伊勢原市同居母娘強殺事件|花火の誘いを断られ、母娘を殺害

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加賀聖商/伊勢原市同居母娘強殺事件 日本の凶悪事件

「伊勢原市同居母娘強殺事件」の概要

2001年8月4日、神奈川県伊勢原市で母娘2人が殺害される事件が発生。発覚したのは8月21日で、伊勢原署員が2人の腐乱した遺体を発見した。
警察は、母娘と1年前から同居していて、事件後行方のわからなくなっていた加賀聖商(当時40歳)を全国に指名手配。逃亡していた加賀は、9月24日、北海道警・夕張署管轄の駐在所に自首した。しかし、自首による減刑は認められず、加賀は裁判で死刑が確定している。
犯行動機は、事件当日に開催された花火大会の誘いを、同居女性の娘に断られて腹を立てた、という身勝手なものだった。

事件データ

犯人加賀聖商(当時40歳)
読み:かが としあき
事件種別強盗殺人事件
発生日2001年8月4日
犯行場所神奈川県伊勢原市桜台1丁目
被害者数2人死亡
判決死刑:東京拘置所に収監中
動機花火の誘いを断られ、カッとなった
キーワード花火大会

「伊勢原市同居母娘強殺事件」の経緯

無職の加賀聖商(当時40歳)は、伊勢原市内の飲食店で働く松井和子さん(当時43歳)と知り合って以降、約1年間にわたり松井さんのアパートで同居していた。

加賀は仕事もせず、パチンコにふけるヒモ生活をしていた。そのため、松井さんの貴金属を質入れして金を作ったり、松井さんの中学1年の長女・真菜美さん(12歳)の小遣いまで盗んだりしていた。

2001年8月4日、この日は地元で花火大会があり、加賀は長女をこれに誘った。しかし、小遣いまで盗むような中年男の加賀に対して、長女が好感など持てるはずもなく「行かない」と、つれない断り方をした。

この時の長女の態度に、加賀はカッとなった
2人は口論となるが、加賀は怒りにまかせて長女の背後から包丁で背中を刺し、腕や包帯で首を絞めて殺害してしまう。この時、部屋には加賀と長女の2人だけで、母親の松井さんは仕事のため不在だった。

加賀はこうなった以上、松井さんも殺して金銭を奪ってやろうと決意する。加賀は凶器として用いるペティナイフを買いに行き、鉄製ハンマーを用意するなど準備を整え、帰宅の予定を確かめるために松井さんに何度も電話をかけた。

娘に続き、母親も殺害

松井さんが帰宅したのは、午後10時頃。
横たわる娘に声をかけている背後から、加賀は鉄製ハンマーで頭部を殴打した。そして鼻や口を掛け布団でふさぎながら、背中をペティナイフで何回も突き刺して松井さんを殺害した。

その後、現金1万円とキャッシュカード2枚を奪い、新聞販売店に「しばらく留守にするので新聞を止めてほしい」と電話して逃走した。そして翌7日、キャッシュカードを使って現金85万円を引き出した。

松井さん母娘は、近所との付き合いがあまりなく、長女も夏休みだったため学校側が気付くこともなかった。そのため、事件が発覚したのは犯行から17日後の8月21日だった。

遺体は伊勢原署員が発見。2人の遺体は腐乱しており、ともに8畳間に敷かれた別のふとんの上であお向けの状態だった。部屋は施錠され、荒らされた形跡はなかった。伊勢原署の捜査本部は26日、同居していた加賀を全国に指名手配した。

夕張で自首

加賀聖商が自首したとされる夕張署南部駐在所/伊勢原市同居母娘強殺事件
加賀聖商が自首したとされる夕張署南部駐在所

一方、加賀は逃走後、北海道夕張市でテント生活をしていたが、金を使い果たした9月24日、北海道警・夕張署南部駐在所に自首。殺人容疑で逮捕された。

死刑囚200人 最後の言葉

この時の加賀の所持金はわずか30円で、頬はこけ、無精ひげを生やしていた。奪った金のうち10万円は、消費者金融の返済に充てていた。

犯行後の足取りは、8月10日に寝台列車で北海道に渡り、20日からは夕張市内の雑木林に隠れていたという。

加賀聖商の生い立ち

加賀聖商は札幌市で生まれ、小中学校時代は夕張市内で過ごした。成人後の1985年頃に神奈川県に移り住み、しばらくは平塚市内の空調会社に勤めたが、辞めて以降は無職だった。

事件の1年ほど前、伊勢原市内の飲食店に勤務する松井和子さんと知り合い、やがて松井さんのアパートで同棲するようになった。

飲食店関係者によると、松井さんが店を辞めた後は、加賀は姿を見せなくなったという。
また、同じアパートの住民の証言では、加賀はいつも陰気な感じで声をかけづらかったとのこと。しかし、休日の夕方などに3人で出かける様子も見かけていた。

加賀は、仕事をするでもなくパチンコ三昧の日々を送り、松井さんの貴金属類を勝手に質入れしたりしていた。松井さんには中学1年の長女・真菜美さんがいたが、加賀は真菜美さんの小遣いまで盗むなどしていた。

事件を起こしたのは2001年8月4日。加賀が40歳の時だった。加賀には過去に強盗致傷で服役した前科があった。本事件の裁判では、2008年6月5日、最高裁にて死刑が確定。現在は東京拘置所に収監中である。

裁判

一審:横浜地裁

弁護側は「金品を強奪する目的はなかった。殺人と窃盗に分けて考えるべきだ」と主張したが、2004年2月4日の判決公判で、横浜地裁は加賀被告に死刑を言い渡した。

裁判長は加賀被告について「仕事もせず、中学生の小遣いを持ち出すなど、自堕落で無為徒食の生活をしていた」と指摘。「松井さんの長女が反発するのは当然で、自らの非を棚に上げている」と加賀被告の態度を非難した。

さらに、母親の松井さん殺害については「計画的で用意周到だった」と指摘。現金を奪うことを目的にした強盗殺人と認定した。

控訴審:東京高裁

2005年7月19日、東京高裁は一審の死刑判決を支持した。

控訴審でも弁護側は、母親殺害について「金目当てではなく、強盗殺人罪は成立しない」と主張。しかし、判決で裁判長は「長女を殺害後、帰宅する母親を待ち受けて殺害するなど、計画的で強固な犯意があり、極刑はやむを得ない」と述べ、「被告の供述は信用できない」と退けた。

最高裁で死刑確定

2008年3月27日の最高裁弁論で、弁護側は「長女の殺害は突発的で計画性はなく、母の殺害も金銭目的ではなかった。死刑は重すぎる」と主張。検察側は「二審の判断は相当。身勝手な犯行に同情の余地はない」として上告棄却を求めた。

6月5日、判決で最高裁は一審・二審の死刑判決を支持したため、加賀被告の死刑が確定した。
判決理由で裁判長は、「2人への殺意はいずれも強固で、犯行態様は執拗かつ残忍。事実関係をおおむね認めていることなど、被告のために酌むべき事情を十分に考慮しても、刑事責任は極めて重大で、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。

現在、加賀聖商死刑囚は東京拘置所にて収監中である。

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