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同僚・妻連続殺人事件|独占欲が強過ぎて、全部失った男

大倉修/同僚・妻連続殺害事件日本の凶悪事件
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「同僚・妻連続殺人事件」の概要

結婚して1年もしないうちに不倫を始め、妻と不倫相手の両方を手放せなかった大倉修
不倫相手を中傷した同僚を殺害した翌年、不倫がバレて離婚を迫る妻も殺害。動機は「他の男と再婚して欲しくなかった」という身勝手なものだった。
妻の親族の前で涙を流し、必死に探すふりをした大倉だったが、警察の目は誤魔化せなかった。追及を受けた大倉は、妻殺害を自供。起訴されて始まった裁判中に、同僚の殺害も発覚した。そして死刑が確定する。
独占欲の強いこの男は、すべてを失い、自分の人生さえもなくしてしまった。

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事件データ

犯人大倉修(当時35歳)
(事件当時は滝修
事件種別殺人事件
犯行日2004年9月16日
2005年9月9日
犯行場所静岡県焼津市
被害者数2人死亡
判決死刑:東京拘置所に収監中
動機不倫相手を中傷された
妻を他の男に渡したくなかった
キーワード独占欲
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「同僚・妻連続殺人事件」の経緯

大倉修(当時35歳)は、静岡県焼津市の生協職員だった。
大倉は結婚していたが、結婚から1年も経たない2003年春、職場のパート女性と不倫関係になる。大倉は仕事にかこつけ、半ば強引に女性を連れ出した。これが始まりで、やがて2人は男女の仲になった。

大倉はこの年上の女性に対し、異常なほどの恋愛感情を抱いていた。だが、女性の上司で大倉の同僚でもある蒔田晃さん(37歳)に女性のことを中傷され、大倉は激怒する。

2004年9月16日、怒りを抑えきれない大倉は、焼津市内に停めたワゴン車の中で蒔田さんの胸や腹を包丁で刺して殺害してしまう。そして、遺体は静岡市葵区の茶畑に埋めた。

その後、大倉は何事もなかったかのように、仕事も不倫も続けていた。蒔田さんを殺害した翌日も、大倉は遺体をトランクに隠したまま、不倫デートをしている。その日の夜、女性から蒔田さんの失跡を告げられると、大げさに驚いてみせた。

遺体が発見されたあと、大倉は「通夜に行ったら、子供が蒔田さんに似ていてかわいそうでたまらなくなった」と話したという。

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不倫が発覚、妻を殺害

蒔田さん殺害について、大倉の関与は発覚しなかった。

大倉は普段通りの日常に戻っていたが、女性との関係は続いていた。だが翌年になって、不倫していることを(36歳)に知られてしまう。妻は離婚を迫り、離婚届まで書かされたが、大倉は別れるどころか妻を殺害する。

2005年9月9日、自宅で妻の首をネクタイで絞めて殺害した大倉は、翌日、浴室で電気丸ノコで遺体を解体。バラバラに切断して静岡県由比町の山林など3箇所に遺棄した。

そのうえで9月18日、大倉は静岡県警・焼津署に「勤務先の研修から9月11日に帰ったら、妻がいなくなっていた」と捜索願を提出した。

大倉は妻を殺害後、自分から妻の両親に「妻が失踪した」と相談に出向いている。当初は家出だと思われたため、家族総出で殺害現場のアパート周辺などを捜して回った。
大倉は家族の前で涙を流したり、妻の携帯に電話をかけるなど ”心配して捜している演技” を続けていたという。

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妻の遺体が発見される

同僚・妻連続殺人事件
当時の新聞記事

10月24日、バラバラにされた遺体が発見される。
焼津署は殺人事件として捜査を開始。自宅に残っていた指紋を照合した結果、26日に遺体の身元が大倉の妻であることが判明する。

大倉は、同日夕方から取り調べを受けることになった。しかし供述には曖昧な点が多かったため、焼津署は大倉を厳しく追求。やがて大倉は妻の殺害を認めたため、翌27日、妻の死体遺棄容疑で逮捕した。

妻殺害の公判は2005年12月22日に始まるのだが、この時点で同僚の蒔田さん殺害について、大倉は逮捕されていなかった。だがこの初公判後、大倉の車を再度調べたところ、助手席から蒔田さんの血液が検出される。そのため2006年5月、大倉は蒔田さんの死体遺棄容疑で再逮捕された。

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犯人・大倉修について

同僚・妻連続殺人事件

大倉修は、交際していた不倫相手の女性には優しかったが、意見の合わない部下に対しては、相手が年上であろうが容赦なく怒鳴りつけていた。周囲の助言にも、全く耳を貸さなかったという。

大倉は独占欲が異常に強く、女性が知人の飲食店を手伝うためにスカートを穿くと、「(女性のスカート姿を)自分も見たことがないのに、他人に見せたくない」と不機嫌な様子を見せた。

また、妻の殺害ついても、不倫を知られ離婚を迫った妻を「殺害すれば、他の男に渡さずに済む」と考えたのが動機だった。

妻と不倫相手、両方を独占しようとした大倉だったが、結局は両方を失った。妻は自ら殺害し、不倫相手の女性の心も離れていった。女性は判決には「行く気はない」と話したそうだ。

大倉は最高裁で死刑が確定。現在は東京拘置所に収監され、刑の執行を待つ身である。

裁判

2005年12月22日、静岡地裁で妻殺害事件の初公判が開かれ、大倉修被告は起訴事実を認めた。

弁護側は「犯行当時、大倉被告は心神喪失または心神耗弱だった」と主張。うつ病の影響を理由に精神鑑定を請求したが、2006年5月17日の公判で却下された。

公判開始時、同僚の蒔田さん殺害について、大倉は逮捕されていなかった。しかし初公判のあと、大倉のワゴン車を再度鑑定した結果、蒔田さんの血液が検出されたため大倉は逮捕となる。
そのため、6月26日予定の論告求刑公判は中止。7月10日に大倉被告は同僚殺害事件で追起訴された。

10月26日、妻と同僚の2人の殺害事件として、公判が再開された。
大倉被告は同僚殺害の起訴事実を認めたが、弁護側は当時被告が心神喪失・耗弱状態にあったとして責任能力を争う構えを見せた。だが、11月25日の公判で、裁判長は弁護側の精神鑑定請求を再び棄却した。

2006年12月11日の求刑論告で検察側は、これまで大倉被告を診察した医師が「うつ病は軽度で、責任能力はあった」と判断したと指摘、周到な証拠隠滅を図った点などから、完全責任能力があったと断じた。

また1年間に2人も殺害したことについて「同僚を殺害しておきながら、何ら反省せず妻を殺害した。遺体をゴミでも捨てるように遺棄した」と厳しく批判。「自己中心的で短絡的な動機に、酌量の余地はなく、犯行は残虐」として死刑を求刑した。

最終弁論で弁護側は「うつ病により、少なくとも責任能力は減少していた」と主張。「動機など事件の原因が何ら明らかになっていない」とあらためて精神鑑定を求め、「鑑定をしないなら、大幅な減刑をするべき」と訴えた。

大倉被告は求刑の際、前を見つめて表情は変わらなかった。最後に発言を許されると「私は存在してはならないとお伝えしたい」と自ら極刑を求め、「申し訳ありませんでした」と傍聴席に土下座。弁護人に起こされるまで、1分ほど動かなかった。

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一審判決は死刑

2007年2月26日の判決公判で、裁判長死刑を言い渡した。
裁判長は、大倉被告が「不倫を続けるため殺人を重ねた」と指摘。同僚殺害について ”計画性はない” と認定するも「死刑回避の理由にならない」と酌量を認めなかった。
大倉被告が「同じ状況になったら、きっと同じことをする」と述べるなど、反省がみられないことも厳しく指弾した。

一方、妻殺害について「一緒に死のうと思った」という被告側の主張は、周到な証拠隠滅を図っていることを理由に退けた。そして「1年間に2人の命を奪った冷酷無残な犯行」と指弾した。

大倉被告は、死刑自体は「率直に受け入れる」としたが、妻殺害の動機を「不倫相手との関係を維持するため」とした判決について「真実を知ってもらうため」と控訴した。

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控訴審

2007年10月30日、控訴審初公判が開かれた。

弁護側は、大倉被告がうつ病を発症し「犯行時は責任能力がなかった。仮に責任能力が認められたとしても、有期懲役刑が適切」と主張した。

対する検察側は、「うつ病に関する弁護側の主張は、精神医学の文献を根拠としているだけで薄弱」と反論、控訴棄却を求めた。

第2回公判(2007年11月29日)の被告人質問で大倉被告は、一審が認定した「不倫相手との関係を維持するため」という妻の殺害動機を否定。「妻に離婚届を書かされたことで絶望的になり、2人で死のうと思って殺した」と供述した。

弁護側は「大倉被告の精神状況を確認するため、鑑定の実施が必要」とする医師の意見書を提出。
裁判長は「精神鑑定を行うとすれば、高裁ではなく『差し戻し審』として地裁が実施すべきだ。高裁は、”鑑定が必要だったかどうか” の判断はするが、鑑定そのものを行う立場にない」と述べ、精神鑑定請求をあらためて却下した。

最終弁論で弁護側は「一審の動機認定は誤りがある。原判決は明らかに大倉被告の行動を説明できていない。地裁に差し戻して精神鑑定を実施するべき」と主張して結審した。

2008年3月25日、判決で裁判長は、被告側の控訴を棄却、一審の死刑判決を支持した。
争点となった責任能力については、以下の理由から完全責任能力を認めた。

  • 大倉被告が入通院していた精神科医の意見をみても、うつ病が影響を与えたとはいえない
  • 合理的に犯行を遂行し、証拠隠滅工作を行っている
  • 大倉被告の記憶の状況が、取り調べ段階からこれまで終始一貫している

妻殺害の動機を「不倫相手との関係維持のため」とした一審判決について、弁護側は「離婚届を書いて絶望的になり、2人で死のうと考えた」と否定していた。

これについて裁判長は、「不倫相手を中傷した同僚に立腹して殺害した」という動機も含め、「いずれも了解可能」と判断。その上で、「不倫相手に対する ”思い” を汚す相手に対し制裁を加えるという、両事件共通の基盤がある」との見方を示した。

そして「大倉被告に前科前歴がなく、まじめに仕事をしていた」ことなどを酌むべき事情としたが、「遺族の処罰感情」や「自己中心的で身勝手な動機」などを挙げ、「死刑は極めて慎重に適用すべきことを考慮しても、一審の死刑判決はやむを得ない」と結論づけた。

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最高裁で死刑確定

2011年3月4日の最高裁弁論で、弁護側は「大倉被告は当時うつ病で、責任能力に影響した。鑑定をせずに死刑としたのは違法」と主張。
一方検察側は「専門家の意見も十分に尊重し、責任能力について判断した」と述べ、上告棄却を求めた。

2011年4月11日、裁判長は ”責任能力について認めた” 一審・二審判決について「完全責任能力を認めた判断は妥当」と指摘。そして「いずれの犯行も自身の不貞行為に起因しており、動機に酌むべき点はない。執拗で冷酷、残虐な犯行で、落ち度のない2人の生命を奪った結果は重大。不合理な弁解を述べるなど反省もうかがえず、死刑はやむを得ない」として上告を棄却、大倉被告の死刑が確定した。

現在、大倉修死刑囚は東京拘置所に収監されている。

元交際相手を訴える

大倉は死刑確定後、かつては異常なほど愛した元不倫相手の女性を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こしている。

女性は、事件後の取り調べや証人尋問の際、「大倉との交際や精神状態などについて、(大倉の考える)事実と食い違う供述をして、公判の適正運用を害した」と主張、「精神的苦痛を受けた」として500万円の損害賠償を求めた。

2012年9月5日、静岡地裁で開かれた第1回口頭弁論で、女性は「嘘を言ったわけでなく、記憶をたどって話したにすぎない」と反論。これを受けて裁判官は直ちに弁論終結を宣告、訴訟は結審した。

10月31日、静岡地裁は大倉の訴えを却下した。裁判官は「証人への責任追及を無制限に認めると、刑事司法の安定性を阻害し、証人に過度の負担を課すことになる」と指摘、「”虚偽の証言” であることが明白な場合のみ、民事責任を問える」とした。

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