福島悪魔払い殺人事件|自称 ”神様” の犯行動機は女の嫉妬?

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福島悪魔祓い殺人事件 日本の凶悪事件

福島悪魔払い殺人事件

1995年、福島県の新興宗教団体で、6人の信者が暴行死するという悲惨な事件が起こった。
「自分は神の使い」だという江藤幸子は、気に入らない信者に ”除霊” の名目で複数の信者と暴行をくわえていた。「御用」と称するこの暴行は、一度標的にされると連日行われ、終わりがあるとすればそれは ”” を意味していた。
やがて標的だった女性信者が、家族に救出されたことから事件は発覚。江藤には死刑が言い渡された。「オウム事件」と同じ年に起きたこの事件は、その類似性からも興味深い事件である。

事件データ

犯人江藤幸子(当時47歳)
犯行種別連続殺人事件
罪状殺人、殺人未遂
犯行日1995年1月25日~6月6日
場所福島県須賀川市小作田竹ノ花
被害者数6人死亡
判決死刑:仙台拘置支所
2012年9月27日執行(享年65歳)
動機女の嫉妬、金銭トラブル
キーワード新興宗教

事件の経緯

福島悪魔祓い殺人事件
現場となった江藤幸子の家(2013年頃)

江藤幸子(当時47歳)は、1994年7月頃から福島県須賀川市で霊能祈祷師として活動を始めた。当初は知人を訪ね歩き、悩みの相談に乗ったり、手かざしで肩こりや腰痛を治療していた。この時、江藤の発する言葉に気味悪がる人もいたが、実際に痛みが消えたという人もいて、彼女の評判は次第に広まっていった。

この地域には古くから祈祷師を「拝み屋」と呼び、何か悩み事があると「拝み屋さんに見てもらう」風習があった。

やがて家に相談に来る人も増え、謝礼なども手渡されるようになると、江藤は自信を深めていく。
そのうち熱心な ”信者” がつくようになり、その中に高血圧症で悩む関根君子さん(45歳)がいた。彼女は江藤に言われるがまま薬を止めて祈祷をうけると、症状が軽くなったという。

君子さんは同じ高血圧症の姉・三木和子さん(42歳)にも祈祷を勧める。和子さんの夫・三木護さん(49歳)は糖尿病で入退院をくり返し、長女の三木里恵さん(18歳)は緑内障で手術を受けていたが、思うような結果にはならなかった。そんな状況の中、和子さんの症状も良くなると、家族はすっかり江藤の信者になってしまう。

出家信者への暴行

1994年6月のある日、江藤は三木一家に「この家で暮らせば霊も静まり、心配事もなくなる」と誘い、家族は出家することを決心する。和子さんは32年勤めた工場を退職し、夫婦と娘3人は江藤の家に移り住んだ。あとを続くように、関根夫婦も小学5年の息子を連れて出家してきた。

家には江藤の出戻りの長女・裕子(当時23歳)と幼い長男もいたので、江藤の家は11人の大所帯となった。そのため生活費用がかさむようになり、和子さんから150万円、君子さんから100万円を借りた。この時、君子さんは出し渋ったので、江藤は君子さんに不快感を持った。

ある時、君子さんの些細なミスに腹を立てた江藤は、「あなたには狐が憑いている」言いがかりをつけ、除霊と称して ”狐踊り” なるデタラメな踊りを、疲れ果てるまで舞わせた。

完全教祖マニュアル

通いの信者の中に、若い女性のA子(当時18歳)がいた。ある時A子は陸上自衛隊に勤める恋人・根本裕(当時21歳)を連れてきた。江藤は、容姿の整った根本をひと目見るなり、気に入ってしまう。

江藤は根本に「素晴らしい魂を持っている」と持ち上げ、気を良くした根本はひとりで通うようになった。そのうち2人は体の関係を持つようになる。年の差26歳だったが、根本のほうもまんざらではないようだった。

江藤は「根本さんと私は、前世で夫婦だった」と言い、彼を自分に次ぐ地位であると宣言した。彼女は自らを「神になった」として、信者には ”様付け” で呼ばせていたが、根本に対しても同様に ”様” を付けて呼ぶように通達。これに古参信者の護さんは反発した

江藤は、この護さんの態度を許さなかった。「蛇と猿の霊が憑いている。除霊しなければいけない」と言いがかりをつけ、かねてから気に入らない君子さんと2人で狐踊りを舞わせた。江藤は、「君子さんが根本に色目を使っている」と勝手に思い込み、それに嫉妬していたのだ。

江藤はそれを見ながら難癖をつけるのだが、もともと定型のない踊りなので何とでも言えた。そのうち疲れて休もうとすると、江藤は太鼓のバチ(直径3cm、長さ45cm)で尻や脚を叩くようになった。このような暴行は翌日も行われた。

激しさを増す暴行

太鼓のバチ

12月27日、江藤はA子に「根本は神に仕える身」であると説明し、交際を諦めるよう諭した。これに納得しないA子に江藤は「狐が憑いている」と言い、正座させたうえで信者たちに太鼓のバチで叩かせた。

この暴行は根本にも参加させ、数日続いたが、A子は除霊のためと思って耐えていた。途中一度自宅に戻ったが、再び自ら ”除霊” を受けるために江藤家を訪れている。
しかし、不審に思ったA子の父親が大晦日に連れ戻し、それ以降A子は江藤と縁が切れた。

このころから江藤の暴行は、激しさを増していく。江藤はこの暴行を「御用」と呼び、上位の神の命令と説明した。標的にされていたのは、相変わらず君子さんと護さんだった。あまりの激しさに護さんが自宅に逃げ帰ると、家族が説得して再び江藤家に戻る、ということをくり返した。

年明けの1995年1月2日、護さんはまた逃げ出して自宅に帰るが、翌日、須賀川署に相談に行く。護さんの体には無数の打撲痕があったが、これが自分の意志で受けた ”除霊行為” であると説明すると、警察では事件にならないと相手にされなかった。護さんは、仕方なく1月8日に自ら江藤家に戻った。

死刑囚 238人最期の言葉

ある時、江藤は長女と喧嘩になり、長女から平手打ちされる。翌日になると、”この喧嘩は君子さんに憑いた狐のせい” と言い始め、君子さんに「御用」を開始した。江藤は、君子さんに強い口調の言葉責めを浴びせ、”根本とセックスしたい” と言うように仕向ける。そして、そう言わせられた彼女に対し、さらに激しい「御用」をくわえた。君子さんが自宅に逃げ帰ると、君子さんの夫・関根満雄(当時45歳)に連れ戻させた。

江藤は「御用」と称した暴行を行う際、信者を言葉で責め続け、性欲がらみの煩悩を無理やり言わせる。そして信者が「〇〇とセックスしたい」などの言葉を発すると、「狐が憑いているせいだ」として暴行は激しさを増すしくみだった。

女のブラック事件簿 江藤幸子編

1月中旬になると、君子さんへの虐待はさらにひどくなる。君子さんは食事を1日1食しか与えられず、水もほとんど飲ませてもらえなかった。1日中正座を強要され、トイレに行くことも制限された。

このように君子さんと護さんを標的にした暴行は激しさを増し、2人は日毎に衰弱していく。午後から始まる暴行は夕食の間だけ中断するが、その後また再開するのだ。

1月25日午前3時、這ってトイレに行こうとした君子さんが、ついに動かなくなってしまった。江藤は「死んだのではない。神様がやっていること」と言い、今は仮死状態で魂が浄化されれば生き返る、と説明した。

続いて午前5時頃には、護さんが呻き声をあげて息絶えた。江藤は「君子さんの状態と同じ」だと皆に説明し、2人は1階奥の部屋に安置された。

嫉妬で殺害する自称”神様”

君子さんと護さんが亡くなると、次の標的は譲さんの長女・里恵さんに移った。若い里恵さんはかねてから根本への憧れを口にしていた。根本に惚れている江藤は、女の嫉妬からこれが気に入らなかった。

江藤に勧められてパーマをかけていた里恵さんは、それが高校でバレて指導を受けていた。江藤はこれに「神様を信じてないからバレた」と難癖をつけ始めた。里恵さんは正座させられ、心にもない ”根本への性欲” を言わされる。そしていつものように「御用」が始まるのだ。

里恵さんの「御用」には、母親である和子さんも加わっていた。
この暴行に高校の教師が気づいて須賀川署に相談するも、「自ら希望してやっていること」として取り合ってくれなかった。

2月14日からは、里恵さんは1日中正座を強要され、飲食・睡眠・トイレも制限された。「御用」は江藤と根本がラブホテルに行っている時以外は、ほぼ絶え間なく続けられた。

2月18日昼頃、前夜から根本とホテルに行っていた江藤が戻り、ぐったりした里恵さんにまた「御用」をしかけ、彼女は息絶えてしまう。江藤は前の2人と同じと説明し、里恵さんの遺体は2人と同じ部屋に運ばれた。

「御用」と称した暴行は続く

その後も、些細なことで難癖をつけて「御用」が始まり、終わる時はその対象者の死亡を意味していた。

里恵さんの次は母親の和子さんで、根本が自衛隊から外出禁止処分になったことも彼女のせいだとされ、暴行をくわえられた。”御用は宗教行為” と信じて疑わない実の娘たちにも暴行され、和子さんは3月16日夜に息絶える

江藤は和子さんから計450万円を借りていたが、死亡後に口座からさらに350万円を引き出している。

4月になると根本は自衛隊を除隊になったため、江藤は彼のためにアパートを借り、そこで過ごすことが多くなった。

前年の12月頃から通いの信者になった亥飼夫婦は、小学1年の息子の喘息が良くなったと、江藤に心酔していた。江藤は夫の亥飼立雄さん(42歳)を気に入り、「位の高い神様がついている」と持ち上げた。その気になった立雄さんは、職場の同僚の先崎明美さん(27歳)を、江藤に断りなく自分の信者にした。この職場はその後、江藤に言われるまま辞めてしまった。

4月20日、なかなか出家の誘いに応じない亥飼夫婦の様子をうかがおうと、江藤は亥飼家を訪れた。そこで、立雄さんが勝手に信者を従えていることを知り、江藤は立腹する。さらに若くて容姿のいい信者の明美さんに嫉妬した。

江藤は明美さんには ”蛇の霊が憑いている” と言い、除霊を開始した。初めて見る「御用」に亥飼夫婦は面食らったが、江藤は夫婦にも参加させた。
5月1日にも再び亥飼家を訪れ、明美さんに「御用」を実施。だが5月5日、明美さんの父親と職場の上司が迎えに来たため、江藤はこれ以上の暴行をやめた。

洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇

5月7日、亥飼夫婦は子供2人を連れて出家してきた。翌日には明美さんが自ら江藤家にやって来て「御用」を受けることを望んだ。こうして、12日頃からは明美さんに対する「御用」が本格化することになる。

「御用」には亥飼夫婦も参加していたが、立雄さんは「自分には位の高い神様が憑いている」と信じていたため、何かと仕切ろうとする態度を見せた。

これが気に入らない江藤は、「御用」の標的に立雄さんを加える。日中の数時間と、午後9時~午前4時まで、明美さんと立雄さんへの暴行が交互に行われた。5月下旬には立雄さんは全身が赤紫色に腫れ上がり、25日に息を引き取った

その日の夜から、今度は立雄さんの妻・B子(当時33歳)と明美さんへの「御用」が始まる。特に明美さんは過去の被害者のような行動制限などのひどい扱いを受け、6月6日に絶命。矛先はB子に向けられた。

事件の発覚

6月18日、連絡が取れないことを心配したB子の母親が、江藤家を訪ねてくる。その際、B子が血と膿にまみれているのを見た母親は、騒ぎ立てずに孫を連れて行こうとした。当然、信者たちに止められたが「買い物が終わったらすぐに戻ってくる」と言い、瘦せこけて生気なくうずくまっていた孫たちを救い出した

午後にはB子の父親らが訪ねて来て、彼女を連れ帰った。B子は体中腫れ上がり、ひどい状態だったが、洗脳されていて「血と膿は毒素が出てるだけ」と言い、病院に行くのも嫌がった。しかし、そのうち精神状態が安定してくると、江藤宅にたくさんの死体があることを話し出した。

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7月5日、この話を受けて須賀川署は江藤宅を家宅捜索、6人の遺体を発見した。江藤と3人の信者は逮捕され、4人の子どもは保護された。

逮捕された信者は、最初の被害者・関根君子さんの夫・関根満雄(当時45歳)、江藤の長女・裕子(当時23歳)、江藤の愛人・根本裕(当時21歳)の3人に加え、救出されたB子(当時33歳)も夫・立雄さんの殺害容疑で逮捕されている。

捜査員が江藤幸子宅の玄関を開けた瞬間、それまで嗅いだことのないような異臭が鼻をつき、遺体のある部屋は、床一面に蛆虫が這い回っていたという。
江藤は、遺体を放置していたことについて「魂は死んでいないので、そのまま寝かせていた」 と供述。信者らも遺体の悪臭が消えたら蘇生すると信じて疑わなかった。

江藤幸子の生い立ち

福島悪魔祓い殺人事件

江藤幸子は1947年8月21日、福島県須賀川市で生まれた。
父親は町会議員を務め、母親は専業主婦という家庭の一人娘だった。幸子が4歳の時、父親は病死。母は工員となり、母娘2人の生活を支えた。地元の小中学校を経て、県立高校を卒業。大人しくて目立たないタイプの生徒だったという。

20歳の時、高校の同級生と結婚した。この結婚は母親に反対されたため、2人は駆け落ちしてそれまで勤めていたガス会社も共に辞めた。夫は塗装業を始め、長男も授かった。

そんな幸せな生活も、1990年に終わりを告げる。仕事中の転落事故で夫は腰を痛め、思うように仕事が出来なくなるのだ。夫は競輪や競馬などのギャンブルにのめり込み、家に借金取りが押しかけるようになった。

死刑囚200人 最後の言葉

そのため、江藤は化粧品のセールスレディーを始めるが、ここでトップクラスの成績を収める。そうなると夫はますます働かなくなり、江藤は食器のセールスやラーメン屋のアルバイトもするようになった。

そんな時、夫婦は「天子の郷」という新興宗教団体に出会う。ここで「先祖祓い」を受けると、夫の腰痛は2、3日で治ったという。2人は信仰を深め、1992年には3人の娘を連れて岐阜の教団本部で活動を始めた。

ここでも江藤は地位を上げ、除霊が行える「天子」になった。しかし、どれほど信仰を重ねても次女の眼病は良くならず、団体の対応にも不満があったことから、夫婦は1992年11月に教団を脱会する。

その後、夫は家出して、教団で知り合った女性信者と神戸で同棲を始めた。江藤は神戸まで赴き夫を連れ戻すも、夫はまた出て行ってしまう。

神に選ばれた存在?

江藤は再度、夫のいる神戸に出向いた。そして、ホテルの部屋で夫が戻って来るよう祈った時、口から出た言葉が ”自分の声ではないような不思議な感覚” を江藤は体験する。この時彼女は、自分が”神に選ばれた存在”であることを実感し、夫への未練が断ち切れた。

1994年7月、須賀川に戻った江藤は霊能祈祷師として活動を始める。まずは知人を訪ね歩き、悩みの相談に乗ったり、手かざしで腰痛や肩こりを治療した。気味悪がる人もいたが、実際に治ったと感じる人もいて、江藤は次第に評判となっていった。

自信を深めた江藤は、信者を家に出家させるようになった。やがて、彼女はやりたい放題やるようになり、信者に「御用」と称した制裁をくわえるようになった。

事件が発覚した時、この制裁のために死亡した信者は6人。江藤は逮捕され、裁判で死刑が確定した。そして、2012年9月27日に刑が執行された。(享年65歳)

この日は、熊本県松橋町男女強盗殺人事件の松田幸則も執行されている。
江藤幸子は女性死刑囚としては戦後10人目、執行は戦後4人目で夕張保険金殺人事件日高信子以来15年ぶりであった。

裁判

福島悪魔祓い殺人事件

この事件で起訴されたのは、首謀者として江藤幸子、共犯者として江藤裕子根本裕関根満雄、そして被害者でもある亥飼B子の5人だった。

首謀者・江藤被告の刑事裁判では4人への殺人罪、2人への傷害致死罪、そしてB子への殺人未遂罪が認定されている。

刑事裁判では、事件の猟奇性・異常性から、江藤被告の責任能力が争点となった。

第一審:福島地裁

1995年10月27日の初公判で、江藤被告は暴行の事実は認めたが、共謀と殺意を否認した。

弁護側は「魂が清められているという宗教的確信から、信者が死んだという認識はなかった」「心神耗弱状態で正常な判断能力を欠いていた」と主張、殺意を否認した。
検察側は「最初の2人が死んだことを認識しながら、5人に対して”御用”を続けており、未必の故意があった」と反論した。

1996年9月の第11回公判で、弁護側の求めた精神鑑定が認められ、公判は約3年間にわたって中断。丹羽真一(福島県立医科大学教授:神経精神医学)による精神鑑定が実施された。
1999年11月5日の第14回公判から審理が再開されたが、その鑑定書は、4被告人のうち江藤裕子被告について、「精神障害が認められ、責任能力は問えない」とする内容だった。

2001年11月16日に論告求刑公判が開かれ、検察側は江藤被告に死刑、根本裕被告・江藤裕子被告に無期懲役、関根被告に懲役20年の刑をそれぞれ求刑した。

第一審の公判は、12月14日の第36回公判をもって結審。
4被告の弁護人は、それぞれ被害者たちへの殺意を否認、江藤被告・裕子被告・関根被告側は傷害致死罪の成立を、根本被告側は「故意がない以上、犯罪の構成要件を満たしていない」として無罪を主張した。
また、江藤被告の弁護人は精神鑑定で「暴力を振るう際には、一時的ヒステリーの乖離状態に陥ったこともある」という結果が出たことを根拠に心神耗弱を主張し、精神鑑定で「心神耗弱状態」と判定されていた裕子被告の弁護人も、改めて心神耗弱を主張した。

2002年5月10日、判決公判が開かれ、江藤幸子被告に死刑、江藤裕子被告・根本裕被告に無期懲役、関根満雄被告に懲役18年の判決が言い渡された。

殺意の有無については、「江藤被告は自分の神格的権威を保つため、邪魔者を排除しようと『御用』を始めた」と認定。そして、4被告とも「はじめの信者2人を死亡させた後は、『御用』を続ければ死ぬと分かっていた」と未必の故意を認めた。

また精神鑑定の結果より、演技的で自己顕示欲が強い「演技性人格障害」があることを認めたものの、「このこと自体が、認識能力に影響を与えるものではない」と断じ、江藤被告は自分の意思で乖離状態に陥っており、善悪を認識し行動する能力は十分にあった、として責任能力を認めた

さらに、江藤被告は愛人の「根本被告を独占したい」という「個人的な嫉妬心、憎しみなどから『御用』を行ったという面も否定できない」とし、江藤被告の個人的な動機による犯行と位置づけ、宗教とのかかわりを否定した。

関根の量刑が他の共犯者より軽くなった理由は、妻を殺されたことで正常な判断ができなくなったと認定されたためである。

死刑を言い渡された江藤幸子被告は、同日中に仙台高裁に控訴した。

日本脱カルト研究会(現:日本脱カルト協会)代表理事の高橋紳吾・東邦大助教授(精神医学)は、「オウム真理教の一連の公判と全く同じ構図」と分析している。

控訴審:仙台高裁

2003年7月4日、江藤被告と関根被告の控訴審初公判が開かれた。

関根被告の弁護人は「暴行への関与は低く、殺意もない」として、量刑不当を主張した。その後、11月11日に控訴を棄却され、無期懲役が確定している。

江藤被告の弁護人は「犯行時、心神喪失か心神耗弱状態だった」とする一審の主張を繰り返し、「暴行は同意の上で行われた”宗教行為”で、殺意はなく死刑は重すぎる」と事実誤認・量刑不当を主張した。

さらに「完全責任能力を認めた第一審の精神鑑定は、杜撰で事実誤認がある」として再度の精神鑑定を要求、それが認められ、2003年9月から公判が中断された。
2005年4月21日に審理が再開されたが、第一審とは逆に「江藤被告は犯行時、正常な判断能力がない心神耗弱状態に陥ることもあった」という鑑定結果が出された。

2005年11月22日、仙台高裁は「事件の発端となった信者・関根君子への暴行の際、愛人・根本被告への独占欲など、個人的・利己的な動機から犯行におよんでいる」と指摘、責任能力についても「憑依トランスに陥ったとしても短時間の一時的なことに過ぎず、ほとんどは完全責任能力を有した状態で犯行におよんでいた」と認定し、控訴を棄却した。

2回目の鑑定の鑑定人は朝日新聞の取材に「犯行は極めて閉鎖的な空間の中で、長期間行われていた」とし、「被害者と加害者を包括した、相互作用を考慮しないといけない。犯行は、被害者が動物、加害者が神という、完全に憑き物の状態でエスカレートしていった側面もある」と話した。

上告審

江藤被告の弁護人は、「事件当時、憑依トランス状態に陥り、心神喪失状態だった」という主張を展開し、無罪を訴えた。

2008年7月15日の弁論で、弁護側は「当時は健忘が多く、通常の生活を送るのも困難な心神喪失状態だった」と主張。控訴審での精神鑑定が「一時的に心神耗弱状態だった」と判断したことを挙げ、「少なくとも殺人罪でなく、過失致死罪に当たる」とした。

また「被害者は宗教的理由から ”自分のため” と認識しており、”御用”を受けることに同意していた」と述べた。

一方、検察側は「犯行は、被害者が心服していたことに乗じたもので悪質。動機は愛人・根本被告への独占欲と、神という自分の体面を保つための自己中心的なもの。一時的に憑依トランスになったとしても、正常時に被害者を選んでおり、完全責任能力があった」と述べ、上告棄却を求めた。

2008年9月16日、裁判長は「執拗な暴行を加え続け、なぶり殺しともいえる陰惨な犯行で、6人の命を奪った結果は重大。自らを”神の使い”とする宗教的集団を形成し、絶対的な力を背景に、信者に暴行を加え死亡させた。宗教的集団による事件として、社会に与えた影響も大きい」と指摘した。

そして「刑事責任は、共犯者に比べて際立って重い。死刑は追認せざるを得ない」と結論付けた。
弁護側の「憑依状態で心神喪失のため無罪、少なくとも心神耗弱で減刑すべき」との主張に対しては「完全責任能力を認めた、高裁の判断は支持できる」として退けた。

江藤被告は9月22日付で判決の訂正を申し立てたが、棄却され10月5日付で死刑が確定した。

死刑執行

福島悪魔祓い殺人事件・江藤幸子

江藤幸子死刑囚は死刑確定直後、弁護人に再審請求の手続きを依頼し、責任能力か殺意の有無を争点として、2012年末までに請求手続きを行う予定だった。しかし2012年9月27日、仙台拘置所収監中だった江藤は法務大臣の死刑執行命令により、宮城刑務所で刑を執行された。(享年65歳)

女性死刑囚の執行は、夕張保険金殺人事件日高信子(1997年に死刑執行)以来15年ぶりで、戦後4人目だった。

共犯者の判決
  • 根本裕被告は求刑通り一審で無期懲役。控訴するも2002年9月20日、控訴取り下げ、確定。
  • 江藤裕子被告は求刑通り一審で無期懲役判決。控訴せず確定。
  • 関根満雄被告は一審で懲役18年判決(求刑懲役20年)。2003年11月11日、仙台高裁で被告側控訴棄却、確定。
  • 亥飼B子は、先崎明美さんの傷害致死容疑と夫・亥飼立雄さんの殺人容疑で起訴された。1996年3月29日、福島地裁で懲役3年(求刑懲役5年)判決。1997年3月、仙台高裁で懲役3年(執行猶予5年)の判決が言い渡され、確定。
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