前橋スナック乱射事件|組長射殺は失敗、一般客3人が犠牲に

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前橋スナック乱射事件/矢野治・小日向将人・山田健一郎日本の凶悪事件

「前橋スナック乱射事件」の概要

2003年1月25日、群馬県前橋市の住宅地にあるスナックで、ヤクザの抗争にからんだ銃乱射事件が発生した。この事件で4人が死亡、そのうち3人が無関係の一般人という前代未聞の事件になった。
事の発端は、タブーといわれる葬儀の場を襲撃した「四ツ木斎場事件」で、やられた側の住吉会の組員らによる報復の末、事件は起こった。しかしターゲットの組長は負傷したのみで、犠牲になったのはスナックの客と組長のボディーガード。抗争で一般人を巻き込むという ”あり得ない事態” に、世間が震撼したのみならず、ヤクザ界にも衝撃が走った。

事件データ

主犯矢野治(逮捕時54歳)
死刑:東京拘置所内で自殺(71歳没)
実行犯1小日向将人(当時33歳)
死刑:東京拘置所に収監中
実行犯2山田健一郎(当時36歳)
死刑:東京拘置所に収監中
犯行種別殺人事件
犯行日2003年1月25日
犯行場所群馬県前橋市三俣町 スナック「加津」
被害者数4人死亡
動機暴力団の抗争(義理場襲撃への報復)
キーワード一般人が巻き添え、死刑囚の自殺

「前橋スナック乱射事件」の経緯

四ツ木斎場事件
事件の発端となった「四ツ木斎場事件」

ヤクザ界ではしばしば抗争が起きていて、多くの組員が犠牲になっているイメージがあるが、抗争にもタブーとされることがある。それは、「義理場」での襲撃である。

「義理場」とは、葬儀や放免祝いなどの場のことで、こうした場所での発砲や抗争事件は ”御法度” 、タブー中のタブーと言われているのだ。

本事件(前橋スナック乱射事件)は、この暗黙の了解を無視した「四ツ木斎場事件」から始まっている。2001年8月18日に発生したこの事件は、住吉会の会葬が執り行われていた四ツ木斎場(東京都葛飾区)に、稲川会系組織・大前田一家の幹部2人が住吉会系の組員を装って紛れ込み、住吉会系幹部2人を射殺した、というものだった。

死亡:向後睦会会長・熊川邦男、住吉会滝野川一家総長・遠藤浩司
犯人:稲川会大前田一家 小田組幹部・吉川一三、小田総業幹部・村上善男

犯人2人はその場で取り押さえられ、住吉会の事務所に監禁された。その後、警察の説得により、身柄を引き渡すことになるのだが、このことに異を唱える組員も多かったという。

稲川会は、すぐに殺害を指示した大前田一家 七代目総長・小田建夫を絶縁(家名抹消)、さらに稲川会総本部長・岸本卓也が責任をとる形で引退をした。これにより表向きは ”手打ち” となり、和解が成立したかに見えたが、これに不満を募らせる者がいた。それが、事件当日の警備を担当していた住吉会 幸平一家・矢野睦会の会長・矢野治である。

そして、これが 住吉会 VS. 稲川会 の一大抗争事件に発展するのだ。

犯人の吉川一三は、熊本刑務所で剣道の防具を作る刑務中、幸平一家・加藤連合組員により、キリで左胸や背中など10数カ所を刺され重傷、村上善男は徳島刑務所で風呂場でリンチを受け、後に自殺している。

住吉会側が報復開始

稲川会系・大前田一家元幹部・小田建夫総長/前橋スナック乱射事件
当初狙われていた小田建夫総長

矢野は傘下の組や部下に対し、四ツ木斎場事件を指示したとして絶縁された小田建夫総長への襲撃を指示。これを受け、2002年2月21日、部下たちは小田宅を襲撃しようとするも、失敗に終わっていた。

2月24日、襲撃の行動隊長だった矢野睦会・石塚隆組長(当時54歳)が銃撃される事件が発生する。石塚は4発被弾しながらも、日本医科大学付属病院に運ばれて手術を受け、一命を取り留めた。だが翌25日、集中治療室(ICU)の窓ガラスを割って入ってきた犯人に、またもや拳銃で撃たれて死亡する。

これは一見すると、相手方(稲川会)の仕返しのように感じるが、実はそうではなかった。なんと、石塚は味方であるはずの矢野に殺されていた。小田総長襲撃がうまく行かないことから仲違いして、口封じのために石塚を殺害していたのだ。

日医大ICU射殺事件

石塚は小田総長襲撃時、”指紋の付いた薬きょうを現場に残す” というミスを犯して、矢野と揉めていた。怒った矢野は、石塚を拉致して始末する指示を出したが、石塚が抵抗したため豊島区目白の路上で脇腹を撃ったのだ。石塚は日医大病院に運ばれ、一命を取り留めた。
だが翌日、ICU(集中治療室)で治療中の石塚に、背中から3発、頭に2発を撃って殺害。ICU前では警察官が警戒していたが、窓ガラスを外から割って発砲していた。

”聖域” ともいえる民間の病院に突如ヤクザが押し入り、入院患者(石塚組長)を殺害したこの事件は、「日医大ICU射殺事件」と呼ばれてセンセーショナルに報じられた。

この事件は ”仲間割れ” のようなものだったが、本来の敵である大前田一家・小田総長に対する襲撃は続けられた。矢野は部下に命じて2002年3月1日、小田総長宅に火炎瓶が投げ込み、銃弾数発が撃ち込まれたが、これも失敗する。

このように小田総長に対する襲撃は、警備の厳しさもあって失敗続きだった。そこで、ターゲットは大前田一家No.2だった後藤邦雄元組長へと変更される。そして、この後藤元組長への襲撃こそが「前橋スナック銃乱射事件」へとつながっていくのだ。

後藤元組長は「四ツ木斎場事件」の際、住吉会のバッチや代紋入りネクタイをして、住吉会関係者を装って葬儀にまぎれ込んでいた。(襲撃事件の見届け人として)

執拗に続く報復

前橋スナック乱射事件・現場
前橋スナック乱射事件の現場付近

2002年10月5日、群馬県内のアジトに小日向将人(当時33歳)のほか、4人が向かった。しかしその途中で大きな事故に遭い、小日向は入院を余儀なくされる。そのため、小日向は14日の襲撃メンバーから外されていたが、この襲撃はまたしても失敗してしまう。

2002年10月14日、矢野は部下に命じて、群馬県白沢村のゴルフ場から帰る後藤組長を襲撃させた。部下らは、後藤の乗ったベンツに故意に車を衝突させたうえで拳銃を6発撃った。だが、そのうち1発が後藤の右肩に当たっただけで、目的は果たせなかった。

そして、次に計画されたのが、群馬県前橋市のスナックでの襲撃だった。2003年1月、矢野の指示で小日向は矢野睦会の行動隊長・土居春夫(当時46歳)とともに群馬のアジトに向かった。

小日向は襲撃のパートナーである土居と、アジトで数日を過ごしていた。しかし、いつ襲撃命令が下るかわからないという極限状態で、土居が精神的に不安定になってしまう。それが原因で両者の間にいさかいが生じたため、土居の代役として山田健一郎が送られてきた。

2003年1月25日午後11時頃、矢野から電話連絡が来た。「(ターゲットの)後藤が店に入った、向かえ」という指示だった。2人は車でスナックへ向かった。

スナック「加津」付近に到着すると、「ほかには誰もいない」と聞いていたにもかかわらず、店の前に駐車したベンツにボディーガードが2人いた。店内に一般客がいる可能性もあったため、小日向と山田は相談の上、矢野に中止を訴える電話をした。

すると、少し経って「店の中にいるのは3~4人。みんな後藤の仲間で一般の客はいない」と電話してきたため、小日向と山田は襲撃を決心する。2人は手順を相談して、フルフェイスのヘルメットをかぶり実行に移した。

一般人を巻き込んだ銃撃

前橋スナック乱射事件
乱射事件のあったスナック「加津」

まず、小日向が「どこへ行くんだ」と話しかけてきたボディーガード(当時31歳)を拳銃で撃って殺害。その隙に山田はスナック店内に入り、銃を乱射した。続いて小日向が店内に入ると何人かが倒れていたが、小日向も数発撃った。当時、店内にはカウンターに客が8人と、カウンターの中に女性経営者(ママ)がいた。

この襲撃で殺害したのは4人。店舗前で射殺したボディーガードを除く3人は、事前情報と違ってすべて一般人だった。3人はいずれも近くに住む、スナックに飲みに来た普通の客だった。

銃撃の被害者
  • 会社員・水石福治さん(当時53歳):山田の発砲で死亡
  • パート・佐鳥初子さん(当時66歳):小日向の発砲で死亡
  • 調理師・大河原照次さん(当時50歳):小日向の発砲で死亡
  • 後藤のボディーガード(当時31歳):小日向の発砲で死亡
  • 大前田一家・後藤邦雄組長(当時55歳):重症(左中指に1発的中)
  • 後藤の知人の調理人男性(当時55歳):重症(加療約6か月)

ターゲットだった後藤組長は、左中指に1発的中したが、命に別条はなかった。また、後藤に誘われて来店していた調理人の男性(当時55歳)も、銃弾を受けて加療約6か月の重症。命に別状はなかったものの、料理人にとって重要な右手親指が、以前のようには動かない、という後遺症を抱えることになった。

小日向と山田は、銃撃を終えると車で逃走した。

スナック銃撃で3人を逮捕

前橋スナック乱射事件

1月29日、「自分がやった」と矢野睦会幹部土居春夫が出頭。しかし、土居の供述はあいまいで、現場の状況とも合わないことから、2月26日に処分保留で釈放された。

4月には、未解決だった「日医大ICU射殺事件」の捜査で、実行犯とみられる新居久三雄(当時56歳)を取り調べた。当初は口を割らなかった新居だが、次第に反省の念を持つようになり、最後には涙ながらに自供する。犯行を指示したのは矢野で、新居が窓ガラスを外から割り、矢野睦会系組長・辰力正雄(当時54歳)が約1mの至近距離から撃ったのだという。

そして新居は、「スナック乱射事件」の実行犯・小日向がフィリピンに逃亡していることも供述した。

翌2003年7月8日、矢野を ”大前田一家・小田総長宅への放火容疑” で逮捕。小日向は、2003年10月30日、逃亡先のフィリピンで不法滞在容疑で身柄拘束された。その翌日に日本に強制送還され、警視庁がパスポートを偽造した罪(旅券法違反容疑)で逮捕した。矢野と小日向は、スナック銃撃事件への関与を追及された。

2004年2月、スナック銃撃事件の遺留品の眼鏡から、小日向のDNAが検出される。これを突きつけられた小日向は、「矢野会長の指示でやった」と供述。同月17日、矢野と小日向は本事件に関する殺人殺人未遂容疑で逮捕となった。そして、もうひとりの実行犯である山田に指名手配が出された。

5月7日、山田も潜伏先の鹿児島県で逮捕となる。山田は本籍地でもある鹿児島県に逃亡していたが、逮捕の前日に「(指名手配の)ポスターに似た人物がいる」と匿名通報があった。これを受け、県警が鹿児島市内の繁華街を捜索、飲食店が入るビルから出てきた山田を発見した。

指示役の矢野と実行役の小日向山田には、死刑が確定した。

首謀者・矢野治について

矢野治/前橋スナック乱射事件
矢野治

矢野治は、住吉会 幸平一家・矢野睦会の会長を務めていた。
幸平一家(こうへいいっか)は、東京都板橋区大山金井町に本部を置く暴力団で、指定暴力団・住吉会の二次団体。その派生団体として矢野睦会があり、”武闘派” として主に汚れ仕事を担っていた。

「平成の殺人鬼」と呼ばれた矢野だが、法廷では両耳に補聴器をつけ、小柄な老人という風貌だった。矢野の手は不始末のたびに指が減り、人差指と親指しかなかったそうである。逮捕時には、左手は親指しか残っていなかったという。

2001年8月、住吉会は、ヤクザ界のタブーといわれる「義理場」での襲撃(四ツ木斎場事件)を受けたことから、矢野は稲川会に対して異常な復讐心を抱く。報復は何度も失敗したが、それでも執拗にくり返したあげく、ついに一般人を巻き込む本事件を起こした。(ターゲットは負傷したに過ぎず、失敗に終わっている)

矢野は実行にはかかわっていないが、一連の報復行為すべてが矢野の指示であったことから、首謀者として裁判で2014年3月14日、死刑が確定した。

死刑確定後、別の殺人を告白

死刑囚となった矢野は、2014年9月7日付で警視庁目白署に別の殺人事件を告白する手紙を出している。それによると矢野は1998年4月、東京都新宿区の不動産会社社長・斎藤衛(失踪当時49歳)を殺害後、遺体の遺棄を知人の男に指示したというのだ。

殺害動機は、1億円近い金銭トラブルだという。矢野から借りた1億円のうち、8600万円が焦げ付いてしまった斎藤は、ある男を殺して奪った金で返済するという。しかし、その男は住吉会幹部と親交があり、それを阻止すべく大型犬用の檻の中に斎藤を3日間監禁。そして首にネクタイを巻きつけ、絞め殺したとのことだった。

オレンジ共済事件で証人喚問を受ける斎藤衛さん
証人喚問を受ける斎藤衛さん

斎藤は、稼業名を「龍一成」として暗躍した暴力団の企業舎弟で、「オレンジ共済事件」のキーマンとして、国会の証人喚問を受けたこともあった。目白署は、12月25日に東京拘置所で矢野に事情聴取したが、その後の捜査は一切行われなかった。

オレンジ共済事件

友部達夫元参議院議員(旧新進党所属)の政治団体が運営していた共済団体が起こした詐欺事件。友部が100億円近い資金を騙し取り、その一部は政界に流れたといわれる。友部は逮捕され、裁判で懲役10年の実刑判決が確定して失職した。

矢野死刑囚はさらに、2015年5月28日付でまた別の殺人事件に関与したとする手紙を、渋谷署に送っている。知人(住吉会系の若頭)から、「再開発をめぐりトラブルになっている男を、提訴される前に殺害してほしい」と依頼され、これを実行したというのだ。

狙われたのは、伊勢原駅前の不動産のオーナーで、津川静夫さん(失踪当時60歳)。津川さんは1996年8月10日、宅配便を装う男に「住所がわからない」と誘いだされたまま、行方不明になっていた。

矢野死刑囚は、同じ幸平一家の組長(2014年に死亡)に、津川さん殺害を依頼したと告白。しかし、渋谷警察署もまた、捜査を行うことはなかった。

告白した殺人事件は無罪

矢野死刑囚は、この2件の告白を「週刊新潮」にも送っていて、編集部は取材を続けた。そして『週刊新潮』2016年2月25日号(2月18日発売)にて記事を発表。記事が出るとわかった途端、警視庁は捜査を始めた。

そして、2016年4月19日、神奈川県伊勢原市の山林で、供述通りの場所から津川さんの遺体を発見。11月29日~30日には、埼玉県ときがわ町の山林で斎藤さんとみられる人骨を発見した。

こうして、死刑囚でありながら再び被告人になった矢野だが、公判では ”殺人事件に関与した” とする告白は「全くの虚偽」と述べ、一転して無罪を主張する。

検察側は、この裁判は ”裁判中は死刑執行されない” ことを利用した「死刑執行の先延ばし工作」と指摘。そして、「告白を覆したのは、裁判を引き延ばすため」と批判し、告白自体は信用できると強調していた。

2018年12月13日の判決では、唯一の直接証拠である、矢野の告白の信用性を否定。発生から20年以上経つ中、関係者の証言も「証拠能力に限界がある」と断じ、無罪を言い渡した。

裁判長は、検察側の指摘通り「告白は引き延ばし目的」と認定。一方で、関係者の多くが死亡していることから、「虚偽の犯行告白でも起訴してもらえる」と、矢野が考えた可能性を指摘した。
検察側は控訴を断念したことから、無罪が確定する。

無罪が確定し、公判が終わったことは矢野にとっては誤算だった。彼はいろんな事件について警察に仄めかしていたが、立件された2件以外は取り合ってもらえなかった。文字通り ”命の綱” であるこの裁判が終わり、矢野にはいつ来るかわからない ”死刑執行を待つ時間” だけが残された。

矢野治死刑囚が自殺

矢野死刑囚は、告白した理由について「毎晩のように龍一世(斉藤衛)の夢で苦しんでいる」と、表向き ”反省や後悔” を匂わせていたが、まわりはそうは見ていない。

公判で検察が指摘したように、告白を ”死刑執行を先延ばしするための延命工作” と考えたのは、警察も同じだった。裁判になれば、その間は矢野の死刑は執行されない。うまくやれば判決までに何年もかかり、長引けば長引くほど矢野は延命ができるのだ。捜査を積極的に行わなかったのは、 ”矢野の思惑通りにしたくない” という気持ちの表れだという見方もあった。

だが、矢野を知る暴力団関係者は、次のように語る。

「矢野には、このままでは死にきれない理由がある。時間が必要なんです。スナック乱射事件には自分に指示を出した黒幕でありながら、のうのうと娑婆で暮らす ”許せない人間” がいるということではないでしょうか。事件はこれで終わりにはならない」

しかし、矢野死刑囚は2020年1月26日午前、東京拘置所の独房で自殺した。

午前7時47分頃、起床時間を過ぎても起きないため職員が室内に立ち入り、布団の中で血を流している矢野死刑囚を見つけた。首の左右に ”自作の刃物状のもの” で切った切り傷があった。(享年71歳)

矢野死刑囚は、鉛筆削りの刃の部品を外して自殺に使っていた。(刃は外せないようにネジ山が潰してあった)法務省は2020年10月、死刑囚が拘置所で使える物品を定めた訓令を改正し、鉛筆削りや鉛筆が使えなくなった。

(前述の矢野の知人)「矢野は ”黒幕” がどうしても許せないからこそ、様々な手段で時間稼ぎをしてきた。しかし、最終的にはそのどれもが壁にぶつかってしまい、自ら命を絶つことを考え始めたのでしょう」

矢野の遺族によると、2019年12月26日に魏巍死刑囚が死刑執行されてから、矢野の様子がおかしくなったそうです。魏巍の執行の翌日、孫が面会に行くと「俺は日本男児だから」とかずっとブツブツ呟いてたとのこと。自殺の2日前に矢野の子供が面会した時も、「俺はな、大丈夫だ。潔くいつでも死ねるんだよ」と、切羽詰まった表情で目に涙をためていたそうです。

やはり、”いつ来るかわからない死刑” を待つ恐怖に、耐えられなかったのではないでしょうか?

過去にも死刑囚による告発

上申書殺人事件/後藤良次・
後藤良次(左)と三上静男(右)

死刑囚が別の殺人事件を告白する」というのは、実は過去にも事例がある。
2005年10月、殺人で死刑判決を受けて上告中の元暴力団組長・後藤良次が、別の3つの殺人事件を告発した「上申書殺人事件」だ。後藤は娑婆でのうのうと暮らす首謀者・三上静男に鉄槌を下し、三上は無期懲役となった。

不動産ブローカーの三上と後藤は、共に悪事を働く蜜月関係にあった。後藤が逮捕される直前、2人の間では、ある約束を交わされていた。それは、”逮捕後の支援” と ”後藤の部下の面倒をみる” という条件で、「三上が関わった3件の殺人について、警察に明かさない」というものだった。
後藤はこれを守ったが三上は約束を反故にし、後藤が逮捕された途端、彼を見限っていた。

実行犯:小日向将人・山田健一郎

小日向将人

小日向将人/前橋スナック乱射事件
小日向将人

小日向将人は、埼玉県川越市出身。
向こう見ずな行動派で、「毘沙門天」という暴走族に所属していた。

17歳の頃、新宿のキャバクラでボーイとして働いていた。ある日、ボーイ同士で喧嘩になったところを住吉会・幸平一家池袋の組員に見られて、「見所がある」とヤクザにスカウトされた。後日、その組員の池袋のマンションに転がり込んだ。

数日後、別の組員に連れられて、当時は組長だった矢野に紹介された。居酒屋で話をしたあと、スナックを数軒はしご、その際、両方の小指がない両手を見せられる。

この時、矢野はまだ ”素性のよくわからない若造” である小日向に対し、「見ろ、まだ8本ある。足の指を入れれば18本だ。何でも好きなことをしてこい。”間違い” があったら、俺が指を詰めてけじめつけてやる。心配するな、好きにやれ」と言った。これを聞いた小日向は、とても感激したという。

さらに、「今日から俺のことを親父と呼べ」と言われ、矢野の男気に惚れた小日向は、「この人についていってみよう」と決心した。

その後、幹部の運転手や部屋住みなどを経て、小日向は順調に出世していった。結婚してたくさんの子供にも恵まれた。だが、本事件で確定死刑囚となって以降、長男(当時17才)をがんで亡くしている。

現在は、東京拘置所に収監中である。

山田健一郎

山田健一郎/前橋スナック乱射事件
山田健一郎

山田健一郎は、1966年8月23日、兵庫県尼崎市で出生した。生まれてすぐ、鹿児島県の沖永良部島に転居。物心がついた時には母親と異父兄弟とで生活するようになっていた。

中学卒業後は、高等学校に進学。ボクシング部に入部して、ライト級で鹿児島チャンピオン、九州で2位の成績を修め、複数の大学等からスカウトされた。しかし高校卒業後は、中学時代の先輩から誘われて東京でとび職をしていた。

山田は、このまま一生とびを続けるのか迷っていたところ、矢野睦会の者と知り合い、組長に惹かれたこともあり、組員となった。

山田は暴力団組員となって以降、暴行等による罰金前科4犯、および脅迫・証人威迫・強要の各罪による懲役実刑前科1犯があった。

本事件で死刑が確定し、現在は東京拘置所に収監中である。

裁判

矢野治被告は、初公判から「身に覚えがない」と一貫して起訴事実を否認。このため、県警の捜査員や小日向被告らの証人出廷が余儀なくされ、矢野被告の公判は(他の事件も含めて)求刑時69回を数えるまで長期化した。

一方、実行犯の小日向将人被告は、乱射事件への関与を認めて事件の全容解明に向けて積極的に供述していた。もうひとりの実行犯・山田健一郎被告は、逮捕当初から犯行を黙秘、初公判でも起訴事実を全面否認した。

 矢野治小日向将人山田健一郎
罪状認否全面否認すべて認めた全面否認
一審判決死刑(求刑死刑)死刑(求刑死刑)死刑(求刑死刑)
控訴審判決死刑死刑死刑
最高裁判決死刑確定(14.3.14)死刑確定(09.7.1)死刑確定(13.6.7)
現在自殺(2020.1)東京拘置所に収監東京拘置所に収監

矢野治の公判

2006年11月28日の公判で、山田被告が証人席に立ち、「小日向被告の証言はでたらめ、証言の7、8割は嘘」と非難した。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので、自分はわからない」と話した。

12月12日の公判でも、山田被告は「殺害が矢野被告の指示だった」とする検察側の主張についてきっぱり否定している。
犯行後、小日向被告の携帯電話に「このやろう、女が巻き込まれているんじゃないのか」などと怒鳴り声で電話があったことを明らかにしたが、電話の相手についてはわからないとくり返した。

2007年5月23日の論告求刑で、検察側は「矢野被告は犯行を指示した首謀者で、刑事責任は最も重いのに、起訴事実を全面否認し反省の情も見られない。もはや人間性は失われ矯正不能」と指摘した。また、「暴力団特有の論理で一般人の犠牲もいとわない姿勢は反社会性の極み」と非難した。

9月3日の最終弁論で、弁護側は矢野被告について「共犯者らの供述は虚偽で、有罪とする十分な証拠はない」と改めて無罪を主張した。

2007年12月10日、判決公判で前橋地裁は、矢野被告に死刑を言い渡した

裁判長は、犯行動機について「対立していた指定暴力団・稲川会系の元組長に対する報復だった」と認定。そのうえで「暴力団特有の論理に基づく反社会的犯行。矢野被告の反社会的人格は根深い」と指摘した。そして、「スナックでの銃乱射は至近距離から撃つなど残虐で、一種の無差別テロの様相を帯びている。実行行為を具体的に指示しており、実行犯と同等以上の責任がある。極刑をもって臨むしかない」と述べた。

最高裁で矢野は死刑確定

控訴審で弁護側は、「矢野被告は、実行犯との連絡役か調整役に過ぎない」として無罪を主張。検察側の主張に対し、共謀の証明が不十分と訴えた。

2009年11月10日の判決で、裁判長は「実行犯ではないが、暴力団組織の上下関係を利用し、犯行を具体的に指示した首謀者。責任は重大で、実行犯と同等以上」と認定した。被告に有利な事情として、住吉会側が遺族らに計9750万円を支払う内容で和解したことにも言及したが、「極刑がやむを得ないとした一審判決は相当」とした。

そして2014年3月14日の最高裁判決で、矢野被告の死刑が確定した。裁判長は、「一般人を巻き込む危険性も意に介さず、冷酷で残虐。結果は重大で、地域社会に与えた影響も計り知れない。犯行を指示した首謀者としての責任は実行犯以上に重く、死刑の判断を認めざるをえない」と指摘した。

小日向将人の公判

小日向将人被告は、2004年2月に乱射事件への関与を認め、積極的に供述するなど捜査に協力してきた。しかし、論告で検察側は、「捜査の過程で、1月上旬には被告に対する強い嫌疑があった」として、小日向被告の供述を「自首」には当たらないとした。

また、小日向被告は、乱射事件に中心的にかかわるなど「現場の指揮官的立場にあった」と指摘。「罪のない市民を一方的に殺害するという、非道この上ない残虐な殺りく行為であり、全国を震撼させた前代未聞の事件。矯正は期待できない」として死刑を求刑した。

小日向被告は一貫して「店内にいるのは全員敵だと聞かされ、撃たなければやられると思った」と供述したほか、「自供により事件が解明された。真摯に反省している」と主張した。

2005年3月28日、前橋地裁が下した判決は、求刑通り死刑裁判長は、店内に一般客がいる可能性も認識していたとして、「暴力団特有の極めて反社会的な犯行。遺族の被害感情は極めて峻烈」とした。自供により捜査が進展したことは認めたが、”自首の主張” は退けた。

裁判長は小日向被告に「私としては、君には出来るだけ長く生きてもらいたい。遺族に謝罪を続けていって下さい」と涙ながらに諭した。

自首は認定ならず

控訴審で弁護側は、「小日向被告の自白は自首にあたり、刑を軽減すべき」と主張した。しかし判決は死刑。「捜査機関は、自白する前に犯人だと特定していた」として自首の主張を退けた。
裁判長は「被告の自白で事件の全容が解明され、その真摯な反省の態度は評価すべきだが、4人もの命を奪った責任はあまりにも重い」と述べた。

2009年6月12日の最高裁弁論で、被告側は「一般市民がいるとは知らなかった。自首も成立している」と死刑回避を求めた。検察側は「無関係の飲食客を殺害した比類なき凶悪事件」として、上告棄却を主張した。

2009年7月10日、最高裁判決で裁判長は、小日向被告の上告を棄却、死刑が確定した。自首の成立については認められなかった。
「住宅街のスナックで一般客3人が殺されたことが、地域社会に与えた衝撃は計り知れない。自らの手で2人を射殺し、犯行に果たした役割も大きい」と指摘。また、「対立暴力団への報復という動機に、酌量の余地はない。事件の解明に協力し、首謀者の命令での犯行であることを考慮しても、死刑が相当」と判断した。

山田健一郎の公判

山田健一郎被告は、逮捕当初から犯行を黙秘し、2004年7月22日の初公判でも起訴事実を全面否認していた。だが2006年11月28日、矢野被告の公判に弁護側証人として出廷し、事件への関与を初めて認めた。

山田被告は、小日向被告の法廷証言については、「全くのでたらめだ。証言の7、8割はウソ」と明言した。”小日向被告が襲撃に消極的だった” とされる点について「(準備段階で)やる気に見えた」と述べ、その後も小日向被告の供述に対して逐一反論を述べた。

2007年2月26日の公判で、山田被告は実行役であることを認める証言をした。被告人質問では、もうひとりの実行役である小日向被告の証言をことごとく否定。”事件の全容解明に貢献した” とされる小日向被告の証言は「事実と違う。だまされないでほしい」と訴えた。

7月2日の論告求刑で、検察側は死刑を求刑。「捜査段階では黙秘を貫き、公判では(首謀者の)矢野をかばうなど、真相解明を阻む態度に終始し、反省にはほど遠く矯正可能性もない」と指弾した。

10月15日の最終弁論で、弁護側は山田・小日向両被告の証言の違いに言及。「矢野被告が事件を指揮した」とする小日向被告の供述を「刑事責任を軽減するために作り上げたストーリー」と主張した。

裁判長が山田被告に「最後に言いたいことは」と問うと、被害者の名前を1人ずつ挙げ「私が誤射して殺めてしまった人やご遺族に心からおわび申し上げます。いかなる刑でも受ける所存です」と述べ、傍聴席の遺族に深々と頭を下げた。言葉は5分以上続き「なぜこんなことになったか分からない」と述べた。

2008年1月21日、判決公判が開かれ、前橋地裁は山田被告に死刑を言い渡した
裁判長は「住宅街のスナックで、たまたま居合わせただけの一般人3人を射殺するなど、前例のない痛ましい事件。計画性・組織性が極めて高度で、被告の果たした役割も重大。(被害者は)残虐な方法で殺されており、その無念さは察するに余りある。山田被告が上位者の指示を受けて犯行に及んだ経緯などを考慮しても、極刑はやむを得ない」と述べた。

弁護側は「(亡くなった)4人のうち3人は、小日向被告の犯行」で、責任が限定的だと主張していた。これについて裁判長は、矢野・小日向被告と比較すれば「計画や準備への関与の度合いが低い」と、情状酌量すべき点も指摘。「責任は、殺害1人と傷害1人にとどまる」とする主張も一部認めた。

しかし、結論としては「店内に多くの客がいることを認識した時点で、”本来の標的(後藤元組長)殺害の障害となる者は射殺するという ”意図を、小日向被告との間で暗黙のうちに共有した」と指摘。死傷者全員について、山田被告は共同正犯として責任を負うとした。

山田被告も死刑確定

2008年11月13日の控訴審初公判で、弁護側は「山田被告は従属的な立場。”犯行に積極的に関与した” と結論づけた一審判決は事実誤認だと訴え、減刑を求めた。

この主張に対して検察側は、「店の営業時間中に乱入し、発砲している時点で殺害行為に加担しており、死刑は免れない」と控訴棄却を求めた。

判決公判で裁判長は、弁護側の主張を退け控訴を棄却、「狭い店内で発砲すれば、客に当たることは想定できた。住宅街での銃器犯罪で、法治国家への露骨な挑戦だ。死刑が重すぎて不当とはいえない」と指摘した。

2013年4月26日の最高裁弁論でも、弁護側は店の客に対する殺意を否定し、「事件での役割は従属的で、反省を深めている。死刑は妥当でない」と主張した。
しかし2013年6月7日、最高裁判決で裁判長は上告を棄却、山田被告の死刑が確定した。「無防備な被害者に、計10数発の弾丸を発射した冷酷な犯行。暴力団とは無関係の一般客を射殺しており、残虐で地域に与えた影響は計り知れない。事件で果たした役割も大きく、真摯な反省があるとも言い難い。死刑判断を認めざるを得ない」と述べた。

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