広島連続保険金殺人事件|息子・大山寛人さんの活動が話題に

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大山清隆/広島連続保険金殺人事件 日本の凶悪事件

「広島連続保険金殺人事件」の概要

1998年10月に養父を、2000年3月に妻を殺害した大山清隆(当時37歳)。妻殺害時には小学生の息子(大山寛人さん)をアリバイ工作に利用し、息子からはずっと憎まれてきた。
だが2005年に第一審で死刑を言い渡されると、寛人さんにも心境の変化があり、面会に来てくれるように。少しずつ親子の絆を取り戻し、寛人さんは控訴審で死刑回避を訴えるも、結果は死刑確定。その後、寛人さんは本の執筆・講演・メディア出演などの活動をするようになった。

事件データ

犯人大山清隆(当時37歳)
犯行種別連続保険金殺人事件
犯行日養父殺害:1998年10月11日
妻殺害:2000年3月1日
犯行場所広島市佐伯区
殺害者数2人
判決死刑:広島拘置所に収監中
動機・借金返済のための保険金殺人
・最初の殺人の発覚を恐れて
キーワード大山寛人(息子)
著書「僕の父は母を殺した

事件の経緯

大山清隆(当時37)は、養父の大山勉さん(当時66)とともに生コン商社を経営していたが、会社はすでに経営破綻の状態だった。清隆は勉さんに数千万円の借金があったほか、会社名義でも数億円の負債があった。清隆は会社の債務の連帯保証人になっていたこともあり、勉さんとは清算方針をめぐり対立していた。

そこで、清隆は勉さんを殺害して自分に都合のいい清算をしようと思いつく。うまくいけば清隆は銀行の債務を免れることができ、勉さんにかけられた6千万円の死亡保険金も手にできる算段だった。

1998年10月11日午後9時頃、広島市佐伯区内の親戚の事務所敷地内で、勉さんの頭を鉄アレイで数回殴ったうえで車の助手席に乗せ、交通事故を装うため自ら運転して壁に衝突させた。勉さんは意識不明の重体で病院に搬送されたが、1999年1月20日に死亡が確認された。

こうして清隆は、生命保険会社と自動車保険会から総額7千万円を騙し取ることに成功したが、この金はすべて親戚に奪われてしまう。なぜなら親戚は証拠を隠滅して清隆に保険金を受け取らせ、「警察に言うぞ」と脅して金を横取りしていたのだ。

この話は親戚中に周知のこととなり、やがて妻の博美さん(当時38)の耳にも入ってきた。博美さんは「やましいことがあるから保険金を取られたのか?」と問い詰めるようになり、清隆はあてもないのに「必ず取り返す」と約束していた。

妻を殺害

大山博美さん/広島連続保険金殺人事件
殺害された大山博美さん

”取られた保険金が、博美さんの口座に振り込まれる” と約束した前夜、追い詰められた清隆は妻の殺害を決意する。2000年3月1日午後11時40分頃、清隆は佐伯区の自宅で、博美さんに睡眠導入剤入りの飲み物を飲ませた。そして、薬のせいでふらふらになった博美さんと風呂に入り、眠ってしまった博美さんを浴槽に沈めて殺害した。

途中、目を覚ました博美さんが、上半身を起こし「何で、何でなん」と叫んで抵抗したが、清隆は両肩を押さえつけ、馬乗りになるなどして博美さんの顔を湯に漬け続けた。

清隆は、「博美さんが自分に愛想をつかして離婚し、ほかの男と再婚するのを見たくない」、「殺害すれば、金が振り込まれないことを知って悲嘆することもない」と考え、殺害に至ったのだという。

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それから博美さんの遺体を助手席に乗せ、「夜釣りに行く」と言って小学6年の息子と広島市南区の宇品港に出かけた。息子には「母親は酒に酔って寝ている」と説明していた。港に着くと助手席側を海辺に向けて駐車し、清隆は息子と釣りを始めた。

広島連続保険金殺人事件現場

清隆は、息子に気付かれないように博美さんの遺体を海に遺棄していた。その後、「妻がいなくなった」と、あくまで事故を装うため救助を要請。駆け付けたレスキュー隊により、岸から15mほどの場所で遺体は発見された。清隆は、博美さんの死亡保険金299万円を受け取っている。

清隆は2002年1月、広島市内の給油所からガソリンを詐取したとする詐欺容疑で逮捕された。さらに他人のクレジットカードでゲーム機9台(約30万円)を購入した詐欺容疑でも逮捕・起訴された。

これがきっかけとなり、広島県警は6月17日、養父の勉さん殺害容疑で清隆を逮捕。7月8日、勉さんの保険金の詐欺容疑で再逮捕。10月22日、妻の博美さん殺害と死体遺棄容疑でも再逮捕となった。

大山清隆について

大山清隆/広島連続保険金殺人事件
大山清隆

大山清隆は中学生の時、子供のいない叔父夫婦の養子となった。その叔父こそが本事件の被害者・大山勉さんである。養母は清隆をとてもかわいがっていたが、勉さんは愛人に子供を生ませていた。(昭和58年に長男、59年に次男が誕生)

養母はこの子供らを引き取って育てたいと考え、愛人に直談判しようとして勉さんと激しく言い争いになっていた。勉さんはそんな妻が疎ましくなり、絞殺したのだという。しかし、この件はなぜか自殺で処理された。

清隆が夜8時頃に帰宅した時、玄関の鍵は開いていたが、家に入ると養母が倒れていた。首には絞められたような跡があり、すでに死亡していた。

真実を知ったのは、清隆が大人になってから。養父の勉さんを問いつめた結果、殺害を認めたのだ。当時37歳の清隆は、勉さんと経営していた生コン会社が経営破綻した状態だった。会社の清算をめぐって勉さんと対立していた清隆は、「養母の死の真相」を知ったことも相まって勉さんを殺害した。

死亡保険金7千万円を受け取った清隆だったが、勉さん殺害を知った親戚に脅し取られてしまう。このことが原因で、妻殺害へとつながった。

2011年6月7日、最高裁で死刑が確定。現在は、広島拘置所に収監されている。

息子・大山寛人の活動

大山寛人さん/広島連続保険金殺人事件
大山清隆の息子・大山寛人さん

清隆の息子・大山寛人さんは、最愛の母親を殺された被害者遺族であり、同時に犯人の息子という加害者家族でもある。そんな複雑な立場の寛人さんは、子供の頃からつらい境遇の中で生きてきた。

世間は圧倒的に「殺人者の息子」としての側面を重くみて、友だちは親から「あの子と遊ばないように」と言われていた。やがて非行に走り、ホームレスになり、自殺未遂をくり返してきた。

大人になってからも世間の見る目は変わらず、仕事も長く続けられなかった。そんな時、手を差し伸べてくれたのが風俗店経営の社長で、「風俗関係なら自分の経歴を気にしない」ことがわかり、安心して働けたという。

母を殺した父・清隆をずっと憎んできた寛人さんだが、2005年、父の死刑判決(一審)をきっかけに3年半ぶりの面会を果たし、少しずつ親子の絆を取り戻していったという。

僕の父は母を殺した

そんな寛人さんが「僕の父は母を殺した」という本を出したのが2013年6月。その後は自らの生い立ちや経験、死刑についての考え方を伝えようと講演活動やメディア出演を続けている。

裁判

大山清隆被告は、殺人2件、死体遺棄1件、詐欺14件(保険金詐欺4件含)、窃盗1件および有印私文書偽造・同行使3件で起訴された。

検察側は論告で「養父とは会社の経営をめぐって意見の対立があった。妻からは離婚を迫られていた」と動機を指摘。そのうえで「完全犯罪をもくろみ、最も身近な存在を殺害するなどの犯行は、冷酷非情で人間性が欠如している」と厳しく非難した。

大山清隆被告は公判で、”2人の殺害” と ”死亡保険金の請求” は認めたが、養父殺害の動機について「会社の清算方法を巡る意見対立で、保険金は結果でしかない。保険金も第三者の口座に振り込まれ、手にしていない」と主張した。

弁護側は最終弁論で「養父殺害は保険金目的ではなく、妻殺害も完全犯罪とは言い得ない」とし、無期懲役を求めた。また2件の殺人はいずれも「広島県警の捜査の甘さがあって発覚が遅れた」と批判した。

養父殺害について県警は当初、交通事故として処理していた点を疑問視。「現場には大量の血痕や骨片が残り、従業員も気付いたのに、聞き込みや捜査を怠った」とした。

2年後の妻殺害に関しても、遺体の肺から淡水が検出されたのに、海水と成分を照合する捜査を怠り、遺族が告訴するまで県警は「海中で水死したとみていた」と指摘、「初歩的な捜査が足りなかった」と強調した。特に「養父殺害が早く発覚していたら、妻の殺害事件は起きなかった」として情状酌量を求めた。

大山清隆被告は「遺族に深い苦しみと悲しみを与え、子供を不幸な境遇に追いやってしまった。己の命をもってしても償いきれない」と手紙を読んだ。

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2005年4月27日、広島地裁は大山清隆被告に死刑を言い渡した裁判長は判決理由で「養父殺害の1週間後に保険金請求手続きをしており、殺害動機のひとつだ」と、養父殺害が保険金目的だったと認定。「実の親同様の養父と最愛の妻を殺した犯行の社会的影響は大きい。2人の命を奪う冷酷な犯行で、慎重に検討しても死刑は回避できない」と述べた。

弁護側の捜査非難については、「発覚の遅れは被告人の綿密な準備のためで、捜査機関に責任転嫁は出来ない。責められるべきは、恩義ある養父や妻を殺害するという人間としてあるまじき重罪を犯した被告人自身だ」と非難した。

最高裁で死刑確定

2006年6月15日の控訴審初公判で、弁護側は養父殺害について「保険金目的ではない。犯行の計画性は乏しかった」などと主張して減軽を求めた。2007年4月17日の最終弁論でも「養父殺害に関しては、『養父が最愛の養母を殺したかもしれない』という疑惑が影響した。また、被告人の息子(大山寛人さん)も死刑を望んでいない」として懲役刑を主張した。

だが、2007年10月16日、広島高裁の下した判断は控訴棄却裁判長は「養父殺害は保険金目的ではなくて恨みからだった」という被告側の発言について、「被告人の供述は信用できない」と退けた。

また、大山清隆被告の長男が「父が社会復帰したあとは、共に支え合いたい」として情状酌量を求めていた点については、「ほかの遺族の気持ちを代弁しているわけではない」とした。

そのうえで動機について、養父殺害は「借金返済のための保険金目的だった」、妻殺害は「養父殺害が露見するのを恐れたため」と認定した。そして「2件の殺人は計画性が高く、証拠隠滅を図るなど、犯行後の情状も悪質」と述べた。

2011年6月7日、最高裁で被告側の上告が棄却され、大山清隆被告の死刑が確定した。現在は広島拘置所に収監中である。

裁判官のひとりは、「最大の被害者でもある長男の『残る唯一の親までを奪わないでほしい』という訴えは誠に重いが、犯行態様などを考慮すれば、死刑を破棄しなければ著しく正義に反するとはいえない」とした。

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