マニラ連続保険金殺人事件|双子の連続殺人鬼に死刑確定

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松本和弘・松本昭弘・下浦栄一/マニラ連続保険金殺人事件日本の凶悪事件

「マニラ連続保険金殺人事件」の概要

1994年12月、松本昭弘松本和弘下浦栄一の3人はある男性の殺害を依頼され、フィリピン・マニラで殺人を実行、報酬として1350万円を受け取った。味をしめた3人は1995年6月、保険金目的で別の男性をマニラで殺害。さらに1995年6月22日には長野県でも会社員を殺害して金銭を強取した。被害者らに落ち度はなく、単に金銭のためだけの犯行に最高裁は3人全員に死刑を言い渡した。
松本昭弘と和弘は双子の兄弟で、「兄弟に死刑判決」は44年ぶりだった。その後、昭弘は獄中で病死、和弘は糖尿病の悪化により失明した。

事件データ

犯人1松本昭弘(当時40歳)
死刑:2016年1月22日 病死(61歳没)
犯人2松本和弘(当時40歳)
死刑:名古屋拘置所
犯人3下浦栄一(当時23歳)
死刑:名古屋拘置所
犯人4東榎田加代子(当時45歳)
無期懲役
犯行種別連続保険金殺人事件
犯行日1994年12月1日~1995年6月22日
犯行場所フィリピン・マニラ市、長野県駒ケ根市
被害者数3人死亡
動機保険金目的
キーワード獄中で失明・病死

「マニラ連続保険金殺人事件」の経緯

本事件の発端は、宮崎県清武町の元保険外交員・東榎田加代子(当時45)が、生命保険金目当てに前夫・東榎田茂さん(当時43)の殺害を企てたことだった。当時、彼女は多額の債務を抱えており、宮崎市の会社役員に前夫の殺害を依頼した。

会社役員は東京都豊島区の元会社員を介し、双子の兄弟(輸入商の兄・松本昭弘、無職の弟・松本和弘)と無職・下浦栄一に殺害を指示した。

1994年12月1日、殺害計画はフィリピンのマニラ市で実行された。まず、和弘が茂さんに睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて眠らせ、昭弘と下浦が顔に食品包装用ラップフィルムをかぶせるなどして窒息死させた。加代子は1995年2月までに保険金総額7千293万円を騙し取り、松本らは報酬として計1350万円を受け取った。

その後、松本兄弟は仕事がうまく行かず金に困窮していた。そんな時、知人である貿易商手伝い・篭居敏和さん(当時47)が「土地を売った」と話しているのを聞き、その金を脅し取ろうと計画した。しかし土地売却の話が嘘だったことがわかり、和弘は激怒する。

金を奪うことができないならと、和弘は計画を保険金殺人に変更。1995年6月22日、昭弘・和弘・下浦の3人は、篭居さんに3千万円の海外旅行傷害保険に加入させたうえで、マニラ市内で篭居さんを殺害した。

現地の検視では「膵臓内出血による病死」とされたが、保険会社が支払いを留保したため、保険金の受け取りには失敗している。

日本国内でも殺人

1995年6月、松本昭弘と下浦はフィリピン行きの航空券予約をめぐり、愛知県尾西市の旅行会社社員・野沢繁夫さん(当時24)とトラブルになった。2人は「航空券が入手できず、仕事がうまくいかなかった」などと言いがかりをつけ、会社から現金10万円と2人分のフィリピン往復航空券を脅し取った。

1995年10月11日、松本和弘は長兄名義のパスポートに自分の写真を張り、名古屋市内の消費者金融から50万円を不正に借り入れた。その翌日には、別の消費者金融から同様の手口でさらに50万円を借りた。それからフィリピンに逃亡した和弘だが、1996年3月、名古屋南署から詐欺容疑などで指名手配された。

1996年5月23日、松本昭弘と下浦は、以前トラブルになった旅行会社社員の野沢さんを拉致する。午後11時頃、2人は新一宮駅付近で野沢さんを捕まえ、タクシーで当時2人が住んでいた名古屋市のマンションに連れ込み監禁した。

翌24日、野沢さんから強取したキャッシュカードを使い、名古屋市の銀行から約60万円を引き出した。さらに奪ったクレジットカードで、約16万円のネックレスを購入している。その後、レンタカーで長野県駒ケ根市の別荘地まで連行し、26日午前1時頃、野沢さんの首を絞めて殺害。遺体を空き別荘の床下の土中に埋めた。

それから昭弘と下浦は、翌27日からフィリピンに逃亡。6月24日、2人はフィリピンから帰国したところを、野沢さんへの恐喝と詐欺容疑で捜査本部により逮捕された。

6月28日朝、2人の供述通りの場所から野沢さんの遺体が見つかったため、捜査本部は昭弘と下浦を強盗殺人と死体遺棄容疑で再逮捕した。

その後の取り調べで、2人は貿易商手伝いの篭居さんをマニラで殺害したことを供述。10月16日、捜査本部はフィリピンから成田空港に到着した松本和弘を詐欺容疑で逮捕した。

1997年1月18日、東榎田茂さんを殺害した容疑で和弘昭弘下浦の3人を逮捕するとともに、殺害を企てた東榎田加代子、殺害依頼を受けた会社役員元会社員も逮捕となった。

昭弘は獄中死、和弘は失明

松本和弘/マニラ連続保険金殺人事件
松本和弘死刑囚

松本和弘死刑囚は2000年2月、右目の異常を訴え、名古屋拘置所が委託している眼科医の診察を受けた。持病の糖尿病が原因で、失明の恐れがある目の疾患「糖尿病網膜症」と診断されたが、拘置所側は専門病院に転院させるなどの措置を取らなかった。

和弘死刑囚は、点眼治療を受けたものの視力は低下、両目から出血したりするなど症状は悪化。その後、7月に名古屋市内の病院で手術を受けたが、右目は失明し、左目の視力も0.1程度に低下した。

和弘死刑囚は2005年8月、「眼科医が糖尿病網膜症と診断した時点で、拘置所側が専門病院に転院させて手術するなど、適切な治療を行う安全配慮義務があった」として国に1100万円の損害賠償を求め、名古屋地裁に提訴した。

国側は「医師は適切な処置を行った。手術が必要だという医学的根拠もない」と全面的に争っていたが、名古屋地裁の選任する鑑定人が、「拘置所が委託している眼科医の処置に問題があった」とする鑑定結果を提出。名古屋地裁が2009年3月、和解を勧告していた。
5月27日、名古屋地裁で開かれた和解協議で、国が解決金400万円を支払うことで和解が成立した。

獄中で病死した松本昭弘

松本昭弘死刑囚は2016年1月に入って体調を崩し、八王子医療刑務所で治療を受けていた。しかし1月22日午前7時30分過ぎ、肺炎のため八王子医療刑務所で死亡した。(61歳没)

3人の被告に死刑確定

第一審は名古屋地裁で開かれたが、松本昭弘被告、松本和弘被告、下浦栄一被告の3人は「どんな判決でも受け入れる」と反省の態度を示していた。

しかし2002年1月30日、判決公判で3被告全員に死刑が言い渡された。
裁判長は「もはや人格矯正の余地はない」と切り捨て、「人の命を自分の金銭欲の餌食としか見ていない残虐非道な犯行で、刑事責任は極めて重大」などと指弾した。

”どんな判決でも受け入れる”、という言葉と裏腹に、3被告は控訴した。

元夫殺害を依頼した東榎田加代子被告は無罪を主張していたが、2002年12月、最高裁で求刑通り無期懲役判決が確定。加代子が殺害を依頼した会社役員には懲役12年、松本兄弟と下浦を紹介した元会社員懲役8年が確定している。

控訴審

控訴審が始まると、被告側はマニラの2件の殺人について「被害者は病死であり、顔にラップをかぶせた行為と死因の因果関係はない。保険金目的に殺害したのではない」と訴えた。

2003年7月8日、名古屋高裁は被告側の控訴を棄却。裁判長はマニラの2事件の被害者について「(死因が)窒息死であることは明らかで、殺害行為との因果関係は優に認められる」と示し、「殺害後に被害者の保険契約書を持ち出すなど、保険金目的の殺人であることは明らか」と述べた。

下浦被告の弁護人の「(事件への)加担は従属的で、矯正可能性のあることは否定できない」との主張については、「3人の殺害を自ら実行しており、極刑はやむを得ない」とした。

最高裁

上告審でも被告側は、「マニラの2事件の被害者は病死」と主張したが、2007年1月30日の最高裁判決は、3被告の上告を棄却。こうして3被告の死刑が確定した。

松本昭弘と松本和弘は双子の兄弟で、兄弟に死刑判決が言い渡されたのは44年ぶりだった。

裁判長は、犯行態様は冷酷・非情であり、死亡後は病死したように偽装工作を施すなど狡猾でもある」と断罪し、3被告に関する判決理由をそれぞれ以下のように説明した。

  • 松本昭弘被告:「わずか1年半の間に3件の殺人に関与した」
  • 松本和弘被告:「2件の保険金殺人を主導した」
  • 下浦栄一被告:「殺害の主要な役割を担った」
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