大口病院連続点滴中毒死事件|責任能力認めつつも死刑回避

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久保木愛弓/大口病院連続点滴中毒死事件 日本の凶悪事件

「大口病院連続点滴中毒死事件」の概要

神奈川県横浜市の大口病院で、2016年9月に発生した点滴中毒死事件。犯人が病院の看護師・久保木愛弓だったことに世間は驚いた。命を預かる立場でありながら、久保木は点滴に有害な消毒液を混入させ、患者3人を死に至らしめたのだ。
久保木は過去に容体が急変した患者の家族に責められたり、激怒された経験があった。そんな家族への対応を恐れ、「自分の勤務時間外に死んでほしい」と考えたのが犯行の動機だった。3人殺害を認め、完全責任能力も認定された久保木に、横浜地裁が下した判決は死刑ではなく異例の無期懲役。現在、検察側・弁護側ともに控訴中である。

事件データ

犯人久保木愛弓(逮捕時31歳)
犯行種別連続殺人事件
犯行日2016年9月15日~20日頃
犯行場所神奈川県横浜市神奈川区大口通130
「大口病院」
被害者数3人死亡
判決無期懲役:控訴中
動機勤務時間外に患者が死ぬように
キーワード看護師

事件の経緯

大口病院連続点滴中毒死事件
大口病院

2016年9月16日、神奈川県横浜市にある大口病院で、入院中の興津朝江さん(当時78)が急死した。大口病院は終末期の患者を積極的に受け入れる医療機関で、そのような患者が亡くなることはめずらしくなかったが、興津さんの場合は違っていた。

興津さんは9月上旬に転倒して右膝と右肘を痛めたことから、整形外科に通っていた。本来なら通院だけですむところだが、白血球の数値が上昇していて、傷口から何らかの細菌に感染している可能性を考えて3日前(9月13日)から入院していたのだ。

13日、14日と点滴を打った興津さんは、順調な回復をみせていた。14日には「飼っている猫の世話や家のことでやることがある」と病院の許可を得て、短時間ではあるが帰宅もできた。

しかし翌15日、興津さんは勝手に外出しようとして、看護師の久保木愛弓(当時29歳)に連れ戻された。久保木は前年5月に別の病院から転職してきた看護師で、終末期患者が多い3病棟の4階で勤務していた。

久保木は前の病院で、急に容体が悪化した患者への処置に手間取り、患者の家族から責められた経験があった。大口病院でも2016年4月、女性患者が急変して亡くなり、遺族が医師と看護師を激しく非難する場に居合わせた。

この時、遺族は特定の誰かというわけではないが「看護師に殺された」と騒ぎ、訴訟を匂わせる発言までした。久保木は怖くなり、「担当する患者に何かあれば、自分が責められる」との不安を、病的なまでに強く持つようになった。

勤務時間外に死ぬよう細工

被害者・興津朝江さん/大口病院連続点滴中毒死事件
興津(おきつ)朝江さん

「再び興津さんが無断外出して怪我でもすれば、自分の責任になる」と考えた久保木は、次の勤務日(9月18日)までに興津さんを死亡させようと決意。興津さんに投与する予定の点滴袋に、致死量の10倍以上のヂアミトール(消毒液)を混入させて帰宅した。

ヂアミトール

「ヂアミトール」は消毒液で、その中の「塩化ベンザルコニウム」という成分が人体にとって毒性がある。大口病院では医療器具の消毒・殺菌に使用されていて、院内各所に置かれていた。

ヂアミトール入り点滴袋は、久保木の思惑通り、夜勤の看護師が興津さんに投与した。興津さんは血管の痛みなどの不調を再三訴えていたが、容体が急変したのは16日午前11時頃。トイレで血尿を出して苦しんだため、泌尿器科の専門医のいる系列病院へ救急搬送された。

処置室に着く頃には、興津さんの手足の先は真っ青で意識もなくなっていた。すぐに心臓マッサージなどの処置がおこなわれるも呼吸は停止。そのため、大口病院に戻されたが、午後1時40分頃に死亡が確認された

こうして、久保木は計画通り、自身の勤務時間外に興津さんを死亡させることに成功した。

終末期患者2人を殺害

被害者・西川惣蔵さん/大口病院連続点滴中毒死事件
西川惣蔵さん

次の久保木の勤務は9月18日の夜勤だった。午後3時頃出勤すると、終末期患者の西川惣蔵さん(当時88)の担当になったが、西川さんの容体はかなり悪化しているとのことだった。

久保木は「もし、日勤の人が帰ったあとに亡くなれば、家族への対応は自分がやる羽目になる」と思い、その前に西川さんを死亡させることを決意。効き目を早めるため、ワンショットで西川さんの点滴にヂアミトールを混入させた。この方法だと、点滴袋に混入させるよりも早くヂアミトールが一気に体内に入っていくのだ。

投与中の点滴の管に直接、注射器で薬剤を投与することを「ワンショット」という。

西川さんは午後4時55分頃には心肺停止となった。家族への連絡などは、日勤の看護師が残って対応した。

被害者・八巻信雄さん/大口病院連続点滴中毒死事件
八巻信雄さん

さらに久保木はこの日、八巻信雄さん(当時88)ほか4人に投与する予定の点滴袋にヂアミトールを混入させた。八巻さんは翌19日午前にその点滴を投与され、久保木の勤務終了後に容体が急変して死亡した。

だが、この八巻さんの死が犯行発覚のきっかけとなる。八巻さんの死亡後、点滴が泡立っていることに気付いた看護師が不審に思って調べると、ゴム栓に針で刺したような穴が空いていた。このことから、偶然にもヂアミトールの混入が発覚したのだ。

病院はこのことを警察に通報した。さらに調べると、2日前に同じ部屋で死亡した西川さんの遺体からも同成分が検出された。こうなると興津さんの死も、事件性を疑うに十分な状況だった。なにしろ興津さんは整形外科患者で、亡くなる前日まで元気だったのだ。

だが、調べようにも興津さんの遺体はすでに火葬済みだった。しかし、興津さんは亡くなる前、退院を強く希望したことから、17日に予定していた(血液検査のための)採血を、1日早めて16日午前に行っていた。この血液からヂアミトールが検出されたことで、興津さんの死も ”事件” であることが判明した。

何者かが毒物を混入

ナースステーションに残されていた未使用の点滴袋約50個を調べると、そのうち10個ほどのゴム栓部分に針で刺したような穴が見つかった。また、大口病院では、事件発覚までの約3か月間に亡くなった患者の数が、48人にも上ることが明らかになった。(この中にほかの被害者がいる可能性もあったが、遺体はとうに火葬済みで捜査のしようがなかった)

神奈川県警は、「何者かが点滴から異物を体内に入れ、患者を殺害した」と断定し、特別捜査本部を設置した。点滴に混入させる手口から、病院内部の者による犯行が疑われた。

犯行に使われたヂアミトールは、業務で使うため院内各所に置かれており、犯人の特定は困難を極めた。県警は院内のあらゆる物の鑑定を実施。犯行が可能と思われる看護師全員の看護服を調べたところ、久保木の看護服のポケット付近からのみ、ヂアミトールの成分が検出された。

ほかにも事件発覚直後の夜勤中、久保木が ”投与する予定のない製剤” を手に、院内を歩き回る姿が警察が設置した防犯カメラに映っていた。また、同僚の目撃談によると、久保木がひとりで被害者の病室に入った直後、被害者の容体が急変して死亡していた。

久保木愛弓を逮捕

久保木愛弓/大口病院連続点滴中毒事件

2018年6月29日、このような状況証拠を踏まえ、神奈川県警は久保木に任意の事情聴取を開始した。すると翌30日、2回目の任意聴取で点滴にヂアミトールを注入したことを認める供述を始めた。

さらに、「事件の2か月くらい前から点滴に消毒液を入れた」、「入院患者20人ぐらいにやった」などと、余罪を匂わせるような発言もした。同僚の看護師は「最初は1日に1人亡くなるような感じで、それが3人、5人に増えた。9月に入るともっとひどくなって8人とか…。『4階はおかしい』という話があった」と証言している。

久保木はこの自供を最後に、余罪についての明言を避け続けた。確たる証拠もなく立証は困難なことから、これ以上の追及はされていない。

動機については「患者が死亡した際の遺族への説明が、自分にできるのか常に不安だった。自分の勤務時間外に患者が死亡するよう狙った」と説明。久保木は以前、患者が亡くなった時に遺族から非難されて ”怖い” と感じ、それ以来「勤務時間外に死亡させることを考えるようになった」のだという。

さらに、「混入は勤務交代の引き継ぎの時間帯に行っていた」ことや、「くり返すうちに感覚がマヒしていった」ことも話した。7月7日、神奈川県警は久保木を殺人容疑で逮捕した。

大口病院の問題点

大口病院4階

事件前、現場病棟では以下のような悪質な嫌がらせが多発していた。

  • 看護師の筆箱に10本以上の注射針が刺され、針山のような状態になっていた
  • 複数の看護師のエプロンが切り裂かれる
  • カルテが紛失する
  • 看護師のペットボトルに異物が混入されていた

これらの出来事が、久保木の仕業であるかどうかについてはわかっていない。病院には『女帝』と呼ばれる60代の看護部長によるパワハラや、人事査定や仕事面の ”えこひいき” があり、不平不満を持つ看護師が多かったからだ。

久保木も逮捕前、「看護部長は看護師たちをランク付けして、気に入った子とそうでない子の扱いが極端だった。そういうのってよくないですよね」と述べている。

大口病院では、このようなさまざまな問題から複数の看護師が辞職しており、それが患者のケアが疎かになる原因のひとつにもなっていた。見舞いの家族の前で看護師が患者を怒鳴りつけ、その家族が「本当にひどい。ビデオに撮って告発すればよかった」と激怒したこともあった。

本事件の被害者遺族も「女性看護師が別の看護師を怒鳴りつけたり、点滴袋が公共スペースに散見されたりするなど、今考えればおかしいところがあった」と指摘している。

精神鑑定時の異常行動

起訴の直前、横浜地検は久保木の刑事責任能力の有無を判断するため、精神鑑定を実施した。その結果、「軽いASD(自閉スペクトラム症)がある」と診断されたが、完全責任能力があったとして起訴に踏み切った。

この精神鑑定のための入院時、久保木は夜間に「他の入院患者の耳と鼻の穴に、綿棒を使って洗剤を詰めた」と報告されている。そのような行動に出た理由として、「少し前に折り紙の鶴がなくなって、それが自分のせいだと言われたので、仕返しをしようと思った」と説明した。

起訴後の2019年8月にも、昭和大学医学部・精神医学講座主任教授の岩波明氏による精神鑑定が行われた。この時は入院から3週間ほど経過すると、徐々に奇異な行動を示すようになったという。

最初の奇行は、9月17日。雑誌を便器の中に詰め込み、部屋の内外を水浸しにした。その理由として久保木は「排泄後に手を洗わず雑誌に触れたことが気になり、雑誌を破ってしまった。それをスタッフの目から隠すために便器に流した」と説明した。

10月に入ると幻聴被害妄想が出現し始め、次のような不可解な言動がみられた。。

  • 「『死ね、ブタ、デブ』などの悪口が聞こえてくるので辛い」
  • 「真夜中、外のドアをノックしたりガチャガチャさせて『安眠妨害のためにやってるぞ』とか言っている声が聞こえた」
  • 「〇〇さんという女性看護師と△△さんという男性看護師に狙われています。ここにいるのがすごく怖い。特殊部隊って何分くらいで到着しますか?さっき出てけって言った看護師は刀を持っていますか?」

また、ドアの前にバリケードのようにマットレスを置き、廊下に向かって「助けてください。警察を呼んでください」とくり返し叫んだこともあった。後頭部を壁に打ち付ける自傷行為、食事も一切拒否するなどの異常行動もあり、そんな時はまともに話が出来なかったという。

久保木愛弓の生い立ち

学生時代の久保木愛弓/大口病院連続点滴中毒死事件
学生時代の久保木愛弓

久保木愛弓は1987年1月7日、母親の実家がある福島県いわき市(里帰り出産)で生まれた。父親は工作機械の会社で働いていた。兄弟は3つ離れた弟がいる。

幼少期を茨城県水戸市で暮らし、市内の小学校に通った。大人しく目立たない子で、成績は中の中。近所や同じアパートの子と楽しく遊んでいた。久保木が小学4年~6年時、父親が海外に単身赴任したこともあり、子育ての中心は母親だった。

その後、父親の転勤で神奈川県伊勢原市に引っ越し、市内の中学校に通うようになるが、転校したばかりで友達もおらず、学校に行く以外は自宅にいることが多くなった。中学校でも学力は中ぐらいだった。

高校では成績は上位だったが、性格は相変わらず大人しく目立たない生徒だった。1年の時に弓道部に入るも学年内で辞め、それからはほとんど学校と自宅の往復になった。家では読書か音楽を聞く生活だった。

2005年3月に高校を卒業すると、母親の勧めに従い看護専門学校に進学。当時、不景気で就職がなかったことから、「看護師免許を取っておけば有利だし、性格にも合っている」と母親に言われ、本人も納得した。

父親は母娘の関係について「過干渉という感じだった。持ち物検査や小遣いのチェックが非常に厳しかった」と語った。

看護師として病院に就職

看護専門学校には家から通っていたが、2年生の時「通学に時間がかかる」との理由で、横浜市鶴見区の看護師用の寮に一人暮らしするようになった。その後、2007年4月に看護師免許も取得、2008年4月から鶴見区の総合病院に就職した。

2011年に障害者病床に異動すると、久保木は亡くなった患者をみて「自分の看護が行き届いてないのではないか」と思うようになった。精神状態が不安定になり、抑うつや不安でクリニックから睡眠薬を処方された。

2014年4月から介護老人ホームに異動したが、抑うつ症状が改善しないため休職。2014年8月に復帰し、系列の診療所に配属になるも2015年4月に退職した。

この病院で、久保木は事件の犯行動機にもつながる、トラウマな体験をしている。久保木は担当の患者の容体が急変した際に処置に手間取り、家族から怒鳴られ責められたのだ。

退職した翌月(2015年5月)、大口病院に転職した。だが、大口病院でも2016年4月頃、容体が急変して死亡した患者の家族が、医師や看護師を激しく非難する場に居合わせた。「看護師に殺された」と激怒する遺族に恐怖心を抱いた久保木は、この出来事以降、突然休んだり過食や睡眠薬の大量摂取をするようになった。そして、「患者の容体の急変に立ち会いたくない」との思いが、より一層強くなった。

2016年5月頃、大口病院では「エプロンが切られる」、「ポーチに注射針が刺される」などの出来事が多発した。6月頃、久保木は母親に電話で「怖いから辞めようかな」と話したが、「ボーナス貰ってから辞めれば」と言われ、思いとどまった。

母親は事件後、「愛弓の言うことを聞いて辞めさせていれば、と申し訳なく思っている」と話した。

終末期患者が多い病棟の勤務だった久保木は、「患者の容体が急変して、家族から責められるのではないか」との不安に支配されるようになった。やがて「自分の勤務時間外で死んでくれれば、患者の家族に対応せずに済む」と考えるようになり、2016年9月15日、最初の殺人に手を染めた。(過去に余罪の可能性があるが、立証されていない)

裁判

横浜地検は2018年12月7日、患者3人の殺人罪と5人分の点滴袋に消毒液を混入した殺人予備罪で、久保木愛弓を横浜地裁に起訴した。

2021年10月1日、横浜地裁で裁判員裁判の初公判が開かれた。久保木愛弓被告が起訴内容を全面的に認めているため、争点は「責任能力の程度」に絞られた。

責任能力とは?
  • しようとしていることの善悪を判断する能力
  • 行動をコントロールして悪いことを思いとどまる能力

弁護側は「久保木被告は犯行時、統合失調症により心神耗弱だった」と主張。対する検察側は、久保木被告が周りにバレないように慎重に犯行におよんでいることから「正常な心理で行動している。完全責任能力があった」と主張した。

10月11日の被告人質問で、久保木被告は「働き始めた当初はやりがいがあったが、(大口病院は)患者が亡くなることが多く、つらかった」と述べ、仕事を辞めたかったと話した。

10月22日に論告求刑公判が開かれ、検察側は久保木被告に死刑を求刑。弁護側は犯行当時、統合失調症の影響で心神耗弱だったとして無期懲役を主張した。

最終陳述で久保木被告は「深く反省しています。裁判では遺族にお詫びできればと考え、お詫びの気持ちを伝えました。許してもらえないことをしたと思っています。死んで償いたいと思っています」と謝罪した。

11月9日の判決公判で、横浜地裁は久保木被告に無期懲役を言い渡した裁判長は「被告人は犯行時、自閉スペクトラム症の特性があった」と認定。その上で、弁護側が主張した統合失調症の影響については否定し、「違法な行為であることを認識していた」と退けた。

自閉スペクトラム症(ASD)

対人関係が苦手・強いこだわりといった特徴をもつ発達障害のひとつ。生まれつきの脳機能の異常によるものと考えられ、親の育て方やしつけ方などが原因ではないことがわかっている。

また、「看護師としての業務ができていた」、「目的に沿った犯行手段を選んでいる」ことなどから完全責任能力を認定し、動機については「酌むべき事情はない」と指摘した。

だが、患者の家族から怒鳴られて強い恐怖を感じた経験が殺人の動機形成に至った点に、情状酌量の余地があると説明。自ら死刑を望むなど贖罪の意思を強く示していることから「更生可能性が認められる」と判断し、死刑を回避した。

11月22日、検察側・弁護側の双方が、判決を不服として東京高等裁判所に控訴した。

1983年に「永山基準」が示されて以降、3人以上を殺害した被告人の完全責任能力を認めた上で死刑を回避した司法判断は異例だった。

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