横浜港バラバラ殺人事件|生きた人間をチェーンソーで…

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池田容之/横浜港バラバラ殺人事件 日本の凶悪事件

横浜港バラバラ殺人事件

!注意!本記事は凶悪犯罪の詳細を説明するもので、その性質上「過激な表現」が含まれている場合があります。苦手な方はこちらから退出できます。

2009年6月、横浜港の岸壁で「遺体のようなものが流れている」と、釣りに来た男性から通報があった。遺体は男性2人のもので、バラバラにされていた。
その後、別件で逮捕されていた池田容之(当時31歳)が、関与を認める上申書を提出したことから、事件の全容が解明されることとなった。池田は雀荘経営をめぐるトラブルから被害者を殺害していたが、その方法は ”生きたままチェーンソーで切断” という、凄惨なものだった。

事件データ

実行犯池田容之(当時31歳)
読み:いけだ ひろゆき
事件種別強盗殺人事件
発生日2009年6月18日~19日
殺害場所千葉県船橋市内のホテル
遺体発見神奈川県横浜市金沢区幸浦2の岸壁
被害者数2人
判決死刑:東京拘置所に収監中
動機上司(近藤剛郎)の指示
(雀荘経営をめぐるトラブル)
キーワード生きたまま切断
指示役近藤剛郎(当時26歳)
タイに逃亡、国際指名手配中
共犯1南部宇宙(たかおき)(当時28歳)
懲役12年
強盗致死・死体遺棄・逮捕監禁罪
共犯2岩井隆弘(当時29歳)
懲役3年:監禁・恐喝罪
共犯3石原隆一(当時31歳)
懲役2年10月:監禁・死体遺棄罪
共犯4大井翔平(当時26歳)
懲役2年:死体遺棄罪
共犯5宮原直樹(当時22歳)
懲役3年(執行猶予5年)
逮捕監禁・死体遺棄罪
共犯6三田恭志郎(当時22歳)
懲役3年(執行猶予5年)
逮捕監禁・死体遺棄罪
共犯7伊吹真吾(当時21歳)
懲役3年(執行猶予5年)
逮捕監禁・死体遺棄罪

事件の経緯

池田容之は高校卒業後、造船所や自動車工場を転々として働いていた。22歳で結婚し子供もできたが、数年後に離婚。その後は、水道工事会社や先物取引会社などを経て、ホストクラブや出会い系サイト運営会社などの仕事に就くようになっていった。

2004年頃からは暴力団の組員になったり、巨大詐欺グループの店舗に入社したこともあったが、1年ほどで辞めることが多かった。詐欺グループの仕事を辞めたあと、池田は東京都内の岩盤浴店に店長として就職した。

池田はこの時期に、近藤剛郎と知り合う。近藤は、有名詐欺集団「キンググループ」の構成員だった。

キンググループ:振り込め詐欺のキングと呼ばれる戸田雅樹が組織していた詐欺集団。(戸田は2007年9月に逮捕、2010年に懲役20年の実刑判決確定)

池田はこのグループの一員となり、5歳年下の近藤の部下となった。近藤は数億円の資金を元手に、ベトナムなどから覚醒剤の密輸を行っており、池田もこの犯罪に加担していた。

そして、彼らが拠点として使っていたのが、近藤と石原隆一(31歳)が経営する新宿歌舞伎町の雀荘「もえはうす」。だが、この店は2009年3月頃から世田谷区の水本大輔さん(28歳)と大和市の会社員・高倉順一さん(36歳)に経営権を握られていた

これが、本事件のきっかけとなったトラブルだった。

生きたまま、チェーンソーで殺害

「雀荘を乗っ取られた。売り上げを取られて困っている」
石原は3月頃、知人の自称コンサルタント業・岩井隆弘(29歳)に相談を持ちかけた。この相談が、水本さんら2人から店の出資金などを回収する強盗計画に発展していく。

岩井はかねてから知人の滋賀県東近江市の無職・南部宇宙(たかおき)(28歳)に「金になる仕事はないか?」と相談を受けており、5月上旬、計画に加わるよう持ちかけた。そして、南部は地元の後輩である無職・宮原直樹、無職・三田恭志郎、会社員・伊吹真吾の3人に声をかけ、ターゲット2人を監禁する役目を指示した。

5月下旬には、池田は近藤から計画に加わるよう指示されるとともに、殺し屋の手配も頼まれた。さらに、池田は足立区の鉄筋工・大井翔平(26歳)に殺害後の死体遺棄を依頼した。

2009年6月18日午後9時頃、南部、宮原、三田、伊吹の4人は東京都内で水本さんをレンタカーに乗せ、千葉県船橋市内のホテルに入った。翌19日の午前5時頃には、高倉さんがホテルに呼び出された。

そして、そこに池田と石原が加わり、凶行が始まった。彼らは高倉さんと水本さんの手足を縛って監禁し、水本さんの自宅などから現金約1340万円を奪った。

池田が近藤から依頼されたのは ”殺し屋の手配” だったが、池田は自ら殺害して”力を誇示”しようとした。そうすることで、組織の信用を得ようとしたのだ。

池田は、高倉さんの首をナイフで刺して殺害した。だが水本さんの殺害には、池田は思いもよらぬ方法をとる。それは、首を電動ノコギリで ”生きたまま切断” するという、身の毛もよだつやり方だった。

2人は命乞いも無視され、「家族に電話させてほしい」「せめて先に殺してから(首を)切ってください」と懇願するも聞き入れられなかった。(水本さんの殺害には、南部も関わっている)

ホテル側には「ドラマの撮影だから、音が出ても気にしないでほしい」と話していた。ホテル関係者は、「数人で2部屋を泊まりで借りていった。(見た目は)普通の人たちだった」と証言している。

2人の遺体をバラバラにしたあと、池田は共犯者に平然と「人形みたいでしょ」と言ったという。

指示役を除く全員逮捕

横浜港バラバラ殺人事件・遺体発見現場
遺体発見現場となった金沢区幸浦2の岸壁

遺体はスーツケースに入れて車で運び、翌日、横浜市金沢区の海や山梨県鳴沢村の富士山5合目付近の山林に遺棄した。盗んだ現金は池田、石原、南部の3人に渡ったとされる。

事件の発覚は2009年6月24日。
午後2時20分頃、横浜市金沢区の岸壁で「遺体のようなものが流れている」と、釣り人の男性から通報があった。見つかったのはバラバラにされた男性の遺体の一部で、死後数日から数週間が経っているとみられた。

男性2人分の遺体であることはわかったが、身元を示すようなものはなかった。しかし、1人の手部分から検出された指紋が、暴力団関係者とみられる人物と一致。その後、身元が高倉さんと水本さんであることが判明した。2人には金銭や事業などにからんだ複数のトラブルがあり、警察は雀荘をめぐるトラブルも把握していた。

一方、池田は別件(福島の覚せい剤密輸事件)で2009年7月20日に逮捕された。この時、「(殺した2人が)夢に出てくる」と話し、関与を認める上申書を書いて提出した。
こうして2009年10月15日、池田は死体遺棄容疑で再逮捕。11月11日には水本さんから1340万円を奪った強盗殺人容疑でも再逮捕となっている。

事件に関与した他のメンバーたちも順次逮捕となった。しかし、指示役の近藤はタイに逃亡したため、2009年12月15日、インターポールに国際指名手配された。

犯行の具体的な計画は、池田、岩井、石原、南部の4人が6月上旬に決めたとされる。特捜本部によると、池田は現金を奪ったあとに2人を殺害するつもりだったが、ほかの3人は ”覚醒剤を扱う店舗を襲って強盗する” という認識で、「殺すつもりはなかった」と供述しているという。
池田は、「水本さんから奪った金以外にも、近藤から報酬を約束されていた」と話した。  

池田容之の生い立ち

池田容之/横浜港バラバラ殺人事件
公判中の池田容之

池田容之は、1978年に兵庫県で生まれた。父親は銀行員で、池田が5歳の時に転勤で神奈川県横浜市に移住した。
横浜での中学時代は生徒会の会長を務めるなど、当時は優等生だった。母親によると、学生時代の池田は明るい性格だったという。

高校卒業後、池田は大学へは進学せず、造船所や自動車工場などを転々とした。22歳で結婚して子供(女児)にも恵まれたが、数年後に離婚している。

その後は、水道工事会社や先物取引会社で働いていたが、やがてホストクラブや出会い系サイト運営会社といった、やや闇社会に近い仕事も経験するようになった。

そして2004年には、指定暴力団「稲川会」系の下部組織の構成員となる。ここを1年ほどで辞めると、次に「山口組」系の下部組織の組員になった。
これと同時期、池田は巨大詐欺グループの一員として働いたが、1年あまりで抜けている。

詐欺グループを辞めたあとは、東京都内の岩盤浴店に店長として就職したが、このころ本事件で指示役となる近藤剛郎と知り合う。近藤は、振り込め詐欺のキングと呼ばれる戸田雅樹(2007年9月に逮捕、2010年に懲役20年の実刑判決確定)が組織していた、通称キンググループという詐欺グループの構成員で、池田もこのグループに入った。

近藤剛郎について

近藤剛郎は、1983年12月12日に埼玉県上福岡市(現在のふじみ野市)で生まれた。
上福岡市立第三中学校から早稲田大学本庄高等学院を経て、早稲田大学法学部に入学。2008年9月(事件の約1年前)に大学を除籍処分になっている。(近藤は高校時代、応援部副将で鼓手長を務めていたとの情報もある)

近藤は本事件後、タイに逃亡したことがわかっていて、インターポールにより国際指名手配されている。なお、グループ内では池田の上役にあたるが、年齢は池田より5歳年下である。

経営トラブルから事件に発展

近藤と池田らは、覚せい剤の密輸で利益をあげていた。そして彼らは活動の拠点として、近藤が経営する新宿歌舞伎町の雀荘「もえはうす」を使用していた。

福島空港での覚せい剤密輸入事件

池田は、神奈川県厚木市の無職・NRに覚せい剤密輸を指示。NRは厚木市の無職・GTに仕事を紹介した。
GTは2009年2月17日、シンガポールでビニール袋4袋に分けられた覚せい剤 942.2g(当時末端価格約1億円)入りのスーツケースを受け取り、韓国の仁川空港経由で福島空港に密輸入しようとした。
税関職員が、手荷物検査で覚せい剤を発見してGTを逮捕。福島空港での禁止薬物密輸入を摘発したのは、1993年の開港以来初だった。

  • NRの判決:2009年7月1日、福島地裁で懲役6年、罰金250万円
  • GTの判決:2009年12月8日、福島地裁で懲役8年、罰金300万円
新千歳空港での覚せい剤密輸入事件

池田は、知人のコンサル担当業者・岩井隆弘を通し、岩見沢市の理容師・UNや愛知県刈谷市の探偵・NKに覚せい剤密輸を指示。
UNが手配した札幌市の無職・IKと岩見沢市の派遣社員・TSは2009年6月14日、ベトナム発韓国経由の大韓航空機で覚せい剤約6.7kg(当時末端価格約6億7千万円)を二重底に加工したスーツケース2個に隠して新千歳空港に密輸入しようとした。
押収量は道内の空港や港で過去最大だった。

  • 岩井の判決:2011年9月6日、札幌地裁で懲役15年、罰金700万円
  • UNの判決:2010年7月29日、札幌地裁で懲役13年、罰金700万円
  • NKの判決:2010年11月19日、札幌地裁で懲役13年、罰金700万円
  • IKの判決:2010年9月8日、札幌地裁で懲役9年、罰金300万円
  • TSの判決:2009年12月3日、札幌地裁で懲役7年、罰金100万円

だが、この店舗は本事件の被害者2人水本大輔さん、高倉順一さん)に乗っ取られてしまう。この経営権をめぐるトラブルこそが本事件を起こすきっかけだった。(事件発生は2009年6月18日~19日)

その後、池田は福島空港での覚せい剤密輸事件で2009年7月20日に逮捕されたが、この時、本事件への関与を認める上申書を提出したことが、事件の全容解明の大きな一歩となった。

公判を重ねるうちに態度が変わっていった池田は、「逮捕直後は死んで償えばそれでいいと思っていた。遺族の生の声を聞いたことが、自分の犯した行為を後悔するきっかけとなった」と語った。

一審の死刑判決後に控訴したものの、2011年6月16日付で自らこれを取り下げ、死刑が確定した。現在は、東京拘置所に収監中である。

裁判

覚せい剤密輸事件の審理

本事件の裁判の前に、覚せい剤密輸事件等の審理が行われ、2010年10月14日、密輸事件他で池田容之被告に有罪が言い渡された。
裁判長は「密輸に成功して巨額の利益を得て、将来的にステップアップしたいという思惑から承諾した」と指摘。「(覚せい剤の運び屋ら)素人集団を束ねキーマンとして重要な役割を果たした」と断じた。

2010年11月1日の強殺事件における初公判で、池田容之被告は起訴内容を認めた。

冒頭陳述で検察側は、密輸容疑で逮捕後の自首について「いずれ強盗殺人も発覚してしまうというあきらめの気持ちで、誠実な自首ではない」と指摘。2人の殺害状況については、生きたまま首を電動ノコギリで切った、と残虐さを強調した。
動機については、麻雀店の前経営者の近藤剛郎容疑者が持っていた「覚せい剤密売の利権を手に入れたいためだった」とした。

弁護側は「すべてを正直に話し、事件の真相解明につなげた」と主張。近藤容疑者から「殺害についてもすべて指示、了承を受けた」と従属的立場を強調した。

11月10日、検察側は論告で「生きたまま首を切断するなど殺害方法は冷酷非情。2人殺害の結果は重大で、遺族の処罰感情も激しい」と述べ、事件の悪質性や遺族感情を強調した。
そして「寛大な刑で済まされれば、社会に誤ったメッセージを送ることになる」と、犯罪抑止につながる刑事裁判の役割を強調。裁判員に向けて「このような被告が死刑にならないなら、今後わが国で死刑判決はあるのか」と異例の問いかけで論告を結んだ。

弁護側は最終弁論で、事件の悪質性よりも被告本人の事情を重視すべきと主張。「自首が事件の全容解明に寄与した。池田被告は罪に向き合って反省し、公判で態度が劇的に変わった。被告に人間性が残ると感じ、少しでもためらいを覚えるなら、死刑にしてはいけない」として、死刑回避を求めた。

自ら控訴取り下げ、死刑確定

2010年11月16日の判決公判で、横浜地裁は池田被告に死刑を言い渡した

裁判長は、命乞いを無視し、電動ノコギリや果物ナイフで首を切った殺害状況に関し「極めて猟奇性が高い。想像しうる殺害方法の中で最も残虐で苦痛は想像に絶する。(家族に電話をという)最後の望みを聞き入れなかったことは冷酷この上ない」などと非難した。

本事件は、被害者と近藤容疑者との間の「麻雀店の経営権をめぐるトラブル」が事の始まりだった。
近藤容疑者はトラブル解決のため、池田被告に被害者らの殺害を依頼していたが、裁判長はこれを動機と認定。そのうえで「(殺害で)自己の力を誇示し、覚せい剤の利権を手に入れようと考えた。身勝手で悪質」と指摘。被害感情についても「家族の受けた衝撃や悲しみは甚大」と述べ、「残虐性、悪質さ、計画性、結果の重大性などを考えると極刑を選択するほかはない」と結論付けた。

この事件は、裁判員裁判で2件目の求刑死刑、かつ初めての死刑判決だった。そして、裁判員裁判で初めての死刑確定となった。
裁判長は、いかなる刑にも服すると述べた池田被告に対し、「重大な結論ですから、裁判所としては控訴することを勧めます」と最後につけ加えた。

池田被告は、判決後の接見で控訴しない考えを接見で弁護団に伝えていたが、弁護団は控訴した。しかし、池田被告は2011年6月16日付で東京高裁への控訴を取り下げ、死刑が確定した。

共犯者の裁判

南部宇宙

南部宇宙(たかおき)被告(当時28歳):滋賀県東近江市、無職

水本さんへの強盗致死・死体遺棄・逮捕監禁の罪に問われた南部宇宙被告は、2011年1月27日、横浜地裁で懲役12年が言い渡された。(求刑は懲役15年)

南部被告は、「強盗するつもりはなかった」と強盗致死罪の起訴内容を否認したが、裁判長は退けた。しかし、池田被告と比べると ”はるかに従属的立場である” と情状酌量され、法定刑である死刑または無期懲役から減軽した。

裁判で、裁判員と補充裁判員の9人全員は横浜刑務所での池田被告の証人尋問に参加した。
2011年6月9日、東京高裁で被告側の控訴棄却。

岩井隆弘

岩井隆弘被告(当時29歳):自称コンサルタント業

監禁・恐喝罪などに問われた岩井隆弘被告は、2010年5月27日、横浜地裁で懲役3年が言い渡された。
すでに確定している。(求刑は懲役4年)

岩井被告は、新千歳空港の覚せい剤密輸事件について、2011年9月6日、札幌地裁で懲役15年罰金700万円が言い渡された。(求刑は懲役16年、罰金700万円)

石原隆一

石原隆一被告(当時31歳):東京都港区西麻布、無職

監禁・死体遺棄罪に問われた石原隆一被告は、2010年3月11日、横浜地裁で求刑懲役4年に対し、懲役2年10月が言い渡され、確定した。

大井翔平

大井翔平被告(当時26歳):東京都足立区、自称鉄筋工

死体遺棄罪に問われた大井翔平被告は2010年3月5日、横浜地裁で懲役2年が言い渡された。(求刑は懲役2年6月)
現金200万円を報酬として受け取り、遺体を金沢区沖などに捨てた。すでに確定。

宮原直樹・三田恭志郎・伊吹真吾

  • 宮原直樹被告(当時22歳):滋賀県長浜市、無職
  • 三田恭志郎被告(当時22歳):滋賀県長浜市、無職
  • 伊吹真吾被告(当時21歳):滋賀県虎姫町、会社員

逮捕監禁・死体遺棄罪などに問われた宮原直樹被告、三田恭志郎被告、伊吹真吾被告は、2010年5月17日、横浜地裁で懲役3年(執行猶予5年)が言い渡された。(求刑は懲役3年、すでに確定)

犯行の背景は知らず、従属的かつ追随的であったと認められた。

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