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鹿児島県日置市5人殺害事件|復讐殺人の原因は妄想!?

岩倉知広 日本の凶悪事件

鹿児島県日置市5人殺害事件

2018年3月31日、鹿児島県日置市の実家で、岩倉知広(当時38歳)は祖母の小言にカッとなり、祖母と止めようとした父親を殺害。さらに4月6日、様子を見に来た親族と知り合いも殺害し、計5人を殺した容疑で逮捕された。
知広は自衛隊を辞めた2002年頃から幻聴が聞こえるようになり、その後、母親に暴力をふるうようになっていた。精神鑑定では妄想障害と診断されたが、裁判において自らこれを否定。長年受けた嫌がらせに対する復讐と主張するも、判決は死刑を言い渡された。
死刑判決の直後、知広は検察官に飛びかかろうとし、法廷は騒然とした。

事件データ

犯人岩倉知広(当時38歳)
犯行種別殺人事件
犯行日2018年3月31日、4月6日
犯行場所鹿児島県
日置市東市来町湯田
被害者数5人死亡
判決第一審死刑(控訴中)
動機妄想が原因の「復讐」
キーワード被害妄想

事件の経緯

岩倉知広のアパート
岩倉知広が事件当時まで住んでいたアパート

岩倉知広(当時38)は、高校を中退後、職を転々としたがどこも長続きしなかった。2002年7月に1年間勤めた陸上自衛隊を除隊してからは、15年近くのほとんどをひとり暮らしのアパートで引きこもり生活を送っていた。

時々行く実家は、アパートから徒歩で約10分の場所にあり、父親・岩倉正知さん(当時68)と祖母・岩倉久子さん(当時89)が住んでいた。

岩倉知広の実家
惨劇はこの家で起こった

2018年3月31日、この日も知広は、テレビを見るために実家へ出向いた。その時、祖母の久子さんから ”仕事をしない” ことなどをなじられ、キレやすい性格の知広はカッとなり久子さんを殴ってしまう。

ふと気づくと、父親の正知さんが両手に包丁を持って立っていた。正知さんは「お前を殺して自分も一緒に死ぬ。お前が怖いんだ」と言う。知広の暴力は今に始まったものではなく、過去には母親に暴力を振るうあまり、彼はひとり暮らしを余儀なくされたこともあった。そんな知広に、正知さんは限界を感じていたのだ。
これまで唯一の味方だと思っていた父親の姿に、知広は平常心を失い、包丁を振り払うと父親の首を絞めた。

知広は、「1度キレると、とことん相手を叩きのめす性格」と、学生時代も同級生からも疎まれていた。その凶暴性が、父親と祖母にも向けられてしまったのだ。
2人を殺害してしまった知広は、遺体を実家から400m離れた山林の空き地に埋めて遺棄した。

様子を見に行ったばかりに・・・

鹿児島県日置市5人殺害事件
父親・岩倉正知さんと祖母・久子さんの遺体発見現場

2018年4月6日、父親・正知さんの職場から叔父(正知さんの兄)のところに電話がかかった。正知さんが出勤してこないことを心配しての電話だった。
正知さんは、シルバー人材センターから派遣され、市内のスーパーマーケットで働いていた。正知さんは真面目に勤務しており、これまで一度も無断欠勤したことがなかったのだ。

そのため叔父は、妻の岩倉孝子さん(当時69)に様子を見てくるよう依頼。孝子さんは、自身の姉・坂口訓子さん(当時72)と共に正知さん宅に赴いた。
これが、さらなる悲劇の始まりだった。
午後1時30分~午後3時頃、知広は訪れてきた叔母とその姉を絞殺してしまうのだ。

叔父は妻たちに連絡を取ったが、一向に応答がなく心配になった。そこで、知人の後藤広幸さん(当時47)に安否確認を頼んだ。後藤さんは、まず念のため日置警察署に通報。そして日置署の署員と電話で話し、警察官が到着するまで待機するよう指示された。

ところが日置署員が到着した時、後藤さんの姿が見当たらない。そのため、警察官は正知さん宅を捜索。その結果、午後3時時45分頃に後藤さん・叔母の孝子さん・その姉の訓子さんの3人の遺体を発見する。

警察は、知広を重要参考人として捜索を開始。彼はかねてから”要注意人物”として、警察も認識していたのだ。そして午後6時55分頃、現場から約1.5 km離れた市道で捜査員が知広を発見。知広は、鹿児島西警察署に任意同行された。

逮捕後の流れ

鹿児島県日置市5人殺害事件

翌4月7日、警察は後藤さん殺害容疑で岩倉知広逮捕した。そして、その翌日には供述に基づき、山中から祖母と父親の遺体を発見。知広は弁護人に対し、祖母と父親への殺意を否定している。

また事件現場となった実家からは、被害者4人と知広の携帯電話(計5台)が電源を切られた状態で見つかった。そのほかクローゼットからは、カーペットの一部(血の付いた部分)が切り取られた状態で発見されている。
知広は4月28日、父親と祖母の殺人および死体遺棄容疑で、5月19日には叔母姉妹への殺人容疑でそれぞれ再逮捕された。

6月1日、地検は知広の刑事責任能力を調べるために鑑定留置を開始。当初3か月の予定だったが、精神鑑定を担当した医師からの延長申請を受け、2度にわたって期間を延長した。その結果、地検は「被疑者・岩倉知広には、完全責任能力がある」と判断した。

そして2019年1月23日、知広を殺人罪と死体遺棄罪で起訴した。

犯人・岩倉知広について

岩倉知広

幼少期の岩倉知広は、「手が出やすいところはあったが、真面目で優しい性格だった」と母親は言う。
中学生の頃の同級生は、その多くが「印象に残っていない」と口をそろえる。それほどおとなしい性格だったが、成績は優秀だったという。
ただ、カッとなりやすい性格だった。とにかくキレやすく、同級生の間でも「1度キレると、止まらない」といわれていた。

高校は地元でも知られた進学校に進んだが、高校2年生の時に両親が離婚。知広と妹は母親に引き取られ、隣町に住むようになった。
その後、高校を中退して2001年7月、陸上自衛隊に入隊した。所属は霧島市にある国分駐屯地第12普通科連隊だったが、翌年7月に「個人的な理由」で依願退職した。近所の人は「病気になったため自衛隊を辞めた」と聞いていたそうだ。

幻聴のはじまり

鹿児島県日置市5人殺害事件現場
事件後の岩倉知広の実家。背後には小学校が見える

自衛隊を辞めた後、知広は母親に「誰かに監視されている」「俺の悪口を言っているだろう」などと言うようになる。このころから彼には、幻聴が聞こえるようになっていた。

2005年頃からは、母親に暴力を振るうようになる。また、この時期から音にも敏感になり、妹が幼い息子を連れて帰省した際に、暴力を振るわれたこともあった。

母親は家庭内暴力に耐えかね、2014年頃に家を出て県外の娘家族のもとに身を寄せた。しばらく知広はひとりで隣町に住んでいたが、「仕事もしない男が、昼間からブラブラしていて怖い」と近隣から苦情が来るようになる。そのため知広は父親に引き取られ、父親の家から徒歩10分ほどのアパートでひとり暮らしするようになった。
このアパートは、祖母・久子さんの亡夫(医師)が所有していたものだった。

知広は、自衛隊を辞めてから事件を起こすまでの間、大半は仕事もせず自宅に引きこもっている。 一時期働いた時は、祖母・久子さんは喜び、通勤用に自分の車をあげたりもした。ただ、仕事は長続きしていない。

また、2017年2月には鉄パイプ状の物を振り回し、近隣の住民から怖がられていたという。そのため、同じアパートに住む後藤さんが鹿児島県警に相談し、警察官が駆けつける事態となっている。知広は警察官に金属棒を振り回す理由について「修行の一環」「いつ敵が襲ってくるかわからない」と説明していたという。

知広は、父親の正知さんのことは唯一の味方だと思っていた。正知さんは、アパートに食べ物を届けてくれたり、実家で一緒に住もうと提案するなど、常に知広を気にかけていたからだ。
事件を起こした時、その父親が自分に対し「包丁を持って向かってきた」ことに、知広はショックを受けたようだ。

岩倉知広が描いた絵

岩倉知広が描いた記者の似顔絵
岩倉知広が描いた記者の似顔絵

岩倉が、NHK女性記者に送った手紙に描かれた記者の似顔絵です。心を許した相手にはこういった普通のやり取りもできるようです。おそらく平常心の時は、案外 ”普通の人” なのかもしれません。

やはり「異常に短気」+「強い妄想」が事件の鍵のような気がします。

裁判:第一審

初公判は2020年11月18日、鹿児島地裁にて裁判員裁判で開かれた。争点は、知広被告の責任能力と、父親と祖母に対する殺意の有無であった。

精神鑑定を担当した2人の医師は、ともに「被告には妄想性障害があった」とする鑑定結果を出している。
起訴前の鑑定を担当した医師は「深刻な精神状態で、統合失調症の可能性もある」とした一方、起訴後に鑑定した医師は「妄想性障害の影響はわずか」という見解を示した。

鹿児島県日置市5人殺害事件

知広被告は、被害者5人に対する殺人・死体遺棄の罪状は認めた。しかし、父親と祖母の2人に対する殺意は否定し、祖母については「死因は窒息死ではなく、殴って死なせた」と述べた。ほかの3人については、殺害・死体遺棄の起訴事実を認めた。

弁護人は「知広被告は、事件前からあった幻聴を叔父の発言と妄想していた。犯行は、この妄想性障害の支配を大きく受けた。事件当時は心神耗弱状態だった」と主張した。
また父親と祖母に対する殺意についても否認し、「知広被告が祖母に暴力を振るった時、父親は包丁を持って止めようとしたため、正当防衛が成立する」と主張した。

一方、検察官は冒頭陳述で「祖母と叔父らから嫌がらせをされているという被害妄想があった」という点は認めたが、「一連の犯行は、主に知広被告の攻撃的な性格に基づいて行われたもので、精神障害が事件に与えた影響は軽い」と主張した。

また被害者5人の司法解剖を行った解剖医は「5人とも、首を強く圧迫されたことによる窒息の所見がある。祖母が死後に首を絞められたとは考えられない」と証言、撲殺だとする知広の主張を否定した。

親族や鑑定医の証言

叔父の証言

11月19日に第2回公判が開かれ、知広被告の叔父(被害者・岩倉孝子さんの夫)が証人として出廷した。

叔父は「知広被告に直接何かを言ったことはない。被害者らとの会話で『知広は仕事をせず、家でゲームばかりしている』と言った程度だ」と答え、知広被告への極刑を求めた。

弁護人は「知広被告は、妄想性障害の影響で、父親以外の被害者4人と叔父に対し、自分を迫害する一派だと思い込んでいた」と主張した。

母親の証言

11月20日第3回公判が開かれ、知広被告の母親が証人として出廷した。

母親は知広の生い立ちについて「幼少期は手が出やすいところはあったが、真面目で優しい性格だった。陸上自衛隊を1年で辞めた後、『誰かに悪口を言われているのが聞こえる』と言い始めた。その頃から暴力を振るわれるようになり、それに耐えかねて2014年ごろに家を出た」と証言した。
息子である知広被告に対しては「みんなに謝罪してほしい」と話した。

第4回公判(11月24日)の被告人質問で、知広被告は父親を殺害したことについて「謝りたい」と述べた。しかし、他4人の被害者については「嫌がらせを繰り返し受けた復讐のため殺害した。謝罪するつもりはない」と話した。嫌がらせの内容については「水道水に毒を盛られて、歯がボロボロになった」「住んでいた街を乗っ取られた」などと説明した。

鑑定医の証言

翌25日の第5回公判では、起訴後に精神鑑定をした医師が「知広被告は妄想性障害に罹患していたことが認められるが、事件の根底には幼少期からの祖母への悪感情がある」「障害が犯行に与えた影響は少ないか、まったくない」とした。

しかし、起訴前に精神鑑定をした医師は、翌日の第6回公判に出廷し、「精神障害が、事件に大きな影響を与えた」とする真逆の見解を述べた。

ところが、知広被告は翌日の第7回公判で「叔父と被害者4人から受けた嫌がらせは、妄想ではなく事実」と主張、「妄想性障害があった」とする精神科医2人の供述に反論した。

判決は死刑・・・その時、知広は…?

12月1日の第8回公判にて、論告求刑が行われた。
検察官は「犯行に対する妄想性障害の影響は軽微である」として知広被告に死刑を求刑。一方、弁護人は父親と祖母に対する殺意を否定した上で、他の罪状についても、「犯行は妄想性障害に著しく影響されたもので、知広被告は心神耗弱状態だった」と主張し、無期懲役刑の適用を求めた。

そして、2020年12月11日の判決公判。
鹿児島地裁は、検察の知広被告には「完全責任能力があった」という主張を認め、求刑通り死刑判決を言い渡した。

裁判長が判決を言い終えると、知広被告は突然立ち上がり、勢いよく検察側の机を乗り越え、検察官や遺族に向かって飛びかかろうとした。そして親族に対して「お前のしてることは許されんぞ!」と叫んだ。法廷には「やめて」という悲鳴が響いて騒然となったが、刑務官がすぐに取り押さえ、大事には至らなかった。

鹿児島地裁での裁判員裁判で死刑判決は初めてだった。さらに同地裁での死刑判決は、2004年8月26日の「徳之島兄家族殺傷事件」以来、およそ16年ぶりであった。

弁護側は即日控訴した。控訴審を控え、弁護人は独自の精神鑑定を行うとしている。

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