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闇サイト殺人事件|言わせた暗証番号は2960(憎むわ)

日本の凶悪事件
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「闇サイト殺人事件」概要

日本犯罪史上、これほど理不尽な事件はほかにない。
2007年8月24日、インターネットの闇サイトで知り合ったばかりの神田司慶末川岸健治の3人は、金銭を奪う目的で31歳のOLを拉致。彼女は「真面目で金を貯めていそう」という理由で標的にされた。そして、暴力で無理やり銀行の暗証番号を聞き出し殺害。しかしその番号は2960(憎むわ)という虚偽の番号で、3人は金を引き出すことも出来なかった。
あまりにも無慈悲で凄惨な犯行に、下った判決は主犯・神田死刑。ほかの2人についても無期懲役となった。
*後日、碧南市夫婦強殺事件で逮捕された慶末死刑となっている。

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事件データ

犯人1神田司(当時36歳)判決:死刑
2015年6月25日執行(44歳没)
犯人2慶末よしとも(金 慶末・当時32歳)判決:無期懲役
碧南事件死刑確定(名古屋拘置所に収監中)
犯人3川岸健治(当時40歳)判決:無期懲役
犯行種別強盗殺人事件
事件発生日2007年8月24日~25日
犯行場所名古屋市千種区、岐阜県瑞浪市(遺棄場所)
被害者数1人死亡
動機金銭目的
キーワード闇サイト、闇の職安、碧南事件

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闇サイト殺人事件の経緯

事件当日(8月24日)から読みたい方はこちら →

2007年8月16日、川岸健治(当時40歳)は、”山下”の偽名で「闇の職安」東海版に「刑務所を出所したばかりだ。東海地方で一緒に何か組んでやらないか」と投稿。

この投稿が、事件の始まりとなる。

これに対し、”杉浦“(当時29歳)という偽名の男が返信、20日には ”田中” の偽名で慶末よしとも(当時32歳)が「こづかい稼ぎですが、(人を)拉致して金を出させます(預金引き出し)」というメールを送信した。

また、神田司(当時36歳)も「以前はオレオレ詐欺をメインにしていたが、貧乏すぎて強盗でもしたい」というメールを送信した。

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8月21日:3人の顔合わせ

投稿には他にも数人から反応があったが、川岸はこの3人を選んで返信。そして、翌日の8月21日午前9時頃、が住む地域のファミリーレストランで、2人は初めて対面した。その後、川岸の車で愛知県豊川市へ移動して杉浦と合流した。

神田はこの日は合流しなかったが、川岸からの相談メールに「夜間金庫か、パチンコ屋の景品交換所を襲うのが良い」と返信。そのメールを見た堀は、自身の通うパチンコ店(キング観光サウザンド栄東新町店)の常連客で、常に大金を持ち歩く男性を襲撃することを提案。川岸と杉浦もその案に賛成した。

3人は名古屋市内へ移動、パチンコ店の地下駐車場で標的の常連客を待ち伏せ、客がレクサスに乗って帰宅するところを尾行した。ところが途中で見失ってしまい、これは失敗する。

川岸はその旨を神田にメールで報告。午後9時~10時頃に金山駅で合流する約束を取り付けた。
その後、杉浦は用事があり帰宅。神田は午後10時頃に原付で金山駅に到着し、川岸と合流、3人は互いに悪事の自慢合戦のような自己紹介をした。

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8月22日:煮詰まる4人の男たち

翌8月22日、神田、堀、川岸の3人は、再度パチンコの常連客襲撃を予定していた。昼頃、川岸と神田が落ち合い、午後4時頃に堀の待つパチンコ店へ移動した。(杉浦は約束の時間に来なかった)

そして、今度はレクサスの尾行に成功。標的の住む高級マンションまでやってきたが、マンションはセキュリティが厳重だったため、襲撃計画は見送った。
その後、午後6時頃に杉浦と合流。神田は遅れてきた杉浦に苛立ちを露わにしていた。

ほかにも2、3の犯罪計画を遂行しようとするも、それらはことごとく失敗に終わっていた。杉浦は下っ端扱いされていたこともあり、不満を爆発させるなど、犯行グループは煮詰まっていた。

神田は「若い女を拉致・監禁してキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出して金を引き出し、最後は殺す」という提案をする。堀と川岸はそれに賛同した。

標的として ”風俗関係の女” が候補に上がったが、キャバクラ嬢は「金を持っていなさそう」、ソープ嬢に関しても堀が「バックに暴力団がついている」と難色を示し、意見はまとまらなかった。

杉浦は殺人には反対で、自分に見下した態度を取る神田を嫌っていた。杉浦は、神田と堀が帰宅したあと、川岸にその気持ちを伝えた。そんなこともあり、”明日は2人で何かやろう” という話になった。

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8月23日:ひとりが脱退

川岸は杉浦と2人でどこかを襲撃し、金を手に入れようと考えた。8月23日、2人は落ち合い、川岸が以前住んでいた瀬戸市へ向かった。

途中、ガソリンスタンドやドラッグストアの強盗を考えたが、閉店までに襲撃のタイミングを掴むことができず、どちらも失敗した。

そこで川岸は、かつて勤めていた愛知郡長久手町の会社の手提げ金庫を奪うことを決意。24日午前0時15分頃、2人は建物内に侵入した。ところが、どこを探しても金庫は見つからなかった。

川岸は、杉浦と1日行動を共にして「年下のくせに態度が生意気」と感じて気に入らなかった。そのため、彼を事務所に残したまま車で逃走した。土地勘もない場所に置き去りにされた杉浦は、24日午前0時55分頃、公衆電話から自ら110番して自首。これは”川岸も逮捕されればいい”、という腹いせの気持ちもあった。

杉浦は午前3時20分頃、建造物侵入・窃盗未遂容疑で、名東警察署緊急逮捕された。彼は取り調べに対し、「闇の職安」で1週間前に知り合った共犯者 (川岸) の存在を自供をしていたが、名東署からそのことが特捜本部に知らされたのは、本事件の発生後の8月27日だった。

 

杉浦は、建造物侵入・窃盗未遂の罪で名古屋地裁に起訴され、のちにドラッグストアの強盗を計画した強盗予備罪でも追起訴された。杉浦は11月20日、名古屋地裁で懲役2年(執行猶予3年)の有罪判決を受けている。

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8月24日:そして事件当日

ここまでの流れ

川岸が「闇の職安」で悪事を働いて金儲けする参加者を募る
➡ 神田、杉浦の3人と組むことが決まる
➡ いろいろな犯行を企てるも、ことごとく失敗
➡ 川岸と杉浦が独断で強盗を行うが失敗、杉浦は脱退

川岸は、一旦は杉浦と2人だけで犯行をたくらんだものの、「やはり神田と堀は、犯罪経験が豊富そうだ」と思い直し、彼らと組むことにした。24日午前1時頃、川岸は神田に謝罪メールを送信。神田は多少のわだかまりを感じたが、3人は再び組むことになった。

24日午後3時頃、3人は鳴海のTSUTAYAで落ち合った。
堀が「今週中に30万円ぐらいどうしても必要」というと、神田は「それならば、今日中になんとかしなければいけない」と、前日に出た案の ”女性を拉致し、キャッシュカードと現金を奪う” 計画を改めて出してきた。神田が「拉致した女は、最後には殺す」ことを告げ、2人とも了承した。

名古屋高裁は、神田の「最後は殺しちゃうけど、いいよね」という言葉に、堀と川岸が承諾する返事をした時点(24日午後3時頃)をもって、「殺害の共謀が成立した」と認定している。

計画を立てたのはファミレス

さらに犯行計画を練るため、3人は名古屋市北区内のファミリーレストランに入った。堀は、拉致するのはOLにすることを提案。標的は「黒髪で地味そうな女性、年齢は20歳代後半~30歳代前半」とした。これは「多額の貯金をしていそう」というイメージで決めた。

この日は24日で金曜日だったため、神田も「今日なら給料日になるだろうし、しばらく拉致・監禁すれば、ある程度まとまった金を引き出せるだろう。標的はひとり暮らしが良い。ひとり暮らしなら、その部屋に居座って監禁することもできる」と言った。家族と同居していると、家族がすぐに警察に届ける恐れがあるためでもあった。

堀は監禁場所として、名東区高針のアパートを提案したが、その部屋はかつて堀が起こした碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の共犯者である元仕事仲間の部屋だった。神田は「闇の職安」でATM から預金を引き出す「出し子」を探したが、ふさわしい人材が見つからなかったため、川岸が引き出しを行うことになった。

次に拉致場所について相談し、堀の提案通り、高級住宅街の多い名古屋市営地下鉄東山線の沿線(覚王山・一社・上社・本郷方面)に決まった。

神田は川岸に対し、被害者が騒ぐといけないので、「車の中でレイプは禁止、監禁後は自由にしていい」といった内容のルールを伝え、川岸もそれを了承した。

こうして、3人は午後7時過ぎに話し合いを終え、レストランを退店。
こうして「OLを拉致して金品を奪い、犯行の発覚を防ぐために殺害する」という犯行計画が決められた。

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計画が動き出す

闇サイト殺人事件・拉致現場
拉致現場

ファミリーレストランを出たあと、3人は川岸の運転する車で標的の物色を開始した。
3人はATMで預金を下ろした後のOLを狙い、まずは覚王山・本山付近に向かった。その後、一社・本郷などに移動して女性を物色するも、周囲に対向車や通行人がいたりタイミングが合わなかったりと、拉致には至らなかった。

やがて夜が更け、通行人の数も少なくなっていた中、堀が「今まで回った中では、本山駅周辺と覚王山がいい。街灯が少なくて道が暗いし、道幅も狭いから拉致しやすい」と意見したため、覚王山から本山へ向かうことになった。

磯谷利恵さん

午後11時頃、川岸は春里町2丁目付近で、車の前方から歩いてきた磯谷利恵さん(当時31歳)に目を付ける。磯谷さんの見た目は標的の条件に合うため、3人とも彼女の拉致を決めた。

川岸は車をUターンさせて磯谷さんを尾行、磯谷さんの母校の自由ヶ丘小学校の専用歩道橋あたりで磯谷さんを追い抜くと、約10m先のマンション駐車場前で停車し、磯谷さんを待ち伏せた。

利恵さんの住む市営住宅の最寄り駅は、地下鉄名城線・自由ヶ丘駅だったが、彼女は通勤の関係で東山線・本山駅を利用していた。利恵さんは8月末に当時の職場を退職し、別の仕事に転職する予定だった。そのための送別会などで、このころ帰りが遅くなることがあった。

午後11時10分頃、利恵さんが車を通り過ぎた時、堀が車を降り、道を尋ねるふりをして彼女に近づいた。堀はおもむろに利恵さんの口を右手で塞ぎ、背後から抱きかかえるようにしてリバティの後部座席に押し込んだ。神田も車内に引き込むようにして手伝い、彼女は拉致されてしまった。

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堀は、利恵さんの右手に手錠を掛け、粘着テープを利恵さんの口に貼り付け、完全に抵抗できない状態にしてシート下の床に座らせた。3人はそのまま、利恵さんを乗せたまま車を走らせ、人目に付かない場所まで連行した。

当初の計画では、堀の用意した部屋で拉致することになっていた。川岸はそのつもりで高針方面へ向かったが、神田が「人気のない方へ行け」と指示。川岸は木曽三川公園方面へ向かうことに決め、車を走らせた。しかし拉致から約15分後、国道155号を走行中、利恵さんが「吐きそう」と訴えたため、「車内で吐かれたくない」と思った川岸は、8月25日午前0時頃、国道沿いのレストラン駐車場に車を停めた。

その場所が、殺害現場となった屋外駐車場(愛西市内佐屋町西新田39番1)で、到着時刻は8月25日0時ごろだった。

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聞き出した銀行の暗証番号

闇サイト殺人事件

8月25日午前0時過ぎ、3人はレストラン駐車場に停めたリバティの車内で、利恵さんから現金約6万円や、キャッシュカード2枚、クレジットカードを奪い、キャッシュカードの暗証番号を教えるよう迫った。利恵さんがなかなか暗証番号を言わないため、堀は包丁を見せながら、5分の間に暗証番号を教えなければ殺害すると脅迫した。

しかし5分経過しても、利恵さんは暗証番号を口にしなかった。神田が堀に「2、3回刺せ」と命じたところ、堀は利恵さんの太腿を刺すふりをしたり、声を荒げて「いい加減にしゃべれ。みんなイラついている」などと脅した。

午前0時45分、利恵さんはついに4桁の数字を言った。それは、”2960”。川岸は、携帯電話にその番号を記録した。

その後、堀と神田は喫煙のため車外に出た。暗証番号さえ聞き出せば、もう利恵さんに用はないと考えた2人は、予定通り殺害を考えていた。一方、車に残っていた川岸は、車内で利恵さんを強姦しようとしたが、利恵さんに悲鳴をあげられ、気づいた神田らに制止された。

車に戻った神田は、利恵さんの背後から首に腕を回して絞め付けたが、これは失敗。次に堀と川岸が綿ロープを使ったが、これも車内ではうまくできなかった。利恵さんは「殺さないって言ったじゃない!」と訴えたが、彼らはそれを無視。午前1時頃、ハンマーで殴り、綿ロープで首を絞めて殺害した。死因は窒息死だった。

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預金は引き出せなかった

ドン・キホーテ一宮

その後、3人は奪った現金6万円を分け合ったり、車内の返り血を拭き取ったりした。返り血は服にも付いていたため、一宮市のドン・キホーテで川岸が3人分の着替え用の衣服を購入した。

死因は窒息死だが、3人はハンマーで頭部を殴るなどしたため、車内に返り血が付いていた。

それから午前2時56分頃、小牧市内のATMで奪ったキャッシュカードを使い、預金を引き出そうとしたが取り扱い時間外だった。そのため、遺体岐阜県内の山に捨てに行くことになった。

3人はリバティで、中央自動車道の瑞浪ICから岐阜県道33号を山岡方面に走り、山道に入った。途中で資材置き場からスコップ2本を盗み、さらに岐阜県瑞浪市稲津町小里の山林に向かった。
午前4時40分頃、適当な場所で停車、神田と堀が遺体をガードレールのすぐ先に投げ捨て、その上から土をかけ、利恵さんの遺体を遺棄した。

神田は、「車があると目立って怪しまれる」と考え、川岸にそう言って現場から離れさせた。川岸は道の駅に向かったが、午前4時49分に「終わった」との連絡を受けて迎えに戻っている。

午前9時10分頃、中京銀行知立支店で再度奪った中京銀行キャッシュカードでの預金の引き出しを試みた。ところが、利恵さんから聞き出した暗証番号 ”2960” を入力してもエラーになる。

次いで午前10時35分頃、川岸は名古屋市南区内のコンビニATMで、今度はUFJ銀行のキャッシュカードで ”2960” や利恵さんの生年月日に由来する番号を試してみたが、いずれも失敗に終わった。

結局、預金の引き出しはできなかった。3人は夜に再び同じ手口の犯行を行うことを決め、解散した。

娘を奪われたあの日から:名古屋闇サイト殺人事件・遺族の12年
娘を奪われたあの日から:名古屋闇サイト殺人事件・遺族の12年
2960の真相

2960・・・2960)→ にくむわ → 憎むわ

利恵さんは、母と生前の父の「家を建てたい」というをかなえてあげたいと、800万円の貯金をしていました。犯人たちはこれを奪いたくて、利恵さんに暴行して銀行の暗証番号を聞き出そうとします。きっと彼女は正しい番号を言っても解放されないことを悟っていたのでしょう。

利恵さんは、とっさに考えたの4桁「2960(憎むわ)」を犯人に伝えました。こうして大事な資金が犯人の手に渡ることだけは阻止できたのです。それがせめてもの救いです。

利恵さんは、昔から数字の語呂合わせが好きだったそうで、”憎むわ”のメッセージには利恵さんの婚約者が気付いたということです。

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突然の自首

有松ジャンボリー
川岸が自首の電話をかけた駐車場

川岸は2人と別れ、仮眠を取るため名古屋市緑区の「有松ジャンボリー」駐車場に移動した。

彼はひとりになってよく考えた結果、ひとつの結論を出した。午後1時30分、自ら愛知県警察に電話をかけ、「女性を拉致して金を奪い、殺して岐阜県に埋めた」と話し、自首したのだ。応対した警察官は、川岸にその場に留まっているよう伝えた。

川岸は午後2時17分、緑警察署の警察官7人に身柄を拘束された。緑署で約15分間の事情聴取を受けた後、機動捜査隊に連れられて遺棄現場まで同行。午後7時10分頃、川岸の自供通りの場所から、利恵さんの遺体が発見された。

川岸は神田についても供述をしたため、県警は同日夜の「第2の犯行計画」を利用して2人を逮捕することを決め、2人の住所を特定した。

神田、堀の身柄確保

午後7時10分頃、計画のために自宅から出かけようとしていた神田の身柄を確保。堀については、川岸にメールを送信させ、午後10時頃に堀の自宅マンション前で落ち合う約束を取り付けさせた。そして、警察が絡んでいるとは知らない堀は、約束の時間に自宅から出てきたところを捜査員に取り押さえられた。

取り調べでは、3人とも以下の供述をしたため、愛知県警は強盗殺人・死体遺棄事件として特別捜査本部を設置した。

  • 3人は闇サイトで知り合った
  • 金を奪う目的で通りがかりの女性を狙った
  • 顔を見られたので殺した

県警特捜本部は、翌26日午前0時に事件発生を発表し、午前4時過ぎ、神田司堀慶末川岸健治の3人を、死体遺棄容疑逮捕。翌8月27日に名古屋地方検察庁へ3人の身柄を送検した。

2007年9月14日、名古屋地検は3人を死体遺棄罪で起訴。
2007年10月5日、3人を強盗殺人・逮捕監禁・営利略取の罪で追起訴。川岸を強盗強姦未遂の罪で追起訴。

神田は捜査段階で、「人を殺した以上、金を払ったり、謝ったりしても、責任を取ったことにはならない。それが犯罪者である自分のルールである」「自分は他人が作った法律ではなく、自分のルールに従って生きる。殺人に抵抗感はない」と供述した。

また、神田は逮捕から数日後に川岸が自首したことを知らされたが、これを恨み、別の警察署の留置場にいた川岸に対し、脅迫めいた内容の手紙を送った。

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神田司の生い立ち

神田司・闇サイト殺人事件

神田司は1971年3月9日、群馬県高崎市で生まれた。

小学生のころに両親が離婚父親からは暴力を振るわれ、学校でもいじめを受ける生活だった。16歳のころから激しい頭痛に悩まされ、治療費が高額なために十分な治療を受けられなかった。
このころ、暴走族に所属している。

1989年、高崎市内の工業高校を卒業。人材派遣会社などに登録したが、実際に仕事に就いた形跡はなく、上京後には暴力団関係の仕事をするようになった。

その後、東京都内の新聞販売店・愛知県内の人材派遣会社など、仕事を転々としたが長続きせず、流れ流れて名古屋にたどり着いた。また、事件の10年ほど前から携帯電話で闇サイトを利用していたとされる。

2006年9月から豊明市内の新聞販売店に入社、朝日新聞のセールススタッフとして新聞勧誘員の仕事をして会社の寮に住み込む。だが勤務態度はあまり良くなく、手取り収入も少なく、交際相手の女性から時々小遣いを貰うなどして生活していた。

また、勤務先の社長に対し「父が亡くなり、天涯孤独の身だ」と嘘をついたり、同社に提出した履歴書にも虚偽を記載したりしている。

神田は2006年3月、闇サイトを悪用した詐欺事件で、懲役3年(執行猶予5年)に処されていたが、金欲しさから、その後も闇サイトへの投稿・閲覧を続けていた。

本事件では一審で死刑判決。神田は控訴したが、2009年4月13日に自らこれを取り下げ、死刑が確定した。
そして2015年6月25日、死刑が執行された。(44歳没)

堀慶末の生い立ち

堀慶末

堀慶末金慶末)は1975年4月29日、岐阜県で在日朝鮮人(2世)の父親と、日本人の母親との間の第5子(五男)として生まれた。堀が幼児期の頃、父親の浮気が原因で激しい夫婦喧嘩をするようになり、暴力も振るうようになったという。

1982年4月、堀が小学校に入学する直前、父親は浮気相手と同棲し、やがて両親は離婚した。

中学校では、硬式テニス部に入部。新しいテニスラケット欲しさに兄たちの会社で外壁工事のアルバイトを始める。同じ頃、堀は非行に走るようになり、暴力沙汰を起こし、担任教諭から「もう学校に来るな」とまで言われ不登校になる。

夏休み中、再び兄の外壁工事を手伝うようになったが、このころに重い物を持つなどして腰に負担を掛けたことが、後に慢性的な腰痛を患う原因となる。また、このころに独立した次兄の下で、葉山輝雄(碧南事件の共犯者/鹿児島県出身)と出会った。

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結婚・独立

1993年、地元スナックのホステスと交際するようになり、妊娠を機に結婚した。その後、長男誕生。

17歳の頃、葉山とともに、兄3人が経営する会社の社員になった。しばらくして独立した次兄の下で働くようになる。
翌1994年、19歳の堀は独立し、義弟(妻の弟)と兄たちの会社の下請けをするようになった。仕事で車が必要になり、兄の会社名義で約130万円のローンを組んでワンボックス車を購入。

1995年、次兄から佐藤浩(碧南事件・守山事件の共犯者/群馬県出身)に仕事を教えるよう頼まれた。このころ、次男が出まれる。

碧南事件・守山事件を起こす

1998年5月頃、堀は車のローン代金や消費者記入の借金に追い詰められ、強盗を企てる。堀は、佐藤葉山を誘い入れ、碧南市のパチンコ店長宅に侵入、夫婦を殺害する強盗殺人を起こした。(碧南市夫婦殺害事件

事件直後、堀(当時23歳)は妻から離婚を切り出され、1998年7月に離婚届を提出した。
その後、仕事もせず佐藤と自動販売機荒らしをするようになる。

2006年7月20日、堀と佐藤は名古屋市守山区脇田町の高齢女性宅に強盗に入る。(守山事件)この家はかつて堀が外壁工事をした家だった。女性の首を絞め、金品を奪って逃走したが、殺害には至らなかった。(裁判では”殺意があった”と認定された)

2007年8月24日、本事件(闇サイト殺人事件)を起こす。2012年7月11日、無期懲役確定。

碧南事件・守山事件は迷宮入りしていた。
堀自身も闇サイト殺人事件の取り調べで自供しなかったため、発覚することはなかった。しかし2012年8月3日、DNA型鑑定の技術進歩により、碧南事件の証拠品から堀のDNA型が検出される。これにより堀は逮捕され、2019年8月7日、裁判で死刑が確定した。(現在は名古屋拘置所に収監中)

 

川岸健治の生い立ち

川岸健治・闇サイト殺人事件
現場検証中の川岸健治(右)

川岸健治は1966年、石川県金沢市に生まれた。

子供のころに腎臓病を患い、それが原因でいじめを受けた。高校進学後からは、その反動で非行に走るようになり、少年鑑別所に収監されたこともあった。

高校を出た後、富山県富山市で大手警備会社に7年間勤務。1999年8月、住宅ローンを組み、愛知県瀬戸市に分譲マンションを購入して、妻・子供4人と暮らしていた。

この時期から、携帯電話で闇サイトの利用を始めた。川岸は「闇の職安」を通じて入手した偽の運転免許証を使い、振り込め詐欺用の銀行口座を開設・販売していた。

2000年以降は、愛知県内の運送会社を転々としたが、履歴書には多くの虚偽記載があったという。その後、金に困るようになり、住宅ローンや税金を滞納したため、2002年には瀬戸市にマンションを差し押さえられた。

2002年12月、住み込みで瀬戸市内の運送会社に就職したが、数か月後には妻子に逃げられ、妻と離婚
2003年8月頃には職場を通し、トヨタ・スターレットを給与から代金を天引きする形で購入。しかし2004年5月頃、荷物を積んだトラックを駐車場に放置したまま無断欠勤、そのまま車とともに夜逃げした。

その後、警備会社や運送会社を転々とし、遺体遺棄現場に選んだ瑞浪市周辺に住んだり、殺害現場となった愛西市で勤務した時期もある。

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闇サイトの犯罪で懲役

川岸は、闇サイトを利用した別の詐欺事件を起こし、2005年7月には詐欺罪で、懲役1年2月(執行猶予4年)を受けている。それでもなお、金欲しさから闇サイトへの投稿・閲覧を続けていた。

事件直前の2007年7月頃、「仕事が嫌になった」と無断欠勤し、車中で路上生活を始めたが、それまでの約1年間は、派遣工として月10~20万円の収入で生活していた。寝泊りしていた日産リバティは、かつて闇サイトを利用した盗難保険金詐欺に加担した際、依頼主から謝礼として受け取ったもので、本事件でも使われている。

本事件逮捕後は「犯行場面の幻影を見て眠れなくなった」と精神安定剤を服用するようになり、曖昧な受け答えをするようになった。第一審で神田と堀が死刑を宣告された一方、自身は死刑を免れたことについて、FNN記者との面会で以下のように発言している

自首したことが認められたことについてはよかったと思う。3人一緒に死刑だと思っていたから驚いた。誰のおかげで事件が解決したのかという思いだったから、満足している。磯谷利恵さんの前に、何人も物色しているんだから、彼女になったのは、運が悪かったからなんだって。今でも悪いことは、ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。でも、生かしてもらえてよかった。ありがたい」

川岸は公判中、名古屋拘置所に拘置されていたが、2011年6月1日に無期懲役刑確定後に名古屋刑務所へ移送され、8月8日にはさらに別の刑務所へ移送された(2017年時点で服役中の刑務所は不明)

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裁判

公判前整理手続きは、2007年12月27日から8回に渡って実施された。

争点は強盗殺人などの共謀の成立時期、3被告の犯行への関与程度、被告側の情状面があげられ、16回の集中審理で証人尋問や被告人質問が行われた。

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第一審:名古屋地裁

初公判は2008年9月25日。
3人の被告は起訴事実を大筋で認めたが、計画時期など一部について否定した。

その後の公判で検察側は、計画性について「3被告が事前に包丁やロープなどの凶器を準備していた」ことを指摘。3被告側は「直前まで殺害するつもりはなかったが、互いに虚勢を張るうちにエスカレートした」と反論した。

共謀時期について、検察側は「24日午後3時頃、TSUTAYA駐車場に集まった時点で犯行を計画した」と主張。
神田被告側は「女性を物色するために3人が車に乗り込んだ時点」と主張し、川岸被告堀被告側は「犯行直前」と訴えた。

公判中、重要な部分で3被告の主張が分かれている。

女性の殺害について

  • 神田が提案したと主張
  • 神田が提案したと主張
  • 川岸:車外にいたら神田が首を絞めていたので、やむを得ず加わったと主張。2被告は、川岸は車内にいたと反論

誰が首謀者か?

神田:3人とも同格と主張
:何事も立場が上だった神田が主導したと主張
川岸:殺人の主犯は神田、役割は3人とも同格と主張

法廷では神田被告が川岸被告をにらみつけたり、川岸被告が他の2被告に「お前らのおかげで人殺しになった」と声を荒らげたりする場面もあった。

情状面として、神田被告側は16歳の頃から激しい頭痛に悩まされ、高額な治療費のためまともな治療が受けられなかったと指摘した。川岸被告側は警察に自首したことを主張。堀被告側は犯行を深く反省していると主張した。

論告求刑:2009年1月20日

検察側は「被害者の命ごいを無視して殺害した方法は、生き埋めにしたのと変わらず、地獄の苦しみを味わわせた」と指摘。当初から強盗殺人の計画を練っており、「なんら躊躇もなく犯行に及んだ」として、酌量の余地は皆無とした。

面識のない3被告がインターネットの闇サイト犯罪目的で集まったことについて「社会全体を震撼させた凶悪犯罪で、模倣性の強さも他の事件の比ではない」と述べ、一般予防の観点からも厳しい処罰をもって臨むしかないと主張した。

そして「自己の利欲目的達成のために、他人の生命を軽視する根深い犯罪性向と反社会性があり、今後改善更生の可能性は認められない」と3被告に死刑を求刑した。

検察側は、死刑選択基準とされている「永山基準」にふれ、これまで被害者数が重大視されてきたが「殺害された被害者の数は考慮すべき要素の一つとして挙げたものにすぎない」と指摘。その上で「被害者より被告人の数が多い場合であっても、罪質や結果の重大性などに照らして刑事責任が重大な場合は、死刑を選択すべきだ」と述べた。

最終弁論:2009年2月2日

弁護側は「計画性のない場当たり的な犯行で、更生可能性はある」として死刑回避を求めた。

神田被告

神田被告の弁護人:「殺害方法は残虐だが、死に至らない被害者に恐怖感を覚えたためだった」と述べ、殺害は偶発的と主張。最高裁の死刑判決の判例を挙げ「計画性のなさや被害者数が1人であり、殺害方法も(他の死刑事件と比べると)残虐性が低い」などとして、無期懲役か有期懲役を求めた。

神田被告:「特に申し上げることはない」と話した。

堀被告

堀被告の弁護人:犯行の無計画さを強調し、「殺害行為の主導は神田被告で、堀被告は指示に従っていた。矯正不可能とはいえず生きて罪の償いをさせるのが相当。死刑には到底該当しない。死刑判決が下されれば、厳罰化が加速し乱発を招く」と指摘した。

堀被告:泣きながら「被害者の夢や希望を奪って、遺族に苦しみを負わせてしまった。申し訳ない」と遺族が座る傍聴席へ向かって頭を下げた。

川岸被告

川岸被告の弁護人:「良心の呵責に耐えきれず自首した。犯行は従属的で、川岸被告の自首によって捜査が容易になったのは明らか」と、量刑判断の際に自首の重要性を考慮するよう求めた。

川岸被告:声を震わせ「(女性の)お母さんの意見陳述は胸に刺さりました。女性のご冥福をお祈りします。すみませんでした」と一礼した。

判決:2009年3月18日

裁判長は、「本事件はインターネット掲示板を通じて集まり、犯罪を計画・実行したという点に特徴がある」と指摘。さらに「詳細な計画はなかったが、事前にハンマーや包丁を用意し、何人もの女性を追尾しており、犯行は計画的で悪質」と認定した。素性も知らない者同士が互いに虚勢を張り合い、ひとりでは成し得ない凶悪犯罪が可能となった、とした。
そして、遺族が峻烈な処罰感情を表明している点についても述べた。

争点のひとつ ”殺害の共謀時期” については、犯行当日ファミリーレストランで計画を立てた時点、遅くとも女性を拉致する約4時間前に成立したと認定した。

判決は、神田両被告に死刑川岸被告は「犯行直後、自首している」として無期懲役を言い渡した。

裁判長は、闇サイトを悪用した社会的影響について次のように述べている。

「インターネットを悪用した犯罪は凶悪化巧妙化しやすい。匿名性の高い集団が行うため、発覚困難で模倣性も高く、社会の安全にとって重大な脅威」 

判決理由
  • 利欲目的で酌量の余地はない
  • 落ち度のない市民を拉致、命ごいに耳を貸すことなく殺害していて無慈悲で凄惨
  • 犯行計画は具体的・詳細ではなかったが、量刑をわけるほど有利な事情とは言えない
  • 被害者の無念さを言い表す言葉を見いだすことはできない
各被告について

神田被告について:殺害において最も積極的に関与した
被告について:さまざまな強盗計画を積極的に提案し、被害者を最も積極的に脅迫した
川岸被告について:被害者を2度も強姦しようとした。自首したことは評価(事件の解決、次の犯行阻止に寄与した)

3被告はそれぞれ控訴した。

3被告のその後

神田被告:死刑確定

神田被告本人とその弁護人がそれぞれ控訴していたが、2009年4月13日、神田被告が控訴を取り下げたため死刑判決が確定。(最高裁が1949年、被告が控訴を取り下げれば、弁護人の控訴申し立ても消滅するという判断を示している)

2015年6月25日死刑執行。(44歳没)

堀被告:無期懲役確定

2011年4月12日、名古屋高裁は一審判決の死刑を破棄、無期懲役を言い渡した。堀被告については「前科がなく、矯正の可能性もある。最も積極的な役割を果たしたとは言えず、被害者が1人である本件では、死刑の選択がやむを得ないと言えるほど、悪質な要素があるとはいえない」と説明した。

検察側は、堀被告の死刑を求め上告。
2012年7月11日、最高裁は検察側の上告を棄却し、無期懲役判決が確定した。

「矯正の可能性もある」とまでいわれて死刑から無期懲役に減刑となった堀被告だったが、1998年6月28日に起こしていた「碧南市夫婦殺害事件」で裁かれ、2019年7月19日に死刑確定となった。(現在は、名古屋拘置所に収監中)

川岸被告:無期懲役確定

川岸被告に対しては検察側、被告側双方の控訴を棄却した。その後、双方とも上告せず無期懲役が確定した。

現在、どの刑務所にいるか不明である。

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