長崎ストーカー殺人事件
2011年12月16日、長崎県でストーカー殺人事件が発生した。筒井郷太(当時27歳)は、相手女性本人ではなく、女性の祖母と母親を殺害して死刑を宣告された。
この事件は、警察が被害届を受け付けなかったことにより、未然に防げなかった経緯がある。その理由は、慰安旅行を優先して受理を1週間も待たせたためだった。これにより警察は謝罪に追い込まれ、世間の非難を浴びることとなった。
また、長崎県、千葉県、三重県の3県にまたがる事件のため、警察の連携不足が指摘される等の問題点も浮上した。
事件データ
犯人 | 筒井郷太(当時27歳) |
事件種別 | ストーカー殺人事件 |
発生日 | 2011年12月16日 |
場所 | 長崎県西海市 |
被害者数 | 女性2人(ストーカー相手の家族) |
判決 | 死刑:福岡拘置所に収監中 |
動機 | 交際相手が逃げたことに対する逆恨み |
キーワード | 警察の慰安旅行 |
事件の経緯
2010年9月、筒井郷太(当時27歳)はインターネットサイトを通じて、女性Aと知り合って交際を始めた。当時無職だった筒井は、2011年5月頃から女性Aがひとり暮らしをしていた千葉県習志野市のマンションに居座り、2人は同居を始めた。
このころ、すでに筒井の異常性は十分発揮されていた。筒井は女性Aの行動を厳しく束縛するようになり、
- 女性Aのメールを勝手にチェックする
- 勝手に家族や友人たちと連絡を取らせない
- 勤務先の雑貨店の出来事について10~15分おきにメールや電話で報告させる
- 仕事で男性客の接客をする時は、携帯電話を通話状態のままにさせる
などの完全支配をするようになり、女性Aは ”ほぼ軟禁状態” だった。
2011年6月終わりになると、「連絡や帰宅が遅れた」という理由だけで女性Aにひどい暴力をふるうようになる。鉄アレイで殴る、手錠を掛け正座をさせたうえで蹴る、などの激しい暴行を加えるようになった。それに伴い、女性Aは仕事を無断欠勤することが多くなった。
筒井の暴力に気付いた女性Aの親族は、長崎・千葉の両県警に相談した。2011年10月30日、警察の協力のもと女性Aを救出し、署員が筒井を任意同行で連行した。そして「二度と近づかない」との誓約書を書かせて厳重注意だけで帰した。
異常な執着心
普通の男なら、これで懲りて大人しくなるのだろうが、筒井は違った。彼の執着心は異常といってよかった。女性Aは親族と長崎県西海市の実家に帰ったが、翌日にはもう筒井からの脅迫メールが届いているのだ。
11月に入り、女性Aは長崎県警西海署に「傷害の被害届けを出したい」と相談するが、事件の起こった管轄の警察署にするように言われる。
11月中旬には、筒井が女性Aの友人らに「連絡先を教えなければ、周囲の人を殺して取り戻す」という脅迫メールを送っている。友人らは長崎県警・西海署と千葉県警・習志野署に相談するが、いずれも「被害者の所在地の警察署に相談をするように」との回答。
また、三重県警・桑名署に脅迫メールのことを伝え、筒井の実家周辺の巡回を求めるが、同署は「西海、習志野署に確認する」と回答したのみで、以後連絡はなかった。
このように、危険が予測される状況だったというのに、どの警察署も本腰を入れた対応をしなかった。
警察は被害届より旅行を優先
12月6日、女性Aは父親と千葉県警の習志野署を訪れ、傷害の被害届を出そうとしたが、「変死事案などで人が足りない。1週間待ってほしい」と要請される。しかし、その説明は虚偽であった。
ストーカー事件責任者の生活安全課の課長や、被害届を待たせた刑事課の係長など12人は、12月8日~10日まで、北海道に慰安旅行に行く予定だったのだ。警察は単に ”旅行前に仕事をしたくなかった” だけなのだ。
被害届の受理を待たされている間、女性Aと父親は習志野市の女性Aのマンションの部屋を片づけていた。
12月9日、マンションのチャイムを鳴らしたりベランダでたたく音がしたため、習志野署に通報したが、警察官は「顔を確認したのか」、「逮捕はできない」などと言うばかり。
その後、筒井が女性A宅前にいるところを見つけて職務質問したものの、両親に連れ帰るよう指示するにとどまっていた。
この対応の不手際は、「担当が旅行中で、事情聴取さえできていなかった」ため、きちんとした対応ができなかったものと思われる。
筒井は習志野署に出頭し、交際相手に近づかないよう警告された。三重県の実家に戻った筒井だが、「女性Aは親族によって無理やり実家に連れ戻された」と思い込み、女性Aの家族に対する怒りを強くしていた。
2011年12月14日には、このストーカー行為の件で口論になった父親を殴り、警察を呼ばれてしまう。筒井は父親に被害届を出さないように頼んだが、これを拒まれたために逃走した。
筒井は「親にも見放された。自分には女性Aしかいない」と考え、取り戻すために彼女の実家がある長崎県西海市に向った。警察は ”筒井が女性Aの実家に向かう可能性” があることを知りつつ、家族に連絡していなかった。
ストーカー被害は家族にもおよぶ
12月16日午後6時頃、筒井は女性Aの実家の離れの窓ガラスを割って侵入した。そして出刃包丁で、祖母の久江さん(77歳)の胸や腹を包丁で数回刺して殺害した。
そのあと母屋の窓ガラスを割って入り、母親の美都子さん(56歳)を包丁で11回刺して殺害。死因はいずれも失血死だった。その間に宅配業者が訪ねてきたが、筒井は家人を装って宅配業者から荷物を受け取った。
午後9時前に次男が帰宅。居間のガラスが割れていたため、東京の父親に連絡した。祖母と母親の姿が見えないので、次男は近所の親類男性と探しまわった。そして午後9時10分頃、自宅敷地内のワゴン車の荷台に祖母と母親が倒れているのを発見する。ワゴン車は施錠され、 車内や敷地内には多数の血痕が残されていた。
犯行翌朝に逮捕
家族らの説明から、容疑者として筒井が浮上した。
事件翌日の17日午前、警察は筒井を長崎市内のホテルで見つけ、任意同行を求めた。この時、筒井が所持していたウエストポーチの中に包丁2本が入っていたことから、これが凶器とみられた。包丁には、被害者のものと思われる血痕が付着していた。
筒井は逮捕当初、容疑を認め、接見した弁護人に謝罪の言葉を述べていた。
2012年1月4日、事件当時の精神状態を調べるため、筒井は鑑定留置となる。そして4月26日、「刑事責任が問える」と判断した長崎地検は、殺人・住居侵入・窃盗罪で起訴した。
その後、筒井は女性Aへの傷害罪や、女性Aの家族・友人への脅迫罪でも逮捕、追起訴された。
犯人・筒井郷太の生い立ち
筒井郷太は、1984年11月4日、三重県桑名市霞町で生まれた。
家族構成は、両親と兄弟3人の6人家族。幼少期から他の児童にかみついたり、家族に暴力を振るうなどの凶暴性があった。また依存性が強く、何でも人のせいにする性格だった。
本事件においても、女性Aに対して同居を始めるとすぐに暴力をふるい、鉄アレイやコップで殴るなど凶暴な一面を見せている。また女性Aを束縛するために、「逃げたら家族を殺す」と脅したりしていた。
女性Aの職場である雑貨売り場でも、男性客を接客する時は、携帯電話を通話状態のままにすることを強要するなど、異常な嫉妬心もみせていたという。
2011年12月16日、本事件を起こす。逮捕当初は犯行を認めていたが、公判に入ると否認に転じた。しかし2016年7月21日、最高裁で死刑が確定。現在は福岡拘置所に収監されている。
パラノイア (妄想病)の可能性
疑う余地のない証拠があり、当初犯行を認めていたにもかかわらず、公判で無罪主張に一転するなどのありえない行動は、パラノイア(妄想病)の可能性があると指摘されている。
これはあり得ないことを “確信” して、その妄想をもとに行動する精神病の一種で、ストーカーの多くはパラノイアだと言われている。
この病気の怖いところは、事実を逆転させ、それを本人も信じ込むこと。例えば、「自分が殴りかかった相手が、正当防衛で殴り返してきた」という事実に対して「相手が殴ってきたから殴り返した」と立場を逆転させる。自分に都合のいいストーリーを作って記憶まで書き換えてしまい、自分に非がないことを真顔で訴える。筒井の無罪主張も本気であるなら、この病気の可能性もある。
警察の失態が招いた事件
当初から指摘されているように、千葉県習志野署の失態はあまりにも大きかった。
被害届を出すのに1週間も待たせ、その理由が ”担当部署の慰安旅行間近のため” とわかった時は、日本中があきれかえった。
「今、まさに危険な状態」と訴えているのに、1週間も待たせるのは職務怠慢と言われても仕方がない。この件では、鎌田聡本部長ら21人が処分が下された。
また、事件は千葉・長崎・三重の3県にまたがっており、捜査の連携ができていないことも指摘された。再三の訴えにもかかわらず、たらい回しにされた被害者の父親は「誰も助けてくれない」と絶望的な気持ちになった、と手記に記している。
この事件以外にもストーカー殺人事件は警察の責任が問われるケースが多発しています。
桶川ストーカー殺人事件では警察によるあきらかな不正により有罪判決が確定。逗子ストーカー殺人事件では被害者の個人情報を犯人に聞かせるという失態が判明しています。
裁判
筒井郷太被告は、逮捕当初は容疑を認めていたが、起訴後の2012年6月には弁護人に「本当はよく覚えていない」と言い始めた。最終的には「自分は犯人ではない。自白調書は言ってもいないことを書かれた」との主張に変わっている。
2013年6月14日の初公判で、筒井被告は起訴事実について否認、全面無罪を主張した。
検察側は、筒井被告は大学時代から交際相手にストーカーや暴力行為をしており、女性Aに対しても日常的な暴力で支配していた経緯を指摘。女性Aが千葉県習志野市から長崎県西海市の実家に戻った際、”家族に無理やり連れ戻された”と思い込み、「家族を皆殺しにして奪い返す」と決意。包丁や手袋を準備するなど、計画的な犯行だったと指摘した。
弁護側は冒頭陳述で「筒井被告は女性Aが病気になった時に看病するなど、関係は良好だった」と反論、無罪を主張したうえで、刑事責任能力についても争う姿勢を示した。
17日の第4回公判で、ストーカー被害を受けた女性Aの証人尋問がビデオリンク方式で行われた。
女性Aは「束縛は厳しかった。手錠をかけられ正座をさせられ、蹴り飛ばされたこともあった」「家族を殺すと言われていたので、死ぬことも逃げることもできなかった」と涙声で証言した。
また、警察に何度訴えても筒井被告が逮捕されなかったことについて「なぜ誰も守ってくれないのか」と当時の絶望感を振り返ったうえで、「(筒井被告を)死刑にしてください」と強く訴えた。
女性Aの2人の姉の証言
妹(女性A)と約4か月ぶりに再会した際、妹は顔のアザを化粧で隠しており、食事中も常に携帯電話を気にしたり、会話も上の空だったと証言。この時「暴力を受けている」と確信し、助け出す決意をしたと説明した。
また、連れ出した際、「アパート内は物が散乱し、壁に血が付いていて監禁部屋のようだった。私も筒井に殺されると思い、遺書を通勤カバンに入れていた」と語った。
被虐待女性症候群の症状に陥った妹が、「実家へ避難後、無気力になり、なかなか筒井の行為を説明しなかった」と証言。1~2週間かけて家族全員で心のケアに努めたところ、ようやく語り始めたという。そして「(望む判決は)死刑しかない」と語った。
21日の第6回公判で、2011年12月18日(逮捕翌日)と23日の取り調べの映像が廷内で流された。筒井被告は落ち着いた様子で、”包丁を振り下ろして殺害する様子”を再現したり、調書に署名したりする姿が映し出された。
筒井被告は自白調書に署名した理由を、「刑事から怒鳴られたり、机を叩かれたりして脅され、警察の意に沿う供述をした」と説明。証拠についても「警察が偽造した」と訴えた。
28日の第10回公判では、鑑定留置と再鑑定を行った精神科医が出廷し、「筒井被告は他人の感情に無関心で暴力を振るうハードルが低い『非社会性パーソナリティー障害』。人格障害のひとつで、善悪の判断に影響はない。刑事責任能力はある」と述べた。
一審判決は死刑
論告で検察側は、”被害者の血痕が付いた筒井被告のコート” などの物証の存在を強調。「証拠を偽造した」との筒井被告の主張を「荒唐無稽」と批判した。また、捜査段階での筒井被告の自白調書を「詳細かつ具体的、合理的」と主張した。
動機については「女性Aを取り戻すため、実家にいる家族を皆殺しにすると決意した」と説明。また、女性Aが「母と祖母が殺されたのは自分のせい」と、事件から1年半経った今も苦しみ続けていることに触れ、「結果はあまりに重大」と指摘した。
さらに、筒井被告が過去にもストーカー事件を起こしたことを挙げ、「やり直すチャンスを何度も与えられながら、生かさなかった」と述べた。「筒井被告には、他人の痛みや苦しみを共感する心が欠如している。被告は現時点でも ”女性Aを取り戻したい” という願望を持っており、万が一にも刑務所から出てきたら、再犯に及ぶことは確実」と強調した。
最終弁論で弁護側は、「取り調べで『死刑にしてやる』など脅迫的な言葉を言われた」として、自白調書を「任意性も信用性も存在しない」と主張。刑事責任能力については「心神喪失あるいは心神耗弱状態だった」と訴えた。そして「筒井被告は現場に行っていない」と無罪を主張した。
最終意見陳述で、筒井被告は「警察と検察が都合良く証拠を作り変えている。時間がないのですべては言えないが、犯人は別にいる」と訴え無罪を主張した。
筒井被告は初公判前、裁判長に「無罪を訴える100枚を超える手記」を送っていたことを明らかにし、「僕の気持ちを細かく書いているので読んでほしい」と訴えた。
判決は死刑
2013年6月14日、判決公判で長崎地裁は、筒井被告に死刑を言い渡した。
裁判長は、物的証拠などから「筒井被告が犯人でなければ、合理的に説明できない」と指摘。被害者の財布を持っていたことや、被害者宅に筒井被告の靴と似た足跡があったことからも「犯人だと認められる」とした。
捜査段階での自白については、「殺害の経緯や様子を具体的に述べている」として信用性を認め「脅迫など、違法な取り調べがなされた事実はない」と判断。公判での筒井被告の主張は「多くの証拠と矛盾する」と退けた。
また、筒井被告には人格障害があるが精神病ではなく、行動は計画的で刑事責任能力があると認めた。そして「公判では不合理な弁解に終始し、改悛の情は全く見いだせない。何の落ち度も無い2人の命を理不尽に奪った責任は重い。犯行は冷酷、残虐で更生の可能性も低い。死刑を科すほかない」と死刑とした理由を述べた。
筒井被告側は即日控訴した。
控訴審
2014年3月3日の控訴審初公判で、筒井被告は一審に続き「自分は犯人ではない。誰かにはめられた」と無罪を主張した。
検察側は「取り調べ段階では、殺害状況など詳細な内容を自発的に供述している」と調書の信用性を主張した。
筒井被告は、裁判長から「女性Aについて、今どう思っているか」と聞かれると、しばらく沈黙したあと「頭が真っ白で分からない」と答えた。
控訴審も死刑判決
2014年6月24日判決で裁判長は、「筒井被告の犯行と判断した一審に、不合理な点はない」と指摘。被告側の控訴を棄却した。
裁判長は、「物的証拠は警察の捏造」とする筒井被告の主張を、「根拠を欠く荒唐無稽な主張」と退けた。そして「強固な犯意に基づく無慈悲な犯行」と批判。捜査段階で認めながら、公判で否認に転じたことについて「不合理な弁解で、更生可能性は乏しい」と指摘し、「人命軽視の態度は顕著で、その思考と経緯に酌量の余地はない。刑事責任は極めて重く、究極の刑であることを踏まえても、死刑を認めざるを得ない」と結論付けた。
最高裁で死刑確定
2016年6月20日の最高裁弁論で、弁護側は、「捜査段階の自白は任意性がなく、他の状況証拠では犯人性の証明がない。いずれも合理的疑いがある」として、いずれの罪でも無罪を主張。筒井被告自身が「犯行当時のアリバイを証明するもの」として作成した上告趣意書を提出した。
検察側は、取り調べの記録などから「自白の任意性に疑いはない」と述べ、事件の翌朝、筒井被告が被害者の血痕(DNA型が一致)が付着した出刃包丁を所持していたことなどから「犯人と認定できる」と指摘。「強い殺意に基づく残虐な犯行で、更生の余地はない」と上告棄却を求めた。
2016年7月21日、判決で裁判長は、「客観証拠に基づき犯人と認定した一、二審は正当」として上告を棄却、筒井被告の死刑が確定した。
そして「動機は交際女性を取り戻すことへの一方的な執着と、その障害と考える家族を殺害してでも排除しようとするもので、酌量の余地はない。何の落ち度もない2人の生命が奪われた結果は重大」と指摘した。
筒井郷太は現在、福岡拘置所に収監中である。
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