スポンサーリンク
スポンサーリンク

筑後リサイクル店殺人事件|暴力で従業員を支配、究極のブラック会社

中尾伸也・中尾知佐/筑後リサイクル店殺人事件 日本の凶悪事件

「筑後リサイクル店殺人事件」の概要

福岡県筑後市のリサイクルショップ「エース」では、些細なミスでも従業員同士で体罰し合う決まりがあった。経営者夫婦の中尾伸也知佐は、これを従業員に徹底させ、夫の伸也が暴行に加担することも多かった。さらに、目をつけられた従業員2人は夫婦と同居させられ、私生活でも暴行を受け続けたことから死亡してしまう。これに飽き足らず、夫婦は義弟とその長男も暴行・虐待により死なせたが、事件が明るみになることはなかった。

だが10年後、中尾夫婦が窃盗で逮捕されたのをきっかけに、事件は発覚する。4人を殺害したことが”殺人罪”なら極刑もあり得たが、すべてが傷害致死と判断されたため、知佐には懲役30年、伸也に懲役28年の判決となった。

事件データ

主犯中尾知佐(逮捕時45歳)
判決:懲役30年
共犯中尾伸也(逮捕時47歳)
判決:懲役28年
犯行種別殺人事件
犯行日2004年5月~6月
2006年10月
犯行場所福岡県筑後市蔵数
被害者数知佐:5人死亡(うち2人は時効)
伸也:4人死亡(うち1人は時効)
動機行き過ぎた体罰
キーワード三色旗

事件の経緯

リサイクルショップ「エース」/筑後リサイクル店殺人事件
営業していた頃のリサイクルショップ「エース」

2003年4月下旬、中尾伸也と妻の中尾知佐は福岡県筑後市で「リサイクル&ディスカウントショップ・エース」を開業した。この店は一見、普通のリサイクルショップだが、実際は暴力で従業員を支配する究極のブラック会社で、恐怖で洗脳された従業員は中尾夫婦の言いなりだった。

店では伸也が ”社長”、知佐が ”部長” と呼ばれ、従業員らはトイレに行くことも含め、行動のすべてを夫婦に監視されていた。午前9時から始まる仕事は、終業時刻が日を跨ぐことも多く、軽く12時間を超えた。また、作業の区切り毎に知佐に電話での報告が義務付けられ、その回数は1日に50回以上にもなった。

従業員はミスする毎に ”罰金” が給料から引かれ、さらにビンタゲンコツなどの体罰を受けた。掃除後のチリひとつでもミスとして扱われ、ミスした従業員が他の従業員に「ビンタお願いします」と言って殴り合う仕組みだった。

ブラック企業から身を守る! 会社員のための「使える」労働

こうした体罰は知佐や伸也がいなくても従業員同士でチェックを行い、手加減なしで思い切り殴り合った。なぜなら、手を抜いたことが知佐にバレると、今度は自分が体罰の標的になるからだ。夫婦の不在時なら見逃すこともできたが、密告されることを恐れて従業員同士で体罰をし合った。また、ミス以外にも知佐や伸也が気に入らないことがあると、従業員は体罰をあたえられた。

やがて「ゲンコツやビンタだけではわからないから」という知佐の言葉によって、店長と伸也は金属バットを使うようになった。金属バットで従業員に ”ケツバット” をするのだが、伸也は時に ”体” を的にしたり、手足で殴る蹴るの暴行を加えることもあった。

ある元従業員は就業当時、中尾夫妻からひどい暴行を受けて顔の形が変わり、体重も20kg以上も減った。その後もPTSDのような症状に悩まされ、満足に話ができない状態まで陥った。また、「店に損害を与えた」との言いがかりで、消費者金融で数十万円から数百万円の借金をさせられた従業員もいた。

元従業員の証言

筑後リサイクル店殺人事件「リサイクルショップ・エース」

これだけ過酷で重労働なわりに、従業員の月給は約15万円。近隣住民によると、店は客が少なく繁盛していない様子だったといい、若い従業員が顔を腫らしたり、包帯や絆創膏をした従業員が暴力を受けたりしていたという。このような劣悪な労働環境のため、当然ながら従業員の定着率は悪かった。

元従業員の証言
  • 従業員を事務所に集めて一列に並ばせて、そのうち2人の腹を何度も蹴っていた。
  • 暴行を受けた従業員は抵抗もせず立ち上がり、その後も苦しそうに仕事を続けていた
  • 伸也が自動車で店に戻ると、従業員は走って一列に並び「お帰りなさいませ」と言って車のドアを開けたり、荷物を持ったりした
  • 「店に迷惑を掛けた」との言いがかりで、罰金としてサラ金で数十万円の借金をさせられた
  • 店を辞めた従業員に「売上金を持ち逃げした」と因縁をつけ、親族から計約1500万円を脅し取っている

従業員の日高崇さん

日高崇さん/筑後リサイクル店殺人事件
被害者の日高崇さん

2003年8月、福岡県みやま市瀬高町広瀬の日高崇さん(事件当時22歳)がリサイクルショップで働き始める。日高さんは別の従業員・Kさん(事件当時19歳)とともに、勤務態度などから中尾夫婦による体罰を頻繁に受けるようになった。同年12月から2人は中尾夫婦の自宅で同居を強いられ、生活態度まで干渉されたあげく、事あるごとに暴行を受けるようになった。

日高さんとKさんは、一方が不始末を起こすと他方が体罰を加えるように命令され、ケンカに発展することもあった。また、罰として食事を抜かれることもあり、次第に衰弱していった。2004年4月頃には、2人は体罰によるあざが目立つようになったため、客の目につかないところで商品を磨く作業などをさせられるようになった。

こうした暴力を主導したのは妻の知佐で、「やってやれ」「いけ」などと夫の伸也に指示を出していた。実際に店を切り盛りしていたのも知佐の方だった。

家に帰って来ない日高さんを心配して、店に母親が訪ねてきた際、夫婦は本人に会わせず「(日高さんが)店に損害を出した」と言いがかりをつけて300万円を要求。後日、母親はこれを支払い、日高さんと会わせるよう求めたが、夫婦は電話で話させるのみだった。日高さんは電話で「大丈夫」とだけ告げたというが、これを最後に連絡が付かなくなった。

従業員2人を暴行で殺害

リサイクルショップ「エース」/筑後リサイクル店殺人事件

従業員への体罰が常態化するなか、2004年5月下旬から6月上旬の間に、従業員のKさん体罰により死亡する。この知らせを受けて駆けつけた伸也に、知佐は「日高の暴行で死亡した」と告げ、日高さんの責任であることを本人にも認めさせた。

Kさんの死亡により、一時は日高さんへの体罰をやめて実家に帰すことも考えたが、結局これは実現せず、やがて体罰も再開した。知佐は ”Kさんが死んだ責任は日高さんにある” と本人にくり返し言い聞かせ、日高さん自身も捕まりたくない思いから、事件のことは口外しないことになっていた。

うちの会社ブラック企業ですかね?

6月下旬、伸也が自宅アパートで日高さんにいつもの体罰を加えたところ、倒れた日高さんはそのまま死亡してしまう。日高さんは、中尾夫婦と同居を始めて以降、一度も自宅に戻ることはなかった。翌7月、行方がわからなくなった日高さんを心配して、家族が筑後警察署に相談のうえ捜索願を提出した。この時は従業員Kさんの家族も同席した。

その後、日高さんの親戚が伸也に面会したところ、「Kと一緒に辞めて出て行った」と聞かされ、伸也は「(300万円では)まだ足りない」と、さらに現金を要求したという。

暴行で義弟親子が死亡

冷水栄江/筑後リサイクル店殺人事件

2006年3月、知佐の妹・栄江とその夫である冷水一也さん(事件当時33歳)がリサイクルショップで働き始める。冷水さんは大学院卒のエリート技術者で、家族を連れてアメリカに赴任していたが、帰国後、知佐に誘われて店で働くようになったのだ。

冷水一也さんについて

鹿児島県出身の冷水一也さんは地元の高校を卒業後、広島大工学部へ進み、同大学院から三洋電機に就職した。「センサーを活用したマッサージチェア」の開発に携わり、2002年には同僚と特許も取得するほどの優秀な技術者だった。冷水さんと栄江は趣味のバレーボールを通じて出会い、2001年に結婚。翌年に長男・大斗ちゃんが生まれた。
2005年、冷水さんは若くして課長職に抜擢され、家族を連れてサンフランシスコに転勤となったが、米国暮らしが合わなかった栄江が「日本に帰らないなら離婚する」と迫ったため、冷水さんは会社を辞め、家族は2006年に日本に戻った。

中尾夫婦は身内である冷水さんと栄江にも、毎日のように靴べらやゴルフクラブによる体罰を加えた。また、日高さんの時と同様、互いに暴力を振るうようにも指示し、さらに就寝・起床・食事の管理を通じて支配下に置いた

ブラック企業の社員が猫になって人生が変わった話

中尾夫婦は他の従業員に、「(冷水さんが)エリート出身であることを笠に着て、横柄な態度をとっている」と話し、妻子と引き離して強制的に事務所で生活させるようになった。栄江は幼かった大斗ちゃん(当時4歳)と暮らしていたが、8月頃、生活の過酷さからひとりで九州から逃げ出し、残された大斗ちゃんは中尾夫婦が引き取った。逃亡した栄江は、中尾夫婦への恐怖心から警察への通報はしなかった。

栄江は1週間ほどで戻ってきたが、中尾夫婦は大斗ちゃんを栄江に返さなかった。やがて中尾夫婦は、自分たちの意に沿わない態度をとる大斗ちゃんに食事も満足に与えず、さらに頭や顔を殴るなどの暴行をくり返したために、10月中旬頃、大斗ちゃんは死亡する。

一方、冷水さんも2006年9月下旬から店内の倉庫に監禁されるようになっていた。冷水さんは約5平方メートルの倉庫にヒモでつながれ、十分な食事も与えられず、殴る蹴るの暴行を受け続けた。次第に衰弱していった冷水さんは、10月下旬頃に死亡してしまった

7年半後、別件で逮捕

筑後リサイクル店殺人事件・相関図

中尾夫婦は、こうして幼い男児までも含む4人を暴行死させておきながら、その後も何食わぬ顔で暮らしていた。しかし、冷水さん親子の死から7年半後、中尾夫婦は別件で逮捕されることになる。2014年4月11日、伸也(当時47歳)と知佐(当時45歳)は、知人男性名義の消費者金融カードで不正に現金53万円を引き出したとして、福岡県警捜査1課と筑後署に窃盗容疑で逮捕されたのだ。

夫婦は7年以上前に知人男性の名義で勝手に消費者金融3社のカードを作成していた。男性はカードの存在を知らず、警察からの問い合わせで発覚。中尾夫婦は引き出した現金を生活費などに使ったとみられた。

この逮捕をきっかけに、中尾夫婦は周辺で複数の人間が行方不明になっていることを追及される。この取り調べにおいて、伸也が「もう疲れた」と犯行を自供。これにより事件は解明へと向かっていった。

供述によると、犯行の発覚を恐れた中尾夫婦は、遺体を伸也の実家の庭に埋めて白骨化するまで放置。その後、骨を掘り出して粉砕機で砕いて近所の川に捨てていた。伸也が自供した通りの場所から人骨が見つかり、DNA型鑑定で日高さんとKさんのものであることが判明。6月16日、殺人容疑で伸也と知佐は再逮捕となった。(7月7日、日高さんへの殺人罪で起訴)

傷害致死1件について時効

筑後リサイクル店殺人事件・遺体捜索

2014年7月12日、川底で見つかった人骨の一部が冷水さんのDNA型と一致したため、8月6日に冷水さん殺害容疑で伸也と知佐を再逮捕。9月7日には、大斗ちゃん殺害容疑でも中尾夫婦は逮捕となったが、大斗ちゃんの骨は発見されていない。9月29日、福岡地検は、冷水さんと大斗ちゃんに対する傷害致死罪で追起訴した。

知佐の妹・栄江(当時36)も、夫の冷水さん殺害に関わった疑いがあるとして傷害致死容疑で逮捕された。栄江は冷水さんへの暴行罪を適用されたが、公訴時効(3年)が成立したとして不起訴処分となった。

知佐の前歴

知佐は1994年頃、福岡市東区の知人の男と共謀して、この男のアパートで東区の別の知人男性(当時20歳)をくり返し殴る蹴るなどして死亡させていた。男性の遺体はみつかっておらず、この件は不起訴となっている。

Kさん死亡事件については証拠が乏しいこともあり、殺意の立証に至らず傷害致死罪が適用となった。11月17日、Kさん事件で伸也と知佐は福岡地検に書類送検されたが、12月18、公訴時効成立により不起訴処分となった。傷害致死罪の時効は当時は10年(現在は20年)で、これが2014年6月に成立していた。

司法の判断

この事件は複数の被害者がおり、それそれについて殺人罪傷害致死罪のどちらを適用するかが注目された。検察は日高さん事件について殺人罪で起訴したが、裁判では異なる判断となった。

検察の判断

被害者名中尾知佐中尾伸也冷水栄江
従業員Kさん不起訴
公訴時効
不起訴
公訴時効
ーー
日高さん起訴
殺人罪
起訴
殺人罪
ーー
冷水さん起訴
傷害致死
起訴
傷害致死
不起訴
公訴時効
大斗ちゃん起訴
傷害致死
起訴
傷害致死
ーー
知人男性不起訴ーーーー

裁判所の判断

  • 冷水さん・大斗ちゃん親子の事件について、裁判では起訴通りに傷害致死と認定
  • 日高さん殺害についても傷害致死として裁かれ、殺人罪での起訴は否定された
  • 従業員Kさんの死亡は傷害致死として扱われたが、公訴時効が成立するため不起訴

中尾伸也と中尾知佐について

中尾知佐/筑後リサイクル店殺人事件

中尾知佐は愛媛県上島町の生名島の出身で、腹違いの9人兄弟の長女である。
中学時代はバレーボール部に所属、高身長でアタックもうまく、キャプテンを務めた。当時の彼女は、明るくリーダー的な存在で頭もよかったという。だが、自分の思いどおりにならなかったり気に入らないことがあると、無視したり口を利かなくなるような、感情の起伏が激しいところがあった。

真偽のほどは定かではないが、知佐は自分のことを「村上海賊の末裔で、代々、裏家業を営む家で育った」と話していた。また、父親はヤクザで「お父さんはよく週刊誌に出る人」と説明していた。

その後、地元の高校に進学。父親がギャンブル好きで生活に困窮し、ひとつの豆腐を兄弟が分け合って食べることもあったという。食べる物がない時は、兄弟に「駄菓子屋で万引きしてこい」と命令していた。この頃から知佐は気性が荒く、生活も荒れていた。

高校卒業後は銀行への就職が決まっていたのだが、貧しい生活に耐えられなかったのか、あと数か月で卒業という時期に突然、交際男性と家出して島を出た。家出の費用は、友人たちに「妊娠した出産費用をカンパして」と嘘をついて集めていた。島を離れたあとは関東で働いていたが、数カ月後に連れ戻されている。

伸也は結婚を機に変わった

中尾伸也/筑後リサイクル店殺人事件

中尾伸也は筑後市で生まれ、地元の小中学校に通った。それから隣り町の工業高校に進学するも、勉強が出来なかったため1年で中退し、その後、福岡県内の温泉地の有名ホテルに就職した。「仕事ぶりは真面目」という評価だったが2~3年で退職した。

30年来の友人という男性によると、伸也は本来は優しい性格で暴力的な感じはなかったという。素直で人当たりも柔らかく、女性にもモテたそうだ。伸也はパチンコ好きで、毎日のようにパチンコ店に通ううちに男性と親しくなった。

知佐と知り合ったのは中洲で、その縁で佐知の父親が関係する闇カジノで送迎の仕事を始める。しかし、客の女性に手を出したことで知佐の父親の逆鱗に触れ、伸也と知佐は追い出された。

1998年、職を失った伸也は自己破産したが、その一方で知佐と入籍。同年、実家の土地が差し押えられ、2001年には知佐も自己破産、翌2002年に伸也の両親と祖母が自己破産をした。その後は2人で大分県から魚を仕入れ、干物の行商を始めるもうまくいかなかった。

伸也は金になることにはすぐ飛びつくが、金銭的にはルーズだった。他人に「絶対返すから」と言って消費者金融から金を借りてもらったのに、返さないこともあった。夫婦を知る知人たちによれば、知佐と結婚してから伸也は変わったという。知佐の言いなりという感じで、ガラの悪い男たちと道を歩く姿を見かけるようになった。

商売はどれもうまくいかず…

知佐は中洲時代、ヤクザの父親の協力を得て貸金業を営んでいた。また、地元企業の御曹司に近づき、美人局のようなこともやったが失敗している。伸也と知佐は自己破産したが、その後も親族らに借金を重ねていた。

伸也の母親が勤めていたスナックの元経営者(当時76)も、伸也の家族に2千万円を貸している。ある時、中尾夫婦と伸也の両親、祖母の5人が閉店後の午前2時頃やってきて、借金を申し込んだというのだ。元経営者は高齢の祖母を気の毒に思い、自宅を担保して借りた2千万円を貸した。この金は家族が7年かけて完済している。

結婚して数年後のことであるが、前出の伸也の友人男性が経営していた喫茶店を畳もうとすると、中尾夫婦が「自分たちが店をやりたい」と申し出た。男性は居抜きで100万円で譲ったが、代金は「金がないから月々5万円を支払う」という約束になった。だが、3カ月後に店を訪ねると、伸也が店内の漫画を古本屋に売る作業をしており、「店を閉めるから、お金は待ってください」と言われた。その後、入金はなくなったという。

2003年4月下旬、中尾夫婦は福岡県筑後市で「リサイクル&ディスカウントショップ・エース」を始めたが、当時も多額の借金を抱えていた。開業した翌年には従業員2人を殺害、2006年には義弟とその長男を暴行死させた。だが、事件はその後10年ほど発覚しなかった。

中尾夫婦には(事件当時は中学3年)がいて、学校が遠いためベンツで送迎していたが、いじめが原因で不登校になっている。気性が荒く攻撃的な性格の知佐は、娘の中学校に乗り込んで教師に怒鳴り散らしたという。また、付近の野良猫を叫びながら追いかけ回す姿も目撃されている。

裁判

2016年5月16日、福岡地裁で妻の中尾知佐被告の裁判員裁判が始まった。この裁判の争点は「日高さんに対する殺意」だった。知佐被告は起訴内容を否認し、無罪を主張。「暴行したのは夫の伸也で、自分は指示したことはなく、殺すつもりもなかった」と述べ、殺意や伸也被告との共謀も否定した。

知佐被告は、日高さんの衰弱については「日々体罰を受けていた」こと、「日高さんとKさんで喧嘩をした」ことを理由に挙げ、日高さんの死亡については伸也被告と知佐被告の娘の頭を日高さんが叩くことを咎めた伸也被告が体罰を加えた結果として、知佐被告は暴行への関与を否定した。

検察は夫の伸也被告の証言などから「知佐被告が夫らに指示し、継続的な暴行で従業員らを死なせた」と指摘し、無期懲役を求刑した。

2016年6月24日の第一審判決公判で、知佐被告に有期刑の上限となる懲役30年を言い渡した
争点の「日高さんに対する殺意」については、福岡地裁は「強度の暴力は証拠上見当たらず、死亡させたいという意欲は認めがたい」として殺人罪は認めず、日高さん・冷水さん・大斗ちゃんの3件とも傷害致死罪にあたると判断。”夫・伸也被告との共謀関係” については、死亡を招いた直接的な暴行をしていなくても、傷害致死罪の共同正犯は成立すると結論づけ、「幼児を含む3人が死に追いやられた過程は陰惨で結果は重大」と述べた。

また検察側は、「両被告が、従業員Kさんを暴行死させた事件の口封じで、日高さんを殺害した」と主張していたが、裁判長は「事件後も一緒に商業施設に出かけるなど、口封じと矛盾する行動があった。死亡させるための強い暴力は見当たらず、くり返し苦痛を与えることを意図していたと言える」と殺意を否定した。

検察側は「知佐被告に未必的な故意があった」として、弁護側は「量刑が重すぎる」として、それぞれ控訴した。

知佐に懲役30年、伸也に懲役28年

一方、夫の中尾伸也被告の裁判員裁判の初公判は、福岡地裁で6月27日に開かれた。

8月8日、伸也被告にに対する第一審判決は、知佐被告より2年少ない懲役28年が言い渡された。裁判長は、伸也被告と知佐被告の共謀関係を認定し、「犯行の枠組みを主導したのは知佐被告。伸也被告は事件の解明にも協力し、反省もしている」とする一方、”知佐被告からの支配により犯行に及んだ” とする弁護側の主張は「自らの判断で暴行した」と退けた。

日高さん殺害事件では、知佐被告と同様に「殺意を持って暴行したとする証明はない」として殺人罪ではなく傷害致死罪が成立するとした。伸也被告は冷水さんに対する傷害致死罪は認めていたが、それ以外の起訴内容の大半を否定していた。

2人は上告せずに確定

2017年1月27日、知佐被告の控訴審判決が開かれ、福岡高裁は検察・弁護側双方の控訴を棄却し、一審の懲役30年の判決を支持した。検察が主張した ”日高さんに対する未必の殺意” については「体罰を続けることによる日高さんの死亡の可能性については認識できたとしても、殺意までは肯定できない」とした。検察・弁護側とも上告せず、知佐被告の懲役30年の刑が確定した。

伸也被告の控訴審判決は3月27日に開かれた。福岡高裁は検察・弁護側双方の控訴を棄却し、一審判決を支持した。福岡高裁は日高さん事件について「日高さんは逃げ出すことも可能だった。日高さんへの殺意は肯定できない」とした。検察・被告側とも期限までに上告せず、伸也被告の懲役28年が確定した。

タイトルとURLをコピーしました