「川崎老人ホーム連続転落死事件」の概要
2014年11月~12月にかけ、川崎市幸区の有料老人ホームで入所者3人が相次いでベランダから転落死する出来事があった。3人は要介護者で、ベランダの手すりを自力で乗り越えるのは困難と考えられたが、神奈川県警は事故死として処理。だが実際は、介護職員の今井隼人(当時23歳)が次々と殺害していた。
「手のかかる3人が煩わしかった」と動機を話した今井だったが、公判が始まると一転して犯行を否認、無罪を主張した。しかし、一審・二審とも下された判決は死刑。その後、上告するも2023年5月15日、これを取り下げたため死刑が確定した。
事件データ
犯人 | 今井隼人(当時23歳) |
犯行種別 | 連続殺人事件 |
犯行日 | 2014年11月4日、12月9日、12月31日 |
犯行場所 | 神奈川県川崎市幸区幸町2丁目632-1 有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」 |
被害者数 | 3人死亡 |
判決 | 死刑確定(2023年5月15日上告取り下げ) |
動機 | 手のかかる入所者が煩わしかった |
キーワード | 介護職員 |
「川崎老人ホーム連続転落死事件」の経緯
医療系専門学校を2014年3月に卒業した今井隼人は、4月に神奈川県川崎市の老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」の面接を受け、翌月5月から正社員として採用された。国家資格である救急救命士の資格を持つ彼は期待され、それに応えるように仕事をこなし、周囲から評価を得るようになっていた。
今井が勤務するようになって半年が経った11月4日深夜、入所者が4階のベランダから転落死する事故が起こる。亡くなったのは丑沢民雄さん(当時87)で、第一発見者は今井だった。この時、丑沢さんには不審な外傷などが見当たらなかったため、神奈川県警幸署は事故として処理した。
だが、その約1か月後となる12月9日、丑沢さんが亡くなったあとに入居した仲川智恵子さん(当時86)がまたもや転落死する。同じ部屋から連続して転落死亡事故が起こったにもかかわらず、この時も幸署は事故死と判断して司法解剖も行わなかった。そして、さらに12月31日の大晦日には、6階に居住する浅見布子さん(当時96)が同じように転落死。3人の転落した場所はいずれも施設南西側の裏庭だった。
3件の転落死が起きた日すべてに今井は夜勤で勤務していた。今井は「なんで俺の時ばっかり、こんなことが起きるんだろう。死神でもついてるのかな」と同僚に話していたという。
2ヶ月の間に同じ施設から3人も転落、そして死亡するという異常事態だが、警察は事件とは考えず捜査も行われなかった。事件性を疑うようになったのは2015年5月、今井隼人が窃盗の容疑で逮捕されてからだった。
3度目の転落死の後、”今井が夜勤の日に転落が起きる” と施設内で噂になり、翌年(2015年)1月からは今井は夜勤を外された。それ以降、入所者の転落死はなくなったが、代わりに相次いだのが窃盗事件だった。今井は施設内で19件の窃盗を繰り返し、被害総額は200万円を超えていた。
手口は入所者の留守中にマスターキーで部屋に侵入し、金品を盗むというもの。盗んだ金でコンサートやスポーツ観戦に頻繁に出かけ、高級店の飲食代を気前よく同僚におごっていた。
5月21日、今井は「70代女性の居室から現金2万5000円の入った財布を盗んだ」として逮捕され、同日「Sアミーユ川崎幸町」を懲戒解雇。9月24日に横浜地検から懲役2年6ヵ月(執行猶予4年)の有罪判決を受けた。
法廷では「自分をよくみせたいとか、見栄を張りたいという気持ちがあった」と心中を明かしたが、判決では「本来必要がない分まで代金を負担するために盗みを繰り返すのは、いささか理解し難い行動」と指弾されている。
犯行を自供
窃盗事件の捜査の過程で、ようやく捜査1課は「転落が連続して起きていたこと」、「1件目と3件目の第一発見者が今井だったこと」に気がついた。
3人が転落したベランダは、高さ120cmの手すりが設けられていた。3人は介護が必要な、身長150cmから160cmほどの高齢者である。自力で手すりを乗り越えるのは難しく、遺書も発見されていなかった。
こうして捜査が開始されると、2件目の仲川さんの転落時、近隣住民から「男性と女性が言い争うような声を聞いた」という証言が得られた。住民はその時、「短い悲鳴のような叫び声のあとに、ドスンと地面に響く音」も聞いていた。
3人の転落死はいずれも夜間に発生し、そのすべての時間帯に勤務していたのは今井だけだった。次第に今井の関与を疑うようになった県警は、2016年1月30日から事情聴取を開始。当初は事件への関与を一貫して否定していた今井だが、2月7日には「入所者から頼まれて殺した」と供述した。
だが2月14日、今井は捜査員に「気持ちを整理したい」と伝え、翌15日の事情聴取で「僕が殺そうと思って殺したのが事実です」と殺害を認める供述を始めた。同居している母親に事件に関与していることを相談し、警察でちゃんと話すように説得されたのだという。転落させた経緯については、「入所者の言動に腹が立った。むしゃくしゃしていた」などと説明した。
供述によると、2014年11月3日の午後11時から翌4日午前1時50分頃の間、施設には3人の職員が勤務していた。ひとりが仮眠を取り、もうひとりが巡回を終えて戻ってきたのを確認すると、今井は丑沢さんが寝ている部屋に入り、丑沢さんを抱きかかえると迷うことなくベランダから放り投げた。
それから何事もなかったように仕事に戻ったが、遺体の発見が遅れると見落としたことになり、4階を担当する自分にマイナスになると考え、タイミングを見て第一発見者を装った。そして、心配する振りをしながら丑沢さんの救命措置を行っていた。
自白→黙秘→否認
3人殺害についての逮捕・起訴は以下の日程で行われた。
日付(2016年) | 逮捕 | 起訴 |
---|---|---|
2月15日 | 丑沢さん殺害 | |
3月4日 | 仲川さん殺害 | 丑沢さん殺害 |
3月25日 | 浅見さん殺害 | 仲川さん殺害 |
4月15日 | 浅見さん殺害 |
2016年2月15日に初めて殺害を認めたことから逮捕となった今井だが、その後の横浜地検の取り調べで「公判で本当のことを話す」と黙秘に転じ、雑談にも応じなくなったという。
逮捕前の取り調べでは、丑沢さんについて「入浴をたびたび拒否されたり、大声で怒鳴られるなど、手のかかる人だった」、女性2人については「歩き回って手がかかった。施設内を徘徊するのが嫌だった」という趣旨の供述をしていた。
丑沢さんと仲川さんは自室(403号室)のベランダから転落したが、3件目の浅見さんが転落したのは居住する609号室ではなく、別の居室のベランダだった。このベランダに出るには、施錠されていた他の入所者の居室(601号室)を通らねばならず、職員の関与が強くうかがわれていた。
601号室は1、2件目の転落現場となった403号室の直上に当たる。3人はいずれも外部から死角になる施設の裏庭に転落して死亡した。
また、仲川さんの転落死の発見時、ベランダにはパイプいすがあった。捜査本部は仲川さんが自ら転落したように装った可能性もあるとみて調べていた。
今井は逮捕前後に3人の殺害を認めたうえ、「手がかかり、以前から煩わしいと思っていた」などと介護への不満やストレスを動機として話していたが、起訴後の公判前整理手続きでは否認に転じたという。
今井隼人の生い立ち
今井隼人は横浜市神奈川区で育ち、区内の小中学校に通った。父親は一流電機メーカーに勤めたあと、親(今井の祖父)が経営する電器店を継いだ。今井には妹がおり、よく店番を手伝っていたという。
本事件の数年前、父親が脳腫瘍で亡くなったのを機に店は閉めた。また事件当時、母親は横浜市内の公立保育園で園長をしていた。
中学時代の同級生によると、今井にはほとんど友達がいなかったそうである。吹奏楽部に所属してトロンボーンを担当していたが、むしろ指揮者に興味があったようで、「合唱コンクールでは独特の大きな動作で指揮をしていた」と証言している。
また、「ゲームをやりたくないか」と突然封筒からお金を出してみんなに配ったことがあったという。「封筒には3万円ぐらい入っていました。貯金は5000万円あると自慢していました」と思い出す。
その後、今井は横浜市内の高校を卒業後、医療系専門学校に進んだ。2014年3月に卒業すると、国家資格である救急救命士の資格を取得して消防士の試験を受けるも失敗。そのため、2014年4月に事件現場となる老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」の面接を受け、翌月5月から正社員として採用された。
救急救命士の資格を持っていることから期待された今井は、それに応えるように淡々と手際よく仕事をこなして上司や同僚から高い評価を得ていた。だが、2014年11月からの2か月間に相次いで3人の入所者が転落死すると、今井は夜勤を外されて日勤専門で働くようになった。
すると、2015年1月頃から施設で ”入所者の金品がなくなる窃盗騒ぎ” が起き、4月末まで続いた。窃盗を疑われた今井は、5月にはすべての介護業務から外され、庭掃除などをしていた。そして5月21日、今井は窃盗容疑で逮捕され、職場も懲戒解雇。9月24日に横浜地検から懲役2年6ヵ月(執行猶予4年)の有罪判決を受けた。
この窃盗事件がきっかけとなり、本事件(連続転落死)との関与が疑われ、殺人でも逮捕となった。
今井は19件の窃盗を繰り返し、被害総額は200万円を超える。盗んだ金でコンサートやスポーツ観戦に頻繁に出かけ、高級飲食店の費用を気前よく友人におごっていた。
法廷では「自分をよくみせたいとか、見えを張りたいという気持ちがあった」と心中を明かしたが、判決では「本来必要がない分まで代金を負担するために盗みを繰り返すのはいささか理解し難い行動」と指弾されている。
今井隼人の性格について
今井隼人は公判前の精神鑑定の結果、自閉スペクトラム症(ASD)であるとの確定診断を受けている。
言葉や言葉以外の方法(表情、視線、身振りなど)から相手の考えていることを読み取ったり、自分の考えを伝えたりすることが不得手である。「特定のことに強い興味や関心を持っていたり、こだわり行動がある」といった特徴がある。
自閉スペクトラム症は、人生早期から認められる脳の働き方の違いによって起こるもので、親の育て方が原因となるわけではない。
また、周囲の人たちは口をそろえて今井が嘘つきであったことを証言している。母親は裁判の証言台で「何度もだまされて嫌な思いもしてきた」と話した。妹も「小さな嘘はたくさんあった」と述べている。架空の結婚式の招待状を周囲に送りつけたり、実際には不合格だったのに「消防に採用された」と親や恩師に報告したこともあった。
「Sアミーユ川崎幸町」では同僚に「副業で大学病院のドクターヘリに乗っている」と嘘をつき、高額な飲食代や遊興費をおごっていた。ある同僚は「日航ホテルで鉄板焼きを奢ってもらった会計が、2人で7万7000円。万馬券が当たったと言っていた」と話すが、実際の原資は施設の入所者から盗んだ金品だった。ほかにも職場では「妹が交通事故で死んだ」と嘘の報告をして、1週間の休暇を取ったこともあった。
今井は連続転落死事件の1年ほど前、地元のレンタルビデオ店で ”ある事件” を起こしている。今井はビデオ商品を約1カ月延滞し、店側が滞納料金を請求すると激高して一切応じなかったという。そのため、店のバックヤードには今井の顔写真を貼って、『要注意人物』としてスタッフに喚起していた。
「Sアミーユ川崎幸町」の他の事件
連続殺人事件の舞台となった有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」では、別の事件も発生している。
神奈川県警捜査1課と幸署は2015年12月11日、女性入所者(86)に暴行を加えたなどとして、元職員の男性(28)を暴行の疑いで、37歳と23歳の元職員の男性2人を偽計業務妨害の疑いで、それぞれ書類送検した。
女性入所者は「川崎老人ホーム連続転落死事件」の被害者とは別人。逮捕された元職員男性も今井隼人とは別人。
2015年6月、28歳の元職員は女性入所者の頭をたたいたほか、首をつかむ暴行を加えた。元職員2人は職員を呼ぶためにベッド脇に取り付けられた装置を外した、としている。女性入所者の長男が室内に隠したカメラで暴行などの様子を撮影していた。
異変に気づいたのは約3年前で、虐待は日常的に行われていた。女性入所者が暴行を受けたと訴えておびえていたため、長男は室内にICレコーダーを設置し、暴行の記録音声をもとに施設へ改善を訴えたが、施設幹部から相手にされなかった。そこで川崎市へ報告したが「音声だけでは証拠にならない」と言われ、動画の撮影に踏み切った。
問題の動画では、男性職員は女性入所者に暴言を吐き、頭を殴り、引きずってベッドに放り投げていた。また、「ナースコールを押すと爆発する」と嘘を付く場面も映っていた。
そんな評判が地に落ちた有料老人ホーム「アミーユ」は、2016年7月から「SOMPOケア そんぽの家」に名称変更されている。
裁判
精神鑑定の結果、今井隼人被告が自閉スペクトラム症(ASD)であるとの確定診断が示されたが、事件当時は正常な心理状態で責任能力があると判断された。また断定はできないが知的能力障害が疑われ、知的能力は低い可能性も示された。
検察側:被害者3人はいずれも自力での歩行が難しく、高さ約120cmのベランダの柵を自力で乗り越えることは極めて困難
弁護側:3人は普段から自力で歩いたり徘徊しており、ベランダの柵を自力で乗り越えることは可能。警察も当初は事故として処理していた
検察側:3件の事件があったすべての日に夜勤として勤務していたのは今井被告のみ。2、3件目の事件の「犯行予告」をしていた
弁護側:犯行の様子を映した防犯カメラや目撃証言はない
検察側:取り調べを担当した警察官から圧力や誘導は無かった
弁護側:長時間の取り調べや警察官からの圧力、誘導によって虚偽の自白をした
検察側:自閉症スペクトラム障害だが、事件当時は正常な心理状態だった
弁護側:自閉症スペクトラム障害で、軽度知的障害もある。犯人だったとしても心神喪失か心神耗弱だった
第一審
2018年1月23日、今井隼人被告の裁判員裁判が横浜地裁で始まった。今井被告は「何もやっていません」と起訴内容を否認。弁護側は「事件性、犯人性を争う。予備的主張として責任能力も争う」と無罪を主張した。
検察側は冒頭陳述で「被害者3人はいずれもベランダを自力で乗り越えることは不可能だった」「転落死があったすべての日に当直として勤務していた職員は今井被告だけだった」「1件目の転落死以降、『次はあの女性が転落するのではないか』と2人の女性を名指しし、同僚に予告していた」などと主張した。今井被告が2016年2月の逮捕前後に犯行を自白した様子を撮影した録音・録画を証拠提出するなどして立証するという。
一方の弁護側は、「事故や自殺、第三者の犯行の可能性を否定できない」と指摘し、「検察側は今井被告の犯行を立証できていない」と主張。公判では自白の内容の信用性を争う意向を示した。さらに、今井被告は「自閉症スペクトラム障害」と「知的障害」だったと主張した。
1月24日の第2回公判で、検察側は「丑沢さんへのストレスが事件のきっかけになった」と主張した。丑沢さん性は認知症で、日頃から職員に暴行や暴言があり、今井被告は目障りに感じていた。2014年11月3日夕方、今井は丑沢さんから「お前ぶっ殺すぞ」などと暴言を受け、さらに午後9時頃、丑沢さんが食堂のテレビを壊しているのを目撃し、「ストレスを爆発させて殺害を決意した」と主張。同日午後11時~翌4日午前1時頃の間に丑沢さんをベランダに誘導し、投げ落としたと述べた。
弁護側は、「丑沢さんは帰宅願望が強く、認知症の影響で徘徊したり、他の入所者の部屋のベランダに出たりするなどしていた」と指摘。「家に帰ろうとして転落した事故だった」として無罪を主張した。
2月8日の公判では、証人として出廷した今井被告の母親は、今井被告から逮捕前に「自分が殺した」と聞いたと証言した。
2月13日の被告人質問で、3人がベランダから落ちたとされる時間帯の行動について、今井被告は「食堂で休憩していた」「他の入所者への介助をしていて、転落した入所者の部屋には行っていない」とすべての事件への関与を否定した。
取り調べの録画を法廷で再生
2月16日、今井被告が2016年2月15日に「犯行を自供した様子」などを撮影した動画が、法廷で初めて再生された。捜査員から「本当のことを話せるか」と問われた今井被告は「僕が殺そうと思って殺したのは事実」と犯行を自供したうえで、「(3人は)もう戻ってこない。罪を償うしかない」と謝罪の言葉を口にしていた。
それまでの任意聴取で否認していた理由については「真実を話す勇気がなかった」と説明。動機については「(被害者らが)精神的に不安定だったので煩わしく思った」と語ったうえで、「女性の下半身をつかんで持ち上げた」などと殺害当時の状況を説明した。
2018年3月1日、検察側は論告で、「自己保身のため不合理な弁解に終始し、更生への期待は皆無」と指摘し、死刑を求刑した。弁護側は「今井被告を犯人と証明する証拠はない」として無罪を主張した。
一審判決は死刑
3月22日の判決公判で、横浜地裁は今井被告に求刑通り死刑を言い渡した。
裁判長は、「被告人の自白は、捜査員から強要された可能性は低く、信用性は相当高い」と事実認定した。そして「介護職員の立場を利用し、被害者をまるで物でも投げ捨てるかのように転落させたもので、冷酷な犯行だ。極刑はやむを得ない」と指摘した。
無罪を主張していた弁護側は、即日控訴した。
控訴審でも死刑判決
2019年12月20日、東京高裁で控訴審の初公判が開かれた。弁護側は第一審と同じく無罪を主張した一方、検察側は控訴棄却を求めた。
2021年8月30日、被告人質問が行われ、今井被告は改めて無実を訴えた。取り調べで殺害を自供した理由については「認めないと取り調べが終わらないと思った」「認めれば警察がマスコミの取材から家族を守ってくれると思った」と述べた。
11月26日、弁護側と検察側による最終弁論が行われ、弁護側が改めて無罪を主張し、控訴審は結審した。
2022年3月9日、控訴審判決公判が開かれた。
東京高裁は今井被告の自白の信用性を認めて原判決を支持し、弁護側の控訴を棄却する判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として、同月18日付で上告。しかし、2023年5月15日、今井は上告を取り下げたため、死刑が確定した。