埼玉愛犬家連続殺人事件|ボディーを透明に!遺体なき猟奇殺人事件

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関根元・埼玉愛犬家殺人事件日本の凶悪事件

埼玉愛犬家連続殺人事件

1993年、ペットショップ「アフリカケンネル」経営者・関根元の周辺で、愛犬家が失踪する事件が相次いだ。
警察は、店の従業員を共犯者とみて逮捕したが、事件の物的証拠はほとんどなかった。関根は「ボディーを透明にする」といって、遺体を跡形もなく消滅させていたのだ。遺体は、サイコロステーキほどのサイズに切断、骨は粉になるまで焼いて解体していたのだった。
身の毛もよだつ、平成の猟奇殺人事件である。

事件データ

犯人関根元(逮捕時51歳)
共犯風間博子(逮捕時36歳)
犯行種別連続バラバラ殺人事件
罪状殺人、死体損壊・遺棄
犯行日1993年4月20日~8月26日
場所埼玉県熊谷市
被害者数4人
判決関根:死刑(東京拘置所で病死
風間:死刑(東京拘置所に収監中)
動機金銭トラブルで邪魔になった
キーワードボディーを透明にする

事件の経緯

1980年代後半、時代はバブル、ペット業界も空前のブームに潤っていた。
ペットショップ「アフリカケンネル」を経営する関根元(当時51)も、そんなブームの一端を担っていた。彼は日本ではまだ珍しかったシベリアンハスキーを流行らせ、業界ではちょっとした有名人だった。彼は、テレビ出演も果たしていた。
しかしバブルは絶頂を過ぎ、そのころには犬の繁殖場の建設費などで1億4000万円の借金を抱えていた。

アフリカケンネル・埼玉愛犬家殺人事件
今は朽ち果てたアフリカケンネル


そこで、関根はあくどい手を使って儲けることを考える。
つがいのシベリアンハスキーを法外な値段で売り付け、生まれた子犬は高値で買い取ると嘘の約束をする。しかし、実際は生まれた子犬に病気だと難癖をつけ、買取を拒否するのだ。

数十万円程度の犬を、儲かるからと1000万円で売り付け、しかも子犬を買い取る約束は守らない、そんなやり方に、当然トラブルは多発した。

第1事件:産廃業者の男性

川崎昭男
被害者の川崎昭男さん

最初の被害者は、行田市の産廃処理会社役員の川崎昭男さん(39歳)だった。当時、兄経営の産廃処理会社の業績が悪化していたことから、関根に勧められ犬の繁殖ビジネスを手掛けることになった。
川崎さんは関根を信用し、つがいの犬に1100万円支払った。しかし、実際の相場は数十万円であることを知って、関根に代金の返済を求める。

1993年4月20日、返金に応じるふりをした関根は、川崎さんを呼び出す。関根は、仕事帰りに車でやってきた川崎さんに、栄養剤だと偽って「硝酸ストリキニーネ」入りのカプセルを飲ませた。

硝酸ストリキニーネは、犬の安楽死に使用する薬で、知人の獣医から5グラムを譲り受けていた。これは、50人分の致死量であった。川崎さんは声を出すこともできないまま、息を引き取った

その後、アフリカケンネルの従業員・山崎永幸が、買い物を終えて戻ってきた。山崎は、さっきまで元気に話していた川崎さんが死んでいたので驚いたという。

山崎はアフリカケンネルの役員だったが、それは名目だけだった。実際は関根のいいなりで、うまく利用されていた。

関根に脅されて、山崎は車に遺体を乗せ、片品村にある貨車を改造して作った自宅(通称「ポッポハウス」)に運びんだ。その後、遺体は関根が解体した。解体は、骨が粉になるまで焼くほど念入りだった。
その間、山崎は関根の妻・風間博子(当時36)と協力して、川崎さんの車を八重洲の地下駐車場に入れて隠している。

第2事件:暴力団組員と付き人

埼玉愛犬家殺人事件・解体現場
遺体の解体作業が行われた山崎の家(通称「ポッポハウス」)

第2の事件は、関根の古くからの友人である暴力団「高田組」組長代行・遠藤安宣(51歳)だった。

遠藤はアフリカケンネルの起こしたトラブルの仲裁役などをしていた。彼は ”川崎さん失踪” についての家族との話し合いの席で、殺害したのが関根であることに気づき、ゆすってきたのだった。

「このままではすべて奪われてしまう」と考えた関根と風間は、遠藤の殺害を決意した。

1993年7月21日午後10時頃、アフリカケンネルの3人(関根、風間、山崎)は要求されていた登記済証を持って、遠藤宅に出向いた。この時、山崎は車に残り、関根と風間の2人が家に入っていった。

しばらくすると、遠藤の運転手をしている和久井奨(21歳)が家から飛び出してきた。関根夫婦が彼を車の助手席に乗せて車を出すと、走行中に苦しみ出し、そのまま死亡した。

家に戻ってみると、遠藤も大の字になって死亡していた。関根は2人に栄養剤と偽って、硝酸ストリキニーネを飲ませていたのだ。2人の遺体は、前回と同様に山崎の家で解体した。

第3事件:従業員の母親

風間博子と関根元
風間博子と関根元 犬は可愛がっていたという

第3の事件は、行田市に住む、アフリカケンネルの従業員の母親・関口光江さん(54歳)だった。

関根は彼女と浮気をしており、その関係を利用して「儲かるから」とアフリカケンネルの株主になるよう持ちかけていた。関口さんはこの話を信用して、関根に出資金を支払った。当然この話で儲かるわけはなく、関口さんは金を巻き上げられただけだった。

彼女はほかにも900万円という法外な値段で犬4頭を購入させられていた。関根は幼い頃から虚言壁があり、天才的な話術でその嘘を信じさせる才能を持っていた。

関根は、この嘘はいつかバレるとわかっていたので、関口さんに硝酸ストリキニーネを飲ませて殺害することを決意。決行は1993年8月26日だった。
この事件は過去の2つの事件と違い、関根の単独犯行とされている。関根は、殺害後に山崎に遺体を見せ、山崎の自宅への運搬を手伝わせている。

関根は遺体の処理のことを「ボディーを透明にする」と表現していた。”ボディー” は 遺体のことで、”透明” というのは「解体することで人の目に見えなくする」という意味だ。関根は遺体を、サイコロステーキほどのサイズに、骨は粉になるまで焼き、解体していたのだ。

この猟奇的な信条のおかげで、警察は苦労することになる。

事件の発覚

関根の周辺で次々と人が消えていることは、そのうち噂になっていった。
この事件の少し前、大阪でも愛犬家による殺人事件があり、そのせいで状況の似ている関根のことも疑惑として語られるようになった。そして1994年2月頃には、アフリカケンネルにマスコミが大挙して訪れることになる。

実際は第1事件の直後から、関根らは捜査当局の監視対象になっていた。被害者の川崎さんの家族が、関根との金銭トラブルを警察に相談していたのだ。


この事件の9年前(1984年)にも、関根のまわりで3人が行方不明になっている。当時の共犯者によると、この時すでに ”ボディーを透明にする” 手法は確立されていたという。ただ、その ”透明” のせいで物的証拠は見つからず、埼玉県警が大がかりな捜査を行ったにもかかわらず、立件は断念せざるを得なかった。

1994年10月、山崎は2つ年上の女性と結婚した。彼は第2事件の被害者が暴力団組員だったことから、報復を恐れて妻の実家に身を隠した。実家には警察が張り込んでいた。

ある日、張り込みの警察がいないことに気づいた山崎は、妻と2人で神戸や四国に逃亡する。しかしその逃亡中、治療中の歯の不調のため帝京病院に予約を入れたのが運のツキだった。病院に着いた2人は張り込んでいた警察に見つかった。

山崎は逃げたが、妻は逮捕された。妻には、「過去の痴話げんかのもつれから発する、横領の容疑」で逮捕状が出ていたのだ。妻が心配だった山崎は、警察に出向いた。そして12月、3件の愛犬家失踪事件について任意の取り調べに応じることになる。

1995年1月5日、山崎の供述をもとに、死体損壊・遺棄容疑で関根と風間が逮捕された。

遺体は跡形もなく解体されてしまったため、物的証拠はほとんどなかった。山崎の自供によって、犠牲者の遺品は発見されたものの、それらは関根の関与を示すものではなく、単に殺害があったことを証明するものでしかなかった。そのため、捜査は自供に頼らざるを得なかった

映画化

事件を題材にした映画も公開された。園子温監督の「冷たい熱帯魚」である。
この映画では主犯・関根元にそっくりな俳優・でんでん怪演し、評価を得た。

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設定はペットショップではなく、熱帯魚店を舞台に物語は進む。細かい点はいろいろ変えてあるが、犯行の内容は事実に沿った残虐なもので、かなりグロテスクな描写もあるので注意が必要。

【監督】園子温
【出演】吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、梶原ひかり、渡辺哲

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犯人について

埼玉愛犬家殺人事件

関根元風間博子は1983年に結婚。お互いに再婚同士だった。

関根は7度目(過去3人と復縁している)、風間は2度目で連れ子(長男)がいた。関根が経営するペットショップ「アフリカケンネル」に風間が客として訪れ、2人は出会った。

関根は、風間の実家の資産目当てだったともいわれている。実際、アフリカケンネルの繁殖犬舎も、風間の親の所有する土地に建てられたものだった。

しかし約10年後の1993年1月、関根からひどい虐待を受けていた長男を守るため、税金対策と偽って離婚を成立させている。本事件はその3か月後に起きた。

ブルドッグのブリーダーを目指していた山崎永幸は、ドッグショーで知り合った関根から経営を学ぼうと「アフリカケンネル」を訪れた。やがて誘われて同社の役員となったが、関根の運転手や手伝いをしていたにすぎなかった。

主犯・関根元について

関根元は1942年1月2日、埼玉県秩父市の小さな長屋で生まれた。
両親は、秩父市内の商店街で下駄屋を経営していた。関根は、子供の頃から嘘つきで有名だったという。関根の昔を知る人は「中学時代から英雄気取りというか、ホラ吹きだった。目立とうとして、学校の2階からわざと校庭に飛び降りたりするようなところもあった」と証言する。

中学卒業後はラーメン店で働き、そのころには犬の繁殖を始めている。その後、プロパン会社に転職し、19歳のときにラーメン店時代の同僚女性と結婚した。

1男2女をもうけ夫婦仲も良好だったが、看護婦の女性に夢中になり、それがもとで離婚。看護師女性とは1970年頃に結婚して、市内のアパートに移り住んだ。このころ実家の履物店を改造してペットショップを始め、ライオンを飼い始めた。「ライオンを飼う夫婦」としてテレビ出演もしている。
よくライオンやトラを連れて散歩して、近所に恐れられていたという。

その後も結婚と離婚を繰り返し、娘の友だちに手を出したこともあった。そして、トラブルを助けた縁から風間博子と知り合い、1983年10月24日に結婚4人目の結婚相手であるが、過去3人とはそれぞれ復縁した経歴があることから、風間とは7度目の結婚となる。

1982年、埼玉県熊谷市でペットショップ「アフリカケンネル」を開業。虚言壁のある関根は「変わった経歴を持つ資産家」と偽ることで名をはせたが、まわりの人間だけでなくテレビや雑誌などでもそれは変わらなかった。
暴力団の金を使い込むというトラブルを起こした際には、小指を詰めている。

関根は5つの「殺人哲学」を持っていた。

関根の殺しの哲学
  1. 世の中のためにならない奴を殺す
  2. すぐに足がつくため、保険金目的では殺さない
  3. 欲張りな奴を殺す
  4. 血は流さないことが重要
  5. ボディー(遺体)を透明にすることが一番大事

特に5は、この事件における重要なキーワードである。関根は「遺体がなければただの行方不明」とうそぶき、遺体を徹底的に解体して誰の目からも見えない ”透明” 状態にした。

また、関根は「過去に30人以上殺した。殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなし」と豪語していたという。30人かどうかは不明だが、1984年にも関根の周辺で男女3人が行方不明になっている。

関根元

死刑判決を受けたあとは、東京拘置所に収監されていたが、2017年3月27日早朝、病死した。前年の2016年11月、拘置所内で心臓発作を起こし、外部の病院に救急搬送され治療していた。享年75歳。

共犯・風間博子について

風間博子

風間博子は1957年2月19日、埼玉県熊谷市で生まれた。実家は裕福で、お嬢様育ちだったが、気が強く口数は少なかった。

高校卒業後、東京都北区にある中央工学校で測量を学び、測量事務所に勤めた。土地家屋調査士として独立しようとしていた父親を、いずれ手伝おうと考えてのことだった。1976年に銀行員と結婚して2人の子どもに恵まれたが、6年後、夫の女性問題で離婚している。

この時、第1子の長女は夫が、第2子の長男は風間が引き取っている。

離婚の翌年の1983年、犬好きな風間(当時26歳)は「アフリカケンネル」を訪れ、関根元と出会った。地道に暮らしてきた風間は、自分と真逆な性格の関根に惹かれた。風間は公判で「明るくて力強く、当時4歳の自分の子供にも優しかったから、いい父親になってくれると思った」と述べている。

結婚後は、肩に刺青を入れている。これは、関根の過去の妻たちが刺青を入れていたことへの、対抗心だともいわれている。

しかし、関根が長男にひどい虐待を加えるようになり、風間は離婚を決意する。彼女は「税金対策のための偽装離婚」と関根を騙し、1993年1月25日に法的に離婚が成立した。

風間は結婚生活を「ただ隷従と忍耐の日々でしかなかった」と振り返っている。
また、関根は長女には虐待せず、むしろ可愛がっていたそうだ。長女は1985年に風間との間にできた、自分の血を分けた子どもである。

その後も関根と「アフリカケンネル」を共同で運営し、名義上は社長となっている。

風間博子が獄中で描いた絵

風間博子・描いた絵
風間博子が獄中で描いた絵 外に出たいという気持ちが現れているのか?

現在は東京拘置所で、死刑の執行を待つ身となっている。獄中では絵の才能を開花させ、さまざまな場所で発表している。

彼女は冤罪を主張し、再審請求中である。共犯の山崎永幸は、「風間は無実」と言い切っている。

共犯・山崎永幸について

山崎永幸は、1956年1月に富山県で生まれた。
元々は「」姓であり、「山崎」は事件当時結婚していた妻の姓である。

離婚後は島姓に戻ったが、「志麻永幸」名義で「愛犬家連続殺人」という本を出版した。

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ブルドッグのブリーダーを目指していた頃、ドッグショー会場で関根と知り合った。関根の経営哲学を学ぼうと「アフリカケンネル」を訪れるうち、誘われて同社の役員となる。しかし役員とは名ばかりで、実際は関根の運転手や店の手伝いをしていたにすぎなかった。

事件当時は、群馬県片品村で貨車を改造した住居(通称「ポッポハウス」)にひとりで住んでいた。この家は、山奥で人目につかないことから、遺体の解体に使われてしまった。

本事件で、懲役3年の実刑判決が確定し服役したが、1998年8月28日に満期出所している。

過去の失踪事件

1984年にも関根の周辺で3人が失踪している。埼玉県警は関根の供述に基づき、遺体の捜索を行ったものの発見できず、立件されていない。
この他にも数名の失踪者や変死者がいる。

埼玉愛犬家殺人・アフリカケンネル
秩父でペットショップを経営していた

2月11日、関根と金銭トラブルのあった、秩父市の暴力団員が失踪した。彼は「ちょっと出てくる」と言って、自宅に迎えに来た車に乗って出かけたまま失踪した。周囲には「近く、でかい金が動く」などと話していたという。

5月8日、関根と金銭トラブルがあったトラック運転手が失踪。彼は秩父市で関根が経営していたペットショップの店員をしていた時に、店の看板代を立て替えていた。その代金の返金を要求していたが、関根から電話で返済を約束されて出かけたまま失踪した。

6月上旬、関根の知人が夫婦喧嘩で妻(深谷市のスナック経営者)を殴って死なせてしまい、関根に遺体の処理を依頼した。
この知人の「遺体は荒川に遺棄した」との供述を元に、1995年4月、捜索が行われた。しかし、11年も経っており、過去の荒川の大工事のせいもあって捜索は難航した。

5月には遺体の解体・焼却現場とされる熊谷市の旧犬舎も捜索したが、目ぼしい物証は発見できず、未解決事件となった。

公判では「10年経っても、警察は迎えに来ない」との自信から、第1事件の川崎さん殺害を決意したとされている。
関根・風間は、これら未解決事件にも関与したものと見られ、証人出廷した知人の「関根の指示で遺体を焼却、遺棄した」との証言も信用できるとされた。

裁判

物的証拠が極めて乏しく、関根と風間が罪をなすり付け合ったため、公判は長期化した。
また、山崎が ”検察との密約を反故にされた” 不満から証言を拒否するなど、波瀾の展開となった。

第一審・浦和地裁

1995年7月7日、山崎の初公判が開かれ、起訴事実を大筋で認めた。
24日には、関根と風間の初公判が開かれ、関根は罪状認否を留保。風間は第1事件と第2事件の死体遺棄に関しては、脅されて手伝ったと認めたものの、殺人や死体損壊への関与は否認した。

第1事件では、川崎さんの車を山崎と都内へ運んだことは認めたが、「事情を何も知らなかった」として、起訴事実をほぼ全面否認した。

10月6日、山崎の第3回公判で、山崎は検察との密約があったために自供したと証言したが、約束を反故にされたとして、今後、関根らの公判では証言拒否する構えを見せた。

山崎によると、取り調べの際、検察官が「証拠を出せば何でも言うことを聞く」「すぐに釈放する」などと約束したという。そのほか、山崎の求めに応じて ”詐欺容疑で勾留中の妻を保釈” したり、”検察庁舎内で妻との面会や情交の場を設けられた” ことなどを暴露した。

これに対し、浦和地検は会見で、密約に関しては否定、妻の保釈は正当な手続きだったとした。
このような経緯から関根と風間の弁護人は、「山崎供述は検察官の便宜供与によって誘導されたもの」であり、「自供すれば殺人を不問にする」という司法取引に基づくものとして、その信用性を争った。

翌年7月19日の関根・風間の公判で検察は、妻との面会等は認めたものの、便宜供与と密約については否定した。

11月17日、山崎に対する論告求刑公判で、検察側は懲役3年6月を求刑。弁護側は、関根に脅されて拒むことは不可能だったとして無罪、あるいは執行猶予を求めた。

11月20日、関根・風間の公判に山崎が初出廷したが、宣言どおり証言を拒否。検察は、山崎の証言を立証の柱にする計画だったが、山崎は検察や警察に批判を繰り返すばかりだった。そのため、供述調書等が証拠として採用された。

12月15日、山崎に懲役3年の実刑判決が下った。
山崎が従属的な立場であったことは認められたものの、口頭で脅されていたに過ぎず、警察に駆け込むなど犯行を回避する手段はあったとした。そのため、最終的には自らの意思で犯行に及んだと認定されての実刑判決だった。
山崎は控訴するも、1996年6月7日、東京高裁が控訴を棄却。上告せず懲役3年が確定した。

1998年9月3日の第57回公判で、それまで認否を留保していた関根は、起訴事実を認めた。しかし、「風間が主犯、山崎が実行犯であり、自分は風間を守るために犯行に加担した」と主張する。
これにより、元夫婦の関根と風間は、対立が決定的になった。

2000年7月6日、論告求刑公判で検察は関根と風間に死刑を求刑。関根は死刑回避を求めて無期懲役を、風間は無罪を主張した。
こうして、105回にわたる公判は結審した。

第一審判決は死刑

2001年3月21日、浦和地裁は検察側の主張をほぼ全面的に認め、関根と風間に死刑判決を言い渡した

3人の被告の主張が対立するなか、最も信用できるのは山崎の供述とされた。山崎供述は、犯人しか知りえない秘密の暴露が多数含まれ、内容が具体的で不自然な点もほとんどみられないことから、全体的に信用できるとの判断だった。

関根・風間の元夫婦は、4人のうち3人は山崎が絞殺したと証言が一致していた。しかし、山崎は被害者と利害関係がなく、殺害の動機がない。また、報酬目当ての可能性についても、支払われた形跡が全くないことから、元夫婦の主張は却下された。
また、山崎が犯行の計画段階から関与していたとの主張も退けられた。

第1・第2事件については、「元夫婦が対等の立場で共謀」、第3事件については「関根の単独犯行」とされ、事情も知らない山崎を脅迫して、被害者の遺体を損壊・遺棄したものと認定された。

なお、検察は第1・第2事件について、「風間が殺害を持ちかけ、関根が同意して犯行に及んだ」と主張したが、判決では「どちらが先に犯行を持ちかけたにせよ、元夫婦が共同で犯行に及んだ」と認定された。

第3事件では、風間の関与は認定されてないが、その疑いは相当強いとした。
一方で、単独犯とされた関根は「風間が主犯」と主張していた。そのため、背後に共犯者の存在の可能性を否定できないことは、量刑判断の上で考慮すべき事情であるとした。

関根・風間の両被告は控訴した。

控訴審・上告審

2003年12月5日、東京高裁で控訴審初公判が開かれた。

関根・風間の弁護側は、一審判決の事実誤認を主張した。証人として出所後の山崎が出廷したが、検察や弁護人への批判、裁判制度への疑問を呈したほかは、曖昧な証言に終始した。
また、山崎は以前から風間の無罪を証言しているが、その具体的根拠は述べていない。

2005年2月14日、第16回公判では、風間が第2事件の死体損壊について、一部関与を初めて認めた。
同年7月11日、東京高裁は元夫婦の控訴を棄却した。

両名とも上告するも、2009年6月5日、最高裁は上告を棄却。その後、22日付で両被告人の判決訂正申立を棄却されたことにより、関根・風間とも死刑が確定した。

まとめ:アフリカケンネル廃墟情報など

アフリカケンネル

埼玉県熊谷市の「アフリカケンネル跡」は廃墟マニアによく知られた場所だが、殺害場所でもあったので心霊スポットとしても関心が持たれた場所である。

写真は2015年夏頃。現在どうなっているかは不明。

場所情報:36°06’56.4″N 139°22’12.7″E

アフリカケンネル秩父店/埼玉愛犬家連続殺人事件
今は駐車場となったアフリカケンネル秩父店跡地

「主犯は風間」の信用度は?

これほどおぞましい事件は、日本では珍しいです。
関根は暴力団さえ恐れることなく、手にかける大胆さを持っています。そのせいで小指をなくしていますが、それでも犯行を止めることはなかったのです。
関根元はサイコパスともいわれていますが、それも頷けます。恐怖心の欠如はサイコパスの特徴のひとつでもあります。

 
遺体なき殺人といわれ、捜査が難航したこの事件ですが、関根が犯人であることは誰の目にもあきらかです。ただ、風間博子の存在がどの程度大きかったのかは、当事者以外には少しわかりづらいところです。関根の言いなりになっただけのようにも思えるからです。

 

関根は「主犯は風間」と主張しました。そして風間にも死刑が確定しています。裁判では、風間も主犯級の役割があったと認定されたわけです。

 
物証がなく、証言のみで進められた裁判でしたが、そんな関根の主張が判決に影響を与えたとしたら、ちょっと腑に落ちません。もしかすると、「関根の洗脳下にあった時は、残虐なことも平気でできた」ということなのでしょうか?
関根は、子どもの頃から嘘つきで有名だったそうです。宣誓したからといって、真実を語ったかどうか怪しいところです。なお、共犯の山崎永幸は「風間は無罪」と言い切っていますが、その根拠はあきらかにしていません。
 

根っからの悪党だった関根は、刑の執行を待たず獄中で病死しました。証言は正しいのか、嘘だったなら真実は何なのか?彼の口から語られることはもうないのです。



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