品川製麺所夫婦強殺事件|アパートの大家を殺害した密入国者

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品川製麺所夫婦強殺事件 日本の凶悪事件

「品川製麺所夫婦強殺事件」の概要

船で密入国して暮らしていた中国人の謝依俤(当時24歳)は、2002年8月31日、自身が住む品川区のアパートの大家宅に強盗に入った。身元が不確かでも部屋を貸してくれた恩義もあるはずなのに、謝は大家夫婦を殺害して金と宝石を奪った。その後、名乗らずに事件のことを110番通報。警察は事件後から行方をくらましていた謝を友人宅で発見し、逮捕となった。
裁判では「殺意はなかった」と主張するも、判決は死刑。現在は、東京拘置所で刑の執行を待つ身である。

事件データ

犯人謝依俤(当時24歳)
読み:シェ・イーディ
犯行種別強盗殺人事件
犯行日2002年8月31日
犯行場所東京都品川区
被害者数2人死亡
判決死刑:東京拘置所
動機金銭目的
キーワード中国人

事件の経緯

中国福建省で生まれ育った謝依俤(シェ・イーディ)(当時24)は、1999年2月頃、船で名古屋港に密入国した。そして、解体工や飲食店の皿洗いなどで生計を立てていたが、長続きせず職を転々とした。

2002年春頃から、謝は品川区内の製麺所裏のアパートに住むようになった。製麺所を経営する夫婦は、アパートの大家でもあり、製麺所はラーメン屋と夫婦の自宅も兼ねていた。家賃は月1万8千円と、東京23区ではかなり安かったが、謝はこれを滞納しがちだった。8月上旬に解体工を辞めて収入がなくなったこともあり、7月分の家賃も支払っていなかった。

謝には日本の生活で増えた借金に加え、密入国の際の借金もあった。そこで、大家の家に強盗に入る計画を立て、中国人仲間に「年寄り夫婦だから殺すのは簡単だ」と犯行を持ちかけた。しかし、これを断られたことから、謝は単独での犯行を決意する。

2002年8月31日午前0時過ぎ、アパート大家夫婦の自宅に侵入した謝は、持っていたナイフで早川勇さん(当時64)とその妻・容子さん(当時57)を刺殺し、現金約4万7千円や指輪・ネックレスなどの貴金属を奪った。

犯行後、自分の部屋に戻った謝だが、人を殺したことで落ち着かない気持ちだった。やがてひとりでいることがキツくなり、午前1時~2時頃、タクシーで池袋のディスコに出かけた。店では知人と話したりして気を紛らわせたが、午前6時頃、良心が咎め出したため、JR池袋駅近くの公衆電話から警察に電話した。

謝は、逮捕前に両親と話しておきたかったので、この時の電話では事件を通報したのみで自首したわけではなかった。その日の夜、謝は中国に電話して事件のことを母親に伝えたが、警察に出頭することもなく、そのまま逃亡生活を続けた。

9月8日頃、所持金が尽きた謝は、盗んだ宝石類を解体工時代に知り合った知人に売って現金に換えた。一方、警察は現場アパートから行方不明になっている中国人がいることをつかみ、そしてそれが謝であることが判明したことから、捜査を開始した。

9月14日午後5時過ぎ、謝はJR池袋駅近くの友人宅にいるところを警察に発見され、入管難民法違反(旅券不携帯)の現行犯で逮捕された。謝は取り調べにおいて、池袋から110番通報したのは自分であることを認めた。そして、「池袋で遊んで早朝に帰ってきたら、ドアが開いていて電気がついていた。家賃を払おうと中に入ったら、死んでいてびっくりした」と話していた。

しかし、この供述内容では夫婦の死体発見後、池袋に戻って110番通報したことになり、辻褄が合わなかった。ほかにもあいまいな点が多く、警察が厳しく追及した結果、謝は夫婦殺害を自供。9月19日、強盗殺人容疑で再逮捕された。

謝依俤の生い立ち

謝依俤(シェ・イーディ)は1977年9月7日、中国福建省の小さな漁村で生まれた。漁師の父親は、しつけは厳しかったが、子供のことはかわいがった。母親は主婦で、お菓子を売って家計の足しにしていた。貧しい地域だったので、電気照明を使うようになったのは4、5歳の頃からで、それ以外の電化製品は家になかった。

4人兄弟で4歳年上の姉、下に弟と妹がいる。兄弟は仲が良く、姉によると謝は「素直で優しい性格。よく言うことを聞く、頭の良い弟だった」とのこと。学校の成績も良く、先生にもかわいがられたという。非行とも縁はなく、悪い人間と付き合うこともなかった。

地元の小中学校を経て働くようになったが、あまり仕事がなかったので、謝は韓国で働いて仕送りするようになった。だが、韓国の出稼ぎは結果的にうまくいかず、中国に帰った。それから福州で調理の仕事に就き、月2回ほど家に帰ってお金を入れた。

1999年2月頃、船で名古屋港に密入国。日本では解体工をしたり、飲食店の皿洗いなどをしていたが、長続きせず職を転々とした。2002年春頃から、製麺所(兼 ラーメン屋)を経営する夫婦が経営する、製麺所裏のアパート(家賃1万8千円)に住み始めた。

家賃は滞納しがちで、8月上旬に解体工を辞めて無職になると、ますます金に困窮するようになった。そんな中、8月31日に本事件を起こす。アパートの大家夫婦を殺害し、金や宝石を奪った。

裁判で2012年10月19日、死刑が確定。現在は東京拘置所に収監中である。

謝の母親は、事件を知ったショックで食べるのも寝るのもままならない状況になり、かなり老け込んでしまったという。2003年3月28日、被害者が成仏できるよう家で法事をやっている最中、2階から火出し、母親が亡くなった。そしてその際の火傷が原因で、2日後(3月30日)に父親も他界した。

謝依俤が獄中で描いた絵

「無題」謝依俤・2011年/品川製麺所夫婦強殺事件
「無題」謝依俤・2011年
「除害」謝依俤・2010年/品川製麺所夫婦強殺事件
「除害」謝依俤・2010年
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上記の絵は、謝依俤が死刑確定となる前の2010年~2011年(控訴中)に、獄中で描いた絵である。

「極限芸術 ~死刑囚は描く~」より

裁判

公判で、謝依俤被告は強盗目的や殺意を否認し、「盗みをするつもりだった。誤って刺したが、殺すつもりはなかった」と主張した。

検察側は論告で「金銭目的で何の落ち度もない2人の命を奪った、身勝手で冷酷な犯行。反省も見られず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。

2006年10月2日、東京地裁は謝被告に死刑を言い渡した
裁判長は「鋭利なナイフをいつでも使用できる状態で所持しており、むしろ計画的な犯行」と指摘。そのうえで「ナイフで息の根を止めるまで執拗に突き刺し、強固な殺意に基づく犯行だ。その凶悪さには目を覆わしめるものがある」と非難した。

そして、「金銭的欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の命を奪った。遺族が極刑を望むのも当然。前途がある年齢で反省も示しているが、死刑をもって臨むことはやむを得ない」と述べた。

控訴審で謝被告は、「殺意はなかった、一審判決は重すぎる」と減刑を求めたが、2008年9月26日、東京高裁は被告側の控訴を棄却した。

裁判長は、謝被告が犯行後もディスコで頻繁に遊ぶなどしていた点を指摘。また、ストッキングをかぶって侵入し、直後にナイフを抜き身にしていることから、「(犯行は)強固な殺意のもとに行われた。落ち度のない被害者の生命を相次いで踏みにじった冷酷で残虐な犯行。非人間的で、極刑をもって臨むほかない」と述べた。

2011年12月16日、東京高裁は「証拠物のサバイバルナイフ1本を紛失した」と発表した。実際に凶器として使用されたナイフではなく、同じ形状の市販製品として提出されていた。
高裁によると、9月に行った「全証拠物の検査」でナイフが無くなっていることに気付いた。控訴を受けて証拠物を保管した2007年1月以降の担当職員への聞き取り調査を進めたが見つからず、紛失時期も特定できなかったという。
2012年9月10日、東京高裁は、証拠品管理の責任者だった歴代の会計課長3人を注意処分としたと発表した。

2012年9月10日の最高裁弁論で、弁護側は殺意を否定し、「反省を深め、心から謝罪している」と死刑回避を主張。また、東京高裁が押収したナイフ1本を紛失した件について「重要な証拠であるナイフを調べずに殺意を認めた、控訴審判決は破棄されるべき」と主張した。

一方、検察側は「金欲しさに落ち度のない2人を惨殺し、改悛の情は認められない」と死刑を求めた。

2012年10月19日の最高裁判決で、裁判長は上告を棄却し、謝被告の死刑が確定した。
ナイフを紛失した件について、管理態勢の問題を指摘したものの、「紛失したナイフは凶器そのものではなく同種品。撮影、計測した報告書もあり、他の証拠から殺意を十分認定できる」と弁護側の主張を退けた。

そして動機については「生活費や遊興費に窮しての犯行で、酌むべき点はない。殺傷能力の高いサバイバルナイフで被害者の胸や背中を多数回突き刺しており、強固な殺意が認められる。被害者を次々に殺害し、冷徹に金品を奪う目的を達しており冷酷で残忍。ナイフを事前に用意するなど計画的で、2人の命を奪った結果は極めて重大」と述べた。

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