群馬パチンコ店員連続殺人事件
2003年2月23日、パチンコ仲間の高根沢智明(当時36歳)と小野川光紀(当時25歳)は、共謀してパチンコ店員を殺害。売上金を奪い遺体を遺棄した。
すぐに金を使い果たした2人は、第2の犯行を計画。同じ手口で別のパチンコ店員を殺害する。
逮捕された2人には死刑が確定したが、2021年12月21日、2人の死刑が執行された。
事件データ
犯人1 | 高根沢智明(当時36歳) 死刑:2021年12月21日執行 |
犯人2 | 小野川光紀(当時25歳) 死刑:2021年12月21日執行 |
犯行種別 | 強盗殺人事件 |
犯行日 | 2003年2月23日、4月1日 |
犯行場所 | 群馬県 |
被害者数 | 2人死亡 |
動機 | 金銭 |
キーワード | パチンコ |
事件の経緯
群馬県太田市東矢島町の無職・高根沢智明(当時36歳)と栃木県河内郡南河内町(現・下野市)薬師寺のコンビニ店員・小野川光紀(当時25歳)は、パチンコ仲間だった。
2003年2月23日午前1時頃、2人は共謀して伊勢崎市山王町のパチンコ店「パーラーマリーン」店員・根本常久さん(当時47歳)を、勤務先から向かいのコンビニに買い物に出かける際に呼び止める。高根沢は元パチンコ店の店員で、根本さんは元同僚だった。2人は根本さんを小野川の乗用車に乗せ、勢多郡宮城村(現・前橋市)の山林に連れ込み、ロープで首を絞めて殺害。遊ぶ金欲しさの犯行だった。
根本さんの遺体をトランクに積み、伊勢崎市に戻った高根沢と小野川は、午前3時頃、根本さんが持っていた鍵を使い警備システムを解除した上で店舗に侵入。売上金300万円を奪ったのち、埼玉県行田市北河原の福川水門まで遺体を運び、午前4時頃、福川に投げ込んで遺棄した。
根本さんの遺体は、3月18日午前11時40分頃に福川の「さすなべ排水門」付近で発見されている。
伊勢崎で強奪した金は全て500円硬貨と五千円札だった。その大量の500円硬貨を小野川が太田市内の複数の銀行で一万円札に両替して、150万円ずつ折半。その金を2人は1ヶ月ほどで遊興費などで使い果たした。
2人目の殺人
そのため再び金を得ようと4月1日午前2時頃、2人が通っていた群馬県太田市浜町のパチンコ店「タイガージャンボ」駐車場で、同店店員・石橋真さん(当時25歳)を襲う。そして、藤阿久跨線橋高架下に停めたワンボックス車内でロープで首を絞めて殺害。石橋さんの財布に入っていた現金11万円と店の合鍵を盗んだ。
2人は盗んだ鍵を使い店舗に侵入したが、金庫の解錠ができず売上金の窃盗には失敗。石橋さんの遺体は、根本さん同様、行田市の福川水門から福川に遺棄した。
3日後の4月4日午前10時30分頃、腐乱が著しく死因が特定されていなかった根本さんの遺留品を捜索していた埼玉県警行田警察署員によって、石橋さんの遺体は発見される。根本さんの遺体発見場所から約400m上流だったという。
埼玉県警・群馬県警の合同捜査本部は、根本さんの交友関係を中心に洗い出しを進めたところ、捜査線上に高根沢が浮上。2003年7月20日、根本さんの死体遺棄容疑で2人を逮捕した。
高根沢と小野川は事件の7年前(1996年)、同じパチンコ店で働いており、その時からの間柄だった。高根沢が最初の事件の店に勤務していたのは、1998年2月~9月。
高根沢には事件当時約150万円の借金があったという。
2人の逮捕直後に隣の埼玉県熊谷市で元暴力団員・尾形英紀による熊谷男女4人殺傷事件が発生し、その事件のほうが衝撃的であったため、本事件は陰となる形であまりメディアに取り上げられることはなかった。
小野川光紀が獄中で描いた絵
死刑囚による死刑囚のための機関紙「ユニテ通信・希望」(2015年5月号)の表紙。
小野川が描いた絵が採用されている。
この機関紙は、山中湖連続殺人事件で確定死刑囚となった猪熊武夫が中心となって発刊された。
また、2015年7月に福島瑞穂が実施した「死刑囚を対象としたアンケート」に以下のような回答をしている。
前回のアンケートで罫紙で60枚ほど伝えたいことを送りましたけど、どこかに消えてしまいました。今回も何日もアンケートを見ては迷いました。また届かなかったらと考えると記入できませんでした。
そしてすべてに記入しましたが、やっぱり前回のことが忘れられず、それじゃ このようなことがあり それが忘れられず 又嫌なおもいをするのがイヤなので ということを伝えるだけにしようと思い アンケートは一部のみにしました。これなら届かなくとも別にいいと思いましたので。(原文ママ)
死刑の執行
2人は東京拘置所に収監されていたが、2021年12月21日、高根沢智明死刑囚、小野川光紀死刑囚とともに死刑が執行された。
高根沢死刑囚は享年54歳、小野川死刑囚は享年44歳だった。
死刑執行は2019年以来2年ぶり。
この日は加古川7人殺害事件の藤城康孝死刑囚も同時に死刑が執行されている。
裁判
2003年11月4日、さいたま地裁での初公判で、両被告はともに「間違いありません」と起訴事実を認めた。
検察側は冒頭陳述で、別のパチンコ店従業員も殺害しようと計画していたが、失敗に終わっていたことを明らかにした。
高根沢被告の弁護人は最初の事件について「死因は窒息死だが、川で窒息死した可能性がある」として死体遺棄罪について無罪を主張。また小野川被告の弁護人は「高根沢被告が計画から最後まで主導し、小野川被告は従属的だった」と主張した。
2004年3月5日の論告で、検察側は犯行の動機について「自らが享楽的な生活をするための金を手に入れることのみ」と指摘。「顕著な残忍性、冷酷性を有し、反社会的性格は極めて危険で、もはや改善更生は不可能」と断じた。
2004年3月25日、判決で裁判長は、高根沢被告の主張について「首の骨が折れていることや、呼吸をしていないことを確認していることなど、遺棄する前にすでに死亡していたことを示すものばかり」として退けた。
また小野川被告の主張について「いとも安易に犯行に加担し、石橋さんについては積極的に犯行を計画し、主体的に犯行を遂行しており、両被告の刑事責任に差はない」と断罪した。そして「わずか2ヶ月の間に2度も殺害を繰り返した極悪非道な犯行。反規範的人格態度はもはや矯正不可能と言わざるを得ない」と述べた。
控訴審
高根沢智明の控訴審
高根沢被告の控訴審第1回公判は2005年7月13日に予定されていたが、高根沢が出廷を拒否。同日、控訴も取り下げた。
弁護人によると、高根沢被告は「死んでおわびしたい」「裁判を続けても結果が見えている」と話し、不安定な状態だったという。
弁護側は「被告は正常な判断ができない状態で控訴を取り下げており、無効」と主張、公判の続行を求めた。東京高裁は弁護側、検察側双方の意見を聞き検討。
しかし、東京高裁は2005年11月30日、控訴取り下げを有効と判断し、訴訟終了を決定した。
弁護側は特別抗告したが、最高裁第2小法廷は2006年6月6日、弁護人の特別抗告を棄却する決定をした。これにより高根沢被告の死刑が確定、彼は東京拘置所に収監された。
小野川光紀の控訴審
控訴審で小野川被告は、「共犯者の高根沢智明死刑囚が主導し、恐れから追従しただけ。死刑は不当」と主張。
裁判長は「被害者の首に自らロープを巻き付け、2人で引っ張り合って殺害するなど、積極的に犯行を遂行し、利得も公平に分けている」と退けた。そして「定職にも就かず、大金目当ての動機に酌量すべきものはない」と指摘。「犯行はいずれも残忍、悪質。凶悪な事件を犯しながらおそれや反省もなく、間もなく同種の事件を犯したことは許し難い所業。死刑をもって臨むのもやむを得ない」と述べた。
最高裁(小野川光紀のみ)
2009年3月31日の最高裁弁論で、小野川被告は「犯行は高根沢死刑囚が主導しており、死刑は重すぎる」と主張した。
2009年6月9日に判決公判が開かれた。
裁判長は、高根沢死刑囚が主導的役割と認めたうえで、「2人の命を奪った結果は重大。ロープで首を絞めた殺害方法は残忍極まりない。実行行為に積極的に加担し、主体的に犯行を遂行した。奪った現金も折半している。金欲しさから最初の事件を起こし、金を手に入れると遊興費に使い、次の事件を敢行したという経緯や動機に酌むべき点はない。」と述べた。
小野川の上告は棄却され、死刑が確定、東京拘置所に収監された。