【6選】凶悪なストーカー殺人事件まとめ

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ストーカー事件まとめ

ストーカー行為は犯罪です。
ストーカー規制法により規制の対象となるのは、「つきまとい等」「ストーカー行為」の2つです。
近年、ストーカー相談件数は毎年2万件を超え、大きな社会問題になっています。
そしてその一部は、殺人事件にまで発展しているのです。

1.桶川ストーカー殺人事件

小松和人

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ストーカー規制法が制定されるきっかけとなった、あまりにも有名な事件である。
1999年1月、被害者の猪野詩織さんは、大宮市のゲームセンターで犯人・小松和人と知り合ったばかりに21年の短い生涯を終えることとなった。

小松は無許可の風俗店を経営していて羽振りがよかったが、外国車のディーラーと偽り接近。2人は交際するようになったが、次第に小松和人は高価なブランド品を贈るようになった。

最初は素直に喜んで受け取ったが、それが頻繁になってくると、詩織さんはさすがに違和感を感じるようになる。だが断ろうとすると、小松はそれを許さなかった。「俺のプレゼントが受け取れないのか!」と逆上するので、詩織さんは黙って受け取るしかなかった。

ある日、詩織さんは小松の部屋にビデオカメラが仕掛けてあるのを発見する。問いただすと小松は逆上、脅迫や暴力まがいの行動で詩織さんを黙らせた。これ以降、詩織さんは恐怖心を抱くようになったが、殺される危険を感じ、交際を断ることができなかった。

小松は次第に本性を現し、詩織さんを束縛・支配するようになった。3月の終わり、詩織さんは遺書を書いたうえで別れを切り出したところ、小松は家族に危害を加えると脅してきた。仕方なく交際を続けていた詩織さんだったが、別れたい気持ちは募っていった。

6月のある日、詩織さんは初めて母親に事情を話し、意を決して小松に決別を告げる。するとその日の夜、小松は兄・武史ら2人を連れて詩織さんの実家を訪れた。彼らは「貢いだ数百万円を返せ」と1時間以上も迫り、それは父親が帰宅して追い出すまで続いた。

翌日、詩織さんは母親と埼玉県警・上尾署を訪れ被害を申告する。しかし、担当署員は民事事件と決めつけ、深刻に受け止めなかった。数日後、プレゼント品を小松に送り返し、父親はそれを上尾署に報告した。

嫌がらせが始まる

これをきっかけに小松和人の悪質な嫌がらせが始まった。

詩織さんを中傷するビラが大学などにまかれ、次いで詩織さんが男狂いであるかのような内容のカードが団地の郵便受けに大量に投函された。 その後も父親を中傷する手紙が勤務先に送付されたり、自宅前に大音量の車が現れたこともあった。

詩織さん側は、上尾署に告訴の受理を申し出たが、上尾署側は理由をつけて延期させるなどしてい。結果的に告訴は受理されるのだが、そうなると上尾署はその捜査を行う義務が生じる。だが、彼らはそれをしなかったのである。

受理しておきながら捜査しない矛盾を、上司に指摘された刑事二課長・片桐敏男らは、詩織さんに告訴を取り下げさせようと不正を働く。(詩織さん側はこれを怪しみ、告訴を取り下げなかった)

一方、小松和人は詩織さん殺害を計画していた。兄の小松武史が指令役、風俗店店長・久保田祥史を実行犯として運転役、見張り役をくわえた4人で殺害計画は実行に移された。アリバイ作りのため小松和人自身は沖縄に飛んだ。

10月26日、大学へ行こうと桶川駅に自転車を停めた詩織さんは、その直後に実行犯・久保田に胸を2か所刺され病院に搬送される。しかし大量出血により、死亡が確認された。

そして初めて捜査は開始されたのだ。

警察より先に犯行を暴いたジャーナリスト・清水潔氏は警察に情報提供を行った。にもかかわらず、捜査は不手際が目立ったが、12月中旬、犯行グループ4人が逮捕された。
しかし、事件の張本人ともいえる小松和人は北海道で自殺しているのが確認された。

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判決は兄・小松武史に無期懲役、実行犯・久保田に懲役18年、運転役と見張り役に懲役15年だった。
そして告訴をなかったものにしようと不正を働いた警察官3人にも有罪判決が下り、懲戒免職となった。

2.山形・東京連続放火殺人事件

山形・東京連続放火殺人事件

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ストーカー事件が起こるのは、男女のカップルだけではない。
同性間でも「人を愛する」という行為は変わらない以上、男性同士でもストーカー事件は発生することになる。

浅山克己(当時44歳)はゲイで、一部では「カマヤクザ」と呼ばれる凶暴な男だった。彼が起こしたストーカー事件は悪質そのものだった。

2008年10月のある日、ゲイの男性Aは、名古屋市のスーパー銭湯で浅山と出会い、その日のうちに肉体関係を持った。その後2人は半同棲するようになるが、異変は4か月後のクリスマスに起きる。機嫌が悪い浅山は「こんな何もないクリスマスは初めてだ」といって、Aさんに暴行してきたのだ。

そんなことが重なり出すと、Aさんは次第に浅山に不信感を持つようになった。年が明けてから別れを切り出すと、浅山は「まわりにゲイをバラすぞ」と脅してきた。

それから、浅山による監視が始まった。Aさんは何とか逃れようとしたが、浅山は別れてくれなかった。脅し、つきまとい、半ば監禁。長時間責め続け、罵詈雑言を浴びせ、暴力をふるう。
悪質ストーカーがやりそうな行為すべてに、Aさんは1年半もの間耐え続けた

2010年5月、Aさんが山形市の実家に転居すると、浅山は電話やメールを大量に送り続けた。そのうち実家にまで押しかけるようになり、Aさんを無理やり名古屋市まで連れ帰ったこともあった。

相手の両親を殺害

そして、2010年10月2日。
Aさんの実家が火災になり、焼け跡からAさんの父親(71)と母親(69)の遺体が発見される。山形県警は出火原因の特定には至らず、失火の可能性が高いとして処理していた。
だが、実際は浅山の放火だった

次に被害に遭った男性Bとは2010年2月以降に約3か月間、浅山と同居していた。浅山はゲイでありながら、ある事情のために小夕里(42)と結婚していて、Bさんはこの夫婦と3人で暮らしていた。

だが、浅山の凶暴さはBさんにも向けられ、それに耐え兼ねたBさんは逃げ出す。浅山はそれを許さなかった。9月以降、東京都江東区のマンションに住むBさんの母親宅を何度も訪れ、Bさんに会わせるように迫っていた。

2011年11月24日。
浅山は妻の小夕里と共謀し、Bさんの母親のマンションに侵入。浅山はベランダから入り、帰宅してきた母親を襲い、縛って動けないようにした。それから大きなたらいをかぶせて炭を燃焼させ、一酸化炭素中毒にして殺害。その後、室内に灯油をまき、全焼させた。

浅山夫婦はBさんの行方を調べようと、区役所で本人を装って住民票の写しを受け取ったり、付きまとったりした。しかし、それがあだとなって2人は2012年1月5日、有印私文書偽造などで逮捕
その後の調べで、Bさんの母親殺害、Aさんの両親殺害についても関与を認め、3月7日、殺人放火の容疑で再逮捕された。

その後、浅山は留置場で首吊り自殺を図り、意識不明の重体となった。ひも状に裂いたシーツを首に巻き付け、自殺を図ったのだ。しかし、のちに意識が回復し、30日に追起訴された。

浅山は裁判で死刑が確定し、現在は東京拘置所に収監中である。

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3.逗子ストーカー殺人事件

小堤英統

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ストーカー規制法の改正につながる転機となった事件である。

2004年、被害者の三好梨絵さん(当時25)さんは世田谷区のバトミントン教室で小堤英統(当時32)と知り合い、交際が始まった。当時、小堤は都内の私立女子高で社会科の非常勤教師をしていた。一時期は婚約もしていたが、2年後、梨絵さんから別れを切り出し2人の関係は終わった。

それから2年後、梨絵さんは別の男性と結婚して逗子市に転居。梨絵さんは新婚生活の様子をfacebookに投稿していた。これにより、梨絵さんの結婚を知った小堤は「お前だけ幸せになるのは許さない」といった内容の嫌がらせメールを送るようになる。

梨絵さんからの相談を受けた神奈川県警・逗子署が、小堤に対して家族を通じて注意。これにより小堤の嫌がらせメールは一旦止まったが、この時、小堤は自殺未遂を起こし、うつ病発症のため精神病院に入院している。

2011年4月には「刺し殺す」などの脅迫メールが1日に80~100通送りつけられるようになった。このため逗子署は、小堤を脅迫の容疑で逮捕。小堤は起訴され、2011年9月に懲役1年(執行猶予3年)の有罪判決が下された。

この逮捕時、警察は梨絵さんの住所の一部を読み上げるというミスをしている。小堤はそれを覚え、梨絵さんの居所を探す大きな手がかりとなってしまった。

殺すまで終わらないストーカー行為

その後も、小堤はストーカー行為をやめなかった。小堤はインターネットを使って、執拗に梨絵さんの情報を調査し続けた。そして、2012年3月後半からのわずか20日間に、合計1089通もの嫌がらせメールを送りつけた。

当時の「ストーカー規制法」には電子メールに関する規定がなかったため、警察は動けなかった。しかも今回の嫌がらせメールは、脅迫に該当するかどうか微妙な内容だった。

ただ逗子署は、梨絵さんの自宅周辺を半年で146回パトロールし、近所の防犯カメラを増やすなどして警戒を強めていた。2012年7月、梨絵さんは警察にメールは来ていないので大丈夫、と話している。

警視庁|ストーカー行為等の規制等に関する法律の一部改正について

しかしそのころ、小堤は探偵事務所を使って梨絵さんの居場所を調べようとしていた。そして事件の前日、小堤はついに梨絵さんの正確な住所を手に入れてしまう。

2012年11月6日、この日は小堤の40歳の誕生日であった。 小堤は無施錠の1階窓から梨絵さん宅に侵入、梨絵さんを包丁で何度も刺し殺害した。死因は首を刺された事による失血死だった。その後、小堤は出窓に紐をくくりつけ首吊り自殺した。通行人がその姿を発見し、事件が発覚した。

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この事件は、容疑者死亡として不起訴処分となっている。

4.群馬一家3人殺害事件

小暮洋史

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石井さんは高校を卒業後、群馬県高崎市内のドラッグストアで働き始めた。
彼女は両親と祖母の4人暮らし、新築したばかりの家で幸せに暮らしていた。

ある日、職場で誘われてボウリングに行くと、見慣れた顔があった。彼女の職場に荷物を搬入する運送会社の男、小暮洋史(当時28)だった。

無口でまじめそうと思っていた小暮は、仕事の時と違いとても饒舌だった。会話の中で、車の運転が好きだと石井さんが話すと、小暮も同じ趣味だという。しかし、小暮が乗っているのは普通の乗用車で、いわゆる「車が趣味の男性」という感じはしなかった。

何日かして、小暮は新車のスポーツタイプの車に乗って、石井さんのドラッグストアに買い物にきた。小暮は石井さんのために、わざわざ新車を購入したのだ。

これをきっかけに、小暮は週2回の荷物の搬送日には必ずデートに誘うようになった。しかし、小暮に対して特別な感情のない石井さんは困惑した。その後、小暮は石井さんが帰宅する時に後をつけて、石井さんの家の所在地を調べた。そしてその住所を元に電話番号を調べ、家に電話をかけてくるようになった。

石井さんは仕事の関係者ということもあり、はっきり断ることを躊躇していた。そして、あまりにもしつこい誘いに根負けし、小暮と2人で会うことを約束してしまう。しかし案の定、小暮とのデートは楽しくなかった。石井さんは今後どうやって断ろうかと考えていた。

そんな石井さんとは裏腹に、小暮の彼女への気持ちは膨らんでいった。一度デートしただけなのに、小暮は毎晩電話をかけてくるようになった。

しかし、石井さんはこのころ、思いを寄せていた男性との交際を始めていた。この男性のことは、両親にも紹介していた。そんな事情もあり、石井さんは両親に心配をかけないよう、小暮のことは話していなかった。

ある時、石井さんは父親から小暮が家に来たことを告げられる。石井さんはさすがに怖くなり、職場の店長に相談。店長は、小暮が配送に来た時は石井さんを店頭から退避させ、顔を合わせないで済むようにしてくれた。

この作戦は功を奏したのか、あれほど頻繁だった自宅への電話もなくなった。石井さんはひと安心し、交際していた彼とも婚約した。

狂気のストーカー行為

そんなある日、普段着の小暮が突然店に現れる。客として来られると逃げようがなかった。仕方なく、店長が彼女が迷惑がっていることを小暮に伝え、その場は収まった。

しかし、小暮はあきらめていなかった。ここから小暮の狂気のストーカー行為が始まるのだ。
再び自宅に電話がかかるようになったが、それは繰り返される無言電話で、深夜にまでおよんだ。車のワイパーに「また2人で会いたい」という内容の手紙が挟んであることもあった。
石井さんは彼氏に自宅まで送ってもらい、緊急連絡用に当時はまだ高かった携帯電話も購入した。

そんな不安を抱えたまま、年が明けた。1998年1月4日、この日は年が明けてから、店に配送車がくる最初の日だった。ところが、配送にやってきたのは小暮ではなかった。彼は会社を辞めたという。まだ少し不安はあったが、石井さんは安堵して成人式も幸せな気持ちで迎えられた。

1月14日は、母親の48回目の誕生日だった。この日の夜は、石井さんの婚約者も呼んで誕生パーティーを開くことになっていた。

しかしこの日の夕方、小暮は石井さんの家の前にいた
小暮は祖母ひとりだけの家に押し入り、祖母の首を絞めて殺害。その後、帰宅してきた母親父親殺害した。

午後9時頃帰宅した石井さんは、家に入るなり何かの違和感を感じた。テレビの音もしないし、家族の気配もなかった。とりあえず自分の部屋に入ると、小暮が立っていた
石井さんは大声で叫んだ。そして警察に行くように言うと、小暮は家から出て行った。

翌日、群馬県警は小暮に対し、殺人容疑で逮捕状を請求。そして全国に指名手配し、その行方を追った。その後、群馬県や埼玉県で、小暮のものと思われる車が目撃されている。

しかし、その後の足取りはわかっていない。

2020年末までの23年間に群馬県警に寄せられた情報は2620件。しかし、有力な手掛かりはない。
この事件は、未解決のままである。

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5.長崎ストーカー殺人事件

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2010年9月、筒井郷太(27)はインターネットサイトを通じて、女性Aと知り合って交際を始めた。
当時無職だった筒井は、2011年5月ごろから女性Aが一人暮らしをしていた千葉県習志野市のマンションに居座るようになった。しばらくすると筒井は女性にひどいDVや行動制限などを行うようになり、女性はほぼ軟禁状態だった。

女性の家族はこれを知り、警察の協力のもと女性Aを救出。警察は筒井に「二度と近づかない」と誓約書を書かせて厳重注意だけで帰した。女性Aは親族と長崎県西海市実家に帰ったが、翌日には筒井からの脅迫メールが届いた。

11月に入り長崎県警・西海署に傷害の被害届けを出したいと相談するが、事件の起こった警察署にするように言われる。

一方、筒井は女性Aの友人らに「連絡先を教えなければ周囲の人を殺して取り戻す」という脅迫メールを送った。友人らは西海署習志野署に相談するが、いずれも加害者の所在地の警察署に相談をするようにとの回答。また、三重県警・桑名署に脅迫メールのことを伝え、筒井の実家巡回を求めるが、同署は「西海署・習志野署に確認する」と回答したのみで、以後連絡はなかった。

12月6日、傷害の被害届提出のため、女性は父親と千葉県警・習志野署を訪れた。しかしこの部署では2日後から慰安旅行が予定されていて、その前に面倒な仕事をしたくない担当は、「1週間待ってほしい」と要請してきた。(のちに処分されている)

12月9日、習志野の女性宅のチャイムを鳴らしたり、ベランダでたたく音がしたため、習志野署に通報したが、警察官は「顔を確認したのか」「逮捕はできない」と言って帰った。そのあと、筒井は女性宅前にいるところを職務質問されたが、警察は両親に連れ帰るよう指示するにとどまっている。これは担当が旅行中で、逮捕の準備ができていなかったためであった。

その後、筒井は習志野署に出頭し、交際相手に近づかないよう警告された。そして、三重県の実家に戻った。筒井は、女性は親族によって無理やり実家に連れ戻されたと信じ込み、女性の家族に対する怒りを強くしていた。

ある日、筒井は実家で父親を殴り、警察を呼ばれてしまったため逃走。筒井は彼女の実家のある長崎県西海市に向ったのだが、警察はその可能性があることを知りつつ、家族に連絡していなかった

12月16日午後6時ごろ、筒井は女性Aの実家に侵入。そして離れに居た祖母の久江さん(当時77歳)と母屋にいた母親の美都子さん(当時56歳)を包丁で刺して殺害。死因はいずれも失血死だった。
午後9時ごろ、帰宅した次男が、ワゴン車内の2人の遺体を発見した。

翌日午前、警察は筒井を長崎市内のホテルで見つけ、任意同行を求めた。所持していた包丁2本が凶器とみられた。精神鑑定の結果、刑事責任が問えると判断した長崎地検は4月26日に殺人、住居侵入、窃盗罪で起訴した。その後、女性Aへの傷害罪や女性Aの家族・友人への脅迫罪で逮捕、追起訴された。

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2013年6月14日に公判が始まり、2016年7月21日に最高裁判所で死刑が確定した。
現在、筒井郷太は福岡拘置所に収監されている。

6.今市4人殺傷事件

藤波芳夫

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昭和の時代にはストーカーという言葉もなく、女性につきまとう男は「情熱的な男性」としてむしろ好意的に見られる傾向があった。
しかし、ここまでくると話は別である。

1974年、藤波芳夫女性A(当時32歳)と結婚し、足利市内のパチンコ店に勤務していた。このころ藤波は覚せい剤に手を出すようになり、栃木県内で逮捕されて服役となった。
1979年2月に出所したが、仕事はあまりせず親戚・知人からの借金や無心を繰り返す毎日だった。

藤波は妻への暴力、嫉妬や妄想がひどかった。耐えられなくなった妻は1980年6月に協議離婚した。だが藤波は元妻を諦めきれず、よりを戻そうとしたものの、本人にも元妻の親族にも反対されている。
何度も元妻方へ脅迫じみた電話をかけ、1981年1月には、元妻の兄である元義兄(当時38歳)宅にも訪れてもいる。

1981年3月29日午後3時30分頃、元義兄が元妻の居場所を教えないことに怒った藤波は、酔った勢いで元妻の実家を訪れた。このとき元義兄は、神奈川県藤沢市の親類の家へ行っていたため不在で、家には近所に住む姪2人(16歳と10歳)が遊びに来ていた。

藤波はテレビを見ていた姪2人に対し、登山ナイフで切りつけた。16歳の姪は左胸部などを刺され重傷、10歳の姪も背中に1か月の怪我を負った。

そのあと藤波は車で同家に突っ込み、駆け付けた元義兄の妻と言い争いになった。そこへ親類の男性(当時56歳)が駆け付けた。

藤波は元義兄の妻と親類の男性に襲い掛かり、ナイフで2人の胸や腹などを刺して失血死させた。その後、現場に集まった近隣住民の1人が、オレンジ色の農業用ビニールシートから人の足が出ているのを発見。めくってみると、そこには背中から血を流している親類の男性がいた。

さらに5 mほど離れた場所の青いビニールシートの下に、倒れている元義兄の妻を発見した。

連絡を受けた今市警察署は藤波の行方を追った。そして犯行から1時間後、検問中の今市署員が、車を運転する藤波を発見した。

藤波は刃物で手首を切り自殺を図ったが、命に別条はなかった。当初、藤波は犯行を否認していたが、午後7時過ぎになって認め、緊急逮捕された。

藤波は裁判で死刑が確定し、2006年に執行されている。

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