
東尋坊殺人事件|自殺に見せかけ殺した、狂気の集団リンチ殺人
2019年10月18日、ひとりの若者が東尋坊から身を投げた・・・。でもこれは殺人事件だった!自殺の名所を利用して、凄惨な集団リンチの痕跡を消そうとした少年6人と成人ひとり。注目された判決は、主犯格の少年Aに懲役19年、ただひとりの成人・上田徳人に懲役10年が言い渡された。

宮崎家族3人殺害事件|「遺族にも愛される死刑囚」はウソ?
数日に1回は義母に叱責され、小さくなっていた奥本章寛。揉め事の嫌いな彼は、言い争うより我慢するほうを選び、耐えてきた。しかし両親や故郷の人たちを罵倒された時、彼の中で殺意が芽生えていく。彼は義母となんと妻子まで殺害。そんな彼に下った判決は死刑だった。

鹿児島県日置市5人殺害事件|復讐殺人の原因は妄想!?
2018年3月31日、鹿児島県日置市の実家で、岩倉知広は祖母の小言にカッとなり、祖母と父親を絞殺した。さらに4月6日、様子を見に来た親族らも絞殺、計5人の殺害で逮捕された。裁判では妄想障害を否定、嫌がらせに対する復讐と言い放ち、死刑を言い渡された知広は検察官に飛びかかろうとした。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件|死ぬまで誰も止めなかった…!
凄絶な集団リンチの果てに、何の落ち度もない4人を惨殺した小林正人、小森淳、芳我匡由の3人。裁判当初、傍聴席の遺族を睨み、友人に笑みを見せた彼らも、キリスト教の教誨を受けるようになると次第に反省の色を見せるようになった。しかし裁判では3人ともに死刑が確定した。

新潟小2女児殺害事件|絞殺したあと、遺体にわいせつ行為
2018年5月7日夜、小学2年女児が電車に轢かれる事故があったが、司法解剖で事故の前に絞殺されていることが判明する。捜査で浮上したのは、女児の家の近所に住む小林遼だった。小林は女児を車で轢いて誘拐。その後、気絶させようと首を絞めて死亡させてしまった。小林は、女児に故意に車を衝突させて誘拐。その後、泣き叫ぶ女児を気絶させようと首を絞めたところ、女児は死亡してしまった。裁判では死亡求刑に対し、一審・二審判決は無期懲役。検察側は上告を断念したため、小林が死刑になる可能性はなくなった。(弁護側のみ上告中)

太宰府主婦暴行死事件|”すくえた命”を見殺しにした佐賀県警
11回も相談に出向いたのに、佐賀県警は被害届を受理しなかった。その結果、主婦は連日の凄惨な暴行により死亡してしまう。主犯の山本美幸には懲役22年が言い渡されたが、服役中の2022年8月、麓刑務所内にて病死した。佐賀県警は遺族に謝罪はしたものの「対応に不備はなかった」と開き直った。

上申書殺人事件|前代未聞の死刑囚による告発、首謀者は塀の外!
2005年、前代未聞の告発が茨城県警に届く。それは、ある死刑囚が別の殺人に関わったという上申書だった。死刑囚の名は後藤良次、彼は警察も知らない3件の殺人事件が、ある人物の指揮のもと行われていたというのだ。県警は「告発は本物」と判断したが、すでに証拠隠滅された事件の捜査は困難を極めた。

制服警官女子大生殺人事件|目をつけた女子大生を公務中に殺害
「制服警官女子大生殺人事件」の概要1978年(昭和53年)1月10日、東京都世田谷区で現職警視庁警察官による殺人事件が発生した。松山純弘巡査(当時20歳)は、ある女子大生に好意を寄せて覗き見をくり返していたが、ポルノ映画を見た興奮からこの女...

スナックママ連続殺人事件|吉本所属の女性芸人も被害に!
18歳以降、人生のほとんどを刑務所で過ごした西川正勝。この事件も出所後2か月後に起こした。強盗目的でスナックのママ4人を殺害した西川。その後、大阪で吉本興業所属の桂花枝さんを襲い14万円を奪った。最後は母子家庭の母親に説得されて逮捕。彼に下った判決は死刑だった。

三重小2女児失踪事件|親に届いた「怪文書」が怖い未解決事件
1991年3月、三重県四日市市で小学2年生の加茂前ゆきちゃんが行方不明になった。 目撃情報は数件あったが、ゆきちゃんは見つからず、15年後の2006年には時効が成立してしまった。北朝鮮の関連が噂されたり、事件から3年後に届いた「怪文書」にゾッとする有名な失踪事件である。