小豆島両親殺害事件|妹との待遇差に”長年の恨み”

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喜田勝義/小豆島両親殺害事件 日本の凶悪事件

「小豆島両親殺害事件」の概要

「二十四の瞳」やオリーブの島としても有名なのどかな小豆島で、前代未聞の惨殺事件が発生した。2015年4月30日深夜、水道工事会社を経営する60代夫婦が、何者かに殺害された。人目のない場所だけに捜査は難航するが、事件から40日後に逮捕されたのは夫婦の長男・喜田勝義(当時37歳)だった。

父親は幼少期から厳しく、数日前にも生活態度について勝義を叱責していた。勝義は、妹には甘く自分にだけ厳しい父親に長年の恨みを抱いていた。裁判では「発達障害が犯行に影響した」と主張するも退けられ、無期懲役が確定している。

事件データ

犯人喜田勝義(当時37歳)
犯行種別殺人事件
犯行日2015年4月30日
場所香川県土庄町(小豆島)
被害者数2人死亡
判決無期懲役
動機両親(特に父親)への恨み
キーワード発達障害

事件の経緯

殺害された父・喜田春夫さんと、母・加代子さん/小豆島両親殺害事件
殺害された父・喜田春夫さんと、母・加代子さん

2015年4月30日午後7時15分頃、小豆島の土庄町で水道工事会社「喜田水道工業所」を経営する喜田春夫さん(当時65)と、その妻・加代子さん(当時63)が血を流して倒れているのがみつかった。現場は住居兼事務所となっており、出勤してきた従業員が発見したのだ。

春夫さんは住居2階の居間のコタツで、加代子さんは寝室のベッドの上で、夫婦ともすでに息絶えていた。司法解剖の結果、春夫さんの死因はくも膜下出血と脳挫滅、加代子さんはくも膜下出血だった。

頭蓋骨を粉砕骨折するほど殴られていたため、犯人は ”夫婦に恨みを持つ者の犯行” の可能性があった。しかし、現場は荒らされていて、春夫さんの財布と2人の携帯電話が持ち去られていたことから、警察は強盗殺人も視野に入れて捜査を開始した。

現場は土庄港から1km離れた人通りの少ない山の中。警察は延べ3300人の捜査員を投入したが、目撃者がほとんどおらず、捜査は難航した。

息子の勝義が容疑者に

喜田勝義/小豆島両親殺害事件
葬儀で喪主を努める喜田勝義

しかし、周辺の聞き込み捜査から、両親(被害者夫婦)と言い争いが絶えなかったという長男・喜田勝義(当時37)が浮上する。勝義は両親の葬儀にも喪主を努め、父親の友人には「犯人は会社の従業員だと思う」と話すなど、”被害者遺族” としてふるまっていた。

香川県では、出棺して火葬場へ向かう時に三角頭巾をつける風習がある。女性は紙の三角巾を髪に留め、男性は頭にそのままつける。”魔除けのため”、”死者と同じ装いをして三途の川の前まで迷わずに送るため” など、いくつか諸説があるという。

だが、遺族としては不自然な場面もあった。勝義は事件2日後の5月2日、報道陣の取材に対し「話は遠慮させていただいている」と完全拒否して、バイクにまたがり逃げるように走り去っている。葬儀中の取材に対しても、イライラした様子で「残念です」とだけ答えていた。

喜田勝義/小豆島両親殺害事件
事件2日後、取材を断る喜田勝義

このような ”犯人に対する怒り” や、”家族を失った無念” などの一切を話そうとしないその姿には、どこか違和感も感じられた。そんな勝義に対して6月8日朝、事件への関与が強まったとして、香川県警と小豆署が任意同行を求めた。

勝義は事件の数日前にも、生活態度をめぐって父親の春夫さんから叱責を受けていた。

妹との待遇差に恨み

小豆島両親殺害事件
殺害現場(34°29’10.5″N 134°09’44.2″E)

任意の取り調べにおいて、勝義は「両親を殺しました。間違いありません」と容疑を認めたため、強盗殺人容疑で逮捕となった。事件発生からは、約40日が経っていた。供述によると勝義は事件当日、下見をしたうえで両親の寝込みを襲い、金づちなどで殴って殺害。金づちは2km離れた海岸に投げ捨てたという。

動機については、「父親に長年の恨みがあった。(父親の会社で働いている時に)仕事で叱責を受け、邪険にされた」と話し、母親についても「かばってくれなかった。あんまり理解してくれなかった」と話した。

その後の取り調べで、父親に強い恨みを持つに至った理由について、勝義は「父親の自分と妹の扱いの差が、父親への恨みにつながった」と説明している。実際、喜田家を良く知る人によると、「父親の春夫さんは妹をかわいがる一方、勝義には幼少期から厳しかった」のだという。

勝義は数年前まで父親の仕事を手伝っていたが長くは続かず、その後就職した町内のアルミ会社も1月頃に退職していた。厳しく接したのは、そんな不甲斐ない勝義に対する「一人前の男になってほしい」という、熱血漢の春夫さんなりの愛情でもあった。

6月23日、高松地検は高松簡裁に、刑事責任能力の有無を判断するため鑑定留置を請求し、即日認められた。その結果、高松地検は「刑事責任能力を問える」と判断。9月18日、証拠関係などから「強盗目的までは認められなかった」として、勝義を殺人罪で起訴した。

喜田勝義の生い立ち

喜田勝義/小豆島両親殺害事件
喜田勝義

喜田勝義は1977年、香川県の小豆島で生まれた。家族は被害者となった両親と3歳年下の妹の4人家族だった。

勝義は高校まで小豆島で過ごし、卒業後は海上自衛隊に入隊。自衛隊ではイラク関連の派兵に加わる経験をしている。2005年頃に自衛隊を辞めると、その後は香川県高松市で飲食店やパチンコ店など職を転々とした。

このころ勝義は精神科に通院していた。自衛隊のイラク派遣(2004年1月~2006年7月)では、20人が帰国後に自殺している。派遣と自殺・ストレス障害との因果関係は解明されていないが、帰国後にストレス障害に苦しむ隊員は多かったという。

そんな生活を続けるうち、勝義は酒やギャンブルに溺れてしまい、給料を超える出費を消費者金融で借りるようになった。やがて借金は100万円に膨れ上がるが、これは父親の春夫さんが肩代わりして清算した。

結局、勝義は春夫さんに呼び戻されるかたちで小豆島に戻り、春夫さんが経営する水道工事会社「喜田水道工業所」を手伝うようになった。春夫さんは昔気質の熱血漢で、息子には厳しいタイプだった。仕事で毎日のように、勝義に「おまえは使えない」「ダメ人間だ」と罵倒し、勝義と言い争いに発展することも多かった。

春夫さんとは真逆の無口でおとなしい勝義は、そんな父親に反感を持った。そんなギクシャクした父子関係に、母親が間を取り持つわけでもなく、そのことにも勝義は不満を持っていた。

父親に強い恨み

殺害された父・喜田春夫さん/小豆島両親殺害事件
殺害された父・喜田春夫さん

勝義は、妹には甘いのに自分にだけ厳しい父親に、強い ”恨み” を抱いていた。この待遇の差は幼少期からのもので、その ”恨み” も長年の蓄積があった。

春夫さんにしてみれば、決して勝義を憎んでいたわけではなく、気弱でおとなしい息子に「一人前の強い男になってほしい」という気持ちの上での厳しさだった。春夫さんは勝義の仕事が続かないことや、結婚しないことを周囲にこぼしていた。

勝義は父親の会社を離れて地元のアルミ会社に就職し、アパートを借りて独り暮らしを始めた。勝義は発達障害の影響からか、夏場にジャンパーを着込んだりして周囲を驚かせることもあった。会社は約3年働いたのち、2015年2月頃に退職した。

その約2か月後の2015年4月30日、勝義は事件を起こした。事件の数日前にも、勝義は生活態度をめぐって春夫さんから叱責をうけており、長年の恨みと相まって犯行につながったものと思われる。裁判では2017年7月19日に無期懲役が確定しており、現在は服役中である。

【裁判】争点は発達障害

喜田勝義被告は過去に精神科の通院歴があったため、2015年6月23日から約3か月間の鑑定留置で刑事責任能力の有無を調べた。その結果、「刑事責任能力がある」として検察は起訴に踏み切った。

裁判では起訴内容に争いは無く、”被告の発達障害を量刑に考慮するかどうか” が争点となっていた。2016年11月22日に行われた初公判で、弁護側は「喜田勝義被告の発達障害が犯行に大きく影響を与えた」と考慮を求めていた。

11月29日の論告求刑公判では、検察側は「犯行は計画性があり冷酷で無慈悲」として無期懲役を求刑。「家庭関係のトラブルで両親を恨んだ身勝手な動機で、下見をしたうえで寝込みを襲った計画的な犯行だ」と非難した。発達障害については「資質特性であり、犯行自体に直接影響しない」と主張した。弁護側は「発達障害が犯行に大きく影響した。懲役22年が妥当」と訴えていた。

勝義被告は最終陳述で「殺害を実行したのは大きな過ち。親族や関係者に多大なご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げる。刑務所で障害の治療を受けたい」と述べた。
また、法廷に立った勝義被告の妹は「事件の重大性を理解しておらず、今後も同じ過ちをくり返すと思う」として、死刑を求めていた。

無期懲役が確定

2016年12月2日の判決公判で、高松地裁は被告に無期懲役の判決を言い渡した。裁判長は「殺害後、強盗のように偽装している。発達障害は犯行に影響したとはいえない」と発達障害の影響を否定。ただし、「極度の執着などがあり、殺害の決意に発達障害が影響していたことは否定できない」と指摘した。

続けて「長年、父親に対して『自分を理不尽に扱っている』と憎悪の念を持ち、母親には『自分を父親から守ってくれない』という気持ちを抱いていた」と動機を指摘。「就寝中で無防備な両親の急所を確実に攻撃しており、極めて残虐で卑劣といえる」と述べた。この判決に被告側は控訴した。

2017年3月9日、控訴審が高松高裁で始まり、弁護側は「両親を殺害した別の事件と比べて刑が重い」として懲役22年が相当だと主張していた。しかし、4月11日の控訴審判決で、高松高裁は求刑通り無期懲役とした一審判決を支持、被告側の控訴を棄却した。

「一審判決では喜田被告の発達障害が考慮されていない」と訴えていた弁護側の主張を、裁判長は「犯行が発覚しないよう行動している」と退けた。そして、「動機は自己中心的で身勝手。量刑を軽減すべき要素はない」と指弾した。

被告側は上告していたが、2017年7月19日、最高裁がこれを棄却したため、無期懲役が確定した。

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