架空請求詐欺仲間割れ殺人事件|熱湯リンチと暴行で4人殺害

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清水大志/架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 日本の凶悪事件

「架空請求詐欺仲間割れ殺人事件」の概要

「納付しないと、裁判所が差し押さえる」と身に覚えのないハガキを送りつけ、不安を煽り金を騙し取る「架空請求詐欺」。
2004年10月、この詐欺で荒稼ぎした詐欺グループが、報酬の不満から仲間割れを起こし、4人が惨殺された。4人は清水大志ら幹部への襲撃計画がバレたことから、逆に監禁され、熱湯リンチなどの暴行を受けていた。
しかし、被害者も ”悪質詐欺グループのメンバー” だったことから、同情されることもなかった。裁判では、清水ら3人の幹部に死刑が確定している。

事件データ

主犯1清水大志(当時26歳)
死刑:東京拘置所に収監中
主犯2伊藤玲雄(れお)(当時31歳)
死刑:東京拘置所に収監中
主犯3渡辺純一(当時28歳)
死刑:東京拘置所に収監中
共犯1阿多真也(当時27歳)
無期懲役
犯行種別傷害致死・殺人事件
犯行日2004年10月14日~16日
犯行場所東京都新宿区の詐欺グループ事務所
被害者数4人死亡
動機裏切りの制裁
キーワード架空請求詐欺、仲間割れ

架空請求詐欺仲間割れ殺人事件の経緯

本事件の主犯・清水大志は、2003年5月頃、広告関係の会社を設立した。しかし経営がうまくいかず、たちまち資金繰りが悪化する。このため、清水は仲間らと共謀して「融資保証金詐欺」を始める。

会社のホームページには、「広告」「飲食事業」などの業務が紹介され、「総合的なコンサルティングサービスを提供する」と記されていた。事務所は、東京都中央区のビル6階にあった。

10月頃、詐欺の方法を「架空請求詐欺」に切り替えた清水らは、「法務省認可法人関東中央官材局」と称して、実在しない “電子消費料金” の請求はがきを不特定多数に郵送した。内容は「納付がなければ、裁判所が差し押さえの強制執行をする」などと、受け取った者の不安を煽るような文面だった。

こうして、「国からの督促」と思い込んで電話した人たちから、銀行口座に振り込ませる手口で、清水らは26人から約4750万円を騙し取った。最終的には一連の詐欺で、全国に被害者は350人以上、被害額は約1億7000万円にもなったといわれている。

活動の規模が大きくなると、清水は新たなメンバーを加え出した。会社の体制は、清水がトップで、渡辺純一(無職)、伊藤玲雄(会社役員)、阿多真也(芸能プロダクション経営)が幹部として、それぞれ子グループを統率していた。グループは、一番多い時で20人の大所帯になっていた。

グループは分業化され、「電話責任者」「現金回収役」が1日の詐取金の5%、「電話係」は2%、現金を引き出す「出し子」は1日2万~2万5000円と報酬を決めていた。
幹部には10%で、残りが清水の取り分だった。

清水は、詐欺で得た莫大な金の大部分を、自身の広告会社の運営費として使っていた。BSデジタルで、「ファッションをテーマにした30分のトーク番組」のスポンサーになり、清水が手掛けるうどん店のCMも流した。

そのため、詐欺グループの一部のメンバーが、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を抱くようになった。

幹部らの襲撃計画

報酬への不満は膨らんでいき、やがて、反乱を企てるメンバーが現れる。
2004年8月、西村徳也(当時25)らは「中国人マフィアに依頼して、清水ら幹部を拉致して現金を強奪する」という計画を立てた。
この話に乗ったのは、飯村修一(当時31)、横山佳史(当時34)、山口泰崇(当時22)の3人だった。

9月頃からこの4人が拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思っていたところ、10月初め、街中で偶然に山口を発見する。そこで山口に対し、行方をくらました理由を問いただすと、西村らから「中国人マフィアに依頼して幹部を襲撃する。危険だから距離を置け」と言われて、怖くなって逃げたと答えた。

清水らは ”話の真偽” を確かめるため、山口から西村に電話させた。その通話中、西村が「お前、言ったのかよ」と発言したことから、幹部の襲撃計画が本当であることを確信する。

幹部らは、山口を使って西村をおびき出すことにした。山口には「計画を漏らした迷惑料を払う」との口実で、西村と千葉県船橋市内の路上で会う約束をさせたのだ。

2004年10月13日午後10時20分、罠と知らない西村が、イトーヨーカドー近くの路上に駐車していた。そこに詐欺グループの6人が、いきなり襲いかかった。最初は抵抗した西村だったが、暴行を受けたうえに太ももを刺され、最後は割られたフロントガラスから引きずり出された。

この時点で千葉県警は、西村の逮捕監禁事件の捜査本部を設置し、捜査を開始している。また、西村の車に残された携帯電話に山口との通話が認められたことから、山口の捜索を手配した。

こうして西村は、東京都新宿区の拠点事務所3階まで連れて来られた。その車内でも、暴行を受けた西村は、飯村横山もグルであることを白状する。

その後、横山が偽の口実で事務所に呼び出され、飯村は杉並区内で暴行のうえ拉致された。こうして ”裏切り者” たち全員が、事務所に監禁された。彼らは後ろ手で手錠されるなどして、体の自由を奪われ、見張りも複数人いるため、逃げ出すことは不可能だった。

その後、ある暴力団関係者が中国マフィアとの仲介をしたことも判明した。阿多は知人の暴力団幹部・若師久和(54)に依頼して、中国マフィアに計画を止めてもらうよう手配した。

制裁という名の、凄惨なリンチ

架空請求詐欺仲間割れ殺人事件
事件現場

14日午前1時半頃から、西村ら3人は拘束された状態で、ひどい暴行を受けた。10人を超える詐欺グループメンバーらは、殴る蹴るはもちろんのこと、金属バットで殴ったり、無理やり覚せい剤を飲ませたりした。

その後、誰かがふざけて飯村に少量の熱湯をかけると、それに乗じた渡辺が、多量の熱湯を背中にかけた。飯村は大声で絶叫し、重篤な熱傷を負った。

翌15日未明、清水と伊藤は、京王プラザホテルの部屋で暴力団幹部の若師と会った。用件は依頼していた中国マフィアの件であったが、若師は仲介役の暴力団関係者と話をつけ、襲撃計画を阻止したことを清水らに伝えた。

その後、詐欺グループの幹部と主要メンバーがホテルの部屋に集まり、「この先の3人の処遇」について協議を始めた。この時、「マグロ漁船に乗せる」「覚せい剤で記憶を消す」などいろいろな案が出されたが、結局は「殺すしかない」という結論に至った。

「殺すしかない」と強く提案したのは、阿多真也であるされている。また、彼は知人の暴力団幹部に ”遺体の処理” を自ら交渉している。

阿多は、暴力団幹部の若師に連絡したところ、”死体遺棄まで” の仕事で5千万円という話だった。1人につき1千万で、それにくわえて中国マフィアの件のお礼としてプラス1千万という計算だった。

清水らが事務所に戻ると、裏切り者が4人に増えていた。監禁した3人の話から、計画を漏らした山口も無関係ではなかったことが判明したのだ。山口は、3人に幹部らの情報を流していたり、報酬を得る約束も交わしていたのだ。

このことから、4人目の裏切り者とみなされた山口は、同様の制裁を受けることとなる。4人は断続的に暴行を受けて骨折など全身にダメージがあり、自分で歩けないほど衰弱していた。

そして、16日に日付が変わって2~3時間のうちに、熱湯で重症を負っていた飯村が死亡する。これを受け、清水ら5人は、伊藤と阿多が休息していたヒルトンホテルの部屋に集まり、今後について協議することになった。

4人全員を殺害

このころから、この件の責任者は伊藤という空気になっていた。なぜなら、反目者4人は元々は伊藤の部下で、渡辺がそのことを強く非難したからだった。

10月16日午前7時40分頃から数回にわたり、伊藤は ”遺体の処理” を依頼した暴力団幹部・若師に電話をかけている。

また午前10時25分頃、メンバーの1人が警察の職質を受け、大麻所持で捕まったことが判明する。このメンバーは、山口の車を解体するために府中方面に走行させていたのだ。

3日前に西村を襲撃・拉致した時点で、千葉県警は携帯の通話記録から山口を重要参考人とみて、車両も手配していたのだ。

「飯村の死亡」と「メンバーの逮捕」を伝えると、若師は「もう一切引き受けられない。二度と電話するな 」と交渉を打ち切り、電話を切った。
しかし、伊藤はその後も交渉をねばり、1億円で話をつけることができた。

彼らは相手の指示通り、準備に取りかかった。そして、まず横山をガムテープでぐるぐる巻きにし、寝袋に入れた。この時、胸部を強く巻き付けたせいか、30分~1時間ほどして呼吸困難になった横山は死亡する。そして、「こうなった以上は」と、残りの2人も鷺谷と阿多が体を押さえたうえで、伊藤が鼻口部をふさいで殺害してしまった。

こうして ”裏切り者” 4人全員を殺害した清水らは、遺体をレンタカーで茨城県潮来市内に運び、午後11時頃、交渉相手の暴力団組員らに引き渡した。

2004年10月20日、遺体を引き受けた暴力団組員らは、茨城県小川町(現・小美玉市)の山林の空き地に深さ5mほどの穴を掘り、4人の遺体を埋めて遺棄した。

詐欺の取り調べで自供

事件の解決は、翌年になってからだった。

2005年2月22日、阿多は徳島県警に詐欺容疑で逮捕された。取り調べでは、西村ら4人の失踪への関与を追及されたが、阿多は否認していた。だが、自身の誕生日である3月4日に、4人の殺害に関する供述を始めた。

3月3日、阿多は取り調べで警部に「明日はお前の誕生日だろ。今まで振り返って色々な誕生日があっただろ。思い出してみろ。生まれ変わったらどないや」と諭されたという。

これを受けて捜査は進展をみせ、6月18日、山林の一角にある空き地から4人の遺体が見つかった。遺体は腐敗がひどく、「解剖結果のみでは死因は不明」との鑑定結果が出された。

近隣住民によると、現場は(遺棄された)昨年10月頃まで、産業廃棄物が大量に投棄されていた。その後、産廃は片づけられ、残土が運び込まれたのだという。また、現場近くは住民でもあまり通らない場所で、「よほど詳しい人でないと、見つけることはできない」と話す人もいた。

清水は2005年6月8日に詐欺容疑で逮捕、6月30日に逮捕監禁容疑で再逮捕、7月22日に殺人容疑で再逮捕された。また、事件に関わったメンバーも順次逮捕され、最終的にその数は18人になった。

詐欺グループのメンバー

幹部メンバー
  • 清水大志(26)死刑(2007年2月)住所不定、無職
  • 伊藤玲雄(31)死刑(2006年11月)東京都板橋区大山西町、会社役員
  • 渡辺純一(28)死刑(2007年2月)元暴力団組員
  • 阿多真也(27)無期懲役(2006年11月)世田谷区、会社員
一般メンバー
  1. 鷺谷輝行(25)無期懲役(2006年11月)練馬区大泉学園町、パチンコ店員・清水と同じ中学
  2. 村山明行(25)懲役17年(2006年11月)住所不定、無職、清水・鷺谷と同じ中学
  3. 渡辺丈晴(25)懲役15年(2006年11月)西東京市中町、無職
  4. 小川哲平(26)懲役14年(2006年7月)住所不定、無職
  5. 戸田一哉(25)懲役14年(2006年7月)住所不定、無職
  6. 天野康博(24)懲役7年求刑(2006年6月)埼玉県川口市西川口、無職
  7. 高杉健司(22)懲役2年4ヶ月(2005年11月)中野区鷺宮、自動車販売業
  8. 出頭辰巳(27)懲役12年(2006年7月)茨城県鹿嶋市下津、無職
  9. 福井和行(31)懲役3年・執行猶予5年(2005年11月)中野区本町、飲食業、殺人に関与なし

※ 年齢は2005年6月20日時点

なお、死体の遺棄は、暴力団幹部・若師久和(54)が1億円の報酬で依頼を受けた。
実際に遺棄したのは城県潮来市徳島・暴力団組員・斉藤憲夫(55)とその妻・斉藤吉美(33、懲役2年6月)、茨城県神栖市深芝南の無職・出頭恵 (22、懲役1年2月)、秋元新之助(51)である。斉藤夫婦の取り分は5000万円で、そこから秋元に60万円の報酬を渡している。

出頭恵は、逮捕された詐欺メンバー・出頭辰巳の妹で、当時、渡辺純一とは内縁の関係だった。「詐欺グループ」と「死体遺棄グループ」の仲介役とみられる。2005年11月に懲役1年2ヶ月が確定。

清水大志の生い立ち

清水大志/架空請求詐欺仲間割れ殺人事件
清水大志
グループ内の立場

詐欺グループの中心人物でリーダー格。死刑が確定して、東京拘置所に収監中。

清水大志は、1979年(昭和54年)5月23日、福岡県福岡市で生まれた。
両親の別居後は母親とともに上京し、東京都練馬区内の小中学校を卒業した。そして都立高校に進学し、プロのサッカー選手を夢見て打ち込んだが、恐喝未遂事件を起こしたことがきっかけで高校を中退。栃木県内の私立高校に入った。

その後、栃木県内のサッカークラブへの入団の誘いを受けたことから、高校を中退してクラブに通うようになる。しかし、脊椎分離症等の再発により、サッカー選手になる夢を断念。再び上京してアルバイトをするなどして生計を立てていた。

2000年には、他人名義のクレジットカードを使用した詐欺等容疑で逮捕され、2001年2月に懲役1年6月(執行猶予3年)の判決を受けた。その後、静岡県内の旅館、埼玉県内の麻雀店で働いたあと、伊藤玲雄の経営するヤミ金融を手伝うなどしていた。

2003年頃に広告関係の会社を興し、阿多真也らと音楽事業や、飲食店経営などもするようになり、それと並行して融資保証金詐欺架空請求詐欺を行っていた。逮捕時まで、清水に結婚歴はない。

裁判では、最高裁で死刑が確定し、現在は東京拘置所に収監されている。

伊藤玲雄の生い立ち

グループ内の立場

清水と同等の権力を持つ幹部。死刑が確定して、東京拘置所に収監中。

伊藤玲雄は、1974年(昭和49年)6月9日、兵庫県尼崎市で生まれた。
宝塚市内の県立高校を卒業後、医者を志して三浪したが、希望が叶わずに断念する。その後、上京してハンバーガーチェーン、マージャン店、居酒屋などのアルバイトで生活していた。

その後、金融会社に入社するが、その会社は暴力団関係のいわゆるヤミ金融だった。その後、独立してヤミ金融を始めるが、ここで従業員だった清水大志と知り合う。2002年頃には自ら違法カジノ店を経営したほか、2003年頃には充電器のリース業などを行う会社を設立した。

伊藤は、2000年頃に知り合った女性と2002年に結婚し、翌年には長男が生まれる。2004年5月頃から、清水と共に架空請求詐欺を始めたが、妻には秘密にしていた。
本事件を起こしたのは2004年10月。翌年には次男を授かるも、逮捕後に離婚している。

伊藤に前科はないが、過去に交際していた女性に対する傷害罪により、2004年8月23日に逮捕された前歴がある。裁判で死刑確定となり、現在は東京拘置所に収監中である。

死刑囚アンケートへの回答

外部交通制限があまりにも厳しくて、精神衛生上本当につらいです。

渡辺純一の生い立ち

グループ内の立場

詐欺グループ幹部。元暴力団で最も凶暴。主要メンバーではあるが、少し距離を置いた存在で、「幹部襲撃計画」でも、唯一狙われていなかった。死刑が確定して、東京拘置所に収監中。

渡辺純一は、1976年(昭和51年)9月1日、東京都中野区で生まれた。
中学卒業後、都立高校に進学するも中退。その後はアルバイトやヤミ金融の店長をするなどして生計を立てていた。2002年頃からは、暴力団組織の構成員として活動していたが、2003年12月頃に辞めている。

その後、清水に誘われて融資保証金詐欺のグループに加入し、融資保証金詐欺や、架空請求詐欺を行っていた。当初は伊藤の下で活動していたが、計算に細かく人使いが荒い伊藤とはそりが合わず、別の小グループを作った。

渡辺に婚姻歴はないが、本事件後に内縁の妻・出頭恵との間に子供が生まれている。 また、2003年に傷害、窃盗、暴行により懲役3年(執行猶予4年)の前科1犯がある。

本事件の裁判では、最高裁で死刑が確定。現在は東京拘置所に収監されている。

阿多真也の生い立ち

グループ内の立場

詐欺グループの幹部で、”部長” と呼ばれていた。詐欺にも加担したが、主に音楽事業などに携わっていた。無期懲役が確定

阿多真也は、1978年(昭和53年)3月4日、岐阜県岐阜市で生まれた。

2000年に石川県金沢市内にある私立大学を卒業したあと、プロの音楽家になることを志して上京し、新聞配達などをしながら音楽の専門学校で2年間勉強し、卒業後はプロの音楽家の付き人をしながらアルバイトをするなどして生計を立てていた。

その後、2002年末頃に清水と知り合い、2003年頃には清水が設立した会社「PRC」で働くようになる。会社では、広告代理業や音楽事業などを行っていたほか、10月頃からは、清水らとともに融資保証金詐欺を行っていた。

結婚歴はなく、前科前歴もなかった。本事件の裁判では、無期懲役が確定している。

鷺谷輝行の生い立ち

グループ内の立場

詐欺グループの主要メンバー。清水の中学時代の同級生。
逮捕当時の住所は練馬区大泉学園町で、パチンコ店従業員だった。無期懲役が確定

鷺谷輝行は、1979年(昭和54年)10月2日、東京都杉並区で生まれた。

中学校時代は、清水と同級生である。卒業後、都立の工業高校に進学するも、1週間ほどで中退。その後は居酒屋や運送会社を転職としたが、2003年12月頃に清水と再会したことをきっかけに、一緒に融資保証金詐欺を行うようになった。

その後 、知り合った女性と交際し、本件事件後である2005年3月に結婚し、8月には長女が生まれた。鷺谷に前科前歴はなかったが、本事件の裁判で無期懲役が確定している。。

被害者について

殺害された4人の詐欺グループメンバーは、詐欺で儲けた金の取り分に不満があった。そのため、2004年8月、「中国人マフィアを利用して清水ら幹部を殺害のうえ、現金を強奪する」という計画を立てた。それが清水らにバレたために怒りを買い、逆に惨殺されてしまった。

西村徳也(当時25・千葉県船橋市)

西村は、同級生と結婚していた。
中古車販売店や飲食店のアルバイトを経て、2004年に清水の架空請求グループに入った。

本事件ではひどい暴行を受けたあと、伊藤と鷺谷に鼻口部をふさがれ死亡した。家族は西村が船橋で連れ去られたことを知り、無事を信じていたが遺体となって発見された。

横山佳史(当時34・千葉県船橋市)

横山佳史は、愛媛県で生まれた。千葉県船橋市の中学に転校し、サッカー部で活躍した。
パソコンの情報処理専門学校を卒業して、派遣会社で稼動したあと詐欺グループの一員となる。
1996年に結婚して2児を授かる。その後、借金を負って2002年に離婚したが、離婚後も妻子と会っており、借金返済後の復縁を目指していた。(子煩悩な横山は、円形脱毛症になっている)

本事件では暴行を受けたあと、体中をガムテープでぐるぐる巻きにされたが、これが原因の呼吸困難で死亡した。母親は、教会で横山の無事を祈っていたが、遺体で発見された。

飯村修一(当時31・杉並区)

飯村修一は、小学校から高校まで、ずっと野球に打ち込み、靭帯を切断してもやめなかった。
東京都内の私立大学を卒業し、不動産会社やパチンコ店で勤務したあと、清水の架空請求グループで活動した。本事件では、渡辺純一に熱湯をかけられ、それが原因で一番早く死亡した。

飯村のバッグが漫画喫茶に残されたまま、行方不明となったため、失踪届けが出されていた。家族は飯村の顔写真を持って、ラーメン店などを探し歩いた。心配のあまり、父親は酒で胃を壊し、妹は円形脱毛症になった。

山口泰崇(当時22・杉並区)

山口泰崇は、少年野球やサッカーをするなど幼少から活発だった。父親は自動車工場を経営していた。
2001年1月からトラック会社で働く。2004年から架空請求詐欺に加わったが、10月13日を最後に連絡が途絶えたため、母親は捜索願を出していた。

本事件ではひどい暴行を受けたあと、伊藤と鷺谷に鼻口部をふさがれ死亡した。家族は山口の安否を心配し、仏壇で祈ったが遺体が確認された。事件当時22歳と、被害者の中で一番若かった。

清水大志・渡辺純一の公判

2006年9月1日の初公判で、清水大志被告は殺人と傷害致死の起訴事実を否認、逮捕監禁と死体遺棄は認めた。清水被告の弁護人は「監禁、暴行が続いた2日間に、清水被告が常に現場にいたわけではなく、4人が死亡した時にも不在だった」とし、「ほかのメンバーに監禁や暴行は指示したが、殺せとは言っていない」と主張。殺人罪と傷害致死罪に当たるのは、あくまでも実行犯のメンバーで、清水被告は共謀関係にないとした。

検察側は冒頭陳述で、残酷なリンチの様子を詳細に再現。「一連の犯行は、グループのリーダーだった清水被告が主導した」と断定した。

9月4日の渡辺純一被告の初公判。渡辺被告は、死体遺棄罪などは認めたが「殺害の指示も共謀もしていない」と述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。

検察側は、渡辺被告を元暴力団構成員の経歴を犯行に生かしたとして、「清水・渡辺両被告のグループ内での影響力は絶対的だった」と指摘し、両被告を「主犯格」と位置付けた。

2007年2月26日の論告求刑で、検察側は清水・渡辺両被告に死刑を求刑。「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。

4月27日の最終弁論で、両被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、清水被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。

最後に裁判長から「何か言っておくことはないですか」と問われた際、清水被告は「逮捕されてから(仲間が)どんどん敵味方に分かれ、(実行犯の)3人と争う形になってしまった」と言葉少なに語り、渡辺被告は「自分はグループのトップではない」と述べた。

一審は清水に死刑、渡辺に無期懲役

8月7日の判決で千葉地裁は、清水被告に死刑判決、渡辺被告には無期懲役を言い渡した。

判決理由で裁判長は、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって、伊藤被告らに解決を任せた」と、清水・渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。

清水被告については「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引した。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘した。

また、横山殺害(呼吸困難で死亡)については、傷害致死罪が相当と認定した。

控訴・上告

弁護側・検察側とも控訴した。検察側は「横山殺害を傷害致死と認定したのは事実誤認だ」と主張してした。

2009年3月19日、東京高裁で渡辺被告の判決公判が開かれ、「事件が重大化したのは渡辺被告によるところが大きい」として、一審の無期懲役を破棄して死刑の判決を下した。

5月12日には清水被告の判決公判で、裁判長は一審の死刑判決を支持して控訴を棄却。「反省の念が乏しく、更生は困難」「人命を無視した冷酷非道な犯行」と指摘した。

清水被告、渡辺被告ともに上告した。

最高裁で両被告に死刑確定

2012年12月4日の最高裁弁論は、清水被告と渡辺被告が共に行われた。弁論では両被告の弁護人とも2件の殺人について「実行役へ殺害を指示したことはない」と共謀を否定した。そして被告側は死刑回避、検察側は上告棄却を求めて結審した。

2013年1月29日、清水・渡辺両被告の判決公判が開かれた。
最高裁は両被告の上告を棄却し、両被告の死刑が確定した。裁判長は「粘着テープで縛られ、身動きが取れない被害者の鼻と口をふさいで殺害するなど、冷酷で非情。主導的かつ中心的立場で、殺人への関与を否認するなど、反省の態度もうかがえない」と述べた。

伊藤玲雄、他2人の公判

2006年3月29日に千葉地裁にて伊藤玲雄被告、阿多真也被告、鷺谷輝行被告の初公判が開かれた。
3被告は、横山殺害については否認したが、他3人の殺人・傷害致死についてはほぼ認めた。

2006年11月13日の論告求刑で、検察側は「犯行は執拗で残忍」「まれに見る凶悪・重大な犯行。被害者に対する暴行は、この世の地獄を思わせるもので、人間の所業ではない」と指摘した。

2007年1月11日の最終弁論で弁護側は、横山殺害について「殺意はなかった」と傷害致死罪の適用を主張。また、リーダー格(清水大志・渡辺純一)からの殺害の指示を拒めなかった、と情状面の理解を求めた。
阿多被告の弁護人は、起訴されたすべての罪で自首が成立すると主張した。

3被告は最終陳述で涙ながらに謝罪した。伊藤被告は「裏切ったら家族ごと殺すと脅された。生きて罪を償う道を与えてほしい」と訴えた。

2007年5月21日の判決で千葉地裁は、伊藤被告に死刑判決、阿多被告と鷺谷被告には無期懲役を言い渡した。

裁判長は「人命を全く軽視した非道な犯行で、主導的に殺害行為をした責任は極めて重大だ」と述べた。テープで縛られて死亡した横山については「殺意までは認められない」と傷害致死罪を適用した。

また、主犯格(清水・渡辺)らの指示を認めた。弁護側は「殺害は、渡辺被告に対する恐怖心に支配された結果」と主張したが、裁判長は「殺害行為に直接関与しており、認められない」と退けた。

一方、阿多被告は、捜査段階で供述した殺人以外の罪について自首の成立を認め、「伊藤被告らの言動に影響された面があった」として死刑を適用しなかった。鷺谷被告は「伊藤被告に同調した、従属的な犯行」とした。

控訴・上告

弁護側は「量刑不当」を理由に控訴、検察側も「事実誤認があった」として、東京高裁に控訴した。

2008年3月13日の控訴審初公判で、検察側は、一審が横山殺害を傷害致死罪としたことについて、「事実誤認で殺人罪に当たる」と主張。無期懲役(求刑死刑)とされた阿多被告については、量刑不当を訴えた。

伊藤被告の弁護側は「リーダーらのマインドコントロール下での犯行だった」と主張、死刑回避を求めた。

2009年8月28日の判決で、東京高裁は双方の控訴を棄却し、一審判決を支持する判決を出した。
理由で裁判長は「伊藤被告は反省しているが、執拗で残忍な態様、結果の重大性などを考えれば死刑を回避すべきとはいえない」と結論付けた。

また、”殺害3人、傷害致死1人” との検察側主張を認めず、一審判決と同じく ”殺害2人、傷害致死2人” と認定した。

阿多被告:2009年8月18日、東京高裁で弁護側・検察側ともに控訴棄却。その後、2009年10月19日、阿多被告側が上告を取り下げたため、阿多被告の無期懲役が確定した。

鷺谷被告:2009年7月3日、東京高裁で弁護側・検察側ともに控訴棄却。

最高裁で伊藤に死刑

2013年1月28日の最高裁弁論で、伊藤被告の弁護人は「主犯格の男に脅され、さらに支配されて正常な判断能力を欠いていた。従属的役割に過ぎず、死刑は重すぎる」と主張。
検察側は上告棄却を求めた。

2013年2月28日の最高裁判決は、控訴審判決を支持する判決を言い渡し、伊藤被告の死刑が確定した。阿多被告、鷺谷被告は、無期懲役が確定した。

桜井龍子裁判長は伊藤被告について「被害者の鼻と口をふさぐなど、殺害行為の中核部分を進んで実行しており、犯行で果たした役割は大きい」と指摘。リーダーの清水大志死刑囚らと比べて「従属的立場にあった」としつつも、「殺害行為の態様は冷酷、残忍で、4人の命が奪われた結果は重大で、死刑を認めざるを得ない」とした。

鷺谷被告:2012年7月19日、上告が棄却されたため、無期懲役が確定

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