岩手17歳女性殺害事件
2008年7月1日、岩手県川井村で17歳の女性の遺体が発見された。
警察は事件後に行方をくらました小原勝幸を犯人と断定して指名手配をした。
真相を追ったひとりのジャーナリストは、犯人は小原ではないと主張、被害者に関しても人違いで殺された可能性を指摘した。
その後、このジャーナリストは、謎の自殺を遂げるなど、不可解なことが多い未解決事件である。
事件データ
容疑者 | 小原勝幸(当時28歳) |
事件種別 | 殺人事件 |
発生日 | 2008年7月1日 |
場所 | 岩手県下閉伊郡川井村 |
事件の現状 | 容疑者の指名手配中 |
動機 | 不明 |
キーワード | 人違い、同姓同名の2人の少女 |
事件の経緯
2008年7月1日午後4時30分ごろ、宮城県栗原市に住む佐藤梢さん(17)の遺体が、岩手県川井村(現宮古市)の松章沢の川床で見つかった。司法解剖の結果、絞殺による窒息死で死亡推定日は6月30日、首を絞められたあと橋から突き落とされたと見られた。
7月29日、殺人容疑で小原勝幸(当時28歳)に逮捕状が出され、全国指名手配された。被害者の佐藤梢さんは、小原の恋人の親友だった。その恋人の名前は“佐藤梢”。なんと被害者と小原の恋人は同姓同名の親友同士だったのだ。
ここからは小原の恋人の梢さんを「梢Aさん」、殺害された梢さんを「梢Bさん」と呼ぶ。
梢Aさんと梢Bさんは高校時代からの親友だった。
2007年2月頃、ゲームセンターで遊んでいた2人に小原が声をかけ、梢Aさんとの交際が始まった。その後、2人の梢さんは高校を中退している。小原と梢Aさんは友人の家を転々としたり、車で泊まったりといった不安定な生活をしていた。
2007年5月のある日、梢Aさんは「先輩との揉め事がある、一緒に来てくれ」と小原から言われる。梢Aさんは言われた通り、小原と小原の弟の3人でその先輩Z宅へ向かった。
小原は前年10月、先輩Zから大工の仕事を紹介されて働き始めた。ところが、小原は数日で逃げ出したという。そのことに先輩Zが怒っている、というのが揉め事の内容だった。
梢Aさんは車で待機し、小原と弟はお詫びの日本酒を持ってZ宅に入り謝罪した。しかし、Zは面子をつぶされたと憤慨、日本刀をちらつかせて脅し、小原に120万円の借用書を書かせた。その時、連帯保証人を求められた小原は梢Aさんの名前を書いてしまう。
しかし、その後小原は、これを払うことなく逃げ回っている。
この先輩Zは、携帯の人探し掲示板(2008年7月閉鎖)に小原の写真や情報を掲載し、行方を追っていた。これを知って怖くなった小原は、警察に被害届を出すことにした。
Z本人は「日本刀は持ってないし、要求した金も120万円ではなく10万円。腹が立って2~3発殴っただけ。恐喝はしていない。」と後述のジャーナリストに話している。
その翌年2008年6月3日、小原はこの恐喝事件について警察に被害届を出した。
ところが、28日以降になぜか取り下げたいと言い出す。取り下げるためには、連帯保証人の梢Aさんの同行が必要だったが、彼女は警察への同行を拒否した。
なぜなら、梢Aさんは小原に暴力をふるわれていたため、別れようと決めて実家に帰っていたのだ。小原は単独で警察にかけあうも、被害届は取り下げてもらえなかった。父親が頼んでも2~3日で逮捕するから取り下げないでほしいと言われた。
6月28日、佐藤梢Bさんは小原から電話で呼び出される。
直前まで梢Bさんと一緒にいた男性によると「恋の悩みについて相談をしたい」と持ちかけられたという。この時、彼女は冗談めかした口調ながら、「私、殺されるかも」と言っていたそうだ。その言葉通り、梢Bさんはこの日以降失踪してしまった。そしてこの出来事があった3日後、梢Bさんは遺体で発見される。
小原は、会ってくれない梢Aさんの代わりを、梢Bさんにさせていたのだろうか?
事件発覚
梢Bさんの遺体は7月1日午後4時30分頃、道路工事作業員に発見されている。
この日、小原は友人宅で過ごしていたが、午後5時頃に出かけている。戻ってきたのは午後7時30分頃だったが、友人によると、その時の小原は様子がおかしかったそうだ。小原は友人に抱きつき、「この町にいられない」と泣いたという。
その後の午後9時頃、小原は自動車事故を起こしている。目撃者によると、小原は「もう俺はおしまいだ。死ぬしかない。」と言っていたそうだ。
翌日7月2日の午前中、事故で車が使えなくなった小原は、親戚の男性に久慈署まで車で送ってくれるように頼んだ。男性が車を走らせていると、小原は久慈署ではなく鵜の巣断崖に行ってほしいという。男性は言う通りにして、小原を鵜の巣断崖で降ろし帰って行った。
午前9時27分、小原は自殺をほのめかすメールを弟と梢Aさんに送信し、友人男性に「今から飛び降りるところだ、世話になった」と電話をした。驚いた友人は、バイクで鵜の巣断崖に駆け付けた。
友人が到着した時、小原は崖に座って誰かと電話をしていた。そばで内容を聞いていると、電話の相手は警察のように感じたので、友人は安心してその場をあとにした。
一方、メールを受け取った梢Aさんは、警察に様子を見に行ってほしいとお願いしたが、警察は動かなかったことがあとからわかっている。
梢Bさんの遺体発見後、警察は梢Aさん宅に安否確認をしている。つまり、警察は梢さんがふたり存在することに気付いていなかった可能性がある。
恐喝事件についても被害届はなかったと言っていが、小原の父親に「被害届は取り下げないでほしい」と言ったのは何だったのだろうか?
ジャーナリスト黒木昭雄の謎の自殺
この不可解な事件の謎を追った、ひとりのジャーナリストがいる。
黒木昭雄さん(享年52歳)は、元警視庁巡査部長で、退職後は捜査するジャーナリストとして、警察内部のさまざまな問題や世間を騒がせた事件などを、独自の視点で解析し捜査していた。23年間の警視庁在籍中は、23回もの警視総監賞を受賞するほどの優秀な警察官だった。
黒木さんは、この事件の不可解さに関心を持ち捜査を開始したが、その勤勉さゆえ文字通り命を懸けた捜査となってしまった。しかし、彼の懸命な捜査がなければ、この事件は人々の記憶から消し去られたことだろう。
黒木さんの主張
黒木さんの主張は、以下のような内容だ。
「警察はきちんと捜査をせずに、小原を容疑者と断定している。小原は事件前の6月29日に右手の小指・薬指を怪我していて、右手全体が使えなかった。診察した医者によると、人の首を絞めて橋から投げ捨てることはできない状態だった、と証言している。」
「また、鵜の巣断崖にはサンダル・財布・免許証が残されていて、一見飛び降り自殺に見えるが、警察はこれを偽装と見ている。飛び降りていないとすれば、小原は誰かに連れ去られ、殺されたのではないか?素足では逃走できないし、交通機関もない場所である。そもそも小原にはアリバイがあり、梢Bさんを殺害する動機はない。」
「この殺人事件は、小原の先輩Zの恐喝事件に端を発しているのは明らかであるのに、警察は捜査を怠っている。小原が被害届を出したことさえ否定している。きちんと捜査をしていれば、梢Bさんの殺害も防げたはずだ。」
黒木さんの最後の活動
2009年5月、黒木さんは会見を開き、同姓同名の佐藤梢さんが2人いることを世間に発表した。そして警察に情報提供書を提出したが、警察が動くことはなかった。
2009年6月、日弁連にて事件についての記者会見を開催。父親が指名手配の停止を求めた。
2010年4月、事件調査委員会の設置を求め、田野畑村人口の54%にあたる2170人分の署名を岩手県に提出した。しかし、岩手県側はこれを拒否した。
2010年11月1日、小原の懸賞金が100万円から300万円に上がった。この時黒木さんは「きちんと捜査もせずに、国民の税金を300万円も使うのか」と憤慨している。
黒木さんの自殺の真相
黒木さんは、真実追及のためジャーナリストの領域を超えて爆走した。
生活を犠牲にし、自費で2年以上も独自捜査を続け、心身ともに疲れ果てていた。しかしこれだけ頑張ってもメディアの関心は低く、世間の話題にならないことにかなり落胆していた。家族は、このころから黒木さんの元気がなくなったと証言している。
そのうち、黒木さんはうつ病を患ってしまうことになる。
2010年11月2日、黒木さんは千葉県市原市で、駐車した車の中で死亡しているのが発見された。
うつ病治療のための睡眠薬を飲み、練炭自殺を図ったのだ。自殺する前、黒木さんは墓前で亡き父と酒を酌み交わしていた形跡があった。
事件の可能性も噂されたが、自殺に至るまでの黒木さんの行動は明確になっており、練炭購入のレシートもみつかっている。また遺書もあり、家族によると内容を見る限り本人のものに間違いないということだ。
「今さら言う事もありませんが、岩手の事件が私の人生を変えました。それについては後悔していません」「これから行くところには、会いたい人が沢山います。佐藤梢さんにも会いたいし、事件の真相を知りたい。」
この事件の問題点
被害届について

よくニュースで「捜査の初動ミス」という言葉を耳にしますが、この事件では初動ミスどころか捜査自体されていたのか怪しいです。恐喝事件の捜査がちゃんとされていたら、黒木さんの言う通り事件は起きなかったかもしれません。捜査してないことを正当化するために「被害届は出されていない」と言ったのではないかと疑ってしまいます。
ただ、恐喝されてから被害届を出すまでに1年の開きがあります。警察からすると、緊急性はないと判断したのかもしれません。1年間何もなかったならそれほど心配はない、それよりもっと緊急性の高い事件を優先、と考えたとしても無理はありません。
アウトローな世界

小原の先輩Zのようなアウトローな人たちについてよくは知らないですが、おそらく義理とか面子とかを何より大事にする世界ではないでしょうか?
紹介した仕事を何も言わずに「逃げ出した」のなら、面子を潰されたと怒るのも理解はできます。(その後の借用書を書かせるとかは理解できませんが)
自分に合わない仕事を辞めるのは仕方ないですが、辞め方が悪かったのでしょう。
小原は嫌なことには向き合わず、逃げ出す性格なのでしょう。梢Aさんと交際してからも、仕事もせず不安定な生活だったようです。
せめて「仕事を辞めたい」と先輩Zに相談していれば、揉めることなく辞められた可能性はあります。そしてこんな事件もなかったかもしれません。
被害者のタトゥーについて

黒木さんは「死んだ梢Bさんの遺体にはタトゥーがあったことがリークされ、それが地元紙によって報じられたとたん、 梢Bさんの死に対する近所の人たちの受け止め方が大きく変わった」「遺族に対しメディアへの嫌悪感を抱かせて、メディアの取材を受けないようにするために、意図的にタトゥーのことをリークしたとさえ思えてしまう」と話していますが、これは考えすぎのように思います。
梢Bさんは、携帯のプロフィールサイトにタトゥー写真を自分で貼り付けていました。警察のリークなしでも勝手に広まったでしょう。
タトゥーは一部の若い人にとってはファッションかもしれませんが、それ以外の大部分の日本人にはいまだに敬遠される ”刺青”であり、堅気の人とは無縁と考えています。タトゥーの有無はいまだに人を判断する材料のひとつして機能しているのが現実です。タトゥーを堂々と見せる芸能人がいないのがその証拠といえるでしょう。タトゥーはその人の属性を、ひと言で説明できてしまうぐらいインパクトがあるものなのです。
警察は被害者や加害者がどんな人間か、ある程度は公表する必要があるので、すでに自ら公表していたタトゥーはちょうどよかったのでしょう。
その結果、「17歳のいたいけな少女が殺害された痛ましい事件」と思っていたのが「普通の人には関係のない、”そっち側の人の事件”」として世間の関心が変わったのだと思います。
「自分たちにも起こりえる事件」として感じていた恐怖心や警戒心が薄れ、安心した人も多いかもしれません。タトゥーひとつで反応が大きく変わるからこそ、メディアも大げさに報道するのです。
本物の「不良」には気を付けよう

事件の真相は不明ですが、ひとつ言えるのは、小原のような人間には近寄らないほうが安全ということです。仕事もろくにせず、恋人に暴力をふるうような男です。それだけで近づく価値のない人間です。
ファッション程度に不良ぶるのはまだいいですが、交友関係に先輩Zみたいな”本物”が登場してきたら、もう関わるのはやめたほうがいいです。
若いうちは不良っぽい男がカッコよく見えることもありますが、幻想です。テレビや映画みたいに、「不良だけど優しくて良い人」なんていません。”良くない”から”不良”なのです。憧れる気持ちは否定しませんが、ドラマの登場人物だけにしときましょう。
今回のターニングポイントは6月28日の小原からの電話でした。相談に乗ってほしいとの誘いでしたが、会わないほうがよかったと思います。本来は電話さえも避けたほうがいいぐらいです。
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