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DDハウス殺人事件|ホームレスの連続殺人鬼

DDハウス殺人事件/加賀山領治日本の凶悪事件
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「DDハウス殺人事件」の概要

2008年2月1日、大阪市北区の商業施設「D・Dハウス」の共用トイレで、飲みに来ていた男性客がナイフで刺されて死亡する事件が発生した。
犯人の加賀山領治(当時58歳)は、男性に犯行道具を見られ、金を脅し取ろうしたが男性は応じなかった。警察に突き出されることを恐れた加賀山は、男性を刺殺して逃げたが、1週間後に自ら出頭。しかし加賀山は以前に起こした殺人事件を自供しなかったことから「自首は無効」とされ、死刑が確定した。
加賀山は最初の事件の頃、ホームレス生活をしており、その仲間と犯行におよんでいた。

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事件データ

犯人加賀山領治(逮捕時58歳)
犯行種別連続殺人事件
犯行日中国人留学生強殺事件:2000年7月29日
DDハウス事件:2008年2月1日
場所大阪府大阪市中央区、大阪市北区
被害者数2人死亡
判決死刑
2013年12月12日執行(享年63歳)
動機強盗目的
キーワードホームレス
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事件の経緯

40代を北陸地方の運送会社で働きながら過ごした加賀山領治(当時50歳)だったが、さらなる安定した仕事を求めて大阪に流れ着いた。

しかし大阪でも定職には就けず、加賀山は大阪城公園でホームレス生活をしていた。そして、元交際相手の女性や母親から借金するようになるが、加賀山はその金で「淡路花博」に行ったり、パチンコに没頭するなどして、すべて使い切るような自堕落な生活だった。

そんな生活態度のため、加賀山は次第に金に困窮するようになる。そんな時、ホームレス仲間(60歳ぐらいの男)から「強盗で金を手に入れよう」と誘われ、これに応じることにした。そしてその男とともにナイフ等を購入、大阪市内を自転車で徘徊してターゲットを探した。

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中国人留学生殺害事件

2000年7月29日午前1時頃、大阪府大阪市中央区上本町西2丁目の路上で、前かごにバッグを入れて自転車で走行中の若い女性に目を留める。
共犯者の男が追跡し始めたのに続いて、加賀山も女性を追跡。加賀山は女性に近付いてナイフを突きつけ、顔を殴って現金6000円や財布の入ったバッグを強奪した。

女性は中国人留学生の韓穎さん(当時24歳)で、喫茶店でのアルバイトを深夜に終え、中国にいる婚約者と携帯電話で話しながら自転車で帰宅中だった。彼女は自宅近くまで帰ってきたところを、突然バッグを奪い取られたのだった。

加賀山は自転車で逃走を図ったが、韓穎さんはそれを追いかけた。この様子を目撃した男性(当時34歳)が、車で加賀山を追跡。自転車に乗った加賀山の進路を妨害するように回り込み、車を自転車に当てて加賀山を転倒させた。

男性は加賀山に殴りかかったが、加賀山はナイフで反撃。腹部をめがけて切りつけようとするも、体勢的に致命傷を与えることはできず、男性は左大腿部に全治10日間の傷を負った。その後、韓穎さんの胸部や腹部をナイフで突き刺して殺害。韓穎さんは失血死だった。

加賀山はその場から逃走し、約100m離れた公園で血の付いたバッグを捨て、現金を抜き取った財布などは公園から約200mの民家わきに捨てた。

被害を負った男性は、犯人の特徴について「50歳前後で、身長約170cmのがっちりした体型」と証言したが、捜査は難航。加賀山が逮捕されることはなく、未解決事件となっていた。

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D・Dハウス殺人事件

うまく逃げおおせた加賀山だったが、事件後はしばらく大阪を離れていた。その後再び大阪に戻って日雇いの仕事をしていたが、やがて仕事がなくなり所持金が底を突く。こうして2003年頃には、大阪市西成区でホームレス生活をするようになった。

この時、ある人の紹介で自立支援センターに入所、54歳にしてハローワーク経由で大阪市此花区リサイクル会社に就職して解体工として働いた。しかし、上司と折り合いが合わず約3年で退職。その後、日雇いの仕事をしたり、知人に借金をしながら公団住宅でひとり暮らしを続けた。

DDハウス殺人事件
事件のあった商業施設「D・D HOUSE」(大阪市北区)

生活費に困窮した加賀山は、再び強盗を企てる。
2008年2月1日午後10時13分、加賀山は犯行場所に決めた大阪市北区の商業ビル「D.Dハウス」に到着した。トイレで犯行道具を点検中、加賀山はドライバーを床に落としてしまう。それとほぼ同時に、ひとりの男性客が入ってきた。

男性は神戸市在住の会社員・森永彰さん(30歳)。加賀山は「金を出せ」と脅したが、森永さんはこれを応じず、ドライバーを見て「泥棒でもするんか」と言って鞄の中を覗き込もうとした。
加賀山は「警察に突き出される」ことを恐れ、とっさにナイフで森永さんの胸を刺して失血死させた。

森永さんは、午後7時頃から1階の飲食店で会社の同僚ら男女10人で飲んでいた。午後9時30分頃に2階のショットバーに場所を移し、10時15分頃、バーの外にあるトイレに行ったところを刺された。

バーからトイレまでは約50m、加賀山がトイレに入ったあと40秒後に森永さんが入り、凶行はその後の1分間に起きている。

被害者の森永さんは、当時プロ野球選手だった久保康友さん(ロッテ所属投手)の義兄だったそうです。

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1週間後に自首

犯行から1週間後の2008年2月8日午前10時、加賀山は警察に自ら出頭し、大阪府警・曽根崎署に殺人容疑で逮捕された。自首した理由について加賀山は「ニュースなどを見て逃げ切れないと思った」と供述。強盗目的であったことを認めたため、大阪地検は同年2月29日に強盗殺人罪で加賀山を大阪地裁に起訴した。

大阪府警は加賀山の余罪を調べたところ、「中国人留学生殺害事件」の現場に残された犯人の血液のDNA型が加賀山と一致したため、3月21日に強盗殺人容疑で再逮捕した。

加賀山はこの事件についても犯行を認め、「当時一緒に路上生活していた60歳ぐらいの男に誘われ、事件を起こした。奪った現金は2人で分けた」と供述。だが共犯者の名前などは不詳のため、特定には至らなかった。

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犯人・加賀山領治の生い立ち

DDハウス殺人事件/加賀山領治
加賀山領治

犯人・加賀山領治は1950年(昭和25年)1月3日、宮崎県で2人兄弟の次男として生まれた。両親は離婚している。中学卒業後は職業訓練校に進み、神奈川県や宮崎県の工務店で大工として働いたり、東京で配達の仕事をして働いていた。

強盗致傷で懲役6年

1970年、当時20歳の加賀山は、強盗2件および強盗未遂1件を連続して起こしている。さらにモデルガンを使った強盗に失敗して逃走中に、追い掛けてきた相手の左胸部をあいくちで1回突き刺し、全治1か月の傷害を負わせて懲役6年の刑に服した。

その後27歳で結婚、2児をもうけたが35歳の時に離婚した。
40代の間は北陸地方(石川県)の運送会社に勤務した。しかし安定した仕事というわけでもなかったので、いい仕事を求めて東京・大阪・神戸などの首都圏を転々するも定職には就けなかった。

2000年(加賀山は50歳)、大阪城公園でホームレス生活をしていた加賀山は、元交際相手の女性や母親に金の無心をくり返すも、パチンコや遊びに使い切るような生活だった。

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2件の殺人事件で死刑に

生活に困窮した加賀山は同年7月、ホームレス仲間と共謀して大阪市中央区の路上で中国人留学生殺害事件を起こす。この事件で中国人留学生の女性を殺害、偶然通りがかって追跡してきた男性にも負傷させた。

事件後、うまく逃げおおせた加賀山は、日雇いの仕事で暮らしていた。やがて仕事がなくなり、所持金も底を突く。その頃、相談に乗ってくれた人から自立支援センターを紹介され、54歳にしてハローワーク経由でリサイクル会社に就職、解体工として働いた。しかし、上司と折り合いが合わず約3年で退職。その後、日雇いの仕事をしたり、知人に借金をしながら生活を続けた。

2008年2月(当時58歳)、所持金がなくなった加賀山は、強盗目的で入った大阪市北区の複合商業施設「D・Dハウス」で再び強盗殺人事件(DDハウス殺人事件)を起こす。

1週間後、加賀山は自ら警察に出頭し、逮捕・起訴される。そして2012年7月24日、裁判で死刑が確定。その1年5か月後(2013年12月12日)、収監先の大阪拘置所にて死刑が執行された。(63歳没)

この日は「山梨・新潟連続殺人事件」の藤島光雄死刑囚(東京拘置所)も同時に死刑執行された。

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死刑囚アンケートの加賀山の回答

参議院議員・福島瑞穂が2012年9月~11月にかけて確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し、大阪拘置所に収監されていた加賀山領治死刑囚は、以下のように回答している。

どちらにしても、拘置所の中で人生を終えるわけだし、そのなかで死刑で命を落とすのは、人間として生まれて一番最悪の死であると思う。それより終身刑で現世にいて、自己の天寿をまっとうした方が、人間らしい死に方と思う

いきなり死刑執行というのは人道上問題があるので事前通知して希望する家族、友人、知人、弁護士などの面会などを執行前に実施するのが心情の安定につながる

日本も早く死刑制度を廃止してEUに加盟し、国際社会の仲間入りを果たしてほしい

裁判員制度で国民を巻き込んで、国民に次々と死刑判決を出させているという事実を見ると、日本の未来は無いと思う

裁判員に選ばれた人たちは、被告がなぜ事件を起こしたか、被告の生い立ちや、事件に至るまでの色々な経緯など細部にわたって、分析して裁判に取り組んでほしい

人生は何回でもやり直せるとかいうのは嘘で人生は何事でも一発勝負だという事に今更気づいた。これからの人生はオマケの人生として生きていこうと思う

裁判

2008年11月20日、第一審初公判が大阪地裁で開かれた。

加賀山領治被告は、被害者2人への殺意を否認した。

検察側は冒頭陳述で、「1999年に会社を退職後、借金しながら遊び暮らしていた加賀山被告が知人と強盗計画を立てた。そして被害者女性からバッグを奪った際に胸と腹を2回刺し、傷口も17cmと深いことから殺意は明確」と指摘した。

一方弁護側は、「殺そうとは思っていなかった。取り押さえられそうになり夢中で刺した」として強盗致死罪を主張、DDハウス事件後に出頭したことについて「自首が認められる」として無期懲役を求めて結審した。

12月26日の論告求刑で、検察側は殺意があったと主張。「犯行は冷酷、執拗で残虐非道。鬼畜と化した者のなせる沙汰。一片の人間性のかけらも見いだすことができない。反省の態度が認められず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。

最終弁論で弁護側は「殺意はなかった」として強盗致死罪にあたると主張。自ら警察に出頭しており、自首を認めて懲役刑にするよう求めた。
加賀山被告は最終意見陳述で「今さら遅いかもしれないが、申し訳ないことをした」と謝罪した。

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一審判決は死刑

2009年2月27日に判決公判が開かれ、大阪地裁は加賀山被告に求刑通り死刑を言い渡した。
裁判長は、ナイフを用意した上で被害者らを複数回刺し、傷が深いことについて「計画的で殺意を持って犯行に及んだ」と殺意を認定

弁護側が主張していた自首の成立については、重い刑を回避しようと当初強盗目的であったことを隠し、虚偽の事実を述べていたことに言及し「犯罪事実を申告したとは評価できないため認められない」と主張を退けた。

その上で「留学生殺害事件から約7年半後に男性を殺害しており、真摯に反省して再犯防止に努めると期待するのは困難。加賀山被告は法廷で不合理な弁解に終始しており、真に反省しているとは認められず、死刑回避を相当とするような酌量すべき事情は見当たらない。2人の若者の尊い命を奪った結果は重大。遺族らの処罰感情もしゅん烈。殺意も認められ、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。

加賀山被告側は、判決を不服として大阪高裁に控訴した。

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控訴審

弁護側は一審に続き控訴審でも殺意を否認、「事件当時は正当な判断能力を欠いていた」と心神耗弱状態にあったと主張した。DDハウス事件の1週間後に出頭した点に触れ、「殺人を申告したことで捜査を容易にした」として無期懲役への減軽を求めた。

2009年11月11日、裁判長は判決で「相当の力を込めて何度も突き刺しており、いずれの事件にも未必の殺意が認められる。金品を奪取するなど完全に責任能力はあった」と弁護側の主張を退けた。

そして「危険かつ残忍な犯行で、若い2人の無念は察するに余りある。性懲りもなく凶悪犯罪をくり返し、金銭のために人の命を顧みない危険な犯罪性向は根深く、更生の可能性は乏しい」と述べ、被告側の控訴を棄却した。

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最高裁で死刑確定

2012年6月19日の最高裁弁論で、弁護側はいずれの事件も殺意を否認。「仮に殺意があったとしても未必の故意にとどまり、実質は限りなく傷害致死罪に近い。自首も成立する。最も重くても無期懲役が相当」と訴えた。

検察側は「殺意は明らかで、結果の重大性を考えれば死刑が重すぎるとは言えない」として上告棄却を求めた。

2012年7月24日、判決で裁判長は被告側の上告を棄却、加賀山被告の死刑が確定した。
判決理由で裁判長は「あらかじめ凶器を準備して金品を奪えそうな相手を物色するなど、強盗については計画性が認められる。殺害態様については残虐かつ冷酷。何ら落ち度のない2人の生命を奪い、1人に傷害を負わせた結果は誠に重大。1件目の犯行後に再び金銭に窮して強盗を決意しており、経緯や動機に酌量すべき事情は認められない」と述べ、死刑判決はやむを得ないと結論づけた。

加賀山は死刑囚として大阪拘置所に収監されたが、2013年12月12日に死刑執行となった。(63歳没)
死刑確定から1年5か月後の執行は、平均からしてもかなり短い期間である。

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