せない様子だった。

  • 同じ職場だった若手社員男性「話したことはあるが、明るい性格ではなく、おとなしかった。なぜこんな事件を起こしたのか」
  • 3月に研修を一緒に受けた期間社員男性「プラスチック製のバンパーの仕上げ作業をする職場で働いていたが、スピードについていけない、体力的にきついとこぼしていた」「職場はいじめや個人攻撃にも気を使っている。会社に恨みを持つ理由が見当たらない」
  • 引寺のアパート近くに住む主婦(28歳)「Tシャツにジーパンを着て、タバコを吸いながら歩く姿をよく見かけた。気さくそうな印象が強い」
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秋葉原通り魔事件に影響を受けた

事件発生の約6時間前(22日午前1時半)まで、20年来の付き合いという知人男性Bと会っていた。男性は「期間社員時代とその後に続いた個人的なトラブルを打ち明けられ、3時間ほど話し込んだ」と証言する。

引寺は「職場にいる間に、家具が移動させられている」などと不可解な現象について相談を持ちかけ、「マツダの期間社員のとき、従業員で自分を見て笑うやつらがいた。そいつらの仕業に違いない」と話したという。

さらに引寺は、「わしには秋葉原の犯人(加藤智大)の気持ちがよく分かる。わしもマツダに車で突っ込んでやろうかと思う。マツダの社員だったら誰でも同じじゃ」と言い放った。男性が「関係ない人に危害を加えるのはおかしい」と諭すと、納得した様子だったという。

最後は笑って帰ったというが、その約6時間後に引寺は犯行に及んだ。「まさかそこまで思い詰めているとは想像できなかった。気分のむらだと思った」と男性は話した。

秋葉原通り魔事件
2008年6月8日に起きた秋葉原通り魔事件

男性は、引寺が加藤智大賛辞する言葉を、それ以前にも何度も耳にしていた。

「あいつすごいな」「あんなことよくやったよな」

興奮して語る引寺に、大きな違和感を覚えたという。

 

秋葉原通り魔事件|加藤智大は究極の”かまってちゃん”?

秋葉原の事件が起きた2008年は、引寺が自己破産した年である。アパートには4月から干したままの洗濯物などもあり、生活にかなり困窮していたとみられている。
引寺は知人に対して「僕は負け組」と述べるなど、精神的に不安定な状態にあったという。

裁判

この事件の起訴は2010年10月29日だったが、一審の初公判が2012年1月26日と、裁判の開始が大幅に遅れている。これは公判前整理手続きで、争点をめぐる意見の違いから、引寺利明被告と弁護団の調整が長引いたためだった。

引寺被告は逮捕直後から殺意を認めていたが、弁護団は心神喪失ゆえの無罪を主張する方針。引寺は死刑覚悟で犯行に臨んでおり、心神喪失については完全否定、”無罪”方針については激しく反発していた。

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引寺利明 とんでも語録

引寺利明/マツダ工場殺傷事件

引寺は公判中、”ふざけているような言動” や ”常識外な発言” が多くみられた。

  • (被害者数について)「8人目までは認める。9人目以降は覚えていない」
  • 「マツダ全体が憎かった。20〜30人殺せたとしても満足できたかわからない」
  • 仮釈放されれば、またマツダに突っ込む。今度は必ず成果を残す」
  • (裁判員に上から目線で)「裁判官になろうとしなくていい。素人目線で質問して」
  • (被告人質問で)「うーん、うまく答えが見つからないんでパスさせて下さい(笑)。初めてのパスですよ(笑)」
  • 傍聴席、弁護側、裁判官に向かって、それぞれ大声で3度「おはようございます!」と威圧
  • 初公判の日、休憩が終わり再開する時にアクビをしながら入廷してきた

精神鑑定のため、夏場に京都拘置所に移された際には、「こんな暑いところに入れてどういうつもりだ! 広島に返せ!」と怒鳴っていたという。

そして極めつけは、遺族に金銭を要求したことだ。
死亡した浜田博志さんの遺族に支払われた保険金を、引寺被告が要求するという特異な行動が、公判中に明らかになっている。
2010年10月末、引寺が浜田さんの妻に宛てた手紙には

わしが旦那を消したことで、あんたもすっきりしとるじゃろ
保険金も手に入って感謝してほしい。100万円を差し入れてくれ

などと書かれていたという。※遺族は当然、手紙の受け取りを拒否

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判決は無期懲役

2012年3月9日、広島地方裁判所は求刑通り無期懲役の判決を下した。
裁判長は争点だった責任能力の有無について「事件当時、妄想性障害の影響はあったが、犯行には悲観的、攻撃的な性格が強く関連しており、完全責任能力はあった」と判断。「計画的で非情な、極めて危険な犯行死刑の選択も検討されるべき事案」と述べた。

引寺被告は、主張していた「マツダ従業員による嫌がらせ」が「妄想」と判断されたことを不服として控訴した。

2013年3月11日、広島高等裁判所は引寺被告側の控訴を棄却、さらに9月24日、最高裁判所が上告を棄却して、一審・二審の無期懲役判決が確定した。

引寺利明のその後

引寺利明は無期懲役が確定したあと、岡山刑務所で服役している。

彼は精神鑑定で妄想性障害と認定されたにもかかわらず、服役中に精神科の治療を一切受けていない。そのため裁判後も「集団ストーカーの被害に遭った」という主張を変えておらず、犯行は「正当な復讐」という考えのままでいるのだ。

引寺は2019年、ノンフィクションライターの片岡健氏の取材に応じ、「事件の真実を暴露した手記を公表する」と息巻いているが、そういった類のものが発表された形跡はない。

引寺が片岡健氏に送った手紙の一部

「ワシに関わった警察や検察関係者、一審の弁護団、にっくき二審の弁護団、腐った大手マスコミの記者連中の皆様方、覚悟しといてねー。ワシが書きたい事が、本人さんにとって都合が良かろうーが悪かろーが、まーだいたいは都合が悪いと思うけどのー。ワシは、ありのままの事実な裏話を思いっきり書いちゃうぜー!! だって本当の事なんだもーん。ワシは宇宙一の正直者じゃけーのーーーーテヘっ(笑)」

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犯罪予備軍のような人たち

妄想性障害が原因で罪を犯す者は意外と多く、引寺利明もそのひとりです。

彼の場合は「マツダ工場の同僚から集団で嫌がらせを受けた」という妄想が元でしたが、これと似たパターンの事件に山口連続殺人放火事件があります。

 

この事件の犯人・保見光成も、やはり「自分がまわりから嫌がらせを受けている」と思い込み、復讐のため連続殺人事件を起こしました。ただ、この事件の場合は「悪口のようなうわさ話」が横行する限界集落の狭い社会で、何年もかけて妄想が強くなっています。

 

一方で、引寺はマツダ工場に2週間(実質8日間勤務)しか在籍していません。

しかも工場のような人間関係が希薄な環境で、たった2週間で殺人にまで至るというのは、元々の症状がかなり進んでいたのではないでしょうか?

 

こういう犯罪予備軍のような人に対する ”予防的なケア” の必要性を、強く感じさせる事件でした。

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