佐世保女子高生殺害事件|同級生を自室で殺して解体

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徳勝もなみ/佐世保女子高生殺害事件 日本の凶悪事件

「佐世保女子高生殺害事件」の概要

2014年7月26日、現役の女子高生によるおぞましい殺人事件が発生した。およそ前例がないと思われるその事件は、”同級生を自分の部屋で殺害し、バラバラに解体しようとした” というものだった。

翌朝、あっけなく逮捕された女子高生は、「中学の頃から人を殺してみたかった」と動機を語ったが、その口調はまるで他人事のように淡々としていたという。彼女は同年3月にも、就寝中の父親の頭部を金属バットで何度も殴る殺人未遂事件を起こしていた。

事件データ

犯人徳勝もなみ(当時15歳)
犯行種別快楽殺人事件
犯行日2014年7月26日
犯行場所長崎県佐世保市島瀬町のマンション
被害者数1人死亡(同級生)
判決医療少年院送致(第3種少年院)
動機人を殺して解体したかった
キーワード女子高生

事件の経緯

徳勝もなみ/佐世保女子高生殺害事件
徳勝もなみ

2014年7月23日、女子高生の徳勝もなみ(当時15歳)は、継母に ”猫を殺すのが楽しい”、”人を殺してみたい” という気持ちを打ち明けた。

衝撃的な告白だが、両親には思い当たる節があった。もなみは同年3月に ”父親を金属バットで殴打する” という殺人未遂事件を起こしていたのだ。これを機に、彼女は精神病院に通院するようになった。父親は担当医から「同じ家で寝ていると命の危険がある」と助言され、高校進学した4月から、もなみは父親が借りたマンションの一室で一人暮らしをしていた。

告白の2日後、両親は精神病院側と協議したが、病院の都合で即日入院はできなかった。今後の方針としては、ただちに警察に通報するのではなく、まずは児童相談所に行くということで一致。同日、児童相談所に電話すると「今日の受け付けは終わったので、月曜日(28日)にしてほしい」と言われた。

もなみは佐世保北高等学校の1年生で、スピードスケートで国体出場したり、佐世保ピアノコンクールで受賞するなど、多才で頭も良かった。

同級生を殺害

被害者の松尾愛和さん/佐世保女子高生殺害事件

精神病院で協議を行った翌日(7月26日)、もなみは長崎市祇園町に住む同級生の女子生徒(当時15歳)を部屋に招いた。これは7月中旬頃に約束したことだった。

女子生徒は午後3時頃、家族に「もなみの部屋に行く」と言って家を出て、その後、もなみと合流。佐世保市内の繁華街で買い物を楽しんだあと、2人はもなみのマンションに帰った。

被害者の女子生徒は写真部に所属し、明るくて面倒見がよい生徒だった。もなみとは生まれた家が近く、中学も同じだった。

もなみが女子生徒を誘ったのは、かねてからの願望を満たすためだった。それは「人を殺して解体してみたい」という恐ろしいものだった。そのために、もなみは石頭ハンマー、のこぎり、テストハンマーを自分で購入していた。

午後8時頃、部屋で一緒にテレビを見ている時、もなみは我慢ができなくなり、女子生徒の後頭部をいきなりハンマーで十数回も殴った。それから犬の散歩用のリードで首を絞めて殺害。女子生徒は頸部圧迫で窒息死した。

一方、女子生徒の母親は、午後6時40分頃に娘から「7時頃に帰る」とのメールが届いたが、一向に帰って来ないので、もなみに電話した。だが、もなみは「午後6時半くらいに別れた」と嘘をついてやり過ごした。その後、両親は午後11時頃に捜索願を提出した。

女子生徒を殺害したもなみは、もうひとつの願望である ”解体” にとりかかった。それをやり終えると、もなみは服を着替えて身体を洗い、自分のスマホをマンションの5階から投げ捨てるなどの偽装工作を行った。

遺体は解体されていた

佐世保女子高生殺害事件・犯行現場マンション
犯行現場となったマンション

女子生徒の足取りは、まったくつかめなかった。そのため、翌27日午前3時20分頃、捜索していた警察官が、もなみの部屋を訪れて事情を聞いた。もなみは「何も知らない」とシラを切ろうとしたが、不審に思って室内に入った警察官に、ベッドの上の遺体を発見されてしまう。

遺体は仰向けに寝かされていて、頭部と左手首が切断されていた。胴体部分にも刃物で切ったとみられる複数の傷があった。凶器とみられるのこぎりはベッドの上にあり、ハンマーはベッドの脇と下から見つかった。午前6時10分頃、もなみが殺害を自供したため緊急逮捕した。

この時、部屋の冷蔵庫からは猫の首もみつかっている。

子どもが動物をいじめるとき―動物虐待の心理学
子どもが動物をいじめるとき―動物虐待の心理学

取り調べが始めると、もなみは「殺すために自分の部屋に誘った」と供述。さらに「殴ってから首を絞めた。すべて私がひとりでやった。誰でも良かった」と全面的に犯行を認めた。

動機についても「猫を解剖したり、医学書を読んだりしているうちに、人間で試したいと思うようになった」「中学生の頃から人を殺したい欲求があった」と話した。だが、その受け答えは淡々としていて反省の様子はみられなかった。

また、2人の間にトラブルは確認できなかった。長崎地方検察庁は精神鑑定を検討し、8月8日には佐世保簡易裁判所が精神鑑定留置を認めた。

2015年1月20日には、前年3月2日の父親に対する殺人未遂(就寝中の父親の頭などを金属バットで複数回殴った)の容疑でも再逮捕された。

徳勝もなみの生い立ち

徳勝もなみ/佐世保女子高生殺害事件

徳勝もなみは1998年7月27日生まれ、長崎県佐世保市内で育った。出生時、両親と兄が1人の4人家族だった。

父親は地元で有名な売れっ子弁護士で、ジャパネットたかたの顧問弁護士も務めていた。母親もそれに負けず、東京大学出身で教育委員会やスケート連盟などに所属する社交的な人物。そんなエリートな両親のもとで、もなみは相応の英才教育を受けて育った。幼い頃から学業は優秀で、スポーツにも積極的だった。

小学生の頃、もなみとよく遊んだという女性(当時18)は、「頭がとても良く、勉強好きだった。感情の起伏が激しく、突然泣きだすこともあった」と話す。ほかにも「あまり笑う子ではなかった」「頭が良すぎて特殊な子」といった評価も見られた。

小学6年の12月には、同級生の給食に水で薄めた漂白剤や洗剤を5回にわたって混入させる問題を起こした。理由は「勉強ばかりしている」と言われ、バカにされていると思ったからだった。担任は校長と教頭に相談し、佐世保市教育委員会にも報告。その後、卒業まで学校が休みの日を除き、学校と両親が毎日もなみの様子を電話で共有した。

この問題は中学校にも引き継がれ、中学校や高校でも担任の教諭らが見守りを続けていた。

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中学校(佐世保北中)では放送部に所属し、「NHKのアナウンサーになりたい」と夢を語った。「検事になって、法廷で弁護士の父や(弁護士志願者の)兄と戦いたい」と話したこともあった。

また、父親とともに励んでいたスピードスケートで国体出場を果たしており、地元でも知られていた。このころから医学書を読んだり動物の解剖に熱中しており、祖母が亡くなった頃から猫を解体するようになった。

本事件の被害者とは同じ中学の同級生だった。

母親の死が引き金?

徳勝もなみと父親の徳勝仁さん/佐世保女子高生殺害事件

もなみが中学3年生だった2013年10月、母親がすい臓がんのため51歳で死亡する。しかし、そのわずか3か月後には、父親が別の30代女性を家に連れてきた。もなみは周囲に「お母さんが亡くなって、すぐにお父さんが別の人を連れてきた。お母さんのこと、どうでもいいのかな」と話すなど落ち込んだ様子で、不登校になってしまった。

この女性は母親の死後、父親が東京の婚活パーティーに参加して知り合ったとのこと。

2014年2月、父親がもなみを “(父方の)祖母の養子” として戸籍変更する。こうして、もなみは母親と死別しただけでなく、戸籍上は父親も失った。そして父親は、まるで母親の死を気にかけていないかのように、すぐに若い女性との交際を始めた。

これらのことが原因かどうかは不明だが、中学卒業間近の3月2日、もなみは就寝中の父親の頭などを金属バットで複数回殴って殺害しようとする。そのため、もなみは精神科への通院を余儀なくされたが、医師が父親に「一緒に生活するのは危険」と助言する。

2014年4月、佐世保北高等学校に入学、被害者も同じ高校に進んだ。父親はもなみのためにJR佐世保駅から北に1kmの場所にある家賃5万円のマンションの一室を借り、もなみはそこで一人暮らしをするようになった。だが、高校には1学期のわずか3日のみの出席だった。

2014年5月、父親が家に連れて来た女性と再婚する。幼馴染によると、もなみは「(父と継母とは)一緒に住みたくない」と話したという。

その後、もなみを担当する精神科医が6月10日になって、長崎県の児童相談所「佐世保こども・女性・障害者支援センター」に電話で連絡。「放っておけば、人を殺しかねない」と、もなみの危機的状況を伝えたが、児童相談所の対応は充分とはいえなかった。

この時、電話で報告を受けた職員は、適切な処置について上司に相談することができなかったという。理由は同センターの幹部職員によるパワーハラスメント発言(職権による人権侵害)があったためであった。そのため、この問題への対処は文書決裁のみにとどめられ、当事者への面談などは行われなかった。
2015年2月、同センターの所長と幹部職員は戒告の懲戒処分、別の職員が文書訓告処分となっている。

精神科医は7月に3回にわたって両親と面談し、もなみを精神病院へ入院させることを勧めた。警察や家庭裁判所にも相談するよう促したという。

人を殺したい…と告白

2014年7月23日、もなみが継母に「人を殺したい」と打ち明ける。継母はこれを父親に伝え、事件前日となる25日(金曜日)、両親は精神病院と協議した。この時、病院の都合で即日入院はできなかったが、今後の方針として「警察に通報する前に、児童相談所に行く」ということを決めた。

早速、同日夕方に児童相談所に電話するも、すでに受付時間を過ぎており、28日(月曜日)に再度の連絡を求められた。この土日をはさんだ日程が、被害者にとって不運な結果をもたらした。

翌26日、もなみは友人の女子生徒をマンションの部屋に招き、何も知らない女子生徒は、友人に命を奪われるという、想像もしない事態に見舞われた。もなみは翌朝には逮捕となり、「女子高生が友人を殺害・解体」するという前代未聞の事件に、世間は騒然となった。

8月4日、もなみの父親が釈明文書を公表。10月5日、父親が花園町の自宅で自殺しているのが見つかった。

徳勝もなみの両親

父親の徳勝仁さん/佐世保女子高生殺害事件
父親の徳勝仁さん

徳勝もなみの両親は、ともに長崎市出身である。

父親の徳勝仁さんは1961年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、1990年4月に弁護士登録した。事件当時は県内最大手の法律事務所を経営しており、佐世保では有名な弁護士だった。ジャパネットたかたの顧問弁護士をつとめ、倒産案件などを数多く手がける弁護士として知られていた。

また、弁護士としてだけではなく、スピードスケートの選手としても知られていた。娘のもなみに金属バットで殴られた時は、頭蓋骨が陥没し、歯もボロボロになったというが、警察沙汰にはしなかった。

事件後の2014年10月5日、自宅で首を吊って自殺しているのが発見された。(享年53歳)

母親の徳勝宏子さん/佐世保女子高生殺害事件
徳勝宏子さん(母親)らによる出版の記事

母親の徳勝宏子さんは東京大学を卒業後、地元放送局に勤めた。市の教育委員を務め、教育活動にも熱心だった。NPOを主催して教育に関する本も出版している。また、スケート連盟にも所属するなど社交的な性格だった。

2013年10月28日、すい臓がんにより死亡。(享年51歳)
もなみとの母娘関係は良好だったようで、一緒に散歩するところをよく目撃されていた。もなみは自分の感情を表に出さないタイプだが、母親に対しては ”甘える” などの感情表現ができていた。しかし、同じことが父親に対してはみられなかったという。こうしたことから、心の拠り所だった母親の死が事件の引き金になったと見る向きもある。

徳勝もなみの実家の豪邸
徳勝もなみの実家

もなみの実家は、不動産登記簿によれば宅地面積約80坪。地上2階・地下1階の鉄筋コンクリート造りの建物は、延べ床面積が300平方メートルを越える豪邸である。近所の住民は「15年ほど前、家を新築した時、ご主人が挨拶に回られて、近隣住民はお披露目に招待された」と述べている。

第3種少年院送致が決定

長崎地方検察庁は、加害者の徳勝もなみの精神鑑定を検討し、佐世保簡易裁判所が精神鑑定留置を認めた。2014年8月から3ヶ月間、もなみは精神鑑定のため医療機関に鑑定留置された。

2015年7月13日、長崎家庭裁判所はもなみに対し、医療少年院(第3種少年院)送致とする保護処分の決定を出した。裁判長は「ASD(自閉症スペクトラム障害)が見られるものの、それが非行に直結したわけではなく、環境的要因の影響もあった」との趣旨のことを述べた

第三種少年院とは

保護処分の執行を受ける者で、心身に著しい障害がある、おおむね12歳以上26歳未満の少年が収容される施設。医療措置や治療的処遇を特徴とするが、職業訓練の内容や種類などはほかの少年院と比べて平易な科目に限られている。また、ほかの少年院のように男女の区別はない。

2024年まで収容継続

もなみが2021年7月で23歳になるのを前に、収容先の少年院長は収容継続を申請し、長崎家庭裁判所は26歳になる2024年までの継続を8月下旬に認めた。もなみ側は9月7日付で不服を申し立て抗告したが、福岡高等裁判所は11月4日付で棄却した。

高裁決定は「徳勝もなみの精神には著しい障害があり、矯正教育を継続して行うことが特に必要である」と長崎家裁が認めたことについて「誤りはない」と指摘。収容継続期間を3年としたことも不当でないと支持した。

法務省によると、23歳を超えて矯正教育を継続した例はないという。

2022年7月12日、元付添人の弁護団は、もなみの近況について「矯正教育により対人交流などに成長が見られ、内省が深まるなどの変化が生じている。贖罪の気持ちを深めていくため、さらなる内省の獲得に努めている」と記者クラブの書面取材に対し回答している。

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