碧南市夫婦強殺事件|あの「闇サイト事件」の堀が死刑確定

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碧南市夫婦強殺事件/堀慶末日本の凶悪事件

「碧南市夫婦強殺事件」の概要

あの悪名高い「闇サイト殺人事件」で無期懲役となり、刑に服していた堀慶末。あまりの残虐さに「無期懲役でも足りない」という声の多かった堀が、極刑に処されることになった。
闇サイト事件の9年前、堀は仕事仲間2人を引き入れ、愛知県碧南市のパチンコ店長宅を襲い、店長とその妻を殺害した強盗殺人事件を起こしていた。迷宮入りかと思われた事件だったが、DNA鑑定技術の進歩により2012年8月3日、堀ら3人は逮捕となる。
裁判で、主導的立場の堀には死刑、共犯者2人には無期懲役が下った。

 

事件データ

主犯堀慶末(当時23歳)判決:死刑
名古屋拘置所に収監中
(名前読み:ほり よしとも)
共犯1佐藤浩(当時22歳)判決:無期懲役
共犯2葉山輝雄(当時29歳)判決:無期懲役
犯行種別強盗殺人事件
犯行日1998年6月28日
犯行場所愛知県碧南市
殺害者数夫婦2人死亡
動機金銭強取
キーワード闇サイト殺人事件

「碧南市夫婦強殺事件」の経緯

1998年5月頃、名古屋市守山区の堀慶末(当時23歳)は、次兄の経営する会社名義で購入した車のローン代金を滞納していた。このことで激怒した次兄から「6月末までに残金の百数十万円を全額支払う」ことを求められる。消費者金融からの借金もあった堀は追い詰められ、「犯罪で金を得る」ことを考えるようになった。

堀は、閉店後のパチンコ店から現金を強奪することを考えたが、下見したところ「ひとりで実行するのは難しい」と感じた。そこで、会社の同僚である守山区の佐藤浩(当時22歳)を誘い入れることを思いつく。犯罪歴があり覚醒剤を使っている佐藤なら、誘いに乗って来るだろうし、もし断られても口外しないと考えたのだ。

堀と佐藤はパチンコ店をいくつか回り、馬氷一男さん(当時45歳)が店長を務める尾張旭市のパチンコ店に目をつけた。2人はビニール紐や軍手などを準備して強盗の機会をうかがったが、閉店後も複数の従業員が店内に残っており、実行には至らなかった。

その後、堀は2人の仕事仲間の守山区の建築作業員・葉山輝雄(当時29歳)も仲間に引き入れ、3人で下見をくり返した。そして同店が月曜日が定休日であることや、その前日である日曜日の営業を終えると店長の馬氷さんは帰宅することを把握。店に侵入するより、店長を脅して店の鍵や金庫などを奪ったほうが早いと考え至った。

3人は馬氷さんの帰宅を尾行し、自宅を突き止めた。馬氷さん宅は、当時の国内では珍しかった逆輸入車(レクサス)に乗っていたり、水上バイクを所有するなど、地域でも裕福な家庭だということがわかった。(※レクサスの日本上陸は2005年)
さらに3人は、馬氷さん宅にアンケートを装った電話をかけ、家族構成などを調べている。

馬氷さん夫婦を殺害

馬氷さん夫婦

当初の計画では、馬氷さんの知り合いを名乗り「暴力団に追われているので、匿ってほしい」と言って家に上がり、馬氷さんを待ち伏せする予定だった。

1998年6月28日午後4時30分頃、3人は馬氷さん宅を訪問。堀がインターホンを鳴らしたが、応答がなかったため、3人は無施錠の玄関から侵入。堀が2階に上がると、寝室には妻の里美さん(36歳)がいた。堀に気付いた里美さんは小さな悲鳴を上げたが、堀は里美さんの口を塞ぎ、「騒がないでくれ。旦那(馬氷さん) の知り合いだ。暴力団から追われているので、匿ってほしい」と言った。

里美さんは、堀たちの説明を信じたわけではなく、子どもたちを守るために話を合わせ、言われるがまま酒や夕食を提供していたとみられている。
3人に対し「ヤクザに追われているのなら、旦那に相談するより、交番に相談した方が良いのではないか?」「自分の親戚に警察官がいるから、連絡してあげても良い」と勧めていた。

家にいたのは里美さんと長男(当時8歳)、次男(当時6歳)の2人の子どもだった。堀ら3人はこうして家に上がり込み、里美さんの動きを監視しながらも、酒やつまみ・夕食を出させた。3人は家にいる間、軍手を嵌めたままだったという。

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その後、午後8時以降に、堀が車を移動させるために外出。1時間ほどして戻ると、2人は里美さんを絞殺していた。3人は家を物色して現金6万円を奪い、馬氷さんの帰宅を待った。

日付が変わって午前1時頃に夫の馬氷さんが帰宅し、妻の遺体を発見する。すぐに2階の子どもの安全を確認し、110番しようと1階に下りたところを、洗面所に隠れていた堀らに襲われ絞殺された。3人は、店の鍵束や馬氷さんが身につけていたブレスレット、和室にあった金庫を奪った。
子ども2人は怪我もなく、無事だった。

堀ら3人は夫婦の遺体を馬氷さんのレクサスに乗せ、愛知県高浜市湯山町4丁目の県営住宅敷地内に車ごと放置した。その後、葉山の車で尾張旭市のパチンコ店に行き、通用口から侵入しようとした。だが通用口には鍵のほかに防犯装置が設置されており、堀ら3人は解除方法がわからず、侵入を断念せざるを得なかった。

また、馬氷さん宅から持ち去った金庫をこじ開けると、中から出てきたのは銀行の通帳1冊だけで、金を下すこともできなかった。
結局2人も殺しておいて、得られたのは現金6万円とブレスレットだけだった。

夫婦の遺体を発見

事件直後、馬氷さん夫婦の2人の子どもが名古屋市内の親類に「両親がいなくなった」と連絡。これを受けた親類が碧南警察署に家出人捜索願を出したが、「夫婦に家出する動機はなく、事件に巻き込まれた可能性がある」として捜査を開始した。

7月4日、堀ら3人が放置したレクサスが発見される。そしてトランク内から馬氷さん夫婦の遺体がみつかった
愛知県警捜査一課および碧南署は殺人事件と断定し、特別捜査本部を設置。県警は当時、「顔見知りによる犯行の疑いが強い」として、交友関係などを中心に捜査するも進展はなかった。

そして事件は迷宮入りしてしまう。

碧南事件後、小学生の2人の息子は母方のおばに引き取られ、愛知県から関東地方に引っ越した。しかし2011年、未成年後見人だったおばが、兄弟に残された遺産数千万円を使い込んでいたことが発覚した。

余罪1:守山事件

ある時、堀は過去(2004年)に自身が外壁工事を手掛けた家に、強盗に入ることを思いつく。この家は名古屋市守山区脇田町の高齢女性(当時69歳)の一人住まいで、「金銭的に余裕がありそう」と考えたのだ。

2006年7月20日午後12時20分頃、堀慶末(当時31歳)と佐藤浩はターゲットの家を訪れた。女性には工事した建築会社の名前で安心させ、定期点検を装って玄関から侵入した。
堀はウッドデッキに出たり、浴室に入ったりして点検のふりをした後、女性を脅迫。顔や首にガムテープを巻き付け、佐藤に見張りをさせて部屋を物色して金庫を見つけた。

その後、女性の首を細い紐状の物で絞めて意識を失わせ、入院加療56日間の怪我を負わせた。そのうえで、金庫や貴金属・現金などを車に積み込んで逃走した。(時価合計約38万円相当)

事件後、気絶していた女性は午後2時頃に隣人に助けを求め、隣人が110番通報している。

守山警察署は当時、本事件を強盗致傷事件として捜査していたが、のちに堀については殺意があったとして強盗殺人未遂罪に切り替えられた。

しかし堀は殺意を否定し、「佐藤が単独で被害者の首を絞め、自分が制止したらようやくやめた。被害者の供述調書(特に事件直後のもの)は、自分の主張とほぼ一致している」と主張した。

余罪2:闇サイト殺人事件

2007年8月24日、堀はインターネットの闇サイトで知り合った神田司(当時36歳)と川岸健治(当時40歳)と3人で「闇サイト殺人事件」を起こす。

3人は金銭を奪う目的で、名古屋市千種区春里町において面識のないOL女性を車で拉致・監禁したうえで殺害した。OLは無理やり銀行のキャッシュカードの暗証番号を言わされていたが、この番号は虚偽の番号「2960(にくむわ)」だった。そのため、3人は金を下ろすことができなかった。

翌日、もう一度別の女性を襲う約束をして3人はいったん別れたが、その直後に川岸が自首してしまう。何も知らない堀と神田は、待ち合わせ場所に向かおうとしたところを、警察に逮捕された。

この事件の裁判では、神田に死刑、堀と川岸に無期懲役が確定している。

 

DNA鑑定で3人は逮捕

碧南市夫婦強殺事件

事件発生から約13年が経った2011年4月、愛知県警は捜査一課に未解決の重要事件を専門に捜査する「特命捜査係」を設置。この特命捜査係は、発足直後から碧南事件に着目していた。

事件当時は指紋などの証拠による捜査が主流で、それを警戒した堀たち3人も使用した食器やタバコの吸い殻は持ち帰っていた。しかし、食べた枝豆の皮などは放置されていて、県警は将来のDNA型鑑定の可能性を見据えてこれらを冷凍保存していた。

これらの検体に残っていた唾液からDNA型を検出。最新技術による再鑑定を実施したところ、堀慶末のDNA型と酷似したDNA型の唾液が検出された。そして当時の堀の交友関係を調べたところ、堀の仕事仲間だった佐藤浩の存在を割り出した。

検体からは佐藤のDNA型と酷似するDNA型も検出され、佐藤の供述により葉山輝雄の存在も浮上した。

佐藤浩はこの時、別事件により服役中だった。また、葉山輝雄のDNA型は現場には残されていなかった。

このため、愛知県警の特別捜査本部は2012年8月3日、堀慶末(当時37歳)・佐藤浩(当時36歳)・葉山輝雄(当時43歳)の3人を、強盗殺人事件の容疑で逮捕。24日には名古屋地方裁判所へ起訴した。

堀は逮捕時、闇サイト殺人事件無期懲役が確定して服役中だった。

堀慶末の生い立ち

堀慶末

堀慶末は1975年4月29日、岐阜県で在日朝鮮人(2世)の父親と、日本人の母親との間の第5子(五男)として生まれた。(当時の名前は金 慶末
生後6か月のころ、堀は「紫斑病」と診断され、数か月間にわたり入院、退院後も5、 6歳のころまで通院した。

父親は大型ダンプカーを数台所有し、陶器の原料となる玉石を港から運搬する仕事をしていた。堀の幼児期、父親の浮気により激しい夫婦喧嘩が始まり、父親は次第に暴力を振るうようになる。

その後、家族は愛知県名古屋市の父親の実家へ引っ越す。しかし父親は浮気をやめず、1982年4月、堀が小学校に入学する直前には浮気相手と同棲し、やがて離婚に至っている。

1984年8月22日付で、小学3年生だった堀(当時9歳)は、兄3人とともに日本国へ帰化し、日本国籍を取得した。

小学4年生に進級した頃、多額の借金を抱えていた父親は、仕事道具の大型ダンプや家族が住む実家を売却。そして幼馴染で親交のあった暴力団組長と杯を交わして組員となり、やがて自分の組を持つようになった。
このため堀は、小学4年の夏休みに母親や四兄(7歳年上)とともに、名古屋市内の県営住宅に引っ越す。転校先の学校に慣れると、堀はサッカーに打ち込むようになった。

中学校時代

中学校にはサッカー部はなかったので、彼は母親に「サッカー部のある中学校に転校させてほしい」と強く懇願したが、引っ越す余裕がないため断念。堀は中学校に新設された硬式テニス部に入部した。
さらに母親から勧められ、サッカーのクラブチームに入部したが、やがてテニス部に打ち込むようになり、中学1年の夏休みにはサッカーの練習に参加しなくなっている。

このころ、新しいテニスラケット欲しさに兄たちの会社で外壁工事のアルバイトを始める。しかし、それによって体を壊し、2学期初めごろには「面倒くさくなった」と部活に参加しなくなった。

同じ頃、近所の中学の先輩から変形ズボンをもらったが、2年生の頃に数学の教諭に着用を咎められ、生活指導室で激しい体罰を受けた。それ以降、堀は非行に走るようになり、他校の不良生徒への暴力沙汰を起こし、担任教諭から「もう学校に来るな」とまで言われ不登校になる。

それからしばらく経った夏休み、兄から「ぶらぶらして遊んでいるなら、仕事を手伝え」と言われ、再び兄の外壁工事を手伝うようになった。だが重い物を持つなどして腰に負担を掛けたことが、後に慢性的な腰痛を患う原因となる。
また、このころ独立した次兄の下で、鹿児島県出身の葉山輝雄(碧南事件の共犯者)と出会った。

中学3年の時、2年の時の担任教諭から「そろそろ学校に出てこないか」と言われ、9月から登校し始める。一方、兄たちの下でアルバイトをしたことで金を稼ぐようになると、金遣いが荒くなり、中学生にもかかわらず財布に現金30万円近くを入れていたこともあったという。

結婚・独立

中学校卒業後の1991年、堀は定時制の高校に通うようになったが、学校生活が楽しめなかったことから、1学期途中に退学。ちょうどそのころ、四兄が独立して仕事を始めるようになったため、彼の下で働くようになった。

16、17歳頃には常連だった地元スナックの3歳年上のホステス・A子と交際するようになる。
1993年、A子が妊娠したため堀は母の反対を押し切って結婚。出産予定日は彼が18歳になる直前だったが、A子は妊娠中毒で体調が悪化し、予定より数か月早く帝王切開で長男を出産した。

だが同年の忘年会で、慶末はコンパニオンとして訪れた3歳年上の女性B子と意気投合、不倫関係になる。

堀は17歳の頃、葉山とともに、兄3人(長兄以外)が資金を出し合って設立した有限会社の社員になった。ところが、しばらくして四兄との関係が悪化、「会社を辞める」と言い出す。ちょうどこのころ、独立を志していた次兄から「自分の仕事を手伝ってくれ」と申し出を受け、それを受け入れた。

翌1994年、堀(当時19歳)は「ヨシトモハウス」という屋号で兄たちの会社から独立、義弟(妻A子の弟)とともに兄たちの会社の下請けとして働くようになった。そうなると自分専用の車が必要になり、兄たちの会社の名義で約130万円のローンを組んでワンボックス車を購入。(堀は無免許だった)

1995年(堀は20歳)、第2子を妊娠したが、このころ自宅近くのスナックに入り浸っていた堀は、10歳年上のホステス・C子と交際するようになった。
同時期、次兄から群馬県出身の佐藤浩(碧南事件・守山事件の共犯者)に仕事を教えるよう頼まれた。

堀は次男が出まれた当初こそ、妻に毎月生活費を渡し、残った工賃を飲み代やC子との交際費に充てていた。やがてC子との関係が深まると、腰痛の悪化を理由に義弟に仕事を押し付けて外泊するようになる。1996年~1997年頃には、憤慨した妻によって家を追い出された。

妻のA子は「家から追い出せば、そのうち頭を冷やして戻ってくるだろう」と考えていたが、これで自暴自棄になった堀は兄たちの会社で寝泊まりするようになり、仕事もあまりしなくなった。やがてクレジットカードのキャッシングや消費者金融で借金をするようになり、C子の家で寝泊まりするようになる。金遣いの荒さは相変わらずで、最終的には遊ぶ金欲しさにC子の財布から現金を盗むようになった。

碧南事件(本記事)を起こす

1998年5月頃、堀は次兄に払う車のローン代金を滞納、激怒した次兄から「6月末までに残金の百数十万円を全額払え」と求められる。消費者金融にも多額の借金があり、追い詰められた堀は、犯罪で金を得ることを考えるようになった。

堀は仕事仲間の佐藤に声をかけ、さらに葉山を誘い入れ、3人で強盗を企てる。そして1998年6月28日、本事件(碧南市夫婦殺害事件)を起こし、馬氷夫婦を殺害した。

事件後、堀(当時23歳)は捜査の手がおよぶことに怯えながら生活していた。このころ、堀の素行の悪さに耐えかねたA子(当時26歳)から離婚を切り出される。彼は「いつ逮捕されるかわからないから、離婚しておいた方が良い」と考え、1998年7月に離婚届を提出した。

その後の堀は仕事をせず、C子のヒモ同然の怠惰な生活をしていた。一時は知人のもとで外壁工事をしたものの長続きせず、やがて佐藤と自動販売機荒らしをするようになる。

また、C子の貯金に手をつけたことが露見し、激怒した彼女により家を追い出された。そのため、堀は実家に戻り四兄の外壁工事を手伝うようになった。

再びB子と交際

C子から家を追い出された後、堀は以前交際していた3歳年上の女性・B子(28歳)に連絡を取り、名古屋の中心部にある彼女の家に通うようになった。やがて彼女と亡父の内妻、その母親とともに4人で生活するようになった。

当時、堀は四兄の下で働きながら生活していたが、B子の実家周辺のパチンコ店に入り浸るようになり、腰痛も相まって仕事の量も減るようになった。そのため、四兄から給料を前借りしたり、B子の貯金に手を付けたりするようになった。

2004年夏、堀(当時29歳)はB子(当時32歳)とともにB子の実家を出て、名古屋市中心部にあるマンションで2人で暮らすようになった。このころから堀はパチンコなどのギャンブルをしなくなったが、B子の行きつけの飲み屋の店主がダーツバーを初めたことをきっかけに、ダーツに熱中し、ダーツのプロを目指すようになる。
しかし、約1年ほどで再びパチンコ店に出入りするようになり、2006年6月頃には兄との確執や腰痛の悪化で仕事をしなくなった。

7月7日、中学校の同級生女性・D子と再会、やがて交際するようになる。

守山事件を起こす

堀は過去(2004年頃)に自身が外装工事を手掛けた名古屋市守山区脇田町の住宅について「高齢女性(当時69歳)のひとり暮らしで、金銭的に余裕がありそう」と考え、佐藤浩を誘い強盗を企てる。
そして2006年7月20日、堀(当時31歳)と佐藤は計画を実行する。(守山事件)

この事件後、堀は被害者宅から奪ったブランド物の財布や貴金属などを質入れして換金、残ったネックレス1個をD子にプレゼントした。

その後もパチンコ店やダーツバーに通う生活を続けていたが、D子への不満が積み重なったことから、10月11日にはD子が長男(当時7歳)のための預金(約67万円)に手を付け、19日には長女(当時5歳)の預金(約39万円)にも手を付けた。

堀はそれらの金(約110万円)をギャンブルやB子との生活費としていたが、2007年1月にそれがD子にバレて、返済のため大工見習いとして働こうとした。しかし、最終的には堀自身が仕事を断り、さらに同年2月20日には偶然D子のキャッシュカードの暗証番号を知ったことから、同日から27日にかけて計170万円を引き出した。そして3月2日にはこれが露見し、D子から「毎月10万円づつ返済する」と約束を取り付けられた上で家を追い出された。

中日新聞」(2012年) によれば、堀はこのころ「同居女性(D子)から440万円の借金を背負い、同居を解消した」とされている。

「闇サイト殺人事件」で無期懲役

堀は何か悪いことで金を稼ごうと考え、インターネットの闇サイトで神田司川岸健治と知り合う。そして2007年8月24日、3人は面識のないOLを拉致・監禁したあげく殺害した闇サイト殺人事件を起こした。この事件では、金を得るのに失敗したうえに、川岸が自首したために逮捕となる。

裁判で、堀は死刑は免れたものの、無期懲役が確定して刑に服していた。(神田司は死刑、川岸健治は無期懲役)この時点では、本事件(碧南市夫婦殺害事件)は迷宮入りしていて、堀に容疑はかけられていなかった。

だがその後、DNA型鑑定の技術が進んだことにより、本事件の証拠品から堀のDNA型が検出される。
そして2012年8月3日、堀慶末佐藤浩葉山輝雄の3人は逮捕されることとなった。

裁判で堀には死刑、佐藤と葉山に無期懲役が確定している。
現在、堀は名古屋拘置所にて収監され、死刑の執行を待つ身である。

裁判

2015年10月29日の初公判で、堀慶末被告は夫(馬氷一男さん)の殺害は認めたが、「殺意はなかった」とし、妻(馬氷里美さん)の殺害については「一切関与していない。共犯者との間で共謀もしていない」と否認した。

弁護側は、夫殺害については「パチンコ店の情報を聞き出すのが目的で殺意はなかった。堀被告が顔にバスタオルをかぶせたところ激しく抵抗され、その後、共犯者がタオルの片方を強く引いたため、死亡した」と述べ、強盗致死罪にとどまると主張。
妻については「殺害を佐藤被告に頼む機会はなかった」と共謀を否定した。

4日の公判で、事件当時8歳だった馬氷夫婦の長男(25歳)が検察側証人として出廷、以下の証言をした。

  • 大柄な体格の1人(葉山)がピンク色のゴム手袋をしていた
  • その男とテレビを見たり、食事をした
  • 2階で寝ていたら、帰宅した父が起こしに来て「110番」という話が出た
  • 父が1階に降りると3人組に襲われ、馬乗りにされているのを目撃した
  • 母が和室で倒れているのを目撃した

馬氷さんが3人に襲われた様子について「男3人が後ろから押し倒して、お父さんは壁で頭を打った。1人が乗りかかり、2人は手を持っていた。お父さんは『この野郎』と叫んでバタバタしていた」「死んじゃうと思って怖かった。上に乗っていた男が『寝ていいよ』と言うので2階へ戻った。朝起きると誰もいなかった」と説明した。

佐藤浩被告の証言

5日の公判では共犯者の佐藤浩被告の証人尋問が行われ、事件の約1カ月前に堀被告から「強盗をやるから手伝って」と誘われたと述べた。

妻殺害については「堀被告に『車を取りに行く間に、奥さんを殺しておいてくれ』と頼まれた」と証言。そして、佐藤被告は「葉山被告に殺害を手伝ってくれるように頼んだ」と説明した。

殺害方法については、「和室の入り口で待ちかまえ、後ろから首にロープを巻き付け、片方を葉山被告に渡して引っ張りあった」と述べた。妻は「子供は殺さないで」と懇願したという。

これに対し、堀被告は9日の被告人質問で、「いったん外出して馬氷宅に戻ったら、妻が死んでいて驚いた」と説明。「佐藤被告から『妻の様子が変わったから殺した』と言われた」と話した。

また、堀被告は「事件当時200万~300万円ほどあった借金返済のため、強盗を思いついた」と証言。夫の殺害については、「殺害すると、パチンコ店の金庫の開け方などが聞き出せなくなる」と述べ、殺意はなかったと主張した。

守山事件の審理

11日の公判から守山事件の審理が行われた。

堀慶末被告は強盗目的で家に侵入したことは認めたが「佐藤被告が女性の首を絞めたので止めた」などとして一部無罪を主張した。

検察側は冒頭陳述で、「堀被告は当時無職で金に困っており、強盗を共犯者に持ちかけた」と指摘。「事件の発覚を防ごうと、殺害する目的で女性の首をロープ様のもので絞めて重傷を負わせた」と主張した。

一方、弁護側は「首を絞めたのは共犯者で、堀被告は共犯者を止めた。強盗を持ちかけたのも共犯者」と述べ、強盗致傷罪にとどまると主張した。

19日の公判で検察側は「妻殺害を依頼されたという共犯者の供述は信用できる」と指摘。夫ともみ合い、窒息死させたとの堀被告の説明は「殺意がなかったと言いたいための責任逃れ」と断じた。そして検察側は「計画から夫婦殺害まで堀被告が主導した」と指摘した。

12月3日の被告人質問で、検察側が「事件後も自販機荒らしをしたり、高齢女性宅に強盗(守山事件)に入ったりしている。もう犯罪はやめようと考えなかったのか」と質問、堀被告は「共犯者の誘いを断り切れなかった」と答えた。

求刑は死刑

12月4日、論告で検察側は「平穏な日曜の昼間に民家に侵入し、金品を奪う目的だけで、2人の子どもと平穏に暮らしていた関係のない夫婦の命を次々と奪った」と指摘。
堀被告は妻殺害時、車を取りに夫婦宅を離れていたが「堀被告は事件の首謀者であり、妻殺害の役割を共犯に担わせただけ」とし、共謀が成立すると主張した。

”殺意の有無を争っている” 夫殺害についても「妻殺害はいずれ発覚し、夫だけ生かすわけにはいかないと考えた。殺害を計画したに等しい」と述べ、「確実に殺害する手段を取っており、強い殺意があった。安易に金品を得ようとした身勝手な犯行の首謀者で、結果は重大。自ら犯した罪に真摯に向き合っておらず更生の可能性は乏しい」と指摘し、「極刑は免れ得ない」と断じた。

論告に先立つ遺族の意見陳述で、馬氷夫婦の長男は「堀被告は言い訳をして逃げている。被告が死刑になることを強く強く願っている」と訴えた。
また、「俺のお父さんとお母さんに、心からの謝罪を強く願う」とする次男(24歳)の陳述を遺族側の弁護士が代読した。

堀被告は最終陳述で「前途ある人々の人生を壊してしまった。残された時間を贖罪のために使いたい」と話し、検察官の隣に座っていた遺族に対し「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。

第一審判決は死刑

判決で裁判長は、死刑を言い渡した。
妻殺害について「強盗を主導した堀被告の知らないうちに、共犯が殺害するとは考えにくい。夫婦宅を出るまでの間に、共犯と話し合うなどしていた」と共謀の成立を認定。殺意の有無を争っていた夫殺害についても「絞殺するには3分以上も首を強く絞め続ける必要があり、殺意があった」と判断した。

その上で「子どもらを案じながら、苦しみのうちに突然人生を絶たれた2人の恐怖や絶望、無念の思いは察するに余りある」と指摘。殺害の計画性がないことは認めたうえで「強盗遂行のため、冷徹な殺害行為をくり返した。2人の生命を奪った結果は、極めて重大。不合理な弁解で反省は深まっておらず、人命軽視の態度が甚だしく、死刑の選択をためらわせる事情はない」と断じた。

上訴審(控訴・上告)

裁判は最高裁まで争われたが、新たな証拠や主張はなかった。
弁護側は「夫殺害について殺意はなく、妻殺害には関与していない」との主張で死刑回避を訴えた。
検察側は控訴・上告ともに棄却を求めた。

2016年9月1日の控訴審公判で堀被告は、「遺族に手紙や拘置所で得た作業報奨金を渡す意向」を示した一方、「自分がどうやって償っていくのか、誠意を伝え続けていきたい。手紙を書き続けたい気持ちはあるが、刑務作業もあり、思うように時間がとれていない」と語った。

2016年11月8日、名古屋高裁は死刑判決を支持。裁判長は一審同様に「夫への殺意」と「妻殺害への共謀」を認定し、「強盗の計画・遂行に主導的な立場で、堀被告の関与なくしてこのような結果は生じ得なかった」と指摘した。

その後の上告審でも2019年7月19日、最高裁は上告を棄却、堀被告の死刑が確定した。
検察側は「妻の死亡を知っても共犯者をとがめることなく物色に及んだ」と上告を棄却するよう求めていた。裁判長は、「犯行に主体的、積極的に関与し、強盗を遂行するために殺害行為に及んだ」と指弾、「何ら落ち度のない2人の命が奪われた結果は、誠に重大だ。金銭目的の犯行を繰り返した、堀被告の人命軽視の態度は顕著」と述べた。

堀慶末は現在、死刑囚として名古屋拘置所に収監されている。

佐藤浩の審理(碧南事件・守山事件)

佐藤浩被告の公判は、2016年1月7日から始まった。

弁護側は、碧南事件について「夫婦宅の金を奪うことは計画しておらず、『堀にバカにされたくない』と虚勢を張って里美さんを殺害した」と強盗目的を否定したほか、「馬氷さん殺害には関与していない」と主張した。

守山事件については「碧南事件の取り調べ初日に犯行を申告しており、自首が成立する」と主張。「高齢女性の首を絞めたのは堀被告で、佐藤被告は『代わってくれ』と頼まれ、首を絞めるふりをしただけ。殺意および殺害の共謀はなかった」と主張した。

一方、検察側は「佐藤被告の刑事責任は、堀被告とわずかな差しかない」として、死刑を求刑した。

しかし2016年2月5日の判決で、名古屋地裁は佐藤被告に無期懲役を宣告した。
裁判長は妻殺害について「強盗の意図があり、強盗殺人罪が成立する」、夫殺害についても「堀被告が首を絞めた際、夫の身体を押さえたと認められる」とそれぞれ認定した。

守山事件については、被害女性の供述を引用して「(目の手術をしたばかりの)被害者の求めに応じて目のガムテープを外したり、『ごめん』と謝ったりするなど、殺害と結びつきにくい行動も取っていた」と指摘。「佐藤被告は、首を絞めるふりをしただけ」と認め、「堀被告との共謀は、強盗の犯意にとどまる」と認定した。

量刑の理由については「夫婦への殺害行為は、堀被告が主導的立場。佐藤被告も重要な役割を果たしたが、殺害の計画性は認められず、関与は従属的である」と説明。

守山事件では「被害女性への殺意がなかったこと、同事件で自首し、事件の解明に寄与した点を考慮すれば、死刑が相当とまでは認められない」と結論づけた。

検察側は控訴を断念、弁護側も期限までに控訴せず、2016年2月19日に無期懲役が確定した。

葉山輝雄の審理(碧南事件のみ)

葉山輝雄被告の公判は、2016年2月16日から開かれた。
弁護側は「葉山被告は、里美さん殺害の現場にはおらず、馬氷さん殺害にも関与していない」と無罪を主張。葉山被告は被害者に対し「申し訳なく思う」と発言した一方、事件に関する質問については黙秘した。

検察側は「共犯2人(堀、佐藤)に比べ、関与の度合いが相対的に低い。軽度の知的障害が意思決定に影響している可能性もあるが、2人の命を奪った結果は非常に重い」として、葉山被告に無期懲役を求刑した。

一方、弁護側は最終弁論で、「葉山被告は軽度の知的障害があり、計画への関与も従属的。妻殺害には関与していない。仮に関与していたとしても、佐藤被告の指示に従っただけ。夫殺害もただ見ていただけだ」として無罪を主張した。

2016年3月25日の判決で、名古屋地裁は求刑通り、葉山被告に無期懲役を宣告した。
判決理由で裁判長は、葉山被告が逮捕直後の取り調べで「妻の首を紐で殺害したのは自分と佐藤」とほぼ一貫して述べた点や、佐藤被告も同様の供述をしていることなどを踏まえ、「葉山被告は妻殺害を実行したと認められる」と説明した。

夫殺害についても、長男の「葉山被告と佐藤被告が父の腕を押さえていた」という目撃証言、葉山被告自身の「夫の足か腰を押さえた」という供述を踏まえ、「夫殺害の際、体を押さえていた」と認定した。
そして死刑を選択しなかったことについて、以下のように説明して、「無期懲役が相当で、酌量減軽の余地はない」と結論づけた。

  • 殺害の計画性が認められない
  • 関与は堀・佐藤両被告に比べて従属的
  • 軽度の知的障害が、犯行の意思決定に影響した可能性がある

弁護側は控訴・上告するも、いずれも棄却され、2018年6月20日付で無期懲役が確定した。

被害者遺児のその後

碧南市夫婦殺害事件
公判に向かう次男・貴成さん

馬氷夫婦の2人の息子は事件当時、長男が8歳、次男は6歳だった。
兄弟は事件後、母方のおばに引き取られ、愛知県内の数か所で暮らした後、次男が小学校3年生の頃に関東地方に移った。
2人の未成年後見人として夫婦の遺産(数千万円)を管理していたおばは、遺産を使い込み、2011年1月に破産して行方をくらました。

次男は事件のことを知って以降、精神的に不安定になり、高校を3か月で中退。暴走族に入るなど、荒れた時期もあったが、その後、建築関係の仕事に就職した。
2011年春には結婚、息子が誕生している。

兄弟は「被害者参加制度」を利用して、本事件の審理に参加した。(裁判当時、長男は25歳・次男は24歳)

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