札幌両親強盗殺人事件|両親を殺したのは普通の女子大生

スポンサーリンク
スポンサーリンク
日本の凶悪事件

札幌両親強盗殺人事件

恋人・安川奈智の求めるまま、自身の両親殺害を手伝った女子大生・池田真弓(当時19歳)。2人の言い分はことごとく食い違い、公判では互いに罪をなすりつけようとした。
そして、どちらも譲らないまま裁判は終了。2人に下った判決はともに無期懲役だった。
「別れることなんてできないし、あの人を手伝わなければならない」そう考えて、親より恋人を取った真弓だったが、犯行時の2人は交際を始めてほんの数か月だった。

事件データ

犯人1池田真弓(当時19歳)
無期懲役
犯人2安川奈智(当時24歳)
無期懲役
犯行種別強盗殺人事件
犯行日1991年11月22日
場所北海道札幌市北区
被害者数2人死亡
動機金銭
キーワード罪のなすりつけ合い

事件の経緯

安川奈智(当時24)と池田真弓(当時19)は、1991年の5月下旬頃に知り合った。イベントコンパニオンのオーディションに真弓が応募したのだが、その時の面接を担当したのが安川だった。

真弓は採用となったが、仕事が始まる前に札幌市中央区の安川の自宅(兼事務所)を訪れた。その際、睡眠薬を飲まされ、眠っている間に強姦されてしまう。本来ならこれは犯罪で、大騒ぎとなるところだが、このことをきっかけに2人は交際を始めた

当時の真弓には高校時代からの恋人がいた。そして、真弓はこの男性の子を妊娠していたのだが、安川との交際から2か月後の1991年7月に堕胎。8月頃には、両親に「リゾートホテルで泊まり込みのバイトをする」と偽り、安川の部屋で同棲を始めた。

このころ安川は自分の会社を立ち上げるも、会社はほとんど休眠状態。そんな状態では生活費もままならず、真弓はホステスのバイトをして2人の生活費を稼ぎ、貯金まで使っていた。

人を殺さなければ、金持ちになれない

真弓の実家があったエリア

同棲を初めてひと月ほど経った頃、同棲していることが真弓の両親にバレてしまう。母親の泰子さん(当時45)は真弓の携帯に電話するも連絡が取れず、父親のさん(当時45)がなんとか2人の居場所を探り当て、マンションを訪れた。しかし、このことに安川は激怒。「お前の親は常識がない」「もう許せん。消してやる」と口走るようになる。

安川はSMプレイが好きだったが、これ以降そういった道具を使ったプレイは激しさを増し、時には痣が残るほどの暴力に発展することもあった。仕事もない安川は、そんな行為を1日中求めてきたという。

そのうち安川は、真弓がホステスの仕事に行くのも嫌がるようになり、2人は部屋にこもる生活となった。安川は「人を殺さなければ、金持ちになれない」などと口走るようになり、気付くと真弓の両親の殺害計画を語るようになっていた。

それを聞いた真弓は、反対するどころか ”安川を手伝わなければいけない” と考えるようになっていた。1日中部屋にいて2人きりでいたために、若い真弓は安川に感化されてしまっていた。

このころの心情を真弓は「私は両親がいくら心配していようと、奈智さんと生活できればよかった。別れることなんてできないし、あの人を手伝わなければならない。そう思うようになっていた」と話している。

1991年11月22日の夜遅く、2人は安川の車で真弓の実家へ向かった。これは、もちろん計画を実行するためだった。到着すると、とりあえず真弓ひとりが家に入った。両親はまだ起きていて、父親は居間でくつろぎ、母親もしばらくして2階から降りて来て親子3人は雑談した。

両親を殺害/食い違う2人の証言

ここからは2人の証言内容が違うので、両方を記述する。

真弓の証言する犯行詳細

真弓は用意してきた睡眠薬入りのお茶を両親に勧めたが、父親が少し口をつけただけで母親は飲まなかった。計画通りいかないことに真弓は焦り、軽いパニックになる。真弓はなぜか3人分のお茶を飲んでしまい、午後11時頃になると、両親は就寝のため2階に上がって行った。

午後11時30分頃、安川が玄関から入ってきた。真弓はお茶を飲ませるのを失敗したことを伝え、もう関わりたくないと訴えた。安川は怒ったが、「この件はこれで終了した」と考えた真弓は、2階に上がって寝てしまう。

しかし、何も終わってはいなかった。すぐに安川は真弓を起こし、計画の続行を促した。真弓が嫌がると、今までに撮った真弓の裸の写真やSMプレイのビデオをばらまくと脅してくる。真弓は包丁とネクタイを持たされ、両親の寝室に入った。

暗がりの中、2人は寝ている両親にそっと近づいた。暗くてよく見えなかったが、安川が父親に包丁を振りかぶるしぐさをしたかと思うと、嫌な音がして父親のイビキが止まった。次に安川は母親に馬乗りになり、何度も包丁を振りかざした。真弓はその場に居られなくなり、部屋を出て行った。

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件

安川の証言する犯行詳細

午後11時30分頃、安川は真弓の手引きで勝手口から家に入った。安川が居間でバッグからネクタイを取り出していると、真弓が台所から包丁2本と手拭いを持ってきた。

しかし、なかなか踏ん切りがつかなかったため、2人はしばらく真弓の部屋で過ごした。午前1時頃になって両親の寝室へ移動。安川は父親の枕元に進み、首にネクタイを巻き付けようとしたが、うまくできなかった。その時、真弓が手ぶりで刺すようなしぐさをしてきたので、真意を理解した安川は包丁を手にした。

安川が父親を、真弓は母親を刺すための準備をし、合図とともに同時に包丁を振りかざした。その際、母親は悲鳴をあげたので、驚いた真弓は部屋を出て行った。安川は母親に馬乗りになって刺殺したが、気が付くと真弓が戻って来ていて母親の足を押さえていたという。

遺体を処理

モエレ沼湿地帯周辺の原野
遺体を処理したとされるモエレ沼湿地帯周辺

両親を殺害後、2人は一緒に風呂に入ったあと、現金20数万円・通帳・各種証書・家具などを持ち出した。そして、年明けの1月6日までにさまざまな手続きを済ませ、売却などで約680万円を手に入れた。両親の死を自殺に見せかけるため、失踪届を提出したり遺書を偽造したりもした。

遺体は車に乗せてガソリンをかけて燃やし、札幌市東区中沼町の境にあるモエレ沼の湿地帯に埋めた。そのための原野を購入するのに約190万円かかったほかは、2人は手にした大金を旅行や浪費で使い果たした。

1992年1月26日午前、深さ2mの地中から掘り出された車の後部座席から、両親の遺体が発見される。遺体の損傷は、かなり激しいものだった。札幌白石署は同日夜、数日前から事情を聞いていた真弓と安川を逮捕。犯行から約2か月経っていた。おぞましい犯罪を犯した2人だが、これまで前科前歴はなかった。

遺体は焼かれて激しく損傷していた。そのため、実際に真弓が手を下したかどうか、判断がつかない状況だった。逮捕後、安川は「母親を刺したのは真弓」と言い、真弓は「両親ともに安川が殺害した」と主張。この異なる言い分は、そのまま裁判でも争われることとなった。

犯人・安川奈智の生い立ち

北星学園大学
2人が進学した北星学園大学

安川奈智は、小学2年生の時に両親が離婚。横浜から旭川に引っ越し、看護婦の母親に育てられた。

貧しかったため家計を支える必要があり、新聞配達のアルバイトをしながら少年時代を過ごした。また、妹の面倒も安川がみていた。中学卒業後は道立旭川南高を経て、真弓と同じ北星学園大学・文学部に進学した。

安川はススキノのホストクラブで働きながら、北海道教職員高等学校免許、中学校英語一種免許を取得。意外なことに、安川にはそうした努力家の一面があった。一方、高級ブランドのスーツを身にまとい、ロレックスを腕に巻くなど、虚栄心の高さも合わせ持っていた。

真弓と知り合った当初、安川は「自分はプロダクションの社長で、 副社長はフランス人、JALや西武グループと取引がある」などと吹聴していた。

大学卒業後は教職には就かず、「20代で財を築いて、みんなを驚かせてやる」とうそぶき、起業家を気取っていた。だが、実際は年上の女性に取り入り、宝飾品など金目のものをせしめるだけだった。

安川と真弓が交際を始めた頃も、安川に収入はなかった。そのため、同棲中は真弓がホステスで稼いだ収入と真弓の貯金を生活費にあてていた。

事件後、警察の捜査によって『安川と不倫関係にあった4人の女性全員が、安川から保険金目的の夫殺しの計画を持ちかけられていた』ことが判明している。

池田真弓について

池田真弓は、父親・勝明さんと母親・泰子さんとの間に生まれた一人娘。父親は事件当時、北海道中央児童相談所で一時保護課長をしていた。

事件当時の真弓は19歳の未成年だった。実家は札幌市北区新川四条8丁目で、安川と同棲するまではここで暮らしていた。身長166cmでスタイルもよく、色白でタレントの渡辺満里奈に似ているといわれていた。

ピアノが弾けて札幌手稲高校では合唱部所属。卒業後は安川と同じ北星学園大学・文学部英文科に進学した。礼儀正しく、学校や近所での評判もよかったという。

裁判では、あくまで ”洗脳された被害者的立場” を取っていたが、供述におかしな点も多く、積極的に犯行に加わったと認定されて一審で無期懲役となった。控訴するも ”両親への償い” のために取り下げ、無期懲役が確定する。

裁判中、真弓は「安川と知り合わなければ、このようなことにならなかった」と述べていた。両親を殺害する際には拒否したが、「今までに撮った裸の写真やSMプレイのビデオをばらまくと脅された」と供述。しかし、捜査でそのような写真などは確認されなかった。

裁判:食い違う主張

安川奈智被告は、真弓の両親(勝明さんと泰子さん)に対する強盗殺人罪・死体遺棄罪、および詐欺罪などで起訴された。

池田真弓被告は、当時まだ未成年であったため、少年法により家庭裁判所に送致されたが、「刑事処分相当」として検察に逆送致、起訴となった。

そのため2人の裁判は分離公判となり、安川被告の初公判は逮捕から約3か月後の1992年4月20日、札幌地裁にて開かれた。裁判では、”どちらが主犯か”、”真弓が両親の殺害に、直接手を下したか否か” の2点が争点となっている。

安川・真弓両被告の主張は、ことごとく食い違った。安川被告が「犯行は真弓主導」と述べると、真弓は逆に「安川が主犯」と主張した。

池田真弓の裁判

池田真弓被告は、両親を殺害したことを認めた。弁護側は、「首謀者は安川被告であり、真弓被告は安川からの洗脳および行為支配により、心神喪失に陥っていた」と無罪を主張した。

検察側は真弓に対し、「2人の生命を奪った結果は重大だが、首謀者は安川であり、真弓は安川に従属的な立場だった」として、無期懲役を求刑した。

真弓自ら不利な供述

真弓被告は「犯行に加わらないと、お前の裸の写真をばらまく」と安川被告に脅されたと供述したが、警察が押収した物品の中にはそのようなものはなかった

控訴取り下げ無期懲役が確定

札幌地裁は、真弓被告に対し無期懲役を言い渡した。
真弓は判決を不服として札幌高等裁判所に控訴したが、「両親に償いをしたい」などの理由から、自ら控訴を取り下げ、無期懲役が確定した。

安川奈智の裁判

安川奈智被告は、真弓の両親を殺害したことは認めたが、発案したのは真弓被告で、安川被告は「真弓との愛を失いたくない」との思いから犯行に加わったものであり、首謀者は真弓被告であると主張した。

検察側は、安川被告を首謀者と位置付け、重大な結果を生じさせながら「真弓被告に責任を転嫁している」として、死刑を求刑した。

安川に不利な証言

事件当時、安川被告と肉体関係にあった人妻4人が、安川から『夫を保険金目当てで殺害することを提案された』と供述。安川はこれを全面的に否認した。

札幌地裁は、「2人の生命を奪った結果は重大」としながらも、判決時すでに真弓被告に無期懲役が言い渡されていたことから、”共犯者間の刑の均衡” の観点を考慮し、安川に無期懲役を言い渡した。

検察側は死刑が回避されたことを不服とし、安川側は真弓が首謀者と認定されなかったことを不服として、それぞれ控訴した。

最高裁で無期懲役が確定

控訴審で札幌高裁は検察側・安川側双方の控訴を棄却。無期懲役の一審判決を支持した。

検察側は「量刑要素の評価を誤った、死刑基準違反である」と主張し、最高裁へ上告した。しかし、最高裁はこれを棄却したため、安川被告の無期懲役が確定した。

真相はどっち?

2人の供述は、「出会い」から「犯行の詳細」に至るまで、ことごとく食い違った。当初、マスコミや裁判関係者も真弓に同情的だったが、安川の言い分は違った。

「犯行は真弓主導」「母親を刺したのは真弓」と、真弓に対する ”洗脳された被害者的な側面もある” という見方を真っ向から否定。実際、真弓の証言にも怪しい点が多く、殺害状況に関する部分などは、検視結果と照らし合わせても安川の証言のほうが信憑性が高かった

互いに罪をなすりつけるように争った裁判だったが、結果は ”喧嘩両成敗”。2人はともに無期懲役が確定した。

安川に対する判決理由

安川被告が犯行を指示していたことが認められる。しかし女性(真弓)が主体的に関与したことも否定できず、女性に言い渡された無期懲役と歴然とした差のある極刑にすべきだとまではいえない。

真実は、2人にしかわからない

タイトルとURLをコピーしました