高知連続保険金殺人事件|日本最高齢の女性死刑囚

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坂本春野日本の凶悪事件

高知連続保険金殺人事件

坂本春野は、保険金殺人のターゲットにする目的で、54歳の男性と結婚した。
そして、1987年1月17日、結婚後4か月の夫を殺害、保険金5000万円を騙し取ることに成功した。4年半後には、スナックの女性従業員を殺害して、再び保険金を得ようとしたが、怪しまれてしまい失敗する。
春野と共犯3人は逮捕され、春野には死刑が確定、彼女は77歳で死刑囚となる。これは、当時の戦後最高齢であった。

事件データ

犯人坂本春野はるの(当時59歳)
犯行種別保険金殺人事件
事件発生日1987年1月17日、1992年8月19日
犯行場所高知県室戸市吉良川町乙
被害者数2人死亡
判決死刑
2011年1月27日病死(83歳没)
動機保険金目的
キーワードスナック喫茶レインボウ、廃墟

事件の経緯

スナック喫茶レインボー
事件の舞台となったスナック喫茶レインボウ

1986年9月、坂本春野(当時59歳)は坂本準一さん(当時54歳)と結婚した。

準一さんは漁師として全国を転々とし、最終的に室戸港に落ち着いた。1980年、準一さんは山下啓子さんと結婚するが、3年後に離婚。そのころ仕事のなかった彼は、そのまま啓子さんの家に住み続けた。

1986年になって、2人は知人の春野に同居を持ち掛けられ、3人での生活が始まった。その年9月に春野と準一さんは結婚。現妻元妻が一緒に暮らすという、不思議な同居生活になった。

春野は自宅の隣に、スナック喫茶「レインボウ」を経営していた。

夫の準一さんを殺害

春野準一さんと結婚したが、この結婚にはある目的があった。春野は、夫に保険金殺人を仕掛けるつもりだったのだ。

1986年12月、春野は妹の寺岡芳野とその夫・寺岡和寿と3人で共謀して、夫の準一さんに生命保険を2口加入させた。保険について準一さんは「受け取る子供もいないし、金額も大きいから嫌だ」と知人に打ち明けていたという。
しかし、春野がくれる小遣いでパチンコに行ったり、酒も飲ませてくれる生活に満足しており、結局は5000万円の保険に加入した。

年明けの1987年1月17日の夜、スナック喫茶レインボウに妹夫婦がやってきて、5人で酒を飲んだ。夫の準一さんはかなり酒を飲み、泥酔していた。啓子さんが寝てしまうと、春野と妹夫婦は準一さんを離れに連れて行くのだが、その途中の庭で春野は彼の頭を漬物石で殴打。その後、離れの部屋に寝かせると、妹夫婦が手足を押さえつけ、春野が準一さんの顔に座布団を押しつけ、窒息死させた。

生命保険会社には、転倒事故として申告、「夫は酔って犬の散歩に出かけ、犬の鎖が足に巻き付いて転倒。それで頭を強打した」と説明した。頭の傷は1か所だったが致命傷ではなく、死因は心不全。掛け金は2度ほどしか払っていなかったが、保険金約5000万円が支払われた。そのうち2000万円を妹夫婦に渡している。

夫の元妻も殺害

夫の殺害から4年半後の1992年、春野は借金を抱えていた保険代理店経営・浜田忠男(当時62歳)と共謀し、次の保険金殺人に手を染める。次の標的は準一さんの元妻で、同居している啓子さん(当時60歳)だった。

浜田は、スナック・レインボウの数少ない客のひとりだった。春野の一連の保険金詐欺の手続きは彼が行っており、春野は浜田に報酬として700万円を約束していた。

8月19日、スナック喫茶レインボウの奥の3畳間で眠っていた啓子さんの頭を石で殴り、口と鼻を手でふさいで殺害。そして、交通事故を装うため遺体を近くの路上に捨てた。

午前0時40分、車で通りかかった男性が、パジャマ姿で倒れている山下さんを発見。警察が駆け付けた時には、彼女はすでに亡くなっており、近くの浜では山下さんの枕が血まみれで見つかっている。

春野は県警の任意の事情聴取に対し、「事件の夜は山下さんとテレビを見ていたが、自分は午後10時頃、先に寝た」と供述。部屋の血痕について追及されても「知らない」の一点張り、ポリグラフにも反応を示さない、終いには「無実なのに拘束されて、賠償を取ってやる」と言いだす始末だった。


春野は保険金約3500万円を請求したが、保険会社が怪しんだため、受け取ることはできなかった。
怪しんだのは警察も同じだった。啓子さんが死亡して以降、春野は警察にマークされていた。

そして翌年の1993年6月19日、坂本春野、妹夫婦、浜田忠男の4人は、詐欺・業務上横領で高知県警逮捕された。この時、春野の年齢はすでに66歳。その後、殺人罪でも再逮捕されている。

取り調べ

取り調べでは、春野は数日であっさりと自白している。捜査員の目からすると、”観念した”というよりは「罪の意識の低さ」によるもの、という印象だった。彼女は食事も睡眠もきちんと取り、衆議院選挙の不在者投票までこなしたそうである。

保険料はちゃんと払っているのだから、なにかあったらもらうのは当然。みんなやっている」と平然としていたという。

坂本春野について

坂本春野は、1927年6月21日、徳島県吉野川町の農家に14人兄弟の7番目で長女として生まれた。尋常小学校に通えたのは2か月だけ、貧しく恵まれない環境で育った。彼女には、てんかんの発作があったという。

16歳頃に家を離れ、全国の温泉地で売春婦として稼いだ。敗戦直後の1948年(昭和23年)在日朝鮮人の男性と結婚。子どもを1人もうけたが離婚している。
1954年には覚せい剤の運び屋をして逮捕、懲役1年が課せられた。1963年には指物職人と結婚するが、夫は狩猟中の事故で死亡

その後、兵庫県尼崎市で売春宿を経営するが、2度逮捕されて執行猶予付きの懲役刑を受けている。それから高知県に移り住み、しばらく売春婦をしていたが、1970年代にスナック喫茶「レインボウ」を開店した。

本事件を起こすまでの前科

逮捕時期年齢罪状判決
1954年10月27歳覚せい剤取締法違反懲役1年
1966年10月39歳売春防止法違反懲役刑
執行猶予付き
1967年9月40歳売春防止法違反懲役刑
執行猶予付き

保険まみれの人生

坂本春野は、保険と切っても切れないほど深い関係がある。
彼女が保険金で生活しているという噂は絶えず、陰では「タコ」と呼ばれていた。それは、”自分の手足を切り落として” まで保険金を騙し取っていたからである。一番多い時で30口以上、取り調べでも全部は把握していなかったという。

春野が受け取った保険金は10口で8000万円以上といわれる。当時の貨幣価値からすると、相当な額である。掛け金は借金してでも払い、それが無理になると”事故”を起こし、保険金を受け取ってでも払っていた。

過去の保険金詐欺

1976年(昭和51年)
自分の左手の人差し指を切断し、保険金を騙し取った。「魚をさばいていて誤って指を落とした」

1984年(昭和59年)
足の親指を切り落として保険金を騙し取った。「まき割りをしていて、足の指に当たった」

1988年9月下旬(昭和63年)
自転車で転んで左足に怪我をしたとして、安芸郡内の病院に約4か月入院。入院給付金214万円を騙し取った。

・春野は、妹夫婦にも保険金詐欺を勧めている。

寺岡和寿(妹の夫)は1985年、右目を失明したとして契約していた郵政省の特別養老保険の生涯保険金を受け取った。
その後、妹の寺岡芳野と共謀して、和寿が両目を失明したかのように装い、1990年8月頃、高知市内の眼科医院で医師に対し、左目の視力がほとんどないように嘘を言って診断書を作らせている。その診断書などを高松簡易保険金事務センターに提出、翌年重度障害保険金1000万円を騙し取っている。

死刑確定後の坂本春野

本事件では死刑が確定したが、死刑確定時77歳は当時の戦後最高齢
また、70歳以上の被告に上告審で死刑が言い渡されたのは、記録で確認できる1966年以降、初めてであった。

四国には死刑執行設備がないため、坂本春野は大阪拘置所に移された。彼女は、80歳近い年齢とは思えないほどの元気な婆さんといわれてたようだ。

しかし、2010年9月頃に腫瘍が見つかり、12月に大阪拘置所から身柄を移されて治療を受けていた。そして2011年1月27日、収容先の大阪医療刑務所で肝がんのために死亡した。享年83歳。

殺害現場は廃墟スポット

高知連続保険金殺人事件
2012年8月頃の状態

この事件の舞台となった、坂本春野の家と店舗は、現在もかろうじて残っていて、殺人事件のあった廃墟として、マニアにとっては有名なスポットである。

正面が母屋で、右側がスナック喫茶レインボウ、左奥に離れがある。

  • 夫・準一さんは、母屋の前ので頭を漬物石で殴打、その後離れに連れ込み、座布団を枕に押しつけて窒息死させている。
  • 2人目の山下啓子さんは、右側の店舗・スナック喫茶レインボウ内で頭を石で殴り、口と鼻を手でふさいで殺害した。
高知連続保険金殺人事件・殺害現場
左奥の離れが殺害現場か?

↑ 上記2枚の写真は、2012年8月頃のものである。この頃はまだ生活していた跡がうかがえる。坂本春野が死んでから、約1年半後である。

↓ 下の写真は、2021年5月頃のもの。建物のほとんどが草木に埋もれてしまっている。上記2枚の写真から約11年経っている。

高知連続保険金殺人事件
2021年5月頃の状態 正面に母屋の屋根がかろうじて見える

見に行くだけならいいですが、中には入らない方がいいと思います。

不法侵入になる、ということもありますが、何より危険です。 

位置情報:33°20’22.0″N 134°04’51.8″E

裁判記録

第一審:高知地裁

坂本春野被告は、一審の初公判では起訴事実を全面的に認めたが、その後、夫・準一さん殺害を否認、自白は強要されたものとして無罪を主張した。共犯の3人も同様に、無罪を主張した。

準一さんは検視の結果「病死」とされ、司法解剖は行われていない。捜査本部は、凶器の漬け物石が坂本被告の供述通りの場所から発見されたことから、裏付けが取れたと判断した。
裁判長は「捜査段階の自白は具体的で、体験者でなければ言えないような臨場感があり信用性が高い」として、公判途中での被告らの無罪主張をすべて退けた。

1998年7月29日、高知地裁は以下のように判決を下している。

被告人名判決控訴
坂本春野死刑
寺岡芳野無期懲役
寺岡和寿無期懲役
浜田忠男懲役15年

控訴審:高松高裁

控訴審で坂本被告は、準一さん殺害に加えて啓子さん殺害も、浜田被告の単独犯行であると否認し、無罪を主張した。また死刑は違憲であると主張した。
裁判長は無罪主張に対し、「捜査段階などの供述は十分信用できる」と退けた。そして「被告は死刑の違憲性を主張するが、憲法には反しない」として死刑を支持、坂本被告の控訴を棄却した。

2000年9月28日、高松高裁で被告側4人とも控訴棄却。妹夫婦は上告せず、無期懲役が確定した。

被告人名判決上告
坂本春野死刑
寺岡芳野無期懲役確定
寺岡和寿無期懲役確定
浜田忠男懲役15年

上告審:最高裁

最高裁判決で裁判長は、弁護側が「自白を唯一の証拠としており、憲法違反だ」とした無罪主張に対し、「実質は単なる法令違反や量刑不当の主張であり、(刑事訴訟法に定めた)上告理由には当たらない」と退けた。

その上で「保険金目的で、動機に酌量の余地はない。被害者らを巧みに懐柔し、飲酒させて泥酔状態になった男性(夫の準一さん)や、就寝中の無防備な女性(啓子さん)を、共犯者とともに殺害した犯行態様は冷酷だ」と犯行の残忍性を指摘。
「いずれの事件でも、坂本被告は犯行を計画するなど、主導的な役割を果たしている。社会に与えた影響も看過し難く、死刑とした一、二審の判断を、最高裁としても是認せざるを得ない」と述べた。

2004年11月19日、坂本被告、浜田被告ともに上告棄却、量刑が確定した。

被告人名判決
坂本春野死刑確定
浜田忠男懲役15年確定
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