【12選】自殺した凶悪犯【自殺未遂も含む】

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事件まとめ

逮捕前に自殺した凶悪犯

人を殺しておきながら、罪を償うことなく自殺してしまう凶悪犯がいる。初めからそのつもりなのか、事の重大さに気付いたためなのか、本人以外は知る由もないが、遺族の気持ちを考えるといたたまれない。ここでは「自殺した凶悪犯罪者」の中でも、逮捕される前に自殺した6つの事件について紹介する。

1.小松和人|桶川ストーカー殺人事件

小松和人|桶川ストーカー殺人事件
小松和人|桶川ストーカー殺人事件
容疑者小松和人(27歳没)
事件名桶川ストーカー殺人事件
発生日1999年10月26日
殺害数1人
自殺日2000年1月27日遺体発見

ストーカーの怖さを世に知らしめた「桶川ストーカー殺人事件」は、事件後に「ストーカー規制法」が施行されるきっかけともなった重大事件である。

この事件の主犯・小松和人(当時27)は、当時交際していた女子大生から別れを切り出され、悪質ストーカーと化した。小松は無許可の風俗店を複数経営するなど、経済的には羽振りは良かったが、いわゆる反社的な人間だった。

「外車のディーラー」だと嘘をついて交際を始めた小松だったが、女子大生は次第に小松の反社会性に気付いて距離を置こうとした。このことに小松は逆上したのだ。

実兄や部下らにも協力させ、悪質な誹謗中傷ビラを撒くなどの嫌がらせを何度も行ったあげく、1999年10月26日、女子大生を殺害した。殺害は計画外の出来事で、実行犯の部下が暴走した結果とみられた。

女子大生は両親とともに再三埼玉県警・上尾署を訪れて助けも求めたが、上尾署はまったく取り合わず、殺人事件にまで発展した。

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その後、兄と実行犯たちは12月に逮捕となったが、小松は逃亡を続けていた。そんな中、2000年1月27日に小松は北海道の屈斜路湖で自殺しているのが発見される。そのため2月23日、小松は被疑者死亡のまま起訴猶予処分となった。

2.飯干昌大|宮崎・高千穂6人殺人事件

飯干昌大|宮崎・高千穂6人殺人事件
飯干昌大|宮崎・高千穂6人殺人事件
容疑者飯干昌大(42歳没)
事件名宮崎・高千穂6人殺人事件
発生日2018年11月25日(同日自殺)
殺害数6

2018年11月25日、自身の家族を皆殺しにする事件が宮崎県の高千穂で発生した。

犠牲になったのは、容疑者・飯干昌大(当時42歳)の両親・妻・2人の子供に加え、知人男性1人の計6人。飯干は自宅でこの6人を殺害したあと、約3km離れた場所にある橋から飛び降りて自殺した。

このほどの大事件であるにもかかわらず、事件の動機など詳しい事情はわかっていない。周囲の証言から飯干夫婦の不倫問題なども噂されているが、詳細を知る者は全員、飯干に殺害されてしまった。

被害者の知人男性は、唯一夫婦の問題に関する相談を受けていた人物だったという。この日も地域の消防団の忘年会を終えた午後9時頃に呼び出された。男性の妻は夜だということもあり、止めたそうだが、面倒見のいい男性は飯干家に向かい、そのまま帰らぬ人となった。

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殺害された家族5人の中でも、母親の遺体の損傷は飛びぬけて激しかったという。このことから、母親に対する特別な強い殺意がうかがえるなど、夫婦仲以外にも家族間に闇の深いトラブルを抱えていた可能性もある。

3.谷本盛雄|大阪・北区ビル放火殺人事件

谷本盛雄|大阪・北区ビル放火殺人事件
谷本盛雄|大阪・北区ビル放火殺人事件
容疑者谷本盛雄(61歳没)
事件名大阪・北区ビル放火殺人事件
発生日2021年12月17日(同日自殺)
殺害数26人

2021年12月17日午前、衝撃的なニュースが世間を駆け巡った。
大阪市北区の商業ビル内の心療内科クリニックから出火し、大勢が犠牲になったというのだ。この日、クリニックでは休職した人の職場復帰をサポートする集団治療が予定されていて、普段より多くの患者が集まっていた。このことが被害を拡大した。

ほどなくして火災の原因は ”放火” で、火を放ったのが谷本盛雄(当時61)であることが判明。谷本はこのクリニックの患者だった。この放火事件で院長を含む26人が死亡したが、谷本自身もクリニック内で死亡、自殺したものとみられている。

谷本はもともと短気でカッとなりやすく、そのせいで仕事もプライベートもうまくいっていなかった。2008年9月頃には離婚して孤独を深めるようになり、事件前には生活苦も重なり追い詰められたあげくの凶行と考えられている。

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ただし、実行に当たっては用意周到に計画されており、事前にガソリンを購入したり、現場の消火栓が作動しないような細工もしていた。事件発生時には両手を広げて避難を邪魔する様子も防犯カメラに残されている。大阪府警は2022年3月14日、谷本を容疑者死亡のまま書類送検した。

4.小堤英統|逗子ストーカー殺人事件

小堤英統|逗子ストーカー殺人事件
小堤英統|逗子ストーカー殺人事件
容疑者小堤英統(40歳没)
事件名逗子ストーカー殺人事件
発生日2012年11月6日(同日自殺)
殺害数1

小堤英統(こづつみ ひでと)は、自身の40歳の誕生日に元交際相手を殺害して自殺した。

小堤は2004年10月に知り合った女性と交際を始めたが、女性は彼の ”異常な嫉妬深さ” に付いて行けず、約2年の交際を経て別れを告げた。さらに2年後、女性が別の男性と結婚したことから、小堤の嫉妬心に火が付き、ここから執拗なストーカー行為が始まる。

小堤は女性に「自分だけ幸せになるのは許さない」と、脅しや嫌がらせのメールを何千通も送り付け、2011年6月には脅迫容疑で逮捕までされた。この逮捕の際、警察のミスで女性の現在の苗字や住所のほとんどを知ることになり、それをヒントに探偵事務所を使って居場所を探り当ててしまう。

女性の住所を知られた要因は、3つのミス・違法行為によるものだった

  1. 小堤逮捕の際、警察が女性の住所のほとんどを読み上げてしまう
  2. 探偵が女性の夫を装い、逗子市役所から住所を入手した
  3. 市役所職員は、騙されたとはいえ、開示不可扱いの個人情報を探偵に教えた

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女性宅の住所を入手した翌日、2012年11月6日は小堤の40歳の誕生日だった。この日、小堤は宅配便を装って女性宅を訪れ、そして凶行におよんだ。女性を殺害すると、小堤はそのまま女性宅で首を吊って自殺。2012年12月28日、事件は容疑者死亡として不起訴処分となった。

5.矢野富栄|島根女子大生死体遺棄事件

矢野富栄|島根女子大生死体遺棄事件
矢野富栄|島根女子大生死体遺棄事件
容疑者矢野富栄(33歳没)
事件名島根女子大生死体遺棄事件
発生日2009年10月26日
殺害数1
自殺日2009年11月8日

2009年10月26日に島根県で女子大生が行方不明になり、その後 ”バラバラ殺人事件” だとわかったこの事件は、7年間も未解決のままだった。だが2016年に急展開を見せ、容疑者が判明する。

犯人とみられる男は矢野富栄(当時33)、事件当日、不審な動きをしていた車の持ち主だった。警察は当初、「猟奇的な趣味をもつ者」「遺体解体の技術を持つ者」をプロファイリングして捜査したが、手がかりはみつからなかった。

だが、2016年にNシステムの記録を再び精査したことから、怪しい動きをする矢野の車に注目。矢野のデジタルカメラの消去されたデータを復元したところ、50枚を超える事件の証拠写真がみつかった。

矢野は女子大生の遺体が発見された2日後、高速道路のガードレールに激突して助手席の母親とともに事故死していた。事件が発覚したことで、逃げられないと観念したあげくの自殺とみられている。

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矢野は過去に東京都や福岡県で「通りがかりの女性を刃物で脅し、わいせつな行為を強要する」といった性犯罪を3件も起こし、2004年には懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けていた。

6.富岡茂永|富岡八幡宮殺人事件

富岡茂永|富岡八幡宮殺人事件
富岡茂永|富岡八幡宮殺人事件
容疑者富岡茂永(56歳没)
事件名富岡八幡宮殺人事件
発生日2017年12月7日(同日自殺)
殺害数1

勧進相撲発祥の地としても有名で、年間30万人の集客力を持つ由緒ある富岡八幡宮で、跡目争いをめぐる殺人事件が起こった。

父親から宮司の地位を受け継いだ富岡茂永は、巫女に手を出したり、神社の金を使い込むなど素行に問題があった。これを見かねた父親は茂永を解任し、宮司職に復帰した。そして9年後となる2010年には父親は再び宮司を退き、今度は茂永の姉・長子さんに跡目を継がせようとした。

この一連の流れに茂永は激怒。すべては姉が仕組んだものと邪推し、神社やマスコミなど各所に約2800通もの声明文を送るなどの嫌がらせをした。この事態に神社側は「解任後から続けていた金銭的援助を中止する」と通告。これにより茂永の嫌がらせは収まったかに見えた。

だが、茂永の怒りはくすぶり続けていた。実は、長子さんにもかなりの浪費癖があり、自分のように非難されないことに茂永は不満を持っていた。そして、茂永の長子さんに対する憎悪は、やがて殺意へと変わっていく。

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2017年12月7日、飲んで朝帰りした長子さんを、茂永は日本刀で刺殺。目的を終えると、茂永は共犯の妻を刺し殺したあと、自身の胸を刺して自決した。

逮捕後に自殺した凶悪犯

日本の獄中自殺は、世界的には少ない方だという。2010年~2010年の獄中自殺者の平均は、1年に15人前後。WHO(世界保健機関)によると、自殺は収監者の死因として最も多いとのこと。

短期拘留施設入所者(裁判前)の自殺率は一般社会の10倍、判決後の受刑者収容施設では3倍。また、自殺を企てるのは、割合でいうと女性収監者は男性の2倍だという。

獄中自殺
2010年23人212
2011年18人135
2012年22人193
2013年20人182
2014年11人110
2015年18人162
2016年11人92
2017年14人140
2018年3人30
2019年7人61
2020年12人102
判明している件数のみ

1.角田美代子|尼崎連続変死事件

角田美代子|尼崎連続変死事件
角田美代子|尼崎連続変死事件
容疑者角田美代子(64歳没)
事件名尼崎連続変死事件
発生日1987年~2012年
殺害数10
自殺日2012年12月12日

2012年10月に兵庫県尼崎市で発覚した尼崎連続変死事件は、全容が掴み切れない、日本犯罪史上最も闇深い事件である。

この事件は、主犯・角田美代子を中心に4つの家族が崩壊し、10人の死亡者を出している。1987年頃、ある女性が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり事件が表に出ることはなかった。

しかし、2011年11月に家族を乗っ取られ監禁されていた大江家の長女が、逃げ出して警察に駆け込んだことで事件は発覚。これを皮切りに、年金窃盗事件で逮捕された関係者の自供により、尼崎連続変死事件が明るみになったのだ。

逮捕された角田は、2012年10月22日以降、兵庫県警本部の留置所内で4回にわたり「死にたい」と話し、弁護人に対しても「生きていても意味がない」と自殺をにおわせる発言をしていた。このため、県警は特別要注意者に指定し、通常1時間に4回の巡回を6回に増やしていた。

自殺前夜の12月11日午後8時35分頃、警察官に体調について問われると、「大丈夫です」と笑顔で頭を下げ眠りについた。翌朝5時55分、巡回した女性巡査長が角田の寝息を確認。異変に気付いたのは午前6時10分で、寝息が聞こえなかったという。

午前6時21分、巡査長が当直の職員と部屋に入り、首にTシャツの袖を巻き意識をなくている角田を発見。人工呼吸を施したが、午前7時15分に搬送先の病院で死亡が確認された。

2.矢野治(死刑囚)|前橋スナック乱射事件

矢野治|前橋スナック乱射事件
矢野治|前橋スナック乱射事件
容疑者矢野治(71歳没)
事件名前橋スナック乱射事件
発生日2003年1月25日
殺害数4
自殺日2020年1月26日

2003年1月25日、群馬県前橋市の住宅地にあるスナックに暴力団員2人が乱入し、いきなり銃を乱射した。この時、スナックには敵対する暴力団の組長が一般人に交じって飲んでいた。銃撃のターゲットはこの組長だったが、犠牲になったのは一般人3人と護衛の組員1人。組長は負傷はしたが無事だった。

”ヤクザの抗争で一般人が死亡” という、この許されざる凶行は世間に大きな衝撃をあたえた。警察は事件に関与した暴力団関係者らを逮捕。そのうち実行犯の2人と、事件を指示した住吉会 幸平一家・矢野睦会の会長・矢野治には死刑が確定した。

矢野はその後、死刑執行を先延ばしするため、20年以上も前の殺人を告白するなどしたが、今さら立証しようもなく、これは無罪となってしまう。

こうして死刑の執行を待つ以外、なす術もなくなった矢野は、2020年1月26日午前、東京拘置所の独房で自殺した。午前7時47分頃、起床時間に起きない矢野を調べたところ、布団の中で血を流して死んでいた。

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矢野は、鉛筆削りの刃の部品を外して首を切っていた。法務省は2020年10月、死刑囚が拘置所で使える物品を定めた訓令を改正し、鉛筆削りや鉛筆が使えなくなった。

3.太田勝憲(死刑囚)|平取猟銃一家殺人事件

容疑者太田勝憲(55歳没)
事件名平取猟銃一家殺人事件
発生日1979年7月18日
殺害数4
自殺日1999年11月18日

剥製加工業の太田勝憲は、猟銃を担保に毛皮の取引代金(127万円6千円)の支払いを先延ばしを、剥製業者の男性に頼み込んだ。しかし男性は「(太田の)店の物を代金のかたに全部持ってくるぞ」、「お前の車を置いていけ」などとなじられたため逆上。とっさに猟銃で撃ち殺した。さらに、事件の発覚を恐れて男性の妻・長女・次男も射殺した。

1年4ヶ月後の1980年11月15日、太田は逮捕された。弁護団は、洞爺湖に捨てたとされる猟銃が見つかっていないなど証拠が不十分であることから、無罪を主張。しかし、裁判では死刑が確定した。

1999年11月18日、太田は札幌拘置所内で入浴中、自殺を企てカミソリで右の首を切った。すぐに医務室で手当てを受けたが、約30分後に出血多量で死亡した。首の傷は長さ4~5cmで静脈まで達し、左手首にも切り傷があった。部屋には家族にあてた便せん5、6枚の遺書が3通あり、「ご迷惑を掛けました」などと書かれていた。

太田は前月にも午後の昼寝の時間に、布団の中で自殺を試みていた。その方法は、ビニール袋を利用して「自分の吐いた息を再び吸い込む」ことで、窒息死を図るというものだったが、これは失敗に終わっている。昼寝終了後も起きて来ず、不審に思った職員が独房を見に行き発見した。

医師が診察したところ、意識や脈拍に異常はなかった。自殺を図った理由について、太田は具体的な理由を明らかにしなかったという

自殺未遂に終わった凶悪犯

犯行直後や留置場などで自殺を図っても、死に至る前に発見されるケースもある。
また、ここでは紹介しないが「自殺は未遂に終わったが、他人を巻き込み死亡させた」といったケースもある。

小川和弘死刑囚(大阪個室ビデオ店放火事件):人生に悲観していた小川は、個室ビデオの独特な雰囲気の中、自殺しようと放火するも大量に発生する煙に驚いて逃走、16人の客が焼死

1.原平|中津川一家6人殺傷事件

原 平|中津川一家6人殺傷事件
容疑者原 平(当時57歳)
事件名中津川一家6人殺傷事件
発生日2005年2月27日
殺害数5

毒親である母親に追い詰められ、母親の殺害を計画した原 平(当時57歳)。彼は「自分が殺人者となる以上、その家族として生きるのはつらいだろう」と考え、家族全員を殺すことにし、自分も死ぬ決意をした。

母親は引き取っていた弟夫婦に見限られ、原の家にやってきて以降、原の妻に嫁いびりを超えた執拗な嫌がらせを続けた。さらに家の外でも人様に迷惑をかけるようになると、原は精神的に追い詰められていった。

一家心中するといっても、妻にはすべてを見届けてもらうため、殺害する気はなかった。そのため、妻が友人らと日帰り旅行する2005年2月27日を決行日と決めた。

当日、妻を駅まで送って家に戻ると、原はまず長男を絞殺、そして次に本来の目的である母親を絞殺した。それから別に住んでいる娘一家を家に呼び出し、娘とその子供2人を殺害。そして遅れて来た娘の夫に襲いかかかるも、包丁を奪われ逃走された。

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原は追いかけることはせず、風呂場で自殺しようと首を切りつけた。しかし、娘の夫の通報で駆け付けた警察により発見され、死ぬことはできなかった。裁判では、5人殺害としては異例の無期懲役判決。死刑を免れたことに、さまざまな意見が飛び交うこととなった。

2.浅山克己(死刑囚)|山形・東京連続放火殺人事件

浅山克己|山形・東京連続放火殺人事件
浅山克己|山形・東京連続放火殺人事件
容疑者浅山克己(逮捕時46歳)
事件名山形・東京連続放火殺人事件
発生日山形:2010年10月2日
東京:2011年11月24日
殺害数3

ゲイの浅山克己は、東京で交際していた男性に日常的に暴力をふるい、それに耐えかねた男性は山形の実家に逃げるように帰ってしまう。浅山は連れ戻そうとするが、「高齢の両親には介護が必要」と男性は応じなかった。2010年10月2日、両親が邪魔だと考えた浅山は、男性の実家に放火して両親を殺害する。

翌年、浅山は別の男性と交際を始めたが、やはり暴力のために逃げられてしまう。そこで江東区に住む男性の母親のマンションに出向き、居場所を探ろうとしたが母親からは満足のいく返答はなかった。

2011年11月24日、浅山は妻とともに母親のマンションに侵入する。浅山はゲイであるが、共同で犬を飼う都合から、その女性と形式上結婚していた。2人は帰宅する母親を待ち伏せ、帰って来ると一酸化炭素中毒にして殺害。そして部屋に放火して逃走した。

浅山は、区役所で男性を装って住民票の写しを受け取り、男性の居場所を特定すると、付きまとうようになった。そのため、2012年1月5日に有印私文書偽造とストーカー規制法違反容疑で逮捕。これがきっかけとなり、山形・東京の2つの殺人でも逮捕となった。

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そんな中、浅山は留置場で首吊り自殺を図り、意識不明の重体となった。2012年3月25日午後9時頃、浅山は警視庁原宿警察署の留置施設の個室で、ひも状に裂いたシーツを首に巻き付け、自殺を図ったのだ。一時は意識不明の重体となったが、のちに意識が回復。裁判において、最高裁で死刑が確定となった。

3.小松博文(未決死刑囚)|日立妻子6人殺害事件

小松博文|日立妻子6人殺害事件
小松博文|日立妻子6人殺害事件
容疑者小松博文(当時33歳)
事件名日立妻子6人殺害事件
発生日2017年10月6日
殺害数6

小松博文には子供が5人(うち1人は妻の連れ子)もいるにもかかわらず仕事は長続きせず、そのくせ昼間からパチンコに行くようなダメ親父だった。そのため妻も働かざるを得なかったが、ある時から妻は昼の仕事を辞め、スナックでのアルバイトを始める。やがて妻は店の客と懇意になり、ついに夫婦は離婚することになってしまった。

家族の住む市営住宅はもともと妻が借りていたもので、小松はひとり出ていくことになった。その当日となる2017年10月6日早朝、小松は寝ている妻と子供5人を包丁で刺し、部屋に火をつけて一家心中を図った。しかし、服に火が付くとあまりの熱さに耐えられず、服を脱いで表に出てしまう。

どうしていいかわからなくなった小松は、そのまま警察に自首。小さな子供を含む家族6人を殺害しておきながら、自分は死ねないという最悪の結果となってしまった。

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起訴後の2018年11月26日、勾留中の小松は、持病の肺高血圧症によって倒れ、一時心肺停止状態に陥った。その後、持ち直すもその後遺症で記憶の一部が欠落してしまった。水戸地裁は、「記憶が回復する見込みはないが、訴訟能力はある」として公判を続行、一審で死刑が言い渡された。(現在、控訴中)

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