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上申書殺人事件|前代未聞の死刑囚による告発、首謀者は塀の外!

後藤良次・三上静男日本の凶悪事件
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上申書殺人事件・概要

2005年、前代未聞の告発が茨城県警に届く。それは、ある死刑囚が別の殺人に関わったという上申書だった。
死刑囚の名は後藤良次、彼は警察も把握してない3件の殺人事件が、ある人物の指揮のもと行われていたというのだ。県警は「告発は本物」と判断したが、すでに証拠も消されている事件の捜査は困難を極める。
3件のうち起訴まで持ち込めたのは、たった1件。こうして、後にも先にも例のない「死刑囚を別の殺人事件で裁く」裁判が始まった。この1件に懸けた検察の執念は実を結び、首謀者・三上静男には無期懲役、告発者の後藤死刑囚には懲役20年が確定したのだった。

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事件データ

主犯三上静雄(当時51歳)判決:無期懲役
現在は山形刑務所に収監中
実行犯後藤良次(当時42歳)判決:懲役20年
水戸市男性殺害事件・宇都宮男女4人死傷事件で死刑確定
現在は東京拘置所に収監中
犯行種別殺人事件
事件発生日石岡市焼却事件:1999年11月
北茨城市生き埋め事件:1999年11月中旬
日立市保険金殺人事件:2000年8月12日
犯行場所茨城県石岡市、北茨城市、日立市
被害者数3人死亡(立件できたのは1人
動機金銭目的
キーワード死刑囚による告発、世界最強の酒スピリタス
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上申書殺人事件の経緯

1998年9月、稲川会系暴力団の組長・後藤良次(当時40歳)は福島刑務所を仮出所した。彼は宇都宮に戻り、組を再建しようと活動するも失敗、解散を余儀なくされる。
ほとんど堅気かたぎとなった彼は、知人の紹介でつきあい出した女性と水戸市に移った。水戸は彼女の実家があり、後藤の旧友もいるので、何かと都合がよかったのだ。

当初、後藤と女性はラブホテルを転々としていた。やがて、旧友の口利きで、あるマンションに入居する。彼は、不動産の仕事に就くことを考え、旧友に相談したところ、ある人物を紹介された。

その人物は、三上静雄(当時49歳)、不動産のブローカーだった。三上はヤクザものを自分のまわりにはべらせるのが好きで、こわもての後藤は気に入られたようだった。これは、あくどい商売のせいで敵の多い三上にとって、用心棒の代わりでもあったのだ。

三上に付いて仕事を始めると、後藤は今までのような貧乏ヤクザを脱却、高級車を乗り回すなど、羽振りがよくなった。後藤は三上を”先生”と慕い、2人は切っても切れないほどの蜜月関係となる。

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1.石岡市焼却事件

そんな1999年11月のある日、後藤はパニック状態の三上からの電話を受ける。時間は午前2時半頃だった。
人を殺してしまった。死体が出れば、自分が疑われる
三上が言うには、金を貸していた60歳ぐらいの男性と揉めて、ネクタイで首を絞めて殺してしまったとのことだった。返済が滞っていたにもかかわらず、開き直って返さないといわれ、カッとなってしまったのだ。

そこで、昔からの知人で商売仲間でもある、工務店経営者の男性Aに相談することにした。彼もこの60代男性に金を貸していた。話し合いの結果、遺体は石岡市にあるAの会社の焼却場で燃やすことに決まった。

その後、後藤は三上と合流、遺体を後藤の車に乗せ換え、Aの会社へと向かった。Aの会社には廃材を処分するための大きな焼却場があり、後藤はそこに遺体を運んだ。Aが灯油をまき、三上が新聞紙に火をつけて投げ入れ、遺体は廃材とともに焼却されたのだった。

この時、後藤は三上と知り合ってまだ数ヶ月で、本来ならこんな大それたことを頼める間柄ではなかった。しかし、三上は後藤に480万円貸していて、協力すればこれをチャラにしたうえに200万円の報酬を約束した。後藤にしてもこれはいい条件で、知り合って間もない自分に大金を貸してくれた恩もあって、これを引き受けたのだった。

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2.北茨城市生き埋め事件

結局、石岡市の遺体焼却の件は、警察にも発覚しなかった
このことで三上は「対処さえ間違わなければ、事件はもみ消せる」という、自信を深めてしまったようだった。
それから1ヶ月も経たないうちに、三上は後藤にある相談を持ちかけてきた。

「知人の不動産ブローカーBが、土地などの資産を持つ80歳近い爺さんと知り合った。この爺さんは、その土地を放ったらかして20年以上も失踪している。家族や親兄弟、友人もいないらしい。この爺さんに消えてもらって土地を売却すれば、1億円にはなる」という話だった。後藤はこれを承諾し、決行は11月中旬に決まった。

爺さんの名前は、倉浪篤二くらなみあつじという。

決行当日の午後4時半頃、後藤は三上、Bと偕楽園近くの市営駐車場で合流した。倉浪さんは、Bの車の助手席に乗っていた。
倉浪さんはBに呼ばれ、車から降りてきたところを後藤が殴り、残りの2人も殴る蹴るの暴行をくわえた。最後にロープで縛り、後藤の車のトランクに閉じ込め車を発車させた。
車は、常磐自動車道を北茨城ICで降り、山間部に向かう。そして、到着したのは三上の所有する、腰まで雑草が生い茂る土地だった。

3人はスコップで大きな穴を掘り、そこに倉浪さんを投げ込んだ。そして、生きたまま土をかけ、埋めてしまった。

後日、後藤は、倉浪さんの土地があるという大宮市に出向いて、売却のための調査をした。一方、Bは倉浪さんのダミーを連れて水戸市役所に行った。倉浪さんは20年以上も失踪していたため住民票を削除されており、これを復活させる必要があったのだ。これはうまくいき、保険証や実印の登録なども済ませることができた。

土地は7000万円ほどで売れた。ここからBが2000万円、後藤が1200万円、三上が3000万円を取り、事情も知らず売却を手伝った知人たちに700万円を支払った。

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3.日立市保険金殺人事件(ウォッカ事件)

石岡市の遺体焼却事件の工務店経営男性Aの知り合いに、茨城県阿見町でカーテンや絨毯を扱う装飾業者の栗山裕(67歳)という男がいた。彼の娘婿は栗山光明といい、Aの会社の部下だった。
栗山さんのカーテン屋は経営難となっていたが、すでに倒産寸前の状態で、借金は6000万円にまで膨れ上がっていた。そのうちの4000万円は、Aが栗山さんに貸していた。

栗山さんは、ひどい糖尿病を患っていたにもかかわらず、酒好きで入退院をくり返していた。そんな栗山さんの面倒を見る娘夫婦は、大勢の借金取り立てのストレスもあり、身も心も追い詰められていた。
さらに、家族は連帯保証人にもなっており、返済ができない場合は住む家さえ取られてしまう状況だった。栗山さんは「自分が死ねば、保険金でなんとかなる」と呑気なことを言っていたが、その保険の掛け金さえ払えなくなりそうな暮らしぶりだった。

2000年7月頃、光明は上司であるAに金を貸してもらえないかと相談する。Aは貸さなかったが、代わりにある提案をする。栗山さんを三上の事務所で預かってもらい、死ぬまで毎日大量の酒を飲ませる。その間、掛け金も払ってもらい、死んだら保険金で借金を清算する、というものだった。

家族は相談したが、結局Aの提案を受け入れることにした。栗山さんは、三上の事務所に連れてこられ、ほぼ軟禁状態にされた。そして、毎日約4リットルの酒を無理やり飲まされ、やがて体に異変が現れるようになる。栗山さんは体中がむくんできて、腹水がたまるせいでお腹が不自然に大きくなった。トイレに行けないほど飲まされるので、オムツを履かされ、布団の下にはブルーシートが敷かれた。ある時は、便器にうずくまり、黒い血を吐いていたこともあった。

8月に入ると、三上は栗山さんにサラ金を回らせた。5軒から計120万円借りられたが、その金はもちろん三上が奪っている。そして8月12日、栗山さんの人生最後の日がやってきた。
栗山さんは、日立市にある三上の自宅に連れてこられた。午後7時頃、彼らは5人で近所の割烹料理店に行き、”最後”だからと、栗山さんに好きなものを頼ませた。栗山さんは刺身と釜めしを注文している。栗山さんが「もう家に帰りたい」というと、後藤は怒り、熱いお湯やみそ汁をぶっかけた。

始まった死の宴会

三上静男の自宅
「死の宴会」が行われた三上静男の自宅

その後、5人は三上の自宅に戻った。そして、ここから「死の宴会」が始まるのだ。

栗山さんは正座させられ、無理やりストレートで焼酎を飲まされる。焼酎には覚せい剤を溶かしていた。彼はここでも「家に帰りたい、妻に会いたい」などと命乞いをした。
そこで、三上は栗山さんの家族に電話した。「帰りたいって言ってるけど、どうする?」返ってきた妻の言葉は「もっと飲ませて」だった。
これは、家族があとで被害者面しないようにするためでもあった。家族に頼まれてやっている、という「大前提」を再認識させたのだ。

栗山さんはまだ命乞いを続けていた。後藤はキレて、コンセントに刺さった電気製品のコードを途中で切り、むき出しになった導線を栗山さんに当てて感電させた。その後、道具をスタンガンに変え、三上も加わり、数十回に渡り通電リンチをくりかえした。

栗山さんはその間も酒を飲まされ、座っていることもできなくなった。それを見た三上は立ち上がり、ある透明な瓶を持ってくる。
それは、アルコール度数96%のウォッカ「スピリタス」であった。

世界最強の酒スピリタス
世界最凶の酒・スピリタス(アルコール度数96%)
世界最凶の酒「スピリタス」

世界最強の酒「スピリタス」の原産国はポーランド、アルコール度数は96%
普通のウォッカは40%なので約2.5倍も高く、そのため事故も多い。ストレートで一気飲みなどは、死亡の危険もあるので絶対にしてはいけない。また、火気も厳禁
2015年には名古屋市で、車内でスピリタスを飲みながらタバコに火をつけようとして引火、飲んでいた20代女性はや腕に火傷を負う事故があった。飲んでなかった男性は軽傷だった。ちなみに車は全焼している。
・ビール:5% ・ワイン:14% ・日本酒:15% ・ウイスキー:40%

三上は、栗山さんの口に強引にスピリタスをねじ込んだ。あまりの刺激に栗山さんはむせて吐き出したが、三上は再度同じように、いや、確実に胃に届くように瓶に入った液体の凶器を口から流し込んだ。
午前2時過ぎ、ついに栗山さんは意識を失った。

彼らは栗山さんを車に乗せ、事務所に運んだ。かろうじて息のあった栗山さんは、移動中に絶命した。事務所では、死亡推定時刻をごまかすため、遺体を冷水に浸けた。その後、七会村(現・里城町)の林道まで遺体を運び、行き倒れに見えるようにうつ伏せに置いた。

遺体が発見されたのは、8月15日だったが、警察は事件性なしと判断した。翌16日には家族による身元確認が行われ、18日に栗山さんは火葬されたのである。

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後藤が起こした2つの殺人事件

後藤良次

栗山裕さんの死亡時保険金の配分は、三上が2000万円、Aが4000万円、後藤が2500万円だった。
しかし、後藤はこれを受け取っていない。なぜなら、彼は別の2件の殺人事件を起こし、それどころではなくなってしまうのだ。

犯人後藤良次(当時42歳)
犯行種別連続殺人事件
事件発生日水戸市・2000年7月30日
宇都宮・2000年8月20日
犯行場所茨城県
被害者数2人死亡
判決死刑・東京拘置所に収監中
動機メンツを潰された
キーワード上申書殺人事件
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1.水戸市男性殺害事件

2000年7月30日、後藤は、刑務所時代のムショ仲間・斉藤正二(33歳)を殺害した。斉藤は、山口組系暴力団関係者で、茨城県常陸太田市で人材あっせん業をしている男だった。後藤は、斉藤から何かにつけてをつかれたり、騙されていたことに激高していた。

7月30日、後藤は舎弟の小野寺宣之(当時33歳)と共謀して、斉藤を約1時間、乗用車に監禁。その後、斉藤をヒモやガムテープでスマキ状態にして、生きたまま水戸市下大野町の橋上から約15m下の那珂川に投げ込んで殺害したのだ。
斉藤は本気だと思わず直前まで動じていなかったが、本当に橋から落とされるとわかったとたん、命乞いをしたという。

数日後、斉藤の遺体は茨城県の大洗沖に浮かんだ。そして携帯電話の履歴から、後藤が捜査線上に浮上した。

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2.宇都宮男女4人死傷事件

斉藤の殺害から約3週間後、後藤は宇都宮市で別の殺人事件を起こしている。

後藤は、以前使い走りとして使っていた小堀展史さん(当時37歳)との間でトラブルがあった。小堀さんは後藤に対し不義理をくり返し、後藤は激怒していたのだ。
8月20日午後9時頃、トラブル解決のため、市内のパチンコ屋で後藤と小堀さん、そして小堀さんの友人男性Cが合流した。Cは後藤の元運転手だった。
3人は栃木県宇都宮市の小堀さんのマンションに向かった。その際、小堀さんが鍵を持っていなかったので、交際相手の小林潤美さん(当時24歳)に鍵を持って来させることになった。小林さんは友人D子の運転する車でやってきた。

午後10時50分頃、小堀さんの部屋に、後藤と舎弟・小野寺宣之ら5人が上がりこみ、小堀さんら4人の両手両足を縛って監禁。4人に高濃度の覚せい剤を注射した。そして、小林潤美さんを強姦したあげく、急性薬物中毒で死亡させた。また、残る3人にはハサミで胸などを刺した後、灯油をまいて放火した。
後藤らが現場から逃走したあと、Cが自力で縄を解いて消火。そのため3人の命は助かったが重軽傷を負った。

過去の3事件を「告発」

事件後、後藤と舎弟たちは大洗町の民宿に潜伏していた。そこに、三上は逃走資金100万円となぜか覚せい剤20gを持ってやってきた。
「後藤はいずれ逮捕される」と三上は考えていた。そうなると、自分の関わった3件の殺人事件も発覚するかもしれない。それを恐れて、後藤に接触してきたのだ。

三上は後藤に対し、こんな条件を提示した。
「3件の殺人事件を黙っていてくれたら、元の報酬2500万円とは別に3000万円払う。私選弁護士も付ける」
後藤はこれを承諾し、さらに、後藤が目をかけている舎弟の面倒を見てくれることも条件に加えた。この舎弟は生活能力が全くなく、誰かのサポートが必要不可欠な人間だった。

その後、後藤は埼玉県松伏町のホテルにいるところを、宇都宮署によって逮捕された。共犯の小野寺宣之(当時31歳)、無職の浦田大(当時34歳)、そして出頭してきた土木作業員の沢村勝利(当時37歳)も逮捕されている。

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守られなかった”先生”との密約

後藤は裁判で、2件の殺人事件について1審・2審とも死刑判決を言い渡され、残すは上告審のみとなっていた。三上が首謀の3件の殺人事件については、この時点では警察でさえ把握していなかった。後藤は三上との約束を守り、3件の事件について一切供述しなかったのだ。

しかし、後藤は腑に落ちない思いを抱えていた。なぜなら自分は約束を守ったのに、三上はそうではなかったからだ。
大洗町の民宿で交わした約束は「黙っている代わりに3000万円支払い、私選弁護士をつける」だったが、三上は宇都宮拘置所に1度面会に来ただけで、支援金も13万円のみ。手紙で催促をしても返事さえ返ってこなかったのだ。そして、面倒を見てもらう約束の舎弟は自殺してしまっていた。

後藤は、かつては「先生」と慕った三上静男を許せなくなっていた。

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新潮社の記者との面会

後藤は東京拘置所で知り合った死刑囚・高橋義博のツテで、新潮社の記者・宮本太一氏に面会に来てもらうことにした。彼が単独で起こした2件の殺人事件については上告中だったが、もしこれが棄却され死刑確定となれば、記者との面会はできなくなる。今を逃すと「告発」は不可能になるのだ。

死刑囚・高橋義博とは

不動産会社社長の高橋義博は、バブル崩壊で経営が立ち行かなくなった。
1992年7月23日、高橋は部下3人と共謀し、まったく落ち度のない医師ら2人を拉致・監禁、金銭などを奪ったうえで、生き埋めにして殺害した医師ら生き埋め殺人事件を起こす。
この事件で、首謀者の高橋に死刑、部下3人は無期懲役刑が確定している。

初めての面会は、2005年3月16日。後藤の告発に、宮本氏は当初は半信半疑だった。しかし、独自の調査により、後藤の告発には信憑性があると判断した。
そして、10月17日。後藤の弁護人が茨城県警上申書を提出。前代未聞の「死刑囚による3件の殺人事件の告発」だった。茨城県警はこれを正式に受理、捜査が開始された。

翌日の10月18日、この事件についての記事が掲載された新潮社の雑誌「新潮45」が刊行された。これは、予想以上に世間の反響を呼ぶことになる。NHKの7時のニュースで報道されたのをきっかけに、各メディアが大きく取り扱うことになったのだ。

工務店経営男性Aの事故死

事件捜査中の2006年12月31日午前2時10分頃、殺人事件の依頼を仲介したとされる工務店経営男性A(当時52歳)が交通事故死している。
彼は常磐自動車道でガードレールに激突、車外に出たところを車にはねられたのだ。これは事故死として扱われたが、捜査陣は追い詰められたうえでの自殺とみている。
容疑者でもあり、事件の重要な証人でもあるAの死は、捜査陣にとってかなりの痛手であった。

主演・山田孝之で映画化

記事はまだ続きますが、この事件は映画化されているので映像で見たい方のためにお知らせを入れておきます。
「裁判」「犯人の生い立ち」についての記事は、もう少し下にスクロールしてください。

この事件は、あまりの特異性から白石和彌監督で映画化が実現している。
ストーリーは、細かい部分を除いては、事件をほぼ忠実に再現していて違和感がない。そして、主人公は出版会社の記者(山田孝之)で、物語は記者目線で進行していく。
主演陣の3人の演技は素晴らしく、見応えのある作品に仕上がっている。

映画「凶悪」のレビューはこちら →

  • 新潮社記者(役名:藤井修一):山田孝之
  • 後藤良次(役名:須藤純次):ピエール瀧
  • 三上静男(役名:木村孝雄):リリー・フランキー
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本ページの情報は2021年10月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにて
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上申書殺人事件・裁判

「先生」こと三上静男は、2007年1月26日に殺人容疑で逮捕された。
しかし、告発した3件の殺人事件のうち、起訴できたのは「日立市保険金殺人事件」1件のみ。他の2件については、遺体の場所さえ特定できない状況で、立件には至らなかったのだ。

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被害者家族3人の判決

2007年7月5日、三上の裁判に先立って被害者・栗山裕さんの家族3人の初公判が開かれた。
3人は栗山さんを殺害してもらうため、三上の事務所に彼を預けたのだった。この裁判については公判前整理手続きを経たため、26日には判決が下された。

婿養子・栗山光明(逮捕時51):懲役15年
妻・栗山澄江(逮捕時74歳):懲役13年
娘・栗山久美子(逮捕時50歳):懲役13年

家族3人は、被害者のせいで6000万円もの借金を背負わされ、被害者の死亡保険金で返済するしかないと追い詰められていた。そんな事情を三上らに利用されたために犯した犯行で、受け取った保険金のほとんどを三上らに吸い取られていた。このような点が情状酌量され、保険金殺人としては軽い刑となった。

3人は控訴したものの、すぐにこれを取り下げ、上記の刑が確定した。

上告中だった後藤に、死刑が確定

後藤が単独で起こした水戸市男性殺害事件・宇都宮男女4人死傷事件について、2007年9月28日、上告審判決公判が開かれた。
裁判長は「極めて悪質で、動機に酌量の余地はない」として後藤の上告を棄却、「5人の被害者のうち2人の生命を奪い、3人に重傷を負わせたという結果は重大」と述べた。その上で、「1人の死亡は確定的殺意に基づくものではないことなど、被告人のために酌むべき事情を十分に考慮しても、被告人の罪責ざいせきは重大で、死刑是認ぜにんせざるを得ない」とした。

これにより、後藤良次の死刑が確定した。共犯の舎弟・小野寺宣之には、無期懲役が下っている。

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三上静男の公判

三上静男の初公判は、2008年7月31日だった。彼は罪状認否で無罪を主張した。
「栗山さんを軟禁した覚えはなく預かっていただけ。酒も無理やり飲ませたわけではなく、栗山さんが自主的に飲んでいた」と犯行を否認した。

第3回公判では、後藤が証人として出廷し、かつて蜜月といわれた2人が対峙する場面もあった。

2009年1月29日、求刑公判が開かれ、無期懲役が求刑された。最終陳述で三上は「自分が犯人なら、犯行が発覚しないよう、完全犯罪にする。自分の家を犯行場所に選ぶはずがない。」と無実を主張した。

2009年2月26日、判決公判
裁判長は、後藤やその舎弟、被害者家族の証言は、高度の信用性があると判断した。
弁護人の「上申書はでっちあげ」との主張には「後藤被告が死刑延期を考えていることや、三上被告に悪意があるのは確かだが、それを踏まえても供述の信用性は高い」として、検察側の求刑通り無期懲役を言い渡した。

三上はこれを不服として控訴したが、8月24日に棄却された。その後、上告するも2010年3月3日に棄却、三上の無期懲役刑が確定した。

共犯者の判決

2009年4月13日、後藤の初公判が開かれた。起訴内容について後藤は、一部の詳細を除いて「間違いは何もありません」と認めている。

第5回公判の最終意見陳述では「被害者の方は戻ってこないが、残された人生を償い、歩いていきたい」と心境を語った。
そして6月30日の判決公判で、後藤は懲役20年を言い渡された。上申書提出が自首にあたると認定され、罪が軽減されたのだった。しかし、すでに死刑が確定している者が、別の殺人事件の被告になることに何の意義があるのか、という議論を呼ぶことになった裁判だった。

*従犯の舎弟4人は不起訴となっている。

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犯人について

後藤良次の生い立ち

上申書殺人事件・後藤良次

後藤良次は1958年7月24日、栃木県宇都宮市簗瀬やなせに生まれた。
家はペット屋を営んでおり、兄弟は3人、彼は次男である。地元の中学校を卒業後、しばらくは実家のペット屋を手伝っていた。

前歴1

1972年10月頃:14歳
窃盗・暴力行為で宇都宮東署に逮捕されて初等少年院送致となり、千葉県の少年院で1年過ごす。

16歳の時に宇都宮市内の稲川会系暴力団の幹部とつながりを持つようになり、その流れでその世界に入り、組員となった。

前歴2

1976年2月頃:17歳
山形県内において窃盗・器物損壊で山形県警に逮捕され、中等少年院送致となる。

前歴3

1977年9月頃:19歳
器物損壊で宇都宮中央署に逮捕され、特別少年院送致となる。小田原少年院と久里浜特別少年院に入院。

前歴4

1978年頃:20歳
久里浜特別少年院で職員に乱暴を働き、公務執行妨害・傷害で神奈川県警浦賀署に逮捕される。懲役1年4か月となり、水戸少年刑務所に服役。

前科1

1979年6月頃:20歳
器物損壊・住居侵入で茨城県警麻生署に逮捕され、懲役1年2か月の処分となり、水戸少年刑務所に服役。

前科2

1981年2月頃:22歳
窃盗・器物損壊・住居侵入で宇都宮東署に逮捕、懲役10か月の処分となり、水戸少年刑務所に服役。

1981年3月、組が解散となり、翌1982年1月からは、群馬県前橋市内に本部を構える「稲川会上州田中一家小田組」の組員となる。

前科3

1982年4月頃:23歳
恐喝で宇都宮東署に逮捕され、起訴猶予処分となる。

1987年7月、茨城県水戸市に同組の水戸支部が設立され、後藤は支部長となる。

前歴5

1990年4月2日:31歳
群馬県館林市の場外馬券売り場で住吉会系暴力団・諏訪組組長射殺する。翌年3月、群馬県警に出頭し逮捕されたが、証拠不十分で不起訴となる。

上申書殺人事件・後藤良次
まさに凶悪そのものの後藤良次

1994年5月、前橋に戻り、総長の直参となる。翌年の1995年には「後良組」を構え、組長として活動をはじめた。

前科4

1994年11月頃:36歳
暴力行為・覚せい剤取締法・銃刀法違反・火取法違反で群馬県警前橋署に逮捕され、懲役4年となる。福島刑務所に服役。

1998年9月、福島刑務所を仮釈放で出所。宇都宮に戻り「後藤組」として中古車販売などの活動を試みるも、組の復興は困難だった。このころ、知人の紹介である女性とつきあうようになる。その後、組を解散、ほとんど堅気かたぎとなった後藤は、水戸市に移った。
当初、女性とはラブホテルを転々としていたが、旧友の口利きであるマンションに入居する。そして、不動産の仕事に就くことを考え、旧友に相談、”先生”こと三上静雄を紹介される。

三上に付いて仕事するようになると、後藤は今までのような貧乏ヤクザを脱却、高級車を乗り回すなど、羽振りがよくなった。三上は後藤を用心棒のように重用し、後藤は三上を先生と呼び、2人は切っても切れないほどの関係となる。

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主犯・三上静雄について

上申書殺人事件・三上静男
死の錬金術師・三上静男

三上静男茨城県北部の海沿いの町に生まれた。
地元の小中学校を出て、水戸市内の高校に進学。卒業後は、東京に出て新宿区にある印刷会社に就職、印刷工として働いた。
その後は転職して、銀座の広告会社で営業職に就く。しばらく働いたのち地元に戻り、電線加工会社の工員を経て、住宅設備会社の営業マンとなった。

1982年、住宅設備の知識を活かし、住宅設備機器の卸業の会社を設立する。しかし、1993年3月、約7億円の負債を抱え倒産。その後は不動産ブローカーとして暗躍する。

彼に対する評価は辛辣なものが多い。中学時代の同級生は「不良を気取っていたが、自分より弱いものだけをいじめていた。」と話す。
茨城県の住宅関連会社社長は「商売のやり方があくどい。見積もりでは格安だが、支払う段階になると額が跳ね上がっている。文句を言わなければそのまま、強い苦情が出れば従業員が間違えたとして値段を格安に戻すようなことをしていた。あれでは信用をなくす。」と厳しい。

三上はヤクザが好きで、こだわりなくあらゆる組の親分や幹部と付き合っていた。そういう連中の自宅のリフォームなども一手に引き受けていた。また、競売物件の処分を妨害する「占有屋」としても有名だった。競売物件に人を住ませるなどして、立ち退き料をせしめるのだ。
そんなことを繰り返しているうちに、ヤクザから命を狙われることもあったという。

三上はひどいアル中で、四六時中飲んでいるという証言もある。また、普段は穏やかで朴訥なイメージだが、酔うと本来のサディスティックな面が現れるという。言葉も荒くなり、残虐な面が出てくる。飼っている鳩やニワトリの首を絞めて殺すのを見た人によると、その時の三上の表情はとても愉快そうだったという。

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