北見市資産家夫婦殺人事件|あと10か月で時効成立だった死刑囚

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北見市資産家夫婦殺人事件/窪田勇次 日本の凶悪事件

北見市資産家夫婦殺人事件

自身の営業成績のため、不正に契約件数を増やしていた保険外交員の窪田勇次(当時43歳)。その中には、虚偽の説明で契約締結した北見市の資産家夫婦のものがあった。

ある時、不審に思った夫婦は契約の解除を申し出る。窪田は「これがバレると他の不正も発覚し、会社をクビになる」と恐れ、1988年10月21日、夫婦を殺害してしまう。
窪田は自殺を偽装してまで逃げ続けるも、時効まで1年を切った2002年12月、ついに逮捕となった。

2023年9月23日午前7時半頃、窪田勇次死刑囚は収監されていた札幌拘置支所にて死亡。死因は誤嚥性肺炎による呼吸不全だった。(享年78歳)

【40人】獄中死した死刑囚 一覧【病死・自殺】

事件データ

犯人窪田勇次(当時43歳)
犯行種別殺人事件
犯行日1988年10月21日
犯行場所北海道北見市南町2丁目
殺害者数2人死亡
判決死刑
2023年9月23日 札幌拘置支所にて死亡(享年78)
動機保険の不正契約の発覚を防ぐため
キーワード時効まで10か月

事件の経緯

窪田勇次/北見市資産家夫婦殺人事件

保険外交員の窪田勇次(当時43歳)は、自身の営業成績を伸ばそうと考え、架空の保険契約をいくつも締結していた。こうして不正に営業成績を上げたのはいいが、それにかかる保険料は自分が負担する必要があり、横領行為等を繰り返していた。

北海道北見市南町に、地元では資産家として知られる夫婦、矢田勝治さん(当時61歳・無職)と妻の和枝さん(56歳)が住んでいた。窪田は矢田夫婦に対しても虚偽の説明をして、半ば騙すようにして保険契約を締結させていた。
ある時、夫婦はこの保険契約を不審に感じ、解約について言及してくるようになった。

窪田は、「夫婦への虚偽説明が露見すれば、これまでの不正行為も発覚するかもしれない」と焦り出した。もし、不正が明るみになれば会社は懲戒解雇となり、「自身の生活が破たんしてしまう」と危機感を覚えた。窪田は、そのような事態になることだけは ”どんなことをしても” 避けたいと考えていた。

北見市資産家夫婦殺人事件

1988年10月21日、窪田は工具のドライバーを携行して、矢田宅を訪れる。彼は持参したドライバーを凶器として使い、夫婦を殺害するつもりだった。

夫の勝治さんが昼寝を日課としていることを、窪田は知っていた。彼は、夫婦2人を同時に殺害するのは困難と考え、「夫の昼寝中にまず妻を、それから寝ている夫を殺害」という計画を立てた。

家に到着すると、窪田は応対した和枝さんの首のうしろをドライバーで数回にわたり突き刺し、殺害を試みた。しかし、これでは殺し切れないと見ると、台所から出刃包丁を持ち出して和枝さんの首あたりを中心に多数回刺して殺害。和枝さんの体に残った刺し傷は、60か所にもおよんでいた。

続いて、寝ている夫の勝治さんの首などを、包丁で何度も突き刺して殺害した。昼寝中で抵抗することもできない勝治さんは、約20か所の刺し傷を負わされていた。

技術の進歩により逮捕

窪田は事件後、北海道警から任意の事情聴取を受けた。だが、決定的な証拠も自白もなく、この時点で逮捕には至らなかった。

そんな中、窪田の車が網走新港(網走市)に転落しているのが発見される。犯行から約1年後の1989年11月のことだった。自殺の可能性もあったが遺体はみつからず、これは偽装であるとみられた。警察は、このような工作を行うことこそが、「窪田が犯人である」という、何よりの証拠とみていた。
だが、窪田の行方はその後も判明せず、身柄を確保できないまま14年の年月が流れた。

北見市資産家夫婦殺人事件/窪田勇次
指名手配となった窪田勇次

当時の殺人の時効は15年。窪田の公訴時効成立まで1年を切り、11ヶ月後に迫っていた。だが、警察も手をこまねいているばかりではなかった。この間に警察の捜査技術は進歩し、DNA鑑定の精度は上がった。その結果、犯行現場に残された血痕と窪田のDNA型が一致することが判明。これをもとに2002年11月、捜査本部は逮捕状を取り、窪田は指名手配となった。

公訴時効について

公訴時効は、2004年(平成16年)の改正後に発生した事件については25年となったが、2010年(平成22年)4月27日、さらに改正が行われ、現在は殺人事件の時効は廃止されている。
これは、改正時点ですでに時効成立している事件を除き、過去の事件にも適用される。

それと同時に、テレビなどの報道機関を通じて情報提供を呼びかけ、世間の事件に対する関心も高まっていった。警察にはさまざまな情報が寄せられるようになったが、その中に「容疑者によく似た男を横浜で見た」というものがあった。

これを有力情報とみた捜査員が横浜に急行。そして2002年12月18日、とある建設現場で働いていた窪田容疑者を逮捕した。

事件を特集した番組
  • 「奇跡の扉 TVのチカラ」テレビ朝日・2002年11月30日放送
  • 「迷宮の扉」テレビ朝日・2002年12月12日放送

収監中に死亡

北見市資産家夫婦殺人事件/窪田勇次
北見市資産家夫婦殺人事件/窪田勇次

裁判で死刑が確定し、札幌拘置支所に収監されていた窪田勇次死刑囚だが、2023年9月23日午前7時半前、誤えん性肺炎による呼吸不全のため死亡した。

獄中死した死刑囚 一覧

窪田死刑囚は、2023年7月に糖尿病や誤えん性肺炎などと診断され治療を受けていた。その後の9月23日午前7時頃、札幌刑務所内の居室で苦しそうにしていたことから医師による救命措置を受けたが、およそ30分後の午前7時半頃、死亡が確認された。(享年78歳)

裁判

第一審は、釧路地裁にて行われた。
初公判で窪田勇次被告は、起訴事実を全面的に認めていた。

検察側は、「犯行現場に残った血痕が、DNA鑑定により窪田被告のものと一致する」ことを有力証拠とした。また、窪田本人の供述からもそれは明らかであると主張していた。

初公判では犯行を認めていた窪田だったが、第4回公判(2003年9月)で突然否認に転じる
「事件は警察のねつ造。血痕は病院で採血した自分の血を、誰かがまいた」と述べた。

その後の論告求刑公判で、検察側は「保険の顧客だった被害者との契約上のトラブルが発覚して、懲戒免職になることを恐れ、被害者を何度も刺した利己的で残虐な犯行」と死刑を求刑した。

弁護側は最終弁論で「多量かつ広範囲の血痕を被告の鼻血とするのは不自然。動機も薄弱で殺人に結びつかない」と反論し、無罪を主張した。

2004年3月2日の判決公判で釧路地裁は、窪田被告に死刑を言い渡した。
裁判長は「現場から見つかった血痕は窪田被告の血液で、犯行時に遺留されたと認められる。自白は信用でき、犯行を実行したことは明白」として、弁護側の主張を退けた。

これを不服とした弁護側は、控訴した。

最高裁で死刑確定

札幌高裁での控訴審でも窪田被告は、「連日の調べで刑事に自白を強要された。一審判決(死刑)はでたらめだ」と述べ、弁護人も「現場にあった被告の血痕が事件当時のものである証明は不十分で、自白内容も真実ではない」などと無罪を主張した。

しかし2005年12月1日、札幌高裁は窪田側の控訴を棄却、一審の死刑判決を支持した。
判決理由で裁判長は「反省悔悟の念が全く認められない。犯行は残虐、冷酷非道で刑事責任は重大。極刑で臨むしかない」と指摘した。
弁護側は上告した。

最高裁

最高裁の弁論で、弁護側は「DNA鑑定に依拠した事実認定の危険性は足利事件で明らか。一、二審では鑑定の信用性について、十分な検討が行われていない」と指摘。そのうえで「少なくとも高裁に差し戻し、再鑑定などを行うべきだ」と主張した。

これに対する検察側は「(逮捕された)2002年当時、新たに実用化されていた鑑定方法を用いている。証拠能力も十分」と反論。足利事件より10年以上後の鑑定で、「精度に問題ない」との認識を示した。

2009年12月4日、最高裁で判決公判が開かれた。
裁判長は、弁護側の「信用性が不十分で、再鑑定を行うべき」との主張を退け、「記録を調査しても、重大な事実誤認はない」と述べ、DNA鑑定は信用できると認定した。

そのうえで「虚偽の説明をして保険契約を結んだことの口封じのため、被害者を殺害した犯行動機は身勝手で悪質。夫婦を何度も刺すなど、執拗かつ残虐だ。2人の命を奪った結果は極めて重大」と指摘。

さらに「犯行の約1年後に自殺を偽装して行方をくらまし、約13年間にわたり逃亡を続け、一審の途中から犯行を否認し、不合理な弁解をするなど反省の態度は認められない。前科がないことをなどを考慮しても、死刑を是認せざるを得ない」と指弾した。

こうして上告は棄却となり、窪田被告は死刑が確定となった。死刑囚となった現在は、札幌拘置支所にて収監されている。

繰り返した再審請求

窪田は、2009年から2020年3月までに4回の再審請求をしているが、いずれも棄却された。

2020年には、「血痕の鑑定結果」を新証拠として提出し、第5次再審請求をしたが、請求棄却となっている。弁護側は、形状から「移動中に滴った可能性は低く、犯行時のものとして不自然」と主張するも、裁判長は「(弁護側の)新証拠には疑義がある」と指摘している。

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