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スナックママ連続殺人事件|吉本所属の女性芸人も被害に!

スナックママ連続殺人事件・西川正勝日本の凶悪事件
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スナックママ連続殺人事件

18歳以降、人生のほとんどを刑務所で過ごし、普通の社会で暮らした経験が5か月しかなかった西川正勝。この事件を起こした時も、出所後2か月しか経っていなかった。
金を奪うため女性ひとりで経営するスナックをねらい、4人のママを殺害した西川。その後、大阪で吉本興業に所属する女性落語家・桂花枝(現・桂あやめ)さんを襲い、首を絞めるなどして14万円を奪った。
最後は母子家庭の母親に説得されて逮捕。あまりにも残酷で無慈悲な犯行に下った判決は死刑だった。
この事件は、「警察庁広域重要指定119号事件」に指定されている。

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事件データ

犯人西川正勝(当時35歳)
事件種別連続強盗殺人事件
発生日1991年12月12日~1992年1月5日
場所兵庫県、島根県、京都府、大阪府
被害者数女性4人死亡、女性2人負傷
判決死刑
2017年7月13日執行(61歳没)
動機金銭
キーワードスナック
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事件の経緯

西川正勝(当時35歳)は18歳で初めて殺人事件を起こして以降、社会で普通に暮らした経験がほとんどなかった。殺人で松江刑務所で10年服役し、出所後すぐに強盗致傷事件を起こして鳥取刑務所懲役7年を過ごした。

鳥取刑務所を出所後、服役中に知り合った暴力団組員を頼り、2日後の1991年10月27日には岡山県倉敷市の暴力団事務所へ身を寄せた。ここでは電話番などをしていたが、11月20日には倉敷市内のスナックで女性経営者を襲い、何も取らずに逃走している。

さらに12月6日、親しくなった組員宅で、組員の不在時に妻子を脅して金を奪おうとした。組員の3歳の子供を抱きかかえて刃物を突き付けたが、妻に説得されて何も取らずに逃走。この件が組長に知れて、西川は組から追われることになる。

12月10日頃には岡山県和気郡和気町の刑務所仲間宅に身を寄せたが、現金10万5千円を盗んで姿を消し、姫路市内のホテルに宿泊していた。

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姫路事件:1人殺害

スナックママ連続殺人事件
被害に遭った姫路のスナック「くみ」

西川は1991年12月11日午後4時頃、兵庫県姫路市のJR・姫路駅付近のレンタカー会社営業所に立ち寄り道を尋ねたが、突然カウンターに身を乗り出して女性事務員を「俺は恐ろしい人間だ」と脅迫し、もう1人の女性事務員が110番通報しようとすると慌てて逃走した。

翌12日夜、西川は兵庫県姫路市坂元町26のスナック「くみ」にて経営者・正木久美子さん(当時45歳)の首を手で絞めて殺害し、現金6000円などを盗んだ。

翌日にはJR・城崎駅(現:城崎温泉駅)付近の線路脇で正木さんのクレジットカードなどが入ったポーチが発見され、そこから西川の指紋が検出された。

正木さんの遺体は12月25日午後8時20分頃に発見され、左首・腹には数か所の刺し傷があった。捜査本部の置かれた姫路警察署では当初「男性客が飲酒後に犯行に及んだ可能性が高い」として正木さんの交友関係を中心に捜査をしたが、有力な情報はみつからなかった。

事件当日、西川は鳥取県米子市内の旅館に偽名で宿泊した。

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松江事件:1人殺害

12月20日、西川は山陰本線・松江駅(島根県松江市)のコインロッカーに着ていたジャンパーなどを預け、別のジャンパーを着用した。

夜には松江市内のスナックを訪れ、ママに対し「他の客の下手なカラオケを聞きたくないから、自分1人で店を貸し切りたい」と要求したが、これを怪しく感じたママは断っている。それでも30分間ほどねばったが、ほかに常連客がいたため西川はあきらめた。

理由をつけて店を貸し切り、ネオンを消して鍵をかけたうえで犯行におよぶのが西川の手口だった。

翌日に殺人事件を起こす

スナックママ連続殺人事件
スナックのあった場所

1991年12月21日午後12時~1時頃、西川は島根県松江市寺町204のスナック「鍵」にて経営者・高橋文子さん(当時55歳)の首を手で絞めて殺害し、現金約20万円を奪った。この時、着ていたジャンパーに返り血を浴びてしまう。

その後、西川は松江駅前からタクシーで松江市を離れた。午後5時頃には鳥取県倉吉市内のスナックを訪れ、店のママに高橋さんの返り血が付着したジャンパーが入った袋を預けた。これが、事件における重要な物的証拠となる。

高橋さんの遺体は12月24日午後1時30分頃、家族により発見された。

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京都事件:2人殺害

スナックママ連続殺人事件
スナック「まき」の捜査

西川は松江事件のあと、京都に来ていた。
1991年12月26日未明、 京都市中京区高瀬川筋四条上る紙屋町367「たかせ会館」1階のスナック「まき」にて経営者・原田京さん(当時55歳)の左首を刃物で刺して殺害、現金5000円を奪った。遺体は翌27日午後1時頃に発見されたが、死因は失血死だった。刺し傷3か所のほか、首を絞められた跡も確認された。

遺体発見となった27日夜、現場周辺では捜査員が聞き込みを開始していた。そんな中、西川は大胆にもスナック「まき」の上階にあるスナックを訪れ、事件を話題にしながら閉店まで店にいたという。

飲食代2~3万円を請求されると「あとで銀行に振り込む」とツケにしてもらい、売上金を持って帰宅する経営者がタクシーに乗車するのに強引に同乗した。そして八坂神社近くのホテル前で「親父がこのホテルに泊まってるから金を払う」と下車したが、経営者は「銀行振り込みでいい」と誘いに乗らなかった。

京都で2つ目の殺人

早朝になって、西川はスナック「まき」から200mほど離れた京都市中京区河原町通三条下る二丁目東入「京都観光ビル」地下1階のスナック「なかま」にて、経営者・村上紀子さん(当時51歳)の胸を刃物で刺して殺害した。

その直後の午前6時40分頃、レジのそばで金を物色している時、村上さんの長男(当時25歳)にみつかる。西川は、長男の顔をビール瓶で殴り、盗んだ1万数千円を持って逃走した。

村上さんは午前8時頃、搬送先の病院で死亡が確認された。京都の2件の事件については、現場が200mと近いことから関連が指摘された。

西川は、この日から大阪・天王寺の旅館に2泊している。

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連続殺人後の年末年始

姫路事件と京都のスナック「なかま」事件では、西川の指紋が検出されていた。さらに4つの事件には共通点が多く同一犯の可能性が高いとして、西川が容疑者とされた。

  • 12月29日:姫路事件で兵庫県警逮捕状を請求される。ツケにしていたスナック飲食代の一部5000円を、天王寺で経営者に支払った
  • 12月30日:京都府警も逮捕状を請求、警察庁は西川を全国に特別指名手配
  • 12月31日午後2時頃:大阪府天王寺区大道1丁目のマンションの一室に侵入して4万円入りの財布を盗む(住人は不在だったが、在宅なら凶悪事件に発展していた可能性)
  • 1992年1月1日~5日:大阪市天王寺区堀越町のアパートに住んでいた高齢男性(当時80歳以上)に「今度ここに引っ越すことになった」とあいさつし、男性の部屋で雑談したり一緒にテレビを観るなどして過ごした

西川はこの間、アパートの物置に身を隠していたとされる。

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桂花枝・殺害未遂事件

スナックママ連続殺人事件被害者・桂あやめさん
事件について話す桂あやめさん(当時は桂花枝)

1992年1月5日午前10時45分頃、正月を高齢男性と過ごしたアパートで、当時ここに住んでいた女性落語家・桂花枝さん(当時27歳)の部屋を訪れた。

西川は「隣に引っ越してきた」と笑顔であいさつし、「電話を貸してほしい」と頼んだ。桂さんが玄関まで電話機を持ってきたところ、西川はいきなり襲ってきた。桂さんは花瓶を投げるなど抵抗はしたものの、首を絞められ失神。しばらくして意識を取り戻したが、室内を物色していた西川に再び首を絞められ「殺さないで」と抵抗した。

西川は金を要求してきたので、桂さんがそれに応じて現金14万円を渡すと、態度を軟化させ「2度と罪は重ねない」と手をつきながら謝ったという。

西川は桂に対し「俺は京都で2人を殺して逃げてきた。新聞に毎日載っている男だ」と話し、現金を得ると煙草に火をつけて座り込み、桂さんに対し「すまんことをした。もう何日も食べてなくて自暴自棄になった。これ以上罪は重ねない」と話した。

命は助かった

事件当時の桂花枝

西川は立ち去る時「警察に電話するなら10分経ってからにしてくれ」といったという。西川が出て行ったあとすぐにを閉めたが、全身の力が抜けてしばらく動けなかったそうだ。

午後2時20分頃、気力を持ち直した桂さんは天王寺警察署通報。現場に残された指紋から西川の犯行と断定された。桂さんは、西川と揉み合った際に全治10日怪我を負った。

桂花枝(はなし):本名:入谷ゆか。現在は三代目・桂あやめ。1964年、兵庫県神戸市兵庫区生まれの女性落語家である。師匠は5代目・桂文枝 。事件後、警察の事情聴取には気丈に応えたが、電話で師匠の声を聞いた途端に泣き崩れてしまったという。

翌日の午後、吉本興業本社で記者会見した花枝は「目をつぶると襲われた場面が浮かんで怖い。生きていられて本当に良かった」と恐怖の体験を気丈に話した。

この日は全国一斉で旅館・ホテルなどへの聞き込み捜査が行われた。事件の発生した大阪府警・京都府警・兵庫県警は、それぞれ現場周辺で厳戒態勢を取り、張り込み捜査を続けた。

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女性会社員が説得

桂花枝さん襲撃の翌日の1月6日午後7時頃、西川は大阪市天王寺区大道2丁目のマンション5階の部屋を訪れた。そしてこの部屋の住人の会社員女性A子さん(当時31歳)に対し、同じマンションに住んでいる者だと名乗り、「母と義父の仲が険悪なので、しばらくいさせてほしい」と持ちかけた。

これを信用したA子さんは、西川を部屋に招き入れる。彼女は小学1年の長男と2人暮らしだったが、西川はこの長男とテレビを見たり、食事をするなどしていた。夜が更けてきたので、A子さんは帰ってもらうよう何度も言ったが腰を上げようとしなかった。

日付が変わった1月7日午前1時過ぎ、台所に行こうとしたA子さんのを、西川は突然両手で絞めた。しかし彼女は怯むことなく大声で怒鳴ったため、驚いて目覚めた長男が泣き叫んだ。そのせいで手を放した西川は、再びA子さんの首を絞めたが、これも長男の泣き声で思い留まった。

西川はA子さんに、「世間をにぎわせている殺人犯」であることを明かした。そして謝罪したうえで身の上話をし、何度も「もう自殺するしかない」と言う。A子さんは「自分が警察に付き合うから自首しなさい」とくり返し説得した。

最後はあっけなく逮捕

午前10時40分頃、A子さんは長男を学童保育所に連れて行くため家を出たが、西川は部屋の前の廊下に残った。A子さんは保育所に着くと同所指導員に対し「殺人犯の西川が家に来ている」と訴え、指導員は近くの派出所へこのことを知らせた。

警察官がA子さんのマンションへ駆けつけると、西川はまだ廊下にいた。警察官は西川であることを確認して午前11時46分に逮捕。西川は抵抗もしなかったという。
この件については、A子さんが処罰を望まなかったことから立件は見送られた。

逮捕後、西川は逮捕に至った心情についてさんやA子さんが「自分の生い立ちを真剣に聞いて、同情もしてくれた。熱心に自首するよう勧められ『捜査も厳しいし、もう捕まってもどうなってもいい』と思った」と供述した。

また逮捕直後は4件殺害について犯行を認め、動機を「金が欲しくてやった。女ひとりのスナックを狙い、ママを殺してでも金を奪うことしか思い浮かばなかった」と自供した。しかし、その後は態度を硬化させ、大阪の桂さんの事件以外は触れようとしなくなった。

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西川の手口

西川はスナックの客を装い、ママと2人きりになった密室状態の店内で凶行におよんでいた。犯行後、西川は休店を装うため、スナック「なかま」以外の3店は、外から施錠したうえで逃走していた。
このため、一見すると「休店が続いている」だけと思われ、姫路の事件は発生から13日、松江の事件も3日間発見が遅れた。

また西川は、犯行の4軒以外にも松江市や京都府下京区のスナックで、客が自分だけになると「貸し切りにしたい。他の客には来てほしくないのでネオンを消し、ドアも施錠してほしい」とママに頼んだが断られていた。

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西川正勝の生い立ち

スナックママ連続殺人事件・西川正勝

西川正勝は1956年1月14日、鳥取県鳥取市西品治で5人姉弟の末っ子として生まれた。上の4人はすべて姉だった。
父親は日雇いの土木作業員をしていたが、冬は出稼ぎで不在だった。家は貧しくて満足に食事もとれず、小中学校にもほとんど通えないような生活だった。母親は糖尿病だったが、病院に行く余裕もないことから、西川が9歳の時に死亡する。

中学生時代には窃盗事件や女子生徒をナイフで脅していたずらする事件を起こし、1970年5月には鳥取県米子市内の養護施設に収容された。同施設を出た頃には、父親は家を売って蒸発していた。西川は鳥取県内で仕事を転々とするが、1971年10月ごろから数回にわたり窃盗事件を起こし、中等少年院に送致された。

1973年10月に少年院を仮退院して以降は、親類の仕事を手伝ったが長続きせず、昼間からパチンコ店に出入りする。この時に暴力団組員と知り合い、風呂場の脱衣場荒らしなどで金を盗み、パチンコ・映画などで遣い果たすような生活を続けた。

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18歳で初めての殺人

1974年(西川は18歳)、鳥取市永楽温泉町のスナック経営者であるママを殺害。このときはママの営業用の態度を勘違いして、いきなり関係を迫って抵抗されたため刺殺した。これで、懲役5~10年の不定期刑を受け、松江刑務所で10年服役。1984年、満期出所した。仮出所する条件として身元引き受け人が必要であったが、西川にはいなかったため満期出所となった。

松江刑務所を出所した1979年、西川は松江駅前のパチンコ店に就職したが、出所後2ヶ月半後の1991年12月12日、旅館女性従業員を襲った強盗致傷事件を起こす。この件では懲役7年の刑を受け鳥取刑務所で服役、1991年10月に出所する。

出所時の西川の年齢は35歳。18歳以降、合計17年を刑務所の中で過ごした西川は、普通の社会生活はわずか158日、約5か月しか経験していなかった。

そして出所から2ヶ月後に本連続殺人事件を起こす。起訴後、拘置所で2度自殺を図り、公判では「身に覚えがない」と全面否認していた。

裁判では無罪を主張するも、死刑が確定。2017年7月13日、西川正勝は大阪拘置所にて死刑を執行された。(享年61歳)

死刑執行時の桂あやめさんのコメント(当時は桂花枝)

この日は広島拘置所で「岡山元同僚女性バラバラ殺人事件」の住田紘一も同時に死刑が執行されている。

裁判

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第一審

1992年7月24日に大阪地方裁判所にて第一審の初公判が開かれた。
罪状認否で西川正勝被告は強盗殺人罪4件を全面的に否認した。

この事件では凶器が見つかっておらず、検察側状況証拠の積み重ねにより犯行を立証しようとした。

  • スナックに預けたジャンパーやベルトに付着していた血液と、松江事件の被害者・高橋さんの血液型が一致
  • 犬の臭気鑑別により、京都のスナック「なかま」での押収物と西川被告の体臭が同じ臭い

弁護側は、凶器は発見されていないことや、自白がほとんどなく犯行時間も不特定なことから「西川被告の犯行とする証拠がない」と一貫して無罪を主張した。

1995年3月19日に論告求刑公判が開かれ、検察側死刑を求刑した。
5月29日の最終弁論で弁護側は「検察側の提示する物証は、証拠として不十分」と訴え、桂花枝さんに対する強盗殺人未遂についても殺意を否認。「動機は未解明」と無罪を主張した。

第一審判決は死刑

1995年9月11日に判決公判が開かれた。
裁判長は「被害者4人の無念さは察するに余りあり、一般市民に不安と衝撃を与えた。反省の態度はなく、不遇な生い立ちなどの事情を考慮しても極刑をもって臨むしかない」と述べ、「犯罪史上まれにみる凶悪、重大事件で、動機も同情の余地はない。矯正・教育の効果も期待できない」として求刑通り死刑を言い渡した。

姫路事件については「殺害後に金品奪取の意図が生じた、との疑念が残る」として強盗殺人罪の成立を認めず、殺人罪窃盗罪を適用。

  • 逮捕直後に4件の殺人について認めた供述は、信用できる
  • DNA型の鑑定結果
  • 姫路事件現場から、西川被告の指紋がみつかった
  • 松江事件以降の現場の靴跡は同一で、西川被告の履いていた靴と認められる

などの理由から総合的に判断し「すべて西川被告の連続犯行」と事実認定した。

西川被告は、大阪高等裁判所へ即日控訴した。

控訴審

1998年1月21日に大阪高等裁判所で控訴審初公判が開かれた。

西川被告は、第一審で全面否認した姫路事件について、一転して犯行を認めたうえで、「飲酒によりかなり酔っていた。責任能力はない」と無罪を主張した。

また、残りの強盗殺人3件については「現場にいなかった」、桂花枝さんへの強盗殺人未遂事件に関しては「殺意はなかった」などと第一審同様に無罪を主張した。

弁護側は「姫路事件の犯行当時、心神喪失か心神耗弱状態だった」として責任能力を初めて否定し、西川被告の精神鑑定を請求した。

2001年6月20日に控訴審判決公判が開かれ、大阪高裁は第一審の死刑判決を支持し、西川被告の控訴を棄却。これを不服として西川被告は最高裁判所に上告した。

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最高裁:死刑確定

2005年6月7日に最高裁で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護側は姫路事件以外の強盗殺人3件について「西川被告は犯人ではない」と無罪を主張して死刑回避を主張、検察側上告棄却を求めた。

2005年6月7日、上告審判決公判が開かれ、最高裁は一審、二審の死刑判決を支持して西川被告の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑が確定した。

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死刑執行

西川死刑囚は、死刑確定者らを対象に実施されたアンケートに対しては以下のように回答していた。

「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が実施したアンケート(2008年7月~8月)

「検察側の証人はコロコロ話が変わり全く信用できないのに、裁判官は検察側の証人ばかり証言を採用し、弁護人の証人の主張は聞き入れない。その点に納得できないので(再審を請求して)戦っている」

参議院議員・福島瑞穂が実施したアンケート(2011年6月20日~8月31日)

「弁護人から『(冤罪が判明して無罪となった)足利事件におけるDNA型鑑定は自分の事件と同じ方法だった』と伝えられたが、自分のDNA型鑑定で使用された証拠品は『再鑑定する力がない』という理由で既に廃棄処分にされた。つまり『DNA型を鑑定できないのにいい加減な鑑定をした』ということだ。臭気鑑定でも他の事件で却下された鑑定手段の犬が本件で採用されており、その点も納得がいかない。元より刑務所生活が長かった上に19年間の拘置所生活を送った結果、拘禁症状・孤独病などの症状が出ている。刑務官たちの行動も自分のストレスを増幅させ、そのために睡眠薬・精神安定剤を服用している。2009年および2010年9月には法務大臣に苦情を申し出たが、早く返事をしてほしい」

福島が実施した2度目のアンケート(2015年7月)

「過去の事件で死刑・無期懲役に処された多くの人々に冤罪の可能性がある。他人事ではあるが(彼らの)無実が証明されてほしいと願うし、自分も無実を証明するために頑張って生きていきたい」

再審請求中の死刑執行

西川死刑囚は、死刑執行までに計10回にわたり再審請求を行ったが、その理由は実質的にほとんど同じだった。
2017年5月11日には特別抗告が棄却され、自力で再審請求を申し立てた。裁判所からは「2017年7月18日までに意見を提出するよう求める」と「求意見」が届いていた

そんな中、2017年7月13日に西川正勝死刑囚は収監先・大阪拘置所にて死刑を執行された。(61歳没)

当時は再審請求中の死刑執行は異例だった。
金田勝年法務大臣は「再審請求中だからと言って必ずしも死刑を回避するわけではない。請求が棄却されることが確実であると予想せざるを得ない場合は死刑執行もやむを得ない」と説明した。

桂あやめさんのコメント(当時の芸名は桂花枝)

桂あやめ(西川正勝死刑執行)
取材に答える桂あやめさん

大阪の自宅アパートで被害に遭った女性落語家・桂あやめさん(当時53歳)はこの日、報道陣の取材に応じ、「これでもう(社会に)出てこないんだと安心する一方、亡くなった4人のことを考えると複雑です」と目を潤ませた。
「私を殺そうとした瞬間に見せたのような目は今も忘れられません。(死刑執行まで)どうしてこれだけ時間がかかったのか。どんな順番で執行されているのかと思います」と話した。

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