日本・外国人集団連続強盗殺人事件|警察庁広域重要指定121号事件

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下山信一・黄奕善/日本・外国人集団連続強盗殺人事件|警察庁広域重要指定121号事件 日本の凶悪事件

「日本・外国人集団連続強盗殺人事件」の概要

下山信一(当時33歳)、中国系マレーシア国籍の黄奕善(当時24歳)らは強盗団を結成し、1993年10月から12月にかけて連続して5件の強盗事件を起こした。そのうち、滋賀県・群馬県・東京都でそれぞれ1人、合計3人を殺害した罪で逮捕となった。

重要広域指定121号に指定されたこの事件は、主犯格の下山と殺害実行犯の黄奕善の2人に死刑が確定。その他5人の共犯者のうち、2人には無期懲役が確定している。

事件データ

犯人1下山信一(当時33歳)
死刑:東京拘置所
*現在は改姓して「松沢信一
犯人2黄奕善(当時24歳)
読み:ウォン・イーサン
死刑:東京拘置所
他の共犯本文中に記載
犯行種別強盗殺人事件
犯行日1993年10月8日~12月20日
犯行場所滋賀県八日市市
東京都足立区
群馬県高崎市
被害者数3人死亡
動機金銭目的
キーワード警察庁広域重要指定

事件の経緯

下山信一(当時33)、吉田静史(当時29)、森高志の3人は、1987年3月~1989年11月までの間に姫路刑務所で知り合い、出所後、無職の彼らは強盗団を結成した。

さらに、下山は友人の暴力団組員・依田利男に依頼し、黄奕善(犯行時24)らを名古屋周辺で仲間に入れた。黄は1989年2月頃に来日した中国系マレーシア国籍の外国人で、強盗の際の殺害実行犯として仲間に引き込んだのだ。

こうして人数を増やした窃盗団は、1993年秋から立て続けに強盗事件を起こしていく。

沼津事件

1993年10月8日、下山と吉田は共謀して、静岡県沼津市のパチンコ店で従業員2人をナイフで脅して現金1048万円を強奪した。この事件では吉田が中心的役割を果たした。

滋賀事件

10月27日には、下山、吉田、森の3人に加え、黄と依田も計画に参加。滋賀県八日市市の金融業・小山幸男さん(当時53)宅へ押し入り、殺害した上で上着ポケットにあった現金約160万円のほか、現金約1240万円が入った耐火金庫や高級腕時計など、合計3000万円あまりの金品を奪った。

強盗殺人未遂事件

さらに12月10日、下山と黄、仲間の自動車販売業・鈴木文夫(当時45)、自動車運転手の松沢邦彦(当時34)らは、東京都足立区の金融業者に押し入った。彼らは現金を奪うため、従業員の男性(当時56)の胸部を数回包丁で刺して重傷を負わせた。だが、騒がれてしまったため、金銭を奪うことができないまま逃走した。

強盗殺人をくり返す

高崎事件

このように、下山らは立て続けに強盗事件を起こしていく。足立区の失敗から2日後(12月12日)にも、下山と黄は共謀して群馬県高崎市のゲーム喫茶経営者の男性(当時40)を拳銃で射殺し、約9万円などを奪った。

足立事件

そして12月20日。下山、黄、鈴木は東京都足立区入谷の不動産賃貸業・小林正さん(当時59)を強盗の標的にした。小林さんが裕福なことや、自宅の金庫に多額の現金が入っていることを鈴木が知っていたからである。この時、見張り役として松沢も同行した。

小林さんは自身が経営するマンションの一戸を自宅として住んでいた。侵入すると、下山らは小林さんをハンマーで殴り、包丁で突き刺して殺害。現金115万円などが入った金庫を奪うことに成功した。

同日午後7時50分頃、小林さんが自宅の廊下で倒れて死亡しているのを帰宅した長男が発見し、すくさま警察に通報した。警視庁捜査1課と西新井警察署は、強盗殺人事件として現場検証と捜査を開始。小林さんは頭部を強打されたうえ、腹部を鋭利な刃物で複数刺されており、これが致命傷となって死亡したことが判明した。

現場はタンスや引出しが荒らされ、現金数百万円入りの金庫がなくなっていた。この金庫は重さ30kg以上もあり、ひとりで運び出すのは困難であることから複数の犯行であることが推定された。また、1メートルもある大きなバールが現場に残されていたことから、犯人らは小林さん宅に金庫があることを知っていた可能性があった。

他の保険金詐欺

下山・鈴木・吉田らは、数年前から『自動車の当たり屋』などをくり返す保険金詐欺仲間だった。ほかにも下山は1993年1月下旬、鈴木・森と共謀して鈴木所有の外車の車体や窓ガラスをわざと壊したり、車に付属のテレビを持ち出して警察に被害届を出した。そして、保険会社に「何者かに車を壊され、付属品も盗まれた」と虚偽の申告をして、同年3月に保険金375万円を騙し取った。

被害者の交友関係から逮捕へ

捜査本部は、内部事情に詳しい者の犯行も視野に入れて捜査を進めた。たが、犯人へ結びつく手掛かりがつかめないまま月日が経った。

事件が動いたのは4ヵ月後の1994年3月。滋賀事件で捜査本部が被害者の小山さんの交友関係を調べるうちに、暴力団組員の依田の名前が浮上。周辺の捜査で下山・吉田らを含む犯行グループが判明したのだ。3月中旬、捜査本部は下山と吉田を強盗殺人容疑で逮捕し、依田を指名手配した。

一方、警視庁と西新井署の合同捜査本部は、捜査の過程で『足立事件と滋賀事件の犯行手口が似ている』ことに着目し、滋賀県警に事件の照会を行った。その結果、下山らは足立事件の犯行を自供したため、5月10日に滋賀県警は2人を再逮捕した。

滋賀県警は、ほかにも余罪があるものとみて厳しく追及したところ、2人は殺人事件を含めた他の犯行を自供。同月18日、警視庁は重要広域指定121号に指定して2人を徹底的に取り調べた。2人は1993年10月8日から12月20日に起こした『5件の強盗事件』すべてについて供述を始めた。こうして犯行グループ全員が逮捕されるに至った。

裁判

1993年6月までに、強盗団は全員逮捕された。
このうち、主犯の下山真一被告と殺害に直接関与した黄奕善被告の2人については、極刑もあり得ると予想された。この2人の裁判は分離して審議された。

1994年逮捕容疑
3月中旬下山・吉田滋賀事件
3月30日滋賀事件
4月1日滋賀事件
5月10日下山・黄(再)
松沢・鈴木
足立事件
6月2日依田滋賀事件
6月4日下山・黄・鈴木(再)強盗殺人未遂
6月20日下山・黄(再)高崎事件
7月27日下山・吉田(再)沼津事件

下山信一:死刑確定

下山信一/日本・外国人集団連続強盗殺人事件|警察庁広域重要指定121号事件

下山信一は、現在は改姓して『松沢信一』となっている。(本記事では『下山』姓で統一)

1994年10月21日の初公判で、下山信一被告は「全部の事件を黙秘します」と述べ起訴事実の認否を拒否した。弁護人は「『起訴事実が証明されたら死刑』という過酷な求刑が予想される」と慎重審理を求めた。

弁護側は「被害者を殺してまで金を奪うことは計画してなかった」として強盗罪にとどまると主張した。

1998年5月26日の判決公判で、東京地裁は下山被告に死刑を言い渡した。裁判長は、「『強盗殺人を企てた』と述べた共犯者の供述は信用できる。周到に準備された極めて計画的犯行で、下山被告は主導的・中心的役割を果たし、率先して殺害行為に及んだ」などと指摘し、強盗殺人を認定した。

そして、「何ら責められる事情のない3人が殺され、さらに1人が重傷を負った結果は極めて重大で、社会に与えた衝撃も大きい。事件の凶悪性や遺族の処罰感情などを考えると、死刑をもって臨むほかはない」と述べた。

2000年11月8日の控訴審初公判でも、弁護側は「下山被告に殺意はなく、死刑は重すぎる」として減刑を求めていた。しかし、2001年5月30日の判決公判で、裁判長は「首謀者として果たした被告の罪はあまりに重く、死刑が重すぎて不当とはいえない」として控訴を棄却した。

2005年7月4日の上告審弁論でも、弁護側は「相手を殺す認識はなかった」と殺意を否定。「深く反省しており、更生の可能性がある」「死刑は憲法違反」などと、死刑判決の破棄を求めた。検察側は「いずれの事件でも殺意は明白。凶悪・重大な事件で死刑が相当」と主張した。

2005年9月16日の最高裁判決で、裁判長は弁護側の上告を棄却、下山被告の死刑が確定した。裁判長は「わずか2カ月の間に何ら落ち度のない3人を殺害した冷酷非道な犯行」と断じ、下山被告について「常に主導的地位に立って犯行を進め、奪った金銭の分配でも主導権を握って多額を得た。罪責は極めて重い」と指摘した。

黄奕善:死刑確定

黄奕善/日本・外国人集団連続強盗殺人事件|警察庁広域重要指定121号事件
黄奕善

黄奕善被告は裁判の当初、犯行に加わったことは認めたものの、「殺すつもりはなかった」と殺意を否認した。
1996年1月29日の論告求刑で、検察側は「3人の命を奪った結果の重大性、犯行に果たした役割の重要性などを考えると、極刑をもって臨むほかはない」と死刑を求刑。黄被告は最終弁論で「命でつぐないたい。死刑にしてほしい」と述べた。

1996年7月19日判決で、東京地裁は黄被告に死刑を宣告した。裁判長は「金欲しさから凶悪・非情な犯行に走った。主犯ではないことなどを考慮しても、死刑をもって臨むほかはない」と述べ、求刑通り死刑判決となった理由を述べた。

裁判長が主文言い渡しで「被告人を死刑に処する」と最後に告げると、黄被告は「ありがとうございます」と頭を下げた。

黄被告は「殺意はなく従属的な立場で、死刑は重すぎる」として控訴した。また、一審の公判中、通訳の誤訳があったことを主張した。

1998年3月26日の控訴審判決で、東京高裁は一審死刑判決を支持して控訴を棄却した。裁判長は、一審の事実認定に間違いないとした上で「金品強奪のため3人を殺害するなど残虐な犯行で、自ら重要、不可欠な役割を果たし、積極的に実行行為に及んだ。死刑は究極の刑罰で適用には慎重を期すべきだが、一審の量刑はやむを得ない」と述べた。

2004年4月19日の判決公判で、最高裁は被告側の上告を棄却。黄被告の死刑が確定となった。弁護側が「首謀者である下山被告に引きずられて加担させられた」と主張したが、裁判長は「重要な役割を担当し、積極的に実行行為に及んだ」として、これを退けた。そして「金銭欲に駆られた極めて利己的な犯行で、冷酷かつ残虐。死刑はやむを得ない」と述べた。

黄奕善 「日本の収容者への処遇は世界最低。鬼畜にも優る残酷な刑事施設に国民の血税を投入している。増税の前に政治家は身を切る改革を」

「終身刑を導入するより『死刑猶予』制度を設けた方がいい」

その他の共犯者の判決

鈴木文夫被告は1997年4月18日、東京地裁で求刑通り無期懲役判決。控訴せず確定。

松沢邦彦被告は1995年3月31日、東京地裁で懲役13年(求刑懲役15年)判決。控訴せず確定。

吉田静史被告は1998年1月20日、大津地裁で求刑無期懲役に対し懲役15年判決。強盗殺人で起訴されたが、裁判長は「犯行は悪質。責任は重大で酌量の余地はない」としながらも、「殺害までは予見できなかった」などとして強盗致死を認定した。1999年5月6日、大阪高裁は一審を破棄して強盗殺人を認定し、求刑通り無期懲役判決を言い渡した。2000年6月10日までに被告側上告棄却、無期懲役確定。

依田利男被告は1998年1月20日、大津地裁で求刑懲役10年に対し、懲役5年判決。強盗致死で起訴されたが、強盗致死ほう助を認定した。1999年5月6日、大阪高裁は一審を破棄して強盗致死を認定し、懲役8年判決を言い渡した。2000年6月10日までに被告側上告棄却、懲役8年が確定。

森高志被告は強盗致死に問われ、1999年7月27日、大津地裁で懲役12年の判決が言い渡された。(求刑懲役15年)被告側は控訴したが、その後は不明。おそらく棄却されたものと思われる。

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