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大分替え玉保険金殺人事件|一瞬で警察に見破られた杜撰な犯行

原正志(竹本正志)/大分替え玉保険金殺人事件 日本の凶悪事件

「大分替え玉保険金殺人事件」の概要

保険金をかけたうえで殺害して、保険金を騙し取る「保険金殺人」。保険金殺人は数多く発生しているが、この事件が他と違うのは ”殺害するのは替え玉の別人” という点だった。
主犯・尾崎正芳は、17歳も年上の原正志の親分的存在だった。尾崎は原に命じて替え玉殺人をさせたが、原が選んだ身代わりは ”自分と全く似ていない” ホームレス男性だった。原は駆け付けた警察官に見破られ、その場で逮捕される。尾崎と原はこれ以前にも金銭目的の殺人事件を起こしており、裁判でともに死刑が確定する。

事件データ

主犯尾崎正芳(当時27歳)
死刑:福岡拘置所に収監中
実行犯原正志(当時44歳)
死刑:福岡拘置所に収監中
犯行種別強盗殺人、保険金殺人
犯行日2002年1月8日、1月31日
犯行場所大分県
被害者数2人死亡
動機金銭
キーワード替え玉殺人、養子縁組

「大分替え玉保険金殺人事件」の経緯

市役所職員だった尾崎正芳(当時25歳)は、遊興費や事故賠償金の借金が原因で退職し、1999年4月に北九州市の建設会社に就職して営業職に従事した。

翌年2000年7月頃、その会社に原正志(当時42歳)が入社する。尾崎は当時課長で、原より17歳も年下にもかかわらず、原が仕事で失敗をすると怒鳴りつけたり、顔面を殴ったりすることもあった。その一方で原に対し、仕事を丁寧に教えたり、食事をご馳走するなど、何かと面倒も見ていた。

ある時、原が他社の名前を無断で使って営業をしたことが発覚、会社間にトラブルが生じた。その際、尾崎は支店長と共にその会社に謝罪に行ったり、”今後も原の面倒を見る”ことを約束して、原の解雇を回避させた。

尾崎が勤める建設会社は完全成果主義で、給料や昇進は営業成績に連動していた。そのため、尾崎は高齢者を狙って不当な販売をしたり、工事代金のローンの一部または全部を尾崎が肩代わりするなどの方法で、多数の床下工事の契約をとりつけて営業成績を上げていた。

2000年6月~7月頃までの間には、高齢男性Aとの間でも多額の床下工事の施工契約を締結した。その後、7月と8月の2回にわたり、高齢男性Aの義妹に対し、「不良工事ということで、あとから工事代金が返金される」と虚偽の説明で床下工事の契約を取り、合計440万円を詐取した。その際、尾崎は義妹に対して代金を預かったことを証明する「預り証」を渡し、後日返還することを約束した。

深まる尾崎と原の関係

原は入社して約1ヶ月後の2000年8月頃、顧客とのトラブルが原因で会社を解雇される。だが、尾崎はその後も原を下請けとして使い、原が取ってきた床下工事の契約を自身の営業成績として会社に報告。原には、その売上分に相当する報酬を支払っていた。

しかし、この不正行為が会社に発覚する。原は建設会社の支店長から呼び出しを受け、顔面などを殴られたうえ、弁償金等の名目で110万円を請求された。原は110万円をすぐに用意できなかったことから、尾崎にこれを立て替えてもらい、その代わりに「250万円の債務」を背負う条件をのんだ。
この250万円については、後に叔父から借りて尾崎に支払っている。

原は社員として在籍中、前述の「他社の名前を勝手に使った営業活動」をしていたが、尾崎はこれを利用して、原から40万円を騙し取っている。
「名前を使われた会社の本部長が、原に対し損害賠償とその身柄引渡しを求めている」と虚偽の話で脅して、丸く収めるための費用として40万円を提示したのだ。

Bitly

原はその後、これまでに尾崎や支店長に渡した金は、「本来払う必要のないもの」と気付き、金を取り戻すため弁護士に相談して、自身は身を隠していた。だが尾崎の手先に居場所を探し当てられてしまう。原は殴られたうえ、「尾崎の父親は神戸に組を構えるヤクザだから、逆らわない方がいい」と脅される。

原はそれを信じて恐怖心を抱くようになり、金を取り戻すことを断念。さらに尾崎から、原を捜し出すのに「ヤクザを使って400万円ほど費用がかかった」と言われ、2000年12月に実家の土地建物を担保に消費者金融会社から450万円を借り入れ、そのうち400万円を尾崎に渡した。

原は福岡県京都郡の会社に入社し、15万円前後の月給で働くようになった。だが以前からの借金に加え、これまで尾崎に渡した大金のための借金もあり、毎月の返済額が13万円ほどになっていた。そのため尾崎に相談をして、消費者金融会社に払う8万5千円の返済を肩代わりしてもらった。

ちょうどそのころ、尾崎は会社の金を使い込んだことが発覚して、退職を余儀なくされた。無職となった尾崎は、それまでに蓄えのほとんどをつぎ込んで、スナック経営を始めた。だが尾崎は社員時代、契約を取るために顧客の工事代金のローンを肩代わりしており、収入がなくなった今はその支払いが困難になっていた。

そこで、尾崎は社員時代の顧客である竹本さんから、金を騙し取ろうと企てる。竹本さんは当時、多額の床下工事を契約するなど、金には余裕があった。尾崎は竹本さんに対し、「税金対策にお金を預ければ儲かる」と騙して、2001年1月頃から毎月数百万円の金を受け取るようになった。この金は、肩代わりした工事代金の支払い、スナックの運転資金、自己の遊興費に充てていた。

原の窃盗事件

一方、原は2001年3月頃になると、さらに借金返済が困難になった。尾崎に相談したところ、「まとまった金があれば、それをヤクザに渡して逃がしてやる」と言われる。

そこで、原は自身が勤める会社から金庫を盗むことにした。その際、「逮捕された場合に尾崎の名前を出したら、家族や親戚がどんな目に遭わされても文句を言わない」という誓約書を尾崎に書かされ、それに血判を押させられた。

2001年3月28日、原は会社に侵入して金庫を盗み出し、翌29日、尾崎に金庫の中の現金約76万円を渡す。だが、金庫に入っていた預金通帳で現金を引き出そうとしたことから逮捕されてしまう。

原は、取り調べでも尾崎の名前をいっさい明かさなかった。尾崎は裁判に出廷して、「原を更生させる」と約束、被害金も”表向き”肩代わりして全額弁償したため、11月5日、原は福岡高裁で懲役1年4月(執行猶予4年)の判決が確定して釈放された。

竹本さんと養子縁組

尾崎は、竹本さんから騙し取った金をつぎ込んで、10月までに北九州市内に4件のスナックを順次開店させた。さらに10月29日には、4店舗の運営・管理等を行う会社を設立したが、スナック4店舗の収支は、ほとんど毎月赤字だった。

11月になっても、スナック4店舗の経営状況はいっこうに好転しなかった。それなのに尾崎は、週に3回は競輪場で数十万円単位の金を浪費し続け、次第に従業員の給料や従業員寮(アパート)の賃料等の支払いが遅れるようになる。

尾崎は竹本さんから多額の金を騙し取っていたが、それも次第に困難になってきた。そこで「原を竹本さんと養子縁組させ、姓を変えて消費者金融から借金させよう」と考える。当時、金に困っていた原はこれに応じた。

こうして原は11月8日、養子縁組をして「竹本」姓を名乗るようになり、消費者金融から800万円以上を借り入れて、そのほとんどを尾崎に渡した。それ以外にも尾崎が使用するベンツをローンで購入するなどしたが、1ヶ月もすると竹本姓でも金を借り入れることが難しくなった。

一方、尾崎は、原に自動車を貸し与えてそこで寝泊まりさせたり、「営業課長」として雇い入れ、スナックのホステスの名刺の配達をさせたり、尾崎の小間使いのようなことをさせていた。
時々1、2万円程度の小遣いを渡していたほか、競輪やソープランド等に連れて行くなどもしており、原は尾崎に依存して生活するようになっていった。

2つの犯行計画

尾崎が経営するスナックは、まったく儲かっていなかった。やがて尾崎は、原を利用した保険金詐欺を企てる。計画は「原に多額の生命保険をかけて、”原の死亡” を偽装して保険金を詐取する」というものだった。そして11月末頃、原に計画を持ちかけた。

原はこの計画がうまくいけば、保険金を騙し取ることができるうえ、「自分は死亡したことになるから、事実上、多額の借金返済からも逃れられる」と考え、計画に乗ることにした。

12月7日、竹本さんを受取人として「死亡時3200万円の生命保険」および「搭乗者傷害で1000万円の自動車保険」を契約。そして尾崎も竹本さんと養子縁組をしている。

尾崎は当初、医師に原の”死亡診断書”を偽造してもらい、これを用いて生命保険金を詐取しようと考えていた。だが、そのような医師を見つけるのは困難であることを知り、やがて「原の身代わりを実際に殺害して、生命保険金を詐取する」ことを検討するようになる。

12月20日頃、尾崎が社員時代に「あとから返金される」と騙して床下工事を契約した高齢男性Aの義妹から、440万円の返還を強く求められる。尾崎は1月上旬までには返還すると約束したが、返すあても、そのつもりもなかった。

しかし440万円を返さなければ、義妹は警察に被害を訴え、尾崎は逮捕されるおそれがあった。なぜなら義妹には、440万円の「預り証」を渡しており、それが詐欺の証拠となるからだった。逮捕されれば、”原の死を偽装した生命保険金詐欺” の計画も、水の泡となってしまう。

そこで尾崎は、高齢男性A宅から「預り証」を奪い取ることを考える。だが、ただ「預り証」を奪っても自分が疑われるだろうから、高齢男性Aと義妹を殺害することにした。

高齢男性を殺害

2002年1月3日、尾崎は「ある人を殺して書類を奪ってくれば、暴力団の総裁から1000万円ほどの報酬が出る」という虚偽の説明で、原に計画を持ちかけた。原は、「自分には多額の生命保険がかけられているし、断れば殺されるかもしれない」と考え、これを了承した。

原にとっては、後に控える ”替え玉保険金殺人” のほうが大事だった。自分が死んだことになれば、借金返済から逃れることができるからだ。だから尾崎の持ってきたこの殺人計画は、通過儀礼のようなもので、やり遂げる必要があると感じていた。それに、もし殺人罪で警察に追われる事態になったとしても、自分が戸籍上死亡したことになれば、罪の追及も事実上なくなるのだ。

殺害計画は、「尾崎が義妹を外に連れ出している間に、原が高齢男性Aを殺害。次いで、義妹も家に帰ったところを殺害。遺体は車で運び出し、原の実家の床下に埋めるか山に捨てる」というものだった。さらに、「証拠を消すために、高齢男性A宅に火を点けてすべて燃やす」計画だった。

しかし尾崎は、直前になって義妹が自分の祖母と年齢が近く、その雰囲気もよく似ていたことから、義妹を殺害することに躊躇し始める。結局、計画から「義妹の殺害」だけは中止することにした。

2002年1月7日午前8時30分頃、尾崎は高齢男性A(当時73歳)の義妹に対し、金の返済の件で午前11時頃に迎えに行くことを伝え、原とともに北九州市の高齢男性A宅に向かった。到着すると尾崎が義妹を連れ出し、それを確認した原は宅配便業者を装って高齢男性A宅に侵入。高齢男性Aの首を絞めたうえ、ナイフで刺して死亡させた。

原は郵便貯金通帳と印鑑を盗み出し、証拠隠滅のため家に放火して全焼させた。

ホームレス男性を替え玉殺人

尾崎は次に、替え玉保険金殺人に取りかかった。この計画のため、尾崎は自身の会社の従業員Cに300万円の成功報酬で手伝うよう持ちかけた。従業員Cは当初は躊躇したものの、尾崎の背後には暴力団関係者がいると信じており、断れば自分が口封じのために殺されるかもしれないと思っていた。また、成功報酬の300万円は魅力だったこともあり、同月24日頃には犯行を手伝うことにした。

原は尾崎に命じられ、自分の身代わりに殺害する人物を探した。1月16日、原は替え玉にできそうなホームレスの男性を探し出し、「土木仕事の人夫を探している。働きに来ないか」などと誘ったところ、男性はこれに応じた。

数日後、男性に酒を飲ませて風呂で溺れたように見せかけようとしたが、男性が酒を飲まなかったので断念。そこで尾崎は26日、川で溺死させることにしたが、指示された川は思いのほか浅く、この日も殺害を中止した。そうこうしてるうちに、男性は不審なものを感じて逃げてしまった。

尾崎から「身代わりがいないのなら、お前が死ね」と脅された原は、逃げた男性の隣で路上生活をしていたホームレス男性B(当時62歳)を、代役に立てることにした。

前と同じように仕事をダシにして誘ったところ、男性Bはこれを了承した。1月31日、原は男性Bをレンタカーに乗せて移動、途中で協力者の従業員Cと合流した。午後7時頃、原は男性Bに対し「石を磨く作業で、肺に粉が入る。肺に粘膜を作る薬を、前日に飲む必要がある」と嘘の説明で、睡眠導入剤のハルシオンを10錠飲ませた。

午後8時頃、原と従業員Cは、睡眠導入剤で熟睡した男性Bをレンタカーの荷台に乗せ川に向かった。そして午後8時20分頃、原は大分県安心院町の河川敷の水路でホームレス男性Bを溺死させた。

一連の犯行に尾崎は指示を出すのみで、当日はアリバイ作りのため福岡県内にいた。

杜撰すぎてすぐに逮捕

殺害後の午後9時半頃、原はこの時間でも死亡診断を受けられる病院を聞くために119番に電話をかけた。ところが消防署は事故とみて警察に通報、すぐに警察官が現場に駆け付けた。
原は適当な名前を名乗るなどしたものの、従業員Cと話が食い違い、警察に不審がられてしまう。

そもそも、急遽代役にされたホームレス男性Bは、原とは似ても似つかない風貌だった。身長差もかなりあったうえに、人相もまったく違っていた。にもかかわらず、男性Bの遺体には偽装のため原の健康保険証が入れられており、警察はすぐに小細工を見破った。

翌日の2月1日、大分県警・宇佐署は原と従業員Cを逮捕。その後の供述より2月9日、尾崎も逮捕となった。3月4日には、北九州市の高齢男性A殺害でも、尾崎と原は再逮捕された。

尾崎正芳の生い立ち

尾崎正芳は1974年5月16日、大分県大分市で長男として出生した。1975年には両親が離婚、そのため母親の実家に引き取られ、曾祖母、祖父母および叔父らと共に生活するようになった。

母親はめったに実家に帰って来ず、尾崎は主に祖母に育てられた。父親は暴力団組員だったので、尾崎は12、13歳頃まで、父親は既に亡くなったと聞かされて育った。その後、父親の生存を知らされたが、父親とは高校を卒業する前後に1回会っただけで、父子の交流はほとんどなかった。

尾崎は大分県立高校を卒業後、1994年4月に市役所に就職。その当時から遊興費のために消費者金融などから借金するようになる。さらに1976年頃、交通事故の示談金支払いのため、次第に借金が膨らんだ。尾崎は返済が困難になり、1999年5月12日、破産宣告を受けた。

このような事情から、尾崎1999年4月に市役所を退職。北九州市の建設会社に就職して、床下工事の営業に従事するようになる。そして翌年2000年7月、本事件の共犯者となる原正志が入社したが、翌月にはトラブルを起こして退職している。そして、そのころから尾崎は、福岡市内で内縁の妻と暮らし始めた。

2000年12月頃、尾崎は会社の金を使い込んだことから退職。それまでの貯えをつぎ込んでスナック経営を始めるもうまくいかず、派手な遊びもやめなかった。次第に金に困るようになった尾崎は、原を巻き込んで本事件を起こす。

尾崎は2002年1月4日、金銭目的で竹本夫妻と養子縁組をしたが、一審判決後に解消している。

2002年1月8日に建設会社時代の顧客だった高齢男性(73歳)を、31日にはホームレス男性(62歳)を金のために殺害、2月1日には逮捕となる。
裁判では最高裁まで争ったが、2010年11月8日、原と共に死刑が確定。現在は、福岡拘置所に収監中である。

原正志の生い立ち

大分替え玉保険金殺人事件・原正志

原正志は1957年(昭和32年)8月12日、福岡県行橋市で生まれた。彼は長男であったが、2年後(1959年)には養子に出されている。

高校卒業後は大学に進学。そして大学を1980年3月に卒業したあとは、書店店員、印刷工、トラック運転手等の職を転々とした。2000年7月に入社した北九州市の建設会社で、本事件の主犯・尾崎正芳と知り合う。入社した翌月、原は顧客とトラブルを起こして解雇されるが、尾崎の個人的な部下として、交流は続いた。

原は2001年11月8日、尾崎の指示で金を騙し取るために、竹本さんと養子縁組をした。さらに2002年1月4日、原と尾崎は養子縁組して、当時は2人して竹本姓を名乗っている。
(一審判決後に養子縁組は解消した)

2002年1月8日に尾崎の顧客だった高齢男性(73歳)を、31日にホームレス男性(62歳)を殺害。原は自身に多額の保険をかけ、自己の死亡を偽装して尾崎とともに保険金をだまし取る計画だった。ホームレス男性は自身の身代わりとして殺害したのだが、警察に怪しまれ翌日には逮捕となった。

2010年11月8日、最高裁で死刑が確定する。
現在、原は尾崎と共に確定死刑囚として、福岡拘置所に収監されている。

獄中の原正志

原正志死刑囚は、獄中から以下のような主張をしている。

原正志「戦争と死刑は国家による殺人。安保破棄!!天皇制廃止!!消費税値上反対!!原発を廃炉に!!ご遺族のために生きて償いたい」

原正志が獄中で描いた絵

原正志死刑囚の絵
原正志が描いた絵(2015年)

原正志死刑囚は、獄中でこのような女性の裸体ばかりを約20点ほど描いている。

裁判

尾崎正芳原正志ともに、事件当時の姓は養子縁組をして「竹本」だった。
だが、養子縁組は一審判決後に解消されている。

2002年7月10日の一審初公判で、弁護側は「検察の証拠開示が遅れたうえ、証拠書類が膨大」と、罪状認否を次回に持ち越すよう求め、地裁は認めた。

9月11日の第2回公判で、尾崎(竹本)正芳被告は住居侵入と強盗・詐欺などの罪は認めたが、「殺害までは指示していない」と殺人・放火・死体損壊の罪は否認した。原(竹本)正志被告は「間違いありません」と起訴事実を全面的に認めた。

2004年11月15日の論告で検察側は「2件の殺人事件の首謀者は尾崎被告」と指摘する一方、「原被告も尾崎被告から遊興費などの恩恵にあずかろうと強盗殺人などを敢行しており、その身勝手さは尾崎被告に勝るとも劣らない」とした。

原被告側は2事件とも認めた上で「尾崎被告から脅され、やむをえず指示に従った」と強調、減軽を求めた。尾崎被告側は北九州市の事件について「原被告に殺害・放火の指示はしていない」と主張した。

2005年5月16日の判決で、裁判長は両被告に死刑を言い渡した。
原被告について「自分の利益のため、実行役として不可欠な役割を平然と果たした」と認定。尾崎被告については「殺害と放火の指示を認めた、捜査段階の自白は信用性が高い」と退けた。

控訴・上告を経て死刑確定

控訴審

控訴審で尾崎被告の弁護人は、北九州の事件について「殺害指示は事前に撤回していた」と主張。原被告の弁護人は「(原被告は)従属的な立場だった」と主張した。

2007年1月16日の判決で裁判長は、尾崎被告を事件の首謀者と認め「原被告を犯行に誘い込み、事件を終始指導した」と指摘。実行犯の原被告については「尾崎被告の指示を全く拒否できない状況にあったとはいえない。自らの利益のため、ためらうことなく犯行に加担した」と述べた。

そして「他人の生命の尊さを顧みない冷酷非道な犯行であり、死刑に処するのはやむを得ない」として控訴を棄却した。

上告審

2010年10月8日の最高裁弁論で、尾崎被告の弁護人は「北九州市の殺害と放火については指示していない」と主張。原被告の弁護人は「尾崎被告から長期間暴力を受け、恐怖心から言いなりになって犯行に及んだ。死刑は重すぎる」と述べた。

検察側は「両被告は自己の利欲のために落ち度のない2人の命を奪い、責任は重大。極刑しかない」と反論した。

2010年11月8日、裁判長は判決理由で「尾崎被告が首謀者で、原被告は実行犯だった。2件の殺人はいずれも計画的で残虐、2人の尊い生命を奪った結果は誠に重大。両被告のために酌むべき事情を考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
こうして尾崎・原両被告に死刑が確定した。

従業員Cの判決

ホームレス男性殺害事件で共犯となった従業員Cは2002年7月12日、大分地裁で懲役8年(求刑懲役10年)判決を受けている。
判決理由で裁判長は「計画的で反社会的犯行だが、従属的な立場だった」と述べた。従業員C側は控訴せず、刑が確定した。

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