お台場フィリピン女性殺人事件|遺体の血抜きは洗濯機で…

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お台場フィリピン女性殺人事件/野崎浩 日本の凶悪事件

「お台場フィリピン女性殺人事件」の概要

フィリピンパブに出勤してこないラティリアさんを心配して、様子を見に来た従姉の女性。彼女が見たのは変わり果てたラティリアさんの姿と、その体の ”一部” を両腕に抱える野崎浩の姿だった…。
野崎は彼女たちと同居していたが、約束の家賃を負担せず、口論の果てにラティリアさんを殺害。そしてバラバラにしていたのだ。数日後に逮捕された野崎だったが、彼は9年前にも同様の殺人事件を起こして服役していた。
一審で無期懲役となった野崎は、”死刑になるために” 控訴する。だが死刑判決が出ると、今度は減刑を求めて上告。何がしたいのかよくわからない野崎に、司法が下した判断は死刑確定だった。

事件データ

犯人野崎浩(最初の事件当時40歳)
事件種別ストーカー殺人事件
犯行日1999年4月22日、2008年4月3日
場所東京都
被害者フィリピン人女性2人
判決死刑:2020年12月13日病死
動機冷たくされ、カッとなった
キーワードフィリピン人女性

「お台場フィリピン女性殺人事件」の経緯

野崎浩(当時40歳)は、フィリピンパブに通うのが好きな独身の中年男だった。

彼は本名で呼ばれるのを嫌い、店では自分のことを「チャーリー」と呼ばせていた。そんな野崎が気に入っていたのは埼玉県草加市在住のヨネダ・ロンガキット・エルダさん(27歳)。

1999年4月22日頃、野崎はエルダさんを横浜市神奈川区の自宅マンションに連れてくる。

最初の殺人

この時、野崎はエルダさんの首に布団のヘリを両手で強く押し当てて圧迫し、エルダさんを窒息死させてしまう。彼は仕事の送迎など、彼女に尽くしていたが、「冷たくされた」と感じたことから犯行に及んだのだった。

そして5月上旬頃までに、マンションでエルダさんの遺体を解体し、横浜市内の数か所に捨てた。この事件は発覚しないまま、数か月が過ぎた。

9月頃になって、野崎はレンタカーの料金を4か月間も支払わずに乗り続けた横領容疑で、埼玉県警・草加警察署に逮捕される。その捜査の過程で、行方不明になっていたエルダさんと交際していたことが判明した。

レンタカーの車内からは細かく刻まれた人骨が発見され、警察は野崎を追及。「自宅に連れて行った際、朝起きたら死んでいた。遺体は弔いのため解体して捨てた」と自供した。

さらに捜査で都内の実家を調べたところ、エルダさんの歯が発見された。そのため野崎は死体損壊・遺棄容疑で再逮捕されたが、エルダさんのその他の部分は発見されなかった。
野崎も殺害を否認したことから、エルダさんの死亡経緯は解明されず、埼玉県警は殺人容疑での立件を断念せざるを得なかった。

野崎は2000年4月14日に浦和地方裁判所(現:さいたま地方裁判所)にて横領罪および死体損壊・遺棄罪で懲役3年6ヶ月(求刑懲役5年)の実刑判決を受けた。

そして2003年7月5日、刑期満了で出所となった。

2度目の殺人

お台場フィリピン女性殺人事件/カミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさん
カミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさん

野崎(当時49歳)は2007年9月下旬頃から、上野のフィリピンパブのホステスのカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさん(22歳)を気に入って店に通い詰めたり、自分の車で送迎したりするようになった。

ラティリアさんは、前の交際相手との間に生まれた幼い息子や自分の友人と3人で暮らしていた。母親との仲が良好ではなかったため、仕事中は息子を友人の親戚宅に預けるなどの苦労を見て、野崎は同情した。また、容姿も自分好みだったことから、ラティリアさんの気を引くため、息子に服やおもちゃを買うなどした。

11月上旬頃、ラティリアさんは息子と従妹2人で一緒に住む部屋を探すことになり、野崎もこれを手伝った。その際、野崎はラティリアさんから家賃や敷金・礼金の一部を負担することを条件に同居することを提案される。

2人目の被害者・ラティリアさん

野崎は車を処分して得た金をその資金に充て、12月下旬にはお台場のマンションにラティリアさんとその従妹2人の計4人で同居するようになった。(その後、長男も同居するようになり5人となる)
このころ、ラティリアさんは収入を増やすため、六本木のパブに移っている。

同居を始めると、野崎は仕事への送迎や家事、そして彼女たちの子供の面倒を見ていたが、やがて家賃を滞納するようになった。そのため、ラティリアさんとの口論が絶えなくなる

そんな2008年4月3日夕方、野崎は出勤しようとしたラティリアさんに声をかけたが無視された。このことに野崎はカッとなり、ラティリアさんの首を絞めて殺害してしまう。

事件発覚・逮捕

現場となったお台場の賃貸マンション

野崎は前の殺人の時と同じように、ラティリアさんの遺体をバラバラにした。だが午後8時頃、出勤してこないラティリアさんを心配した従姉が、様子を見に部屋に入って来る。
玄関を入るなり感じた生臭さを不審に思った従姉だったが、リビングに入ると野崎がラティリアさんの遺体の一部を腕に抱えている光景を目にする。

身の危険を感じた従姉はとっさに部屋から逃げ出し、そのまま警察に通報。こうして事件はあっという間に発覚した。

野崎は、遺体の血抜きに洗濯機の脱水機能を使用したという。

午後10時頃、駆けつけた捜査員が紙袋に入った遺体の一部を確認する。その後、野崎は4月6日夜に埼玉県川口市の路上で手首を切って自殺を図るも失敗。軽傷だったため、自ら119番通報した。
野崎は、駆け付けた救急隊員に「コインロッカーの場所」が書かれたメモを手渡した。その場所を捜索したところ、スーツケースに入った遺体の一部が発見されたため、野崎は死体損壊の容疑で逮捕された。

さらに4月11日、野崎の供述に基づき、捜査本部は現場近くの運河から頭部などを発見。4月26日には栃木県那須町のホテル跡地の生活排水処理槽内からも、遺体の一部が発見された。

4月28日、捜査本部は野崎をラティリアさん殺害容疑で再逮捕した。その後、警視庁は最初の殺人事件の被害者・エルダさんについても野崎を追及。野崎は「エルダさんの遺体を、横浜の運河に捨てた」と自供した。

そして6月に横浜港(みなとみらい地区)の運河を捜索したところ、運河の底から多数の骨片が発見された。DNA型鑑定の結果、エルダさんとは別人と判明したが、警視庁は「野崎の供述は一貫している」としてエルダさん殺害容疑でも再逮捕した。

野崎浩の生い立ち

お台場フィリピン女性殺人事件/野崎浩
チャーリーこと野崎浩

野崎浩は1959年(昭和34年)8月29日、東京都台東区浅草で生まれた。父親は百貨店に勤めていた。
野崎の経歴についての情報はないが、逮捕時に「元コンサルタント会社役員」と報道されている。

野崎には結婚歴がなく生涯独身、長年フィリピンパブに通う生活を続けていた。店では本名で呼ばれることを嫌い、「チャーリー」と呼ばせていた。気に入ったホステスには「君は僕のプリンセスだ」と口説いていたという。

1999年4月22日に殺害したヨネダ・ロンガキット・エルダさんもそんなひとりだった。野崎は神奈川県横浜市神奈川区栄町の自宅マンションで、彼女を絞殺。遺体はバラバラにして数か所に遺棄した。

事件自体は発覚しなかったが、野崎は別の横領罪で逮捕される。野崎はレンタカー代金を支払わないまま乗り続けていたのだった。
その捜査の過程で、エルダさんとの関係が判明。結局、死体損壊・遺棄容疑で逮捕されるも、殺人罪での立件は見送られた。この事件で、野崎は懲役3年6カ月の実刑判決となる。

出所から数年後の2008年4月3日、野崎は同じくホステスのカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさんをお台場のマンションで絞殺。前回同様、遺体をバラバラにした。だが、この現場を別のホステスに目撃されて逮捕となる。

一貫しない供述

公判ではさまざまな言い分を二転三転させている。
野崎は2人目を殺した当時、「大腸ガンで余命は短いと宣告されていた」と言うが、実際は逮捕後に国費で手術が行われ、完治している。

なのに野崎は、「エルダの罪も償っていないのに、生きていくのに抵抗がある。手術は受けたくなかった」と供述。だが、これは検察側から「取り調べ当時、“手術してほしい”という書面を書いている」と暴露されている。

野崎は医師から人工肛門になる可能性を指摘されると「それは絶対にイヤ。せっかく手術して完治しなかったらイヤだ」と言って、手術を直前でキャンセルしている。
しかしその後「全身麻酔で」などと細かい注文をつけて手術を受け、完治した。

エルダさん殺害についても、公判当初は認めていたのに途中で否認、結局最後には再び認める供述をした。

そして一審では、無期懲役(ラティリアさん殺害)+ 懲役14年(エルダさん殺害)の判決。死刑は回避できたわけだが、野崎は ”死刑になりたくて” 控訴する。その希望は叶えられ、控訴審では 死刑懲役14年判決となった。それなのに、今度は減刑を求めて上告した。

しかし2012年12月14日、最高裁は上告を棄却。死刑+懲役14年が確定した

治療を拒否して獄中死

死刑囚となった野崎は、東京拘置所に収監される。

そして確定死刑囚となってちょうど8年後の2020年12月13日、野崎は慢性腎不全のため収監先の東京拘置所内で病死した。

法務省によると、野崎は2018年から腎機能が悪化し、人工透析を受けていた。2020年11月上旬に血流が滞るようになり、カテーテルを挿入。その後、抗生剤の点滴を受けたが、12月に入って抗生剤を拒否。医師が説得したが人工透析も拒み、12月11日の透析を実施できなかった。

そして12日深夜に意識がなくなり、13日午前0時42分に死亡が確認された。(61歳没)

裁判

1999年のエルダさん殺害事件については、2000年に死体損壊・遺棄罪で実刑判決が確定している。このことから、複数の罪を合わせて刑を科す「併合罪」は適用できず、事件ごとに起訴されることになった。

2009年7月23日の初公判で、野﨑浩被告は起訴事実を全面的に認めた。

しかし弁護人は1999年の事件について「野崎被告は早く極刑になりたいと願って虚偽の自白をしている。客観証拠や供述に秘密の暴露がない」と殺人について無罪を主張した。

7月30日の第3回公判で、野崎被告は1999年の事件について一転して「殺害した覚えはない」と起訴内容を否認、「朝起きたら亡くなっていた」と述べた。

9月29日の論告求刑で、検察側は「2度も交際相手を殺害して遺体を切り刻んで捨てており、悪質で非人間的。犯罪性向は根深く、矯正の余地はない」とした。そして1999年の殺人で無期懲役、2008年の殺人、死体損壊・遺棄で死刑を求刑した。

弁護側は最終弁論で「横浜の事件(1999年)は、殺害する動機も証拠もない。密室で起こった事件であり、野崎被告の自白には”犯人しか知り得ない内容”もない。被告の自白に信ぴょう性がなく無罪。台場の事件(2008年)は長期の懲役刑が相当」と主張した。

最終意見陳述で野崎被告は「すべての事件について罪を認める。うそ偽りはない」と2女性の殺害を認めた。

一審判決は死刑回避

2009年12月16日、判決公判で裁判長無期懲役 懲役14年 を言い渡した。

裁判長は、1999年のエルダさん殺害事件について「自白は具体的で、野崎被告の車から人骨が発見されるなど補強証拠もある」と弁護側の無罪主張を退けた。

両事件の動機については「交際女性に利用されていると思い込み、憎悪を募らせた」と認定。そしていずれも「冷酷で残忍な犯行で刑事責任は重大。死刑求刑も理解できる」と述べた。

しかし2008年のラティリアさん殺害事件について、「被害者が1人で死刑が確定したほかの事件」と比べ「殺害手段が殊更に残虐で執拗とはいえず、利欲的背景もうかがえない」と説明。そのうえで、「2度にわたって殺人、死体損壊・遺棄の罪を犯し、犯罪性向があることは否定できない」と非難した。

しかし、それまで否認していたエルダさん殺害(1999年)について捜査段階で詳細に供述するなど、心情の変化が見受けられるとして、「矯正の可能性があり、死刑がやむを得ないとまではいえない」として、2008年の事件について求刑死刑に対し無期懲役、1999年の事件は求刑無期懲役に対し懲役14年の判決となった。

この判決に対し、検察側と弁護側の双方が、量刑不当を理由に控訴した。

刑事訴訟法は2つ以上の刑を執行する場合、重い方を先に執行すると定めており、このケースでは無期懲役刑の執行が優先される。 ただし、10年以上の有期懲役は、確定から15年を経過すると執行できなくなるという規定がある。
このため、法務省刑事局では「無期懲役刑の仮出所が可能になる10年を経過した段階で、一度、無期懲役刑を停止して懲役14年の執行を開始し、その刑期が終了した後、無期懲役刑を再執行する可能性が高い」と話した。

控訴審:逆転死刑判決

野崎被告は、法廷で控訴の理由を「死刑にならなかったことが不服」と訴えた。彼は、「死刑になると思ってたので、意外だった。一審では法廷で供述を変遷させて、死刑に届くように、自分なりに色々と努力した」などと供述した。

これが本心であれば、野崎被告の願いは叶うことになる。
2010年10月8日、東京高裁は一審判決を破棄して野崎被告に死刑を言い渡した

裁判長は、野崎被告が自白したことについて「自己満足を得るためにしたことで、真摯に罪と向き合う姿勢と評価することはできない」とし、「野崎被告の反省や矯正の可能性が、死刑回避に足り得ないとする検察側の主張は採用できる」と断じた。

そして2008年の事件について、「殺人と死体損壊、遺棄を一連の行為として評価すべきだ」と指摘。「仮釈放後、5年8カ月で再び事件を起こした点を、一審は著しく軽く評価している。強固な犯罪傾向が認められ、反社会性が著しい。他の死刑確定事案と比較すると、刑のバランスや犯罪予防の見地からも死刑をもって臨むしかない」と述べた。

上告審:最高裁で死刑確定

死刑になるために控訴した」と明言していた野崎だったが、希望通り死刑判決が出たというのに、なぜか上告していた。

2012年11月16日の上告審弁論で、弁護側が死刑回避、検察側は上告棄却を求めて結審した。

2012年12月14日の判決公判で、最高裁は弁護側の上告を棄却、野崎被告の死刑が確定した。
裁判長は、「動機に酌量の余地はなく、一連の犯行は態様においても悪質極まりない」と指摘。「死体損壊・遺棄罪の服役で、反省、悔悟する機会を与えられたにも関わらず、類似の犯行を敢行した。刑事責任は誠に重大」として、死刑判断を是認した。

1999年のエルダさん殺害については懲役14年
2008年のラティリアさん殺害については死刑

この場合、「死刑」が優先され、「懲役14年」が執行されることはない。

 

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