長岡京ワラビ採り殺人事件
1979年5月23日、京都府長岡京市で猟奇的な事件が発生した。スーパーマーケットのパート仲間だった主婦2人は、この日ワラビ採りに出かけたまま帰ってこなかったのだ。大捜索の結果、2日後見つかった遺体は、言葉にするのもおぞましいほど悲惨な状態だった。
結局、容疑者さえ断定できないまま時効を迎えたこの事件は、犯行の残忍さもさることながら、さまざまな憶測や都市伝説を生んだ。また、遺体から恐怖をそそるメモが見つかっており、日本犯罪史上もっとも不気味な未解決事件である。
事件データ
犯人 | 不明 |
発生日 | 1979年5月23日 |
場所 | 京都府長岡京市の山中 |
被害者 | 女性2人 |
公訴時効 | 1994年5月24日 |
容疑者 | なし |
キーワード | ワラビ採り |
事件の経緯
主婦の明石英子さん(当時43歳)と水野恵子さん(同32歳)はスーパーマーケット「イズミヤ」で働くパート仲間だった。
1979年5月23日、2人は仕事を終えたのち、ワラビ採りに出かける約束をしていた。この日は天気も良く、気温も28度とワラビ採りには最適な日だった。
午前6時から10時までパートをした2人は、店内で弁当を購入しそのまま自転車で河陽が丘の北北西に隣接する里山(通称「野山」)に、ワラビ採りに出かけた。
スーパーから2kmちょっと離れた野山には午前11時頃に到着、ふもとにある寺院「寂照院」前の畑に自転車を停めて山に入った。明石さんは、その年7回目のワラビ採りだったが、水野さんはワラビ採り自体が初めてだったという。
この時、入山する2人の姿を、近くの工事現場の警備員や、登山道入り口近くの竹林で作業をしていた夫婦が目撃していた。だが、その目撃情報を最後に2人は帰らぬ人となってしまった。
捜索 ~ 遺体発見
水野さんはワラビ採りのあと、午後3時半頃に子供を保育所に迎えに行くことになっていたが、予定の時間を過ぎても現れなかった。彼女は夜になっても帰って来ないため、心配した水野さんの夫が野山に探しに行ったが、彼女はみつからなかった。
翌24日には明石さんの夫も捜索に加わったが、やはり2人の行方はわからなかった。夫たちは午後2時50分頃、向日町署に捜索願を出している。
向日町署は、30人体制で直ちに捜索を開始。捜索の結果わかったことは、「2人は寂照院前の畑に自転車を停めた」、「入山時の目撃者がいる」という点だった。寂照院近くの宅地造成工事現場の警備員らが、23日の午前11時頃に、2人が入山していくのを目撃していた。
その日は、夜まで捜索は続けられたが、依然として2人は発見できなかった。
翌25日はさらに人員を増やして、向日町署員、2人の家族や同僚、地元消防団など、120人体制で午前9時より捜索を開始した。警察犬3頭も捜索に参加した。
午前10時30分頃、野山の山頂付近の雑木林にて、獣道が行き止まる地点で警察犬が反応。明石さんの遺体は、そのそばの急斜面で発見された。その場所から斜面を約10mほど登ったところの、小さく開けた場所で、水野さんの遺体もみつかった。
捜査開始
遺体の状態から警察は殺人事件と断定、捜査が開始された。
直接の死因は明石さんが絞殺、水野さんは刺殺だった。検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから午後2時半頃までと判明。2人のリュックには、空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままだったが、金を奪われた形跡はなかった。
胃の内容物から、食後1時間以内に殺害されたことが判明した。2人はワラビを採ったあと弁当を食べ、その後すぐに襲われたと推測された。
明石さんの衣服のポケットからは
「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」
と書かれたメモがみつかった。メモは鉛筆であわてて書いたような走り書きで、勤務先のスーパーのレシートに書かれていた。荷物から鉛筆は見つからなかったが、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっている。
明石さんは全身を殴打され、肋骨が折れて肝臓に損傷がみられた。そして体内からは犯人のものと思われるO型の体液が検出された。水野さんも全身を殴打され、包丁が胸に刺さったままだった。犯人のものと思われる体毛が付着しており、こちらも血液型はO型だった。
遺留品は、遺体に突き刺さっていた包丁1本のみだった。しかし、包丁から指紋は検出されず、販売ルートも解明されなかった。そして、その後の懸命の捜査の甲斐もなく、有力な手がかりも得られないまま、1994年5月24日に公訴時効が成立した。
犯行現場について
犯行現場は、長岡京市河陽が丘の北北西に隣接する、標高230mほどの里山で、通称「野山」や「西山梅林」と呼ばれている。
地元の人が山菜採りやピクニックなどによく訪れる場所だが、木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗い場所が多かった。そのため、タケノコ泥棒やレイプ事件なども発生していたという。
遺体発見場所は、小さな崖の上を通っていた獣道周辺で、明石さんの遺体はその崖の中程の茂みの中で見つかり、水野さんは、その崖上にある獣道の突き当たりの小さな空き地でみつかっている。この小さな空き地が暴行現場だと見られた。
これが事件の真相か!?
「包丁を持った怪しい男」説
この事件の前年1978年の同じ時期に、不審な男が目撃されている。
ワラビを採っていたある主婦が、突然見知らぬ中年男に「奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけられた。この中年男の手には包丁が握られており、驚いた主婦は少し離れた場所で山菜を採っていた夫と子供のところに走って逃げたという。
男は身長170cmほどで、年齢は40〜45歳ぐらい。場所は、事件現場から西南約300mほどにある雑木林の中だった。
そして驚くことに、事件の6日前にも、40〜45歳くらいの怪しい中年男に遭遇した人がいる。事件現場付近でワラビを採っていた主婦が、やはり「採れますか?」と声をかけられているのだ。
男はスポーツシャツにズボン姿で、雰囲気はサラリーマン風だったとのこと。目撃情報は水曜日、木曜日のみで、被害者2人が襲われたのは水曜日だった。
「地元の不良」説
地元で有名な2人の不良が、事件当日の14時頃、野山から急ぎ足で下りて来るのを地元住人に目撃されている。2人は建築作業員で、当時20代後半だった。
ひとりは誰にでも喧嘩を売るような乱暴者で、空手ができた。この2人は事件の日以降、急に真面目に仕事に励むようになったという。それまでは、不真面目でふらふらしていたそうだ。
2人は警察の事情聴取を受けたが、犯人であるとの確証を掴むことはできなかった。
いろいろな憶測や都市伝説
3人目の被害者 ー 都市伝説?
ワラビ採り殺人事件から5年後の1984年5月15日 午後2時50分頃、長岡京市で悲惨な事件が起きている。主婦のKさん(48)が、自宅で首や背中をメッタ刺しにされたうえ、布団に包まれた状態で火をつけられ殺害された。
このKさんが、ワラビ採り殺人事件の3人目の被害者だ、という説がある。
この話では「犯人の血液型はO型、右足の人差し指が突出していた。Kさんは実はワラビ採りに同行していたが、午後から用事があり、ひとりだけ早めに帰ったために被害を免れた」と噂されているが、情報元がはっきりしない。
「ワラビ採り殺人事件」との関連については、都市伝説かもしれないが、このKさんの放火殺人事件は事実である。
「同じ長岡京市で起きた事件」ということ、被害者に対して「かなり残虐である」こと、「犯行時期や時間が似通っている」ことから、関連がありそうな気がするのは仕方ないですね。
前年の主婦失踪事件
ワラビ採り事件の前年、1978年11月23日に、ひとりの主婦が失踪している。
宇治市内の田園で、当時38歳の主婦が夜のマラソンに出たきり、行方がわからなくなっているのだ。場所はワラビ採り事件現場から約10kmと、それほど離れていない。
こちらも未解決となっているが、現場には人を引きずったような大量の血痕が残されていたという。
この事件も、「ワラビ採り殺人事件」と同じ犯人なのではないかと噂されています。
夫が犯人?
未解決事件では付きものの、家族犯人説もある。
水野さんの夫は、妻の保険金を捜査の協力金として京都府警に寄付した一方、明石さんの夫は妻の保険金で新車を購入し、恋人を作ったという。このことから京都府警に嫌疑をかけられた。
捜査協力金はあくまで任意だが、2人の夫の事件後の行動が真逆だったことで、心証が悪かったのかもしれない。
ちなみに明石さんの夫が容疑者というわけではありません。
人さらい一族の仕業
長岡京市の特定の地域では、人さらい一族が住んでいるという噂があったそうだ。こういった話は地方に行くといくらでもあるので、都市伝説の可能性が高い。
ただ、昔の日本には人権無視のひどい扱いを受ける「弱者」がいたことは事実である。「生活のため自分の娘を売ったが、まわりには人さらいのせいにする」、「お化けの噂の正体は、隔離生活を強いられた障害者」だったりとかである。
この「長岡京ワラビ採り殺人事件」は本当に不気味な怪事件なので、こういう伝承や都市伝説とは親和性が高いのかもしれません。
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