日立妻子6人殺害事件|犯行の記憶を失くした死刑囚

スポンサーリンク
スポンサーリンク
小松博文 日本の凶悪事件

日立妻子6人殺害事件

2017年10月6日夜明け前、小松博文(当時33歳)は、茨城県日立市の自宅で妻子6人刺殺したうえで放火。その後、自身は死にきれず、警察に出頭し逮捕となった。
仕事が続かず、生活力のない小松は、妻に離婚を突き付けられていた。妻には他に交際男性がいて、子ども5人と一緒にその男と暮らすと決まっていた。事件が起きたのは、小松が家を出ていく日の朝だった。
水戸地裁では裁判員制度が導入されて以降、初の死刑求刑・死刑判決事件となった。小松は起訴後、持病の肺高血圧症によって倒れ、一時心肺停止状態に陥り、その後遺症で事件の記憶を一部失ったとされる。

2023年4月21日、東京高裁は一審に続き、控訴審でも小松に死刑を言い渡した

事件データ

犯人小松博文(当時33歳)
事件種別 放火殺人事件
発生日2017年10月6日
場所 茨城県日立市
被害者数家族6人死亡
判決死刑(第二審)
動機妻の浮気、離婚を要求された
キーワード身勝手、浮気、甲斐性なし

事件の経緯

2009年5月、小松博文(当時24歳)は仕事中ハンマーで手を打ってしまい、病院に来ていた。そのころ小松は父親を亡くしたばかりで、少しはまともになろうと、知人の紹介で茨城県の建設現場で働き始めた矢先の出来事だった。さん(当時24歳)とはここで出会った。恵さんはこの病院で事務をしていて、小松が落としていたスマホを拾ってくれたのだ。

恵さんは、小松が着ていた土木作業用のダボシャツがマンガ「ドラゴンボール」の柄だったことに興味を持って話しかけてきた。小松はこの土地に来たばかりで友だちがいなかったので、気が向いたら、といいつつケータイ番号を伝えた。恵さんは同い年だった。

その日の夜から交流が始まった。とはいえ、しばらくの間はメールや電話だけだった。
ひと月ほど経った頃、電話中に女の子の声が聞こえたので聞いてみたところ、3歳の娘がいることがわかった。恵さんは1年前から別居していて、つい最近離婚が成立していた。

小松と恵さんは結婚

日立家族6人殺人事件

出会ってから2か月後、当初は実家住まいだった恵さんが県営団地を借りる。そして、小松とそこで同棲することになった。その後、2人は入籍して夫婦となった。
2010年8月、2人の間に男の子が誕生、そんな幸せの真っ只中に小松は無免許運転で捕まってしまう。

小松は4年前の事故で執行猶予中だったため、起訴されて栃木県の黒羽刑務所に収監された。そのため職場を辞め、4か月後に出所したあとは別の仕事に就いた。

2012年9月にはもうひとり男の子が誕生、5人家族となった。さらに、2014年5月には双子の男の子が生まれ、家族は7人の大所帯となった。
しかし、小松は仕事が長続きせず、そのため家計はいつも苦しかった。仕事を掛け持ちして収入が多い時期もあったが、それも長期間ではなかった。

双子が生まれた年の暮れ、母親が亡くなった。その後、叔父も亡くなった。
年が明けてから、小松は運送会社で働き始めた。恵さんも病院の歯科助手をしていて、この時期は生活が安定していた。しかし、2016年6月にはちょっとしたトラブルにより、会社を辞めている。恵さんのほうも契約期間が終了し、家族の生活はまた不安定になった。

崩れていく幸せ

そんな時、恵さんがスナックで週2~3日のアルバイトを始める。小松は反対だったが、生活のためには仕方なかった。数か月して、小松も自動車のガラス店の仕事が決まっている。

恵さんは、当初午前0時~1時に帰ってきていたが、そのうち午前3~4時になることが多くなった。そんな時、「店の女の子と話してて遅くなった」と恵さんは説明していた。

ある日、小松は恵さんの車に乗った時に、ちょっとした違和感をおぼえた。恵さんにそれとなく聞いてみると、「お客さんを乗せたから」と答えた。

そのうち、恵さんは明け方に帰って来たり、お客さんにもらったお土産なども持ち帰るようになった。不安になった小松がスナックに様子を見に行くと、店は閉店してるのに恵さんの車はなく、小松は浮気を疑うようになる。

ほかの男の存在

9月30日、その日は子どもの運動会で、小松は、恵さんと連れ立って見に行った。

運動会が終わると車で子どもたちを待っていたが、なかなか戻ってこないので、恵さんは下駄箱のところまで迎えに行くと言って車を出た。
その時、恵さんが置いていったスマホを小松は見てしまう。そして、見てはいけないものを見てしまうのだ。それは、知らない男とのLINEのやり取り。そしてその内容から、小松は浮気を確信した。

戻ってきた恵さんに、小松はスマホを見たことをいい、相手のことを問い詰めた。意外なことに、恵さんは否定はしなかった。そして、まだ体の関係はないが、小松と離婚したいと言ってきた。

離婚届けにサイン

10月2日、小松は相手の男のアパートの前で待ち伏せした。男が帰宅してくると、恵の夫であることを名乗り、2人は男の部屋で話すことになった。

男の言い分は恵さんと同じで、体の関係はまだないという。しかし、「嫁さんが別れたいって言ってんだから、別れてやりなよ」と意見してきた。彼は土建業をしているようだったが、話の端々に ”兄貴” とか ”稼業” という言葉が出てきた。

その夜、恵さんとも話をした。恵さんは、自分の欄はすでに記入してある離婚届を出してきた。小松がそれを拒むと、恵さんは荷物をまとめて出て行こうとしたので、仕方なく離婚届にサインした。
それから、養育費などの条件も決め、気が付くともう午前3時だった。

10月4日の朝、恵さんは「彼と頑張っていくことにした。でも、子供にはいつでも会いに来て」と言って仕事に出ていった。小松は気を紛らわせようと、あてもなく海沿いの道を運転していた。サイトで見つけた出張マッサージを東海村のホテルで呼んだが、何もできなかった。スロット店に入っても続かなかった。

その通り沿いには大きいホームセンターがあり、小松はそこにふらっと入った。そこでロープが目に留まる。小松は「自殺したら楽になれるかも」と考え、そのロープを買った。ロープが駄目だった時を考えて包丁も買った。

帰ったら恵さんが焼うどんを作ってくれたので、それを食べていると涙が止まらなくなった。焼うどんは恵さんが小松に初めて作ってくれた料理で、それ以来大好物だった。
幼い子供たちは理由もわからず、なぜ泣いてるのか無邪気に聞いてきた。そして、その夜は恵さんと寄り添って眠りについた。

家族の”最後”の夜

日立妻子6人殺害
こんな小さな子どもたちの命をなぜ奪えるのか…

翌日、子どもたち全員にプレゼントを買って、夕食前にそれを渡した。みんな喜び、傍目には幸せな家族にしか見えないひと時を過ごした。
夕食は小松の大好物ばかりだった。食べ終えて子どもたちを風呂に入れ、寝かせ付けた。

小松は、「明日ここを出て行き、ひとりで暮らしていくのだ」と思うと眠れなかった。コーヒーを入れようと台所に行こうとしたとき、恵さんのスマホが視界に入った。小松はそれを見ずにはいられなかった

相手の男とのLINEは、すべて削除されていた。しかし、友だちや母親とのLINEを見てわかったことがあった。相手の男のことをまわりには「ただの相談相手」と説明していて、自分ひとりが悪者にされているのだった。

少し冷静に考えれば、離婚に至ったのは、小松の不甲斐なさや暴力のせいだとわかる。しかし、この時の彼にそんな余裕はなかった。ここまでギリギリのところで平静を保っていた小松だったが、少しずつ壊れ始めていた。
その時、恵さんが風呂からあがり、少し会話をして寝室に入って行った。

両親も兄弟もいない小松にとって、身内と呼べるのはここにいる恵さんと5人の子供たちだけだった。
明日それをすべて失う、いやそれだけではない、ここに別の男がやってくるのだ。
それは、許しがたいことだった。

全部なくしてしまおうか?それとも自分だけ死ねばいいのか?」

自分ひとりが生き残った

日立家族6人殺害事件

午前4時39分ー。
小松は、包丁を持って恵さんを見降ろすように立っていた。脈拍は上がり、体は震えていた。彼が出した結論は「家族全員を殺して、自分も死ぬ」だった。

小松は恵さんを最初に刺し、次に5人の子どもを次々と刺していった。そして玄関先にガソリンを撒き、自分も一緒に死ぬ覚悟で火をつけた。ところが服に火がついた時、あまりの熱さに耐えきれなくなる。

【12選】自殺した凶悪犯【自殺未遂も含む】

半端な覚悟は「自己防衛本能」に負けてしまったのだ。小松は、反射的に火のついたジャージを脱ぎ捨て、車に乗り込んだ。そして、どうしたらいいのかわからなくなり、警察に向かったのだった。

警察に着いた小松は「ごめんなさい。妻と子供を刺して火をつけました」と無我夢中で叫んでいたという。

逮捕

2017年10月6日午前9時過ぎ、小松は取調室に連れていかれた。

警察は「長女の死亡が確認されたから、殺人で緊急逮捕する」と、手錠をかけた。長女は、病院で死亡が確認されていた。翌日、他の5人についても全員死亡していたことを知った。小松は動機について「妻から別れ話を切り出された」などと供述した。

水戸地方検察庁は、11月8日から2018年2月16日まで、小松を鑑定留置した。その結果、刑事責任能力を問えると判断、2月23日に殺人罪非現住建造物等放火罪で小松を起訴した。

また、小松は偽造運転免許証を用い、携帯電話などをだまし取った有印公文書偽造・詐欺などの疑いでも7月17日に再逮捕され、8月に詐欺罪などで追起訴されている。

犯人・小松博文の生い立ち

小松博文は1984年、東京都江戸川区で生まれた。父親はトレーラーの運転手、母親は主婦だった。

母親のしつけは厳しかったが、父親は年を取ってからできた子どもだったため、小松を甘やかせたという。父親は「蜂蜜に砂糖のように甘い」と母親に叱られていて、デパートに行けば何でも買ってあげ、運転免許を持っていないのに、バイクを買い与えることもあった。

小松本人は「自分が子どもの頃に学ばなかったのは、我慢をすること。金持ちではなかったが、お金のありがたみを学ぶことができなかった」と語っている。

その我慢ができないせいなのか、仕事自体は真面目にこなすものの長続きしなかった。ちょっと嫌なことやトラブルがあると、逃げるように辞めてしまっていた。

2009年5月、恵さんと知り合い、やがて結婚。恵さんには3歳の娘がいた。
2010年8月に長男、2012年9月に次男が誕生。さらに2014年5月には双子の男の子が生まれ、家族は7人の大所帯に。2014年の暮れには、母親が亡くなっている。(父親は恵さんと知り合う前に死去)

逮捕当時の近所の証言では、ちょっとしたトラブルメーカーだったようだ。 団地内を猛スピードで車を飛ばし通行人をひきそうになったり、人の駐車スペースに勝手に停めるなど、迷惑な行動で近隣から嫌がられていた。また、恵さんの友人の話では暴力の話も出ている。ただ、喧嘩の延長なのか、日常的なDVなのかまではわからない。  

小松の仕事が長続きしないせいで、小松家の生活はいつも苦しかった。そのため妻の恵さんはスナックでのアルバイトを決意。結果的にこれが事件の引き金となってしまった。
スナックというところは、基本的にホステスとの会話を楽しむ場所だが、まれに客とホステスが一線を越える場合がある。今回もそうだった。

浮気され、離婚を突き付けられた小松は、家族を他人に取られたくなくて凶行におよんだ。そして自分も一緒に死ぬつもりが死にきれず自首したが、罪はあまりにも大きかった。

20216月30日、水戸地裁は小松に死刑を言い渡した。小松は控訴したが、2023年4月21日、東京高裁が棄却したため、控訴審でも死刑判決となっている。

専門家は…

科学警察研究所で働いた経験がある、岩手大学・鈴木護准教授の見解。

「特殊で例外的な事件ではないんです。ストーカーやDV事件の加害者と同じような行動です。離婚が原因との報道もありますが、奥さんの幸せは許せない、子どもを殺したのも手元に置けないのなら自らの手で命を奪う、という身勝手な考え方と強い意志で家族の関係を終わらせようとしたのではないでしょうか」

記憶を失ったままで裁判

犯行現場ブルーシートの奥にかつては幸せな生活があった

起訴後の2018年11月26日、日立署に勾留されていた小松は、持病の肺高血圧症によって倒れ、一時心肺停止状態に陥った。そして、その後遺症で記憶の一部が欠落してしまう。このため、弁護人は「小松被告には訴訟能力がない」として公訴棄却を求めた。

これに対し、水戸地裁は「今後、小松被告の記憶が回復する見込みはない」と認定したが、「被告は訴訟行為を理解しており、訴訟能力を有している。弁護人などの援助によって訴訟を進行することは可能」と判断し、弁護人の訴えを退けた。

第一審・水戸地裁

2021年5月31日に水戸地裁で、裁判員裁判の初公判が開かれた。公判は、論告求刑公判(6月17日)までに全12回が開かれた。

検察側は、事件当時の小松の精神状態について「出頭後に事件を具体的に説明できており、完全な責任能力があった」と主張。一方、弁護側は「離婚を切り出されてほとんど眠れず、善悪の判断能力や、行動を制御する能力がほとんど失われていた。心神喪失または心神耗弱だった」と主張した。

小松の精神鑑定を担当した医師2人は、いずれも心神喪失に否定的な見解を示している。

2021年6月15日の第10回公判では、検察側と弁護側による被告人質問が行われた。
小松は「凶器の包丁や、ガソリンを入れた携行缶などの購入については覚えていない。事件前の最後の記憶は、事件4日前に妻の浮気相手の男性のアパートに出向き、関係を尋ねたことだ」と話した。

検察官から「浮気を疑うきっかけのLINEのやり取りは、記憶に残っているか」と問われ、「記憶にはある」と回答した。しかし、それは自分の記憶かと問われた時は、自分の記憶ではなく資料で読んだものだと思う、と答えた。
また、殺害放火の記憶については「覚えていない」とした一方、「手足に傷跡や火傷痕があり、警察から取り調べを受けた記憶はある。自分が6人を殺したなら責任を取る。極刑も覚悟している」と述べた。

2021年6月17日に論告求刑公判が開かれ、検察側は小松に死刑を求刑した。
弁護側は公訴棄却を求めたが、公訴棄却とならない場合でも、「事件当時は責任能力に問題があった」として、無罪にするか、量刑を減軽するよう求めた。

死刑判決

2021年6月30日の判決公判で、水戸地裁は求刑通り死刑を言い渡した。

弁護側は「小松被告には事件当時の記憶がない。仮に犯人だとしても、当時は意識解離状態で殺意はなかった」とし、さらに「被害者6人の死因は一酸化炭素中毒であり、刺した行為と死亡に因果関係はない」と主張した。

これに対し水戸地裁は「出頭後の供述は、証拠と合致しており信用できる。殺意も認められる」として、小松が犯人であると認定。そのうえで、「事件当時、小松は心神耗弱や心神喪失だったとする主張は認められない。刺した箇所からみても、6人全員への殺意は明白だ」と指摘した。

また死刑の理由として「6人の生命が奪われた結果は重大で、事前に包丁やロープを用意するなど計画性も高く、『妻子を他の男に奪われたくない』という身勝手な動機に酌量の余地はない」と指摘。
小松の自首についても、「早期発見には多少貢献したが、たとえ自首がなくても、犯行自体はいずれ発覚していた。また、自首の動機も真摯な反省に基づくものとは言えず、自殺できなかった小松被告がどうすれば良いかわからなくなったためである」として、自首による量刑の減軽を認めなかった。

小松は判決を不服として、同年7月1日付で東京高裁へ控訴した。

控訴審も死刑判決

控訴審の争点は、「事件後に記憶がなくなった小松被告に訴訟能力があるかどうか」だった。

弁護側は、心不全の後遺症で事件当時の記憶がないことを理由に、「死刑判決を破棄して審理を地裁に差し戻し、記憶が戻るまで裁判を停止すべき」と主張。これに対する検察側は「手続きに問題はない」と反論していた。

2023年4月21日、東京高裁は一審に続き、小松に死刑を言い渡した。裁判長は、「事件当時の記憶を喪失していることをもって、刑事被告人として重要な利害を分別する能力や、相当な防御をする能力を欠いているとはいえない」と指摘。そのうえで、一審の水戸地裁の死刑判決について「量刑が重すぎて不当とはいえない」として、弁護側の控訴を退けた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました