舞鶴高1女子殺害事件|無罪だけど無実じゃない?極悪容疑者・中勝美

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舞鶴高1女子殺害事件・中勝美 日本の凶悪事件

舞鶴高1女子殺害事件

2008年5月7日、舞鶴市でひとりの女子高生の遺体が発見される。彼女は2日前の午後10時以降に家を出た切り、行方がわからなくなっていた。
捜査で浮上した中勝美(当時60歳)は状況証拠のほか、前科や手口などから犯人である可能性が高かったが、裁判ではひと昔前の捜査方法の不備を突かれ、無罪となる。
中勝美はその後も事件を起こして拘置された際、同じく拘置中の男性に「女子高生は自分が殺した」と告白していたという。

事件データ

容疑者中勝美(当時60歳)
事件種別 殺人事件
発生日2008年5月7日
場所京都府舞鶴市
被害者数女性1人死亡
判決無罪
キーワード逆転無罪

事件の経緯

舞鶴高1女子殺害事件・小杉美穂さん
被害者の小杉美穂さん

2008年5月7日、京都府舞鶴市に住む東舞鶴高浮島分校1年・小杉美穂さん(15歳)が行方不明となる。彼女は前日6日午後10時以降に自宅を出たあと、行方が途絶えてしまった。母親が就寝した午後10時頃、美穂さんはパジャマに着替えて自宅にいたという。

このことから母親が寝たあと、着替えて出かけたとみられている。

5月6日
PM10:00~
母親の就寝後、パジャマから私服に着替えて出かけた。
5月6日
PM11:57
携帯からブログに「イェイ!発見」と書き込む。ガソリンスタンド近くの ”工事現場の赤色灯” の写真もアップされていた。
5月7日
AM0:50頃
携帯で友人と「ひとりで散歩している。国道沿いのドラッグストア付近にいる」という内容のことを話す。
友人と電話のあと、東京の兄にメールを送信。(これが確認できる最後の行動

7日午前9時頃、美穂さんが家に帰らなかったため、家族が捜索願を提出した。母親によると、美穂さんはおとなしく人見知りする性格。母親には何でも話していて、交友関係も把握できていたそうだ。

遺体が発見される

舞鶴高1女子殺害事件
京都府舞鶴市朝来西町の事件現場

翌8日の午前8時45分頃、美穂さんは遺体となって発見される。場所は雑木林、遺体は全裸の状態で、隠すように土や枯れ葉がかけられていた。

美穂さんの死因は窒息死だが、バールのようなもので顔や頭などを数回殴られた跡があった。死亡時刻は5月7日未明とされている。現場には大量の血痕が残されていた。

警察は殺人事件として捜査を開始。当初は交友関係を洗えば犯人に辿り着くと楽観視していた。
美穂さんと親しかった10代の少年が疑われたこともあったが、すぐにアリバイが判明。美穂さんには周辺とのトラブルは無く、捜査は難航した。

迷宮探訪 時効なき未解決事件のプロファイリング

目撃情報

舞鶴高1女子殺害事件・小杉美穂さん
小杉美穂さん

遺体発見の8日後、5月7日午前3時過ぎに現場近くを通ったというトラックの運転手が駐在所を訪れる。運転手は現場から約300mの路上で「自転車を押す男性と若い女性を目撃した」と証言。女性は美穂さんと似ていて死亡推定時刻とも合致していた。一方、男性については「19、20歳ぐらい」と話した。

だが捜査本部は当初、美穂さんの交友関係を重点的に調べていて、この証言を重視していなかった。記者にも「(証言の)確度は低く、たいしたことない」と答えていた。

容疑者を特定

舞鶴高1女子殺害事件・遺体発見現場
遺体発見現場

いくら交友関係を調べても、犯人特定に結び付く情報はみつからなかった。

ここにきて初めて目撃情報に目を向けることになる。トラック運転手の証言は「自転車を押す若い男女を見た」というものだったが、それは複数の防犯カメラの記録にも残されていたのだ。カメラに写った2人は、府道を現場方向に向かって歩いていたという。

この情報から浮上したのが、遺体発見現場付近に住む中勝美(当時60歳)である。彼には過去に殺人や似た手口の傷害事件を起こした前科があった。さらに、中が当日立ち寄った飲食店店員からは「男性は帽子をかぶり、自転車で帰ると話していた」という証言を得る。

このような状況証拠や、防犯カメラの男と当日の中勝美の服装が似ていたことなどから、彼は最有力な容疑者となる。しかし事件と結び付くような物的証拠はなかった。
そのためか、中は2008年11月に別件で逮捕される。逮捕容疑は女性の下着や神社の賽銭を盗んだ疑いだった。

捜査員の痛恨のミス

翌2009年1月11日、捜査本部はトラック運転手から再び話を聞いた。
この時に捜査員がミスを犯してしまう。容疑者の写真を見せてほしいと頼まれ、”面割り” の前に写真を見せてしまったのだ。写真を見たあと、運転手の証言は、中勝美の特徴に合う内容に変わっていく

そして、裁判ではこのことが、検察側にとって最大限に不利になる。

面割り

複数人の写真を貼付した台帳を、被害者や目撃者に見せて「犯人」を特定させること

別件逮捕から約5か月後(事件から11か月後)の2009年4月7日、中勝美は美穂さん殺害容疑でも逮捕、そして起訴された。

逆転無罪

公判で弁護側は、運転手の証言内容が途中から変わったことを批判した。
2011年5月、第一審では無期懲役の判決。しかし控訴審では逆転無罪となる。大阪高裁は「運転手は、事後的に得た中被告の特徴を混同した」と判断。最高裁の決定もこれを支持、2014年7月に無罪が確定した

実際、目撃者の運転手は ”面割り” の前に写真を見て、記憶が変容した可能性があった。証言は取り調べを重ねるにつれて中被告の特徴と矛盾する部分が消え、最終的に中被告とほぼ一致する内容へと変わっていた。

また、中は取り調べで、美穂さんのポーチの色や形を詳述して、検察側はこれを犯人しか知り得ない秘密の暴露としていたが、取り調べは録音も録画もしていなかった。そのため、最高裁は捜査員の誘導や示唆があったと判断したのだ。

この事件の捜査時期は、司法制度改革のちょうど過渡期だった。
取り調べは録音・録画もしておらず、「面割り」の前に容疑者の写真を見せるような「ひと昔前の捜査方法」が通用しないということを知らしめた事件だった。

容疑者・中勝美の生い立ち

舞鶴高1女子殺害事件・中勝美
中勝美

中勝美は1948年、京都府舞鶴市で生まれた。子供の頃に母親が離婚し、母子家庭で育った。中学校時代から脅迫、恐喝の犯歴があり、少年院を出たり入ったりしていた。

高校時代、母親は警察官の男性と再婚。中は、この再婚相手の家の離れでたったひとりで暮らすことを余儀なくされた。その後、高校は中退。職を転々とするものの仕事自体は真面目だったという。京都や大阪で、自動車の見習工や警備員のバイトなどに勤務した。

24歳の時に知り合ったホステスの林好子さんと舞鶴で同棲を始める。この頃は飲食店の店員だった。

25歳で殺人の前科

林さんと同棲を始めた翌年(中は25歳)、同棲に反対する林さんの家族が、林さんを滋賀県草津市の実家に連れ戻した。1973年9月17日、は彼女の実家まで行き、玄関前で待ち伏せをして林さんとその兄を刺殺。そのあと、別の民家に人質2人を取って立てこもった。
6時間後、中は警察の説得の応じ投降、逮捕された。

この事件で中は懲役16年の判決を受けたが、12年で仮釈されて1985年頃に出所している。

美穂さん殺害と似た手口の事件

1991年、中勝美(当時43歳)は舞鶴市朝来西町に住むグラインダー工員だった。
この年の9月12日午後7時25分頃、中は舞鶴市浜の市道で21歳女性にいたずらしようとして、海上自衛官2人に取り押さえられている。

彼は女性の自転車に後部から体当たりして転倒させ、顔などを鈍器のようなもので執拗に殴っていた。女性は顔などに約10日間の怪我をしている。

本記事「舞鶴高1女子殺害事件」の被害者・小杉美穂さんも、同じようにバールのようなもので顔などを激しく殴られている。

この事件では懲役6年を受け、1998年頃、満期出所した。

事件当時の中勝美

舞鶴高1女子殺害事件・中勝美

2008年5月7日、本事件「舞鶴高1女子殺害事件」が発生。
事件当時、中勝美(当時60歳)は生活保護を受給し、鉄屑拾いをして生活していた。スキンヘッドだったことから、近所の子どもたちからは “ハゲタカ” と呼ばれていたそうだ。

住んでいたのは遺体発見現場から数100mのところにある府営住宅。築数十年は経っていそうな2階建ての集合住宅である。そこから道を挟んだ西側は、新しい分譲住宅が建ち並ぶエリアで、美穂さんが住んでいたマンションもそのあたりだった。

天罰が下った?

無罪が確定した約4ヶ月後(2014年11月5日)、中勝美は大阪市北区で知人女性を刺したとして殺人未遂で現行犯逮捕された。彼はこの事件で殺人未遂や強制わいせつ致傷などで懲役16年の判決を受けた。

そして、大阪刑務所に服役していたが中勝美だったが、2016年4月から体調を崩し治療を受けていた。そして7月11日、大阪医療刑務所で病死した。(67歳没)

彼は大阪拘置所に拘置中、同じく拘置中の男性に「女子高生は自分が殺した」と告白していたという。

取り調べの可視化

この事件の頃は「取り調べの可視化」は義務化されておらず、まだ昔の捜査のやり方がまかり通っていました。昔のやり方が横行すれば、おのずと冤罪が増えてきます。密室で行われる取り調べは、圧倒的に警察に有利だからです。

被疑者を精神的・肉体的に追い込み、やってもいない罪を認めさせることなど、本気になれば簡単なことです。こんな恐ろしいことを防ぐためにも、可視化は絶対必要といえるでしょう。

 

日本でも2019年6月にやっと可視化が義務付けられましたが、録画義務付けの対象は、全事件の3%未満にすぎません。これまでに発生した多くの冤罪事件は、この改正法があったとしても録画義務付けの対象外。また、逮捕されていない被疑者や参考人(被疑者以外の人)の取調べも録画義務付けの対象外です。

 

国連の国際人権(自由権)規約委員会は、日本政府に対して、取り調べの弁護人の立会いのほか、取り調べの方法、継続時間の厳格な規制と完全なビデオ録画を定める立法措置を講ずるよう勧告しています。要は「ちゃんとしなさい」と叱られているわけです。「日本の司法は中世並み」といわれるのもうなずけます。

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