「松戸9歳女児殺害事件」の概要
2017年3月24日、千葉県松戸市で小学3年のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(当時9歳)が行方不明になった。リンちゃんは登校のため家を出たが、自宅近くで何者かにさらわれた可能性があった。
2日後、自宅から12km離れた排水路付近でリンちゃんの遺体が発見される。そして失踪から約3週間後に逮捕された容疑者は、なんと小学校の保護者会会長を務める渋谷恭正(当時46歳)だった。
子供を見守る立場にあった男の凶行に世間は震撼、渋谷には無期懲役が確定した。
事件データ
犯人 | 渋谷恭正(当時46歳) *正しい表記は澁谷 |
(読み) | しぶや やすまさ |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2017年3月24日 |
場所 | 千葉県松戸市六実 |
被害者数 | 1人死亡 |
判決 | 無期懲役(拘置所に収監中) |
動機 | 性的欲求 |
キーワード | 小児性愛者、保護者会長 |
「松戸9歳女児殺害事件」の経緯
2017年3月24日、千葉県松戸市に住むベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(当時9歳)が、午前8時頃に登校のため自宅をでたきり行方不明になった。
リンちゃんは六実第二小学校3年生で、転校してきてちょうど1年が経っていた。この日は学校の修了式だったが、学校には現れなかった。学校までは徒歩で約10分、自宅近くの防犯カメラにはリンちゃんの姿が残されているのに、その先(自宅から約600m地点)で児童の見守り活動をする人は、この日の朝、リンちゃんの姿を見ていない。
このことから、自宅近くでリンちゃんの身に ”何かが起こった” ものと考えられた。警察の捜索以外にも、学校の保護者グループが近隣を捜し回ったが、リンちゃんはみつからなかった。
そして失踪から2日後(3月26日)、リンちゃんは自宅から約12km離れた我孫子市北新田の排水路脇の草むらで変わり果てた姿で発見される。24日の朝、家を出る前に父親と交わした「ご飯全部食べた?」という会話が最後になってしまった。
リンちゃんには首を絞められた跡があり、これが死因とみられた。また27日には、遺体発見現場から約20km離れた茨城県坂東市の利根川河川敷で、リンちゃんのランドセルや衣服が見つかった。
千葉県警は捜査本部を設置し、殺人・死体遺棄事件として捜査を開始した。
事件発生直後から、インターネットの掲示板に不審な書き込みが確認されている。
- 2017年3月24日午後9時5分:「暖かくなったら用水路に女児の死体がないか見てまわろう」(行方がわからなくなってから13時間後の書き込み)
- 2017年3月26日午前6時7分:「用水路にいるから探せ」(この書き込みから約40分後に遺体発見)
容疑者は保護者会の会長
リンちゃんが行方不明になった時間帯に、通学路で叫び声や子供を連れ去ったような事案は確認されていない。そのため、捜査本部は ”顔見知りが車で連れ去った” 可能性が高いとみていた。
そして、県警はひとりの男に嫌疑の目を向ける。その男とは、リンちゃん宅から約300mの場所に住む渋谷恭正(当時46歳)で、六実第二小学校の保護者会「二小会」の会長を務めていた。
渋谷は保護者会会長として、ほぼ毎日のように見守り活動に参加していた。いつも同じ場所に立っていたので、児童だけでなく近隣住民や保護者でも「渋谷を知らない人はいない」というほどなじみ深い人物だった。登下校中のリンちゃんとハイタッチしたり、親しそうに話す様子が多くの人に目撃されていた。
だが、渋谷はリンちゃんがいなくなった日に限って、見守り活動を休んでいた。それ以外にも、渋谷には怪しい行動がいくつもあった。
- 事件当日の昼頃、渋谷の軽乗用車が、(遺留品が見つかった)河川敷付近を何度も行き来する様子が防犯カメラに映っていた
- その日の夜、渋谷の軽乗用車は駐車場になく、遺体遺棄現場付近の防犯カメラに映っていた
- 保護者会会長なのに、リンちゃんの捜索活動に参加しなかった
- 渋谷は事情聴取で、自身の行動について「防犯カメラに映った軽乗用車の動き」と異なる説明をしていた
- 3月31日、学校関係者や子供たちによる ”リンちゃんのお別れ会” にも「子供がインフルエンザだから」と欠席した
4月14日、ランドセルなどの遺留品に残されたDNA型が渋谷のものと一致したことから、県警は渋谷を死体遺棄容疑で逮捕。自宅近くの駐車場に止めたキャンピングカーと、普段使っていた軽乗用車を押収した。
”子供たちを見守る立場” にあった男による卑劣な犯行に、世間は震撼した。
渋谷恭正を殺人で起訴
司法解剖の結果、死亡推定時刻は食後4時間以内。このことから、行方不明になった24日の午前中には殺害されていたことが判明した。
死因は窒息死で、リンちゃんの首には1.5cm幅の絞められた痕があった。それははっきりしたものではなく、比較的柔らかい ”紐状のもの” で絞められたものとみられた。
- 首を柔らかい紐状の物で絞められたあとがある
- 頭部を硬いもので殴られ、顔面にも殴られたあと
- 両手首に拘束のあと
- 陰部に傷、下半身に裂傷、唾液付着
- 遺体から「渋谷のDNA型」と「2人(渋谷とリンちゃん)の混合したDNA型」を検出
渋谷は自宅から約150m離れた駐車場にキャンピングカーを止めていて、すでに警察に押収されていた。車はほとんど動かされた形跡がなく、年に何回か動かす程度。近隣住民の男性は、車内で電気をつけて数時間過ごす渋谷を見かけることがあったと話した。
県警は、リンちゃんが自宅を出た直後に行方不明になったことから、渋谷が軽自動車にリンちゃんを乗せたあと、キャンピングカーに連れ込んだ可能性があるとみていた。
キャンピングカーを捜査したところ、車内にあったネクタイからリンちゃんのDNAを検出。「リンちゃんは性的暴行を受けたあと、ネクタイで絞殺された」と断定した。また、軽乗用車の後部座席から尿が検出されており、これはリンちゃんの遺留物の可能性があった。後部座席からは他にも毛髪がみつかっている。
渋谷は逮捕当初は犯行を否認していたが、その後は黙秘に転じている。
しかし5月5日、殺人・わいせつ目的誘拐・強制わいせつ致死の容疑で再逮捕。2017年5月26日、千葉地検は渋谷を殺人・強制わいせつ致死・わいせつ略取誘拐・死体遺棄の罪で起訴した。
渋谷は黙秘をつらぬいた理由について、「供述しても取調官が『DNAと指紋が出ているからお前が犯人だ。うるさい、黙れ』と言ったので黙秘した」と説明している。
渋谷恭正の生い立ち
渋谷恭正は1971年4月14日、千葉県松戸市で出生した。
父親は郵便局員だったが、所有する複数の不動産からも収入があり、かなり裕福な家庭で育った。しかし渋谷の幼少期に両親は離婚。渋谷と姉(父親違い)は母親に引き取られた。
渋谷は体は大きかったが比較的おとなしい子供で、小学校時代は太っていたため「シブデブ」と呼ばれていた。その後、松戸市立六実中学校に進学した渋谷は柔道部に所属。この中学時代に、渋谷はある問題を起こしている。
渋谷は自ら立候補して体育祭の応援団を務めていたが、昼休みの練習中、あることで教師に注意を受けた。これに渋谷が口ごたえすると、教師は渋谷の頬を平手打ち。すると渋谷は引き下がることなく、「お返しです」と言って、拳で3、4回殴り返したという。周囲が止めに入ったが、教師の片方の頬は血まみれになった。
この時、渋谷の母親は「顎が外れた、耳が聞こえない。親を呼べ」と言い出し、教師とその親にまで謝罪させた。その後、母親は「治療費とタクシー代を合わせて約15万円」を請求。教師側が弁護士を通じてレントゲン写真を出すように言うと、何も言ってこなくなったという。
1987年4月に千葉県立沼南高柳高校に入学、1990年3月に卒業。同級生だった男性は当時の渋谷について「おとなしい存在。目立たず、いつもぼーっとしていた印象がある」と語った。
高校卒業後は調理師専門学校に進んだ。そして1991年、松戸を出て北海道で養豚業に就くも長くは続かず、その後は職を転々としている。
渋谷は北海道で未成年の女性と結婚して子供を1人授かった。この結婚は1~2年で離婚となり、子供は相手が引き取った。その後すぐに2度目の結婚をするも、しばらくして離婚。この結婚では子供はできていない。
”小児性愛者” を明言していた
2001年、母親が亡くなったのを機に、地元・松戸に戻った。母親は生活のため所有する土地を切り売りしていたので、渋谷が相続したのは1995年に母親が建てたマンションの建物と土地のみ。
事件当時まで渋谷自身も住んでいたこのマンションは、1階にコンビニが入っていることもあり、月に70万~80万円の収入があったという。そのため渋谷は基本的には仕事をせずとも、家賃収入で生活することができた。ほどなくして中国人女性と3度目の結婚、2人の子供に恵まれた。
子供2人は、事件当時3年生の息子と2年生の娘で、リンちゃんと同じ小学校に通っていた。
2008年頃に渋谷が1年ほどアルバイトをしていた中華料理店の元店長は、「渋谷が12~13歳の少女の裏DVDを店に持ってきて自慢していた」と話す。客に女子中学生グループが来た時など、急に愛想がよくなる場面もあったという。
店員同士で女性の話題で盛り上がっても「そんなのいらない。ちっちゃい子がいい。中学生とか小学生とか、若ければ若いほどいい」と明言していたという。
元店長は渋谷について「真面目で仕事はできるほう。第一印象はよく喋ってコミュニケーションが取れる人」というが、半年くらいすると別の一面が見えてきたと話す。「自分の思うように事が進まないと声を荒らげたりする。ちょっとキレやすいタイプ」と評した。
保護者会会長に立候補
長男が小学校に入学した頃から、渋谷は地域の見守り隊を買って出るようになる。そして2016年4月に長女が入学すると、自ら進んで保護者会の会長も務めるようになった。
さらに2年連続で会長をやると言い出し、保護者会で「会長の任期を3年に延ばしたい」とも提案。行事がない日でも頻繁に学校に顔を出し、授業を覗いたり子供たちと給食を食べたりしていた。そんな “熱心すぎる活動” に、違和感を覚える保護者もいたという。
女子児童に優しい態度を見せる一方、男子児童には「ふざけてるんじゃねえぞ」と叱りつけるなどの「二面性」も目撃されていた。
とはいえ、誰もやりたがらない会長を率先してやってくれることに、周りからは重宝がられた。一部には「教育熱心な人」という評価さえ得ていた。
そんな2017年3月24日、事件は起こった。渋谷はこの日に限って見守り活動を休み、普段は徒歩で登校する子供2人を軽自動車で送った。そしてその後、口実をつけてリンちゃんを軽自動車に乗せたものと考えられている。
裁判では無実を訴えるも、無期懲役が確定。現在は千葉刑務所で服役中であると推定される。
リンちゃんは人懐こく明るい子
事件のちょうど1年前に転校してきたリンちゃん、日本語は話せたが漢字を書くのは苦手で、頑張って勉強していたという。明るい性格で、いつもたくさんの友達に囲まれていた。元気に遊ぶ姿が自宅周辺でたびたび見られ、近所の人たちからも好かれていた。
近所の主婦(69歳)は「明るくて人懐こい子。登校時に『おはよう』と手を振ってくれた」という。服をほめると「ベトナムから買ってきた」と笑顔を見せたと振り返り、「日本に来てこんな目に遭うなんて」と声を落とした。
自営業男性(64歳)は「庭に入ったボールを『取らせてください』と言うので渡してあげると『ありがとう』ときちんとお礼を言って帰った」と話し、事件には「言葉がない」と残念がった。また、別の住民は、「人見知りをしない子だから狙われたのかも」と推測していた。
父親によると、「日本とベトナムの架け橋になる」ことがリンちゃんの夢だったという。
その後のリンちゃんの父親
父親のレェ・アイン・ハオさんは、2007年に単身で来日。ハオさんはベトナムの首都ハノイ出身で、大学卒業後、ベトナムのIT企業に勤務していたが、日本のIT企業に勤務し、いずれ独立を考えていた。
ハオさんが来日した2カ月後にリンちゃんが生まれ、2年後、妻子を日本に呼び寄せた。4年ほど前から、「IT企業の設立」と「ベトナム料理店の開店」を計画していが、事件で計画がすべて頓挫。ハオさんは憔悴して、しばらくベトナムに帰っていた。一時は「誰も信じられず、外出も怖くてできなかった」という。
そんな苦しみを乗り越え、2020年11月、松戸市でソフトウェア会社「日越技術合同会社」を設立した。さらにベトナム文化を日本に紹介したいと考え、2021年4月、ベトナム料理店「ハーグェン・ベトショップ」を開業。これは、「ベトナム料理を日本の友だちにも作ってあげたい」と話していたリンちゃんの遺志を継ぐものでもある。
また、ハオさん夫婦は2020年1月23日付で、渋谷に対して「慰謝料など約7千万円の損害賠償」を求める訴訟を東京地裁に起こした。そして2021年9月24日、東京地裁は請求通り約7千万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
松戸市は見守りを強化
事件直後から松戸市では、住民や保護者が防犯活動に参加する見守り隊制度を導入している。
逮捕の足掛かりになったドライブレコーダーを市の公用車231台に設置したほか、通学路の防犯カメラを5年間で40台から177台に増やした。
裁判
2018年6月4日、裁判員裁判による初公判が、千葉地裁で開かれた。
罪状認否で渋谷恭正被告は全面否認し、「検察側の主張は捏造されたもので、事件には一切関与していません」と無罪を主張した。
弁護側は、軽自動車からリンちゃんのDNA型が検出されたことについて、リンちゃんが事件前にこの軽自動車に乗ったことがあると主張。「警察の証拠捏造の可能性がある」として無罪を主張した。
一方、検察側は渋谷被告のキャンピングカー内にあったネクタイから、リンちゃんのDNA型が検出されたとし、殺害の凶器となった可能性を指摘した。
6月11日の第5回公判では、DNA鑑定を担当した千葉県警科学捜査研究所・女性主任研究員が検察側証人として出廷した。主任研究員は、遺体の腹部から「唾液と血液の成分が採取された」と証言。DNA鑑定で ”リンちゃん” と ”渋谷被告” の2人分のDNA型であることが判明している。
また、唾液は顔・左右の耳・左右の胸・腹部・下腹部から検出されていた。
6月13日の第7回公判で、事件当時に同居していた渋谷被告の元妻(当時35歳・中国籍)が検察側証人として出廷。軽自動車から検出された尿について、元妻は「娘が保育園の時、(後部座席で)おもらししたことはある」と述べ、最後にしてから事件までは「1年以上あると思う」と証言した。
また、元妻は事件の2日後(3月26日)に後部座席に乗ったことを明かし、「しばらく乗っていなかったが、26日に乗った時はカバーがなかったと思う」と話した。
後部座席のシートや床部分から検出された尿の成分が、”誰のものか” は断定できていない。ただ、軽自動車からはリンちゃんのDNA型を含む血痕も検出されている。
尿をめぐっては、初公判で検察側証人として出廷した医師が、裁判官から失禁の可能性について問われ「(首を絞められ)死亡にいたる過程のどこかで起きたか、死後も出る場合がある」と証言している。
被害者両親を批判
6月14日の第8回公判で被告人質問が行われ、弁護士から「何か言いたいことはありますか」と振られると、渋谷被告は「リンちゃんの両親に言いたいことがある」と話し始めた。
渋谷被告は「私が犯人だと思われている中で、私が行った募金を受け取ってくださってありがとうございます」と述べ、続けて「見守り活動をしていたのに、守ることができなくてすみません」と目元をぬぐうしぐさを見せた。
検察側の尋問では「あなたの娘が性暴行を受け、殺害されたら犯人を許せるか」と聞かれ、「許すことはできません」と答えたうえで「その前に私は(登校時)子どもに付いて行っている。子どもから目を離さないようにしている。それは親の義務だ」とリンちゃんの両親を責めるような主張をした。
一審判決は無期懲役
2018年7月6日、判決公判が開かれ、千葉地裁は無期懲役(求刑は死刑)を言い渡した。
裁判長は判決理由で、「捜査機関が証拠を捏造したと言ったり、被害は親の責任と言うなど反省は皆無。被害者の所持品を分散して遺棄し、ドライブレコーダーの記録を消すなど犯行後の情状も悪い」と厳しく批判した。
一方で、「次々と嘘をついており、行動はむしろ場当たり的なものが多い」として1人殺害で死刑判決が出された他の事案と同じくらいに「殺害の計画性が高かったとはいえない」と結論づけた。
検察側が主張した「犯行の残虐性」についても、「わいせつ行為の特異さをもって、直ちに殺害行為の執拗性・残虐性と同じに評価することは相当でない」と退けた。
弁護側は即日控訴し、検察側も判決を不服として控訴した。
最高裁で無期懲役が確定
2019年9月26日、東京高裁で控訴審初公判が開かれた。
検察側は一審に続き「信頼を逆手に取った極めて悪質な犯行」として死刑を求め、弁護側は一審の有罪判断の根拠となった「DNA型鑑定の信用性の疑問」と「捜査方法の違法性」を理由に無罪を主張した。
2020年10月5日、リンちゃんの両親が意見陳述し「渋谷被告を極刑に」と訴えた。リンちゃんの父親は、「娘は日本とベトナムの架け橋になりたいと夢見て、熱心に日本語を勉強していた」と説明。「月命日が来るたびに、被告が死刑判決を受けていないことに絶望し、憤りを覚える」とベトナム語で話した。
2020年11月17日、検察側は死刑の適用を求め、弁護側は無罪を主張して控訴審が結審した。
2021年3月23日、控訴審判決公判が開かれ、東京高裁は無期懲役とした一審判決を支持し、弁護側・検察側双方の控訴をいずれも棄却した。
千葉県警がマンションのゴミ置き場から ”渋谷被告に無断で煙草の吸殻を持ち去った” ことに関して、弁護側は「無令状で押収し、DNAを採取したのは違法」と主張したが、裁判長はこの主張自体は認めた。
しかし、「実質的な権利侵害がない」、「事件の早期解決の必要性」、「渋谷被告のDNA入手の高度の必要性」などを理由に、「令状主義を没却するような重大な違法ではない」と判断し、吸殻についての証拠能力を認めた。
また、死刑の適用を求めた検察側の控訴についても「犯行態様は冷酷非道だが、場当たり的で殺害に計画性は認められない。極刑がやむを得ないとは言えない」として退けた。
最高裁
渋谷被告側は判決を不服として、最高裁判所へ上告した。
一方、リンちゃんの遺族は、東京高等検察庁に上告するように求めたものの、「判決内容を十分に検討したが、判例違反などの上告理由を見いだせない」として、最高裁への上告を断念。これにより、渋谷被告に死刑判決が言い渡される可能性はなくなった。
このように被告側のみの上告だったが、最高裁は2022年5月11日付けでこれを棄却する決定を下し、二審までの無期懲役判決が確定した。