「大阪愛犬家連続殺人事件」の概要
1992年から1993年にかけて、大阪府の自称犬の訓練士・上田宜範(当時39歳)のまわりで人が次々と姿を消していた。当初は別々の失踪事件とみていた警察も、”全員が上田の知人” であることがわかると事件として捜査を開始する。
上田は、知り合った人に対し ”犬関連ビジネス” を持ちかけ金を騙し取っていた。そしてトラブルになりかけると筋弛緩剤を注射して殺害。犠牲者は男女合わせて5人にものぼった。
時期を同じくして、埼玉県で同様の愛犬家殺人事件が発覚したが、この大阪の事件が疑惑を向けられるきっかけとなった。(1993年4月~8月)
事件データ
犯人 | 上田宜範(逮捕時39歳) 読み:うえだ よしのり |
犯行種別 | 連続殺人事件 |
罪状 | 殺人、死体損壊・遺棄 |
犯行日 | 1992年6月19日~1993年10月29日 |
場所 | 大阪府、長野県塩尻市 |
被害者数 | 5人 |
判決 | 死刑(大阪拘置所に収監中) |
動機 | 金銭トラブル |
キーワード | 愛犬家、筋弛緩剤 |
事件の経緯
上田宜範は、子どもの頃から犬好きだった。大人になってからも犬を飼い、近所のかかりつけの獣医の所によく行っていたが、そこである光景を目にする。
それは、犬の安楽死だった。獣医のところに飼い犬の安楽死を希望する人が来た際、獣医はためらうことなく筋弛緩剤(サクシン)を犬に注射、犬は苦しむ様子もなく死んだ。
それを見ていた上田は、この薬に興味を持つ。その後、獣医に「安楽死が必要な犬がいる」と筋弛緩剤と注射器を入手し、それをドーベルマンに注射したところ、犬はやはり苦しまずに死んだ。
これが、上田を連続殺人鬼に変えるきっかけとなった。
事件後、この獣医は獣医師法違反で略式起訴され、罰金50万円が科せられている。
上田(当時37歳)は1991年夏頃から、半年ほど物流会社のアルバイトをしたが、そこで同僚の瀬戸博さん(23歳)とよく仕事のことで衝突した。この仕事は1992年1月に辞めているが、その後の5月のある日、犬の散歩中に瀬戸さんと偶然出会った。その際、瀬戸さんは「自分の悪口を言いふらしているだろう」と上田に突っかかり、殴り合い寸前になったという。
1992年6月19日午後3時頃、上田はうまく口実を付けて、瀬戸さんを阪和線・三国ヶ岡駅近くに呼び出した。そして、瀬戸さんを車に乗せ、車中でお腹の不調を訴える瀬戸さんに、下痢止めと偽り睡眠薬を飲ませた。
瀬戸さんが薬の作用で眠ってしまうと、上田はそのまま車を走らせ、「犬の訓練施設予定地」として借りていた、長野県塩尻市の土地へ向かった。
現地に到着すると、上田は瀬戸さんを縛り付けて体の自由を奪った。そして筋弛緩剤を左腕に注射して殺害。遺体はその土地に埋めた。
次々と姿を消す知人たち
大阪市東淀川区の藤原三平さん(33歳)とは、彼の妻が犬の雑誌「愛犬の友」の文通欄で上田と知り合ったことが縁で親しくなった。
上田は夫妻に「ペットショップの共同経営」をもちかけ、藤原さんに開業資金の援助を約束していた。しかし、上田に資金のあてなどなかった。一方、藤原さんからは開業資金をせかされ、そのことに上田は嫌気がさしていた。
1992年7月26日、上田は藤原さんを呼び出して車に乗せた。そして、車中でうまく睡眠薬を飲ませることに成功、眠った藤原さんを乗せて前回と同じく長野県の土地に向かった。
到着すると、眠っている藤原さんに筋弛緩剤を注射して殺害。遺体はやはりその土地に埋めた。
作業だけさせて殺害
その頃、上田は運送会社でアルバイトをしていた。そこで知り合ったアルバイト仲間の柏井耕さん(20歳)に、上田は「犬の施設予定地の整地作業」を持ちかけた。柏井さんはこれを引き受けて作業をしたが、上田はアルバイト料を払わなかった。
柏井さんは、当然バイト料の支払いを求めたが、上田はいつものように柏井さんを ”消してしまおう” と考える。1992年7月30日、上田は柏井さんを殺害して土地に埋めた。
引っ越し先の八尾市でも…
1992年9月、上田は大阪府八尾市の一軒家に引っ越した。
翌10月頃、行きつけの獣医で住吉区の主婦・高橋サチ子さん(47歳)と知り合う。上田は、高橋さんに「犬の商売の共同経営」をもちかけ、犬の仕入れ代金として、高橋さんから貴金属や現金50万円を受け取った。
それは、高橋さんがひとりで娘を育てながら、苦労して貯めた金だった。そんな大事な金を渡したのに、上田はいつまでたっても行動を起こさない。しびれを切らした高橋さんは、「騙したらただで済まないよ」と強い口調で上田に詰め寄り、犬を仕入れるよう要求した。
高橋さんは、上田にとって厄介な存在となってしまった。そして、彼女は10月25日に失踪する。
翌26日、上田は自宅で高橋さんに筋弛緩剤を注射して殺害した。遺体は金属製ロッカーに入れ、自分のトラックの荷台に隠しておいた。
高橋さんは失踪した25日、上田が運転するレンタカーの中でぐったりしているのが目撃されていた。
5件の失踪すべてに関連
堺市の主婦・志治信子さん(47歳)とは、1991年秋頃に出会った。志治さんがラブラドールレトリバーの子犬の散歩中、上田が声をかけたのがきっかけだった。
志治さんは子犬のしつけに手を焼いていたが、”訓練士” と自称した上田が、連れていたシェパードを手なづけているのを見て訓練を依頼した。そのうち、上田は志治さん宅を訪れるようになり、志治さん夫婦と親しくなっていった。
ある時、志治さんの犬が突然元気がなくなり、歩く足もおぼつかなくなった。志治さんが上田に電話すると、彼はすぐやって来て、「これですぐ良くなる」と犬の首に注射した。
志治さんは安心したが、犬は翌朝に死んでいた。しばらくすると、上田がセントバーナードの子犬を連れてやってきた。これに志治さんは、3万円を支払っている。
やがて、上田は犬の施設の共同出資をもちかけ、夫妻を長野県の土地に連れて行った。土地を見て信用した志治さんは、1993年夏から秋にかけて、上田に1000万円を手渡した。ところが、犬の施設の建設計画はまったく進まず、苛立った志治さんは上田に詰め寄った。
1993年10月29日、上田は志治さんを呼び出し、トラックに乗せ睡眠薬を飲ませた。ところが、志治さんは途中で目を覚ましてしまう。すると、彼女は「変な臭いがする」と騒ぎ出し、遺体の入っているロッカーを怪しんだ。上田は、高橋さん殺害を気づかれたと思い、志治さんに筋弛緩剤を注射して殺害した。
11月2日には、上田が長野県塩尻市のレンタル会社から、ショベルカーを借りていたことも判明している。
被害者を埋めるのに使用したものとみられる。
ついに逮捕
志治さんが失踪してすぐ、家族が警察に届けを出した。このころまで警察は、5人の被害者は別々の家出人とみていた。一見すると、5人には関連がなかったからである。
しかし、志治さんの家族が独自に調査したところ、上田の周辺でもうひとり行方不明者がいることが判明する。それは、志治さんの直前に殺害されていた高橋さんだった。
この報告を受けた警察は、”愛犬家が次々失踪している” こと、さらに ”被害者全員が上田と関係がある” ということに気づく。
そして1994年1月26日、上田は殺人・死体遺棄の罪で逮捕となった。
警察が長野県の「犬の訓練場予定地」を調べたところ、ロッカーに入れられた高橋さんの遺体を発見。さらに上田の供述をもとに、ほかの4人の遺体もこの土地から発見された。
犯人・上田宜範の生い立ち
上田宜範は1954年、大阪府堺市の裕福な酒店の長男として生まれている。
動物が好きで、よく近所の獣医の所に遊びに行っていた。私立興国高校を卒業後は就職せず、家業を手伝っていたが、しばらくして父親の援助を得て友人と建売住宅の販売会社を始めた。しかし、会社は3000万円の負債を抱え倒産。借金は父親の援助で返済した。
その後、再び不動産会社や車販売会社を始めたが、友人に会社の金を持ち逃げされ7000万円の負債を抱えることになった。この借金は祖母の株売却でなんとか返済したが、この件で両親から準禁治産者にされた。
上田は家を追い出され、各地を転々としたが、1988年(上田は34歳)、静岡県御殿場市に移り住み、長距離トラック運転手の職に就いた。
1990年5月、知り合いのパチンコ店の10代の男性店員にスナックの開店話を持ちかけ、百数十万円を受け取る。しかし実行に移さないことから店員に詰め寄られ絞殺。しかしこの事件は発覚せず、本事件の逮捕後に「富士山麓の樹海に捨てた」と自供するも、遺体発見に至らず立件は見送られている。
御殿場では家の近所に犬の訓練所があり、上田はそこからシェパードを購入。それから訓練所に頻繁に通うようになった。そのうち訓練士と親しくなり、犬の訓練方法や繁殖の知識を得たことで、「犬の繁殖ビジネス」に興味を持つようになる。
まわりから借金を重ねていた上田は、知人らにレンタカー会社を共同経営することを持ちかけた。しかし、出資金が数百万円集まると上田は持ち逃げし、1990年8月に横領容疑で逮捕される。この件では懲役1年3ヶ月の実刑判決を受けた。
1年4か月で5人を殺害
1991年3月、仮出所した上田は、知人に預けていたシェパード犬を連れて堺市に戻った。この時、犬が自分のことを忘れず再会を喜んだことに、上田は感激したという。
1992年5月には、犬の訓練所にする名目で、長野県塩尻市洗馬地区の畑地2500㎡を、年間2万円で借りた。この土地には被害者たちを連れてきて信用させ、共同出資を呼び掛けていた。
貸主は取材に対し「やる気はなく、見せかけだけのようだった」と証言している。フェンスさえなかなか立てなかったそうだ。(この土地は死体の遺棄場所として使用された)
1992年6月19日、本事件の最初の被害者である瀬戸博さんを殺害。7月26日には藤原三平さんを、その4日後には柏井耕さんも殺害する。
1992年9月、八尾市の一軒家に引っ越す。上田は2匹のシェパードを連れ、大和川の河川敷を散歩するようになった。そして散歩中に出会う愛犬家たちに、「犬の訓練士」を名乗り、ブリーダーなどを持ちかけていた。
八尾市では高橋さん、志治さんを殺害。志治さんの家族の調査により、一見無関係な失踪者5人全員が、上田の知人であることが判明、上田は逮捕となる。そして、裁判で死刑が確定となった。
現在は、大阪拘置所に収監されている。
裁判で死刑確定
1998年3月20日、大阪地裁で判決公判が開かれた。
上田被告は、捜査段階では5人の殺害と遺棄を認めていた。しかし公判が始まると、一転して「自供は警察の暴行により強要されたもの」と無罪を訴えた。
検察側は、動機について「筋弛緩剤を人間にも試したかった」と主張した。
弁護側は、「5人に注射した筋弛緩剤は致死量でない」「遺体発見場所は、供述とは少し異なる場所」などの理由から、自白は有罪の立証につながらないと主張。また、上田被告の精神鑑定を申請したが、これは退けられた。
1998年3月20日、大阪地裁は「短絡的、自己中心的で、生命への尊厳の意識が欠如した無慈悲で異常な犯行」として、上田被告に死刑判決を言い渡した。これを不服とした弁護側は控訴した。
控訴審では、一審で却下された精神鑑定も行われたが、「責任能力は問える」という結果だった。
2001年3月15日の判決で大阪高裁は、一審判決を支持、上田被告控訴は却下、死刑判決となった。
裁判長は調書の任意性について「警察官の暴行、脅迫で自白したと疑わせる状況はない」と判断。「供述通りに土中から被害者の遺体が見つかった」と供述調書の信用性も認めた。さらに「被害者が筋弛緩剤で窒息死した状況や、被告人の動機にも不自然な点はない」と指摘した。被告側は上告した。
2005年12月15日、最高裁判決で、上田被告は死刑が確定となった。
判決理由で裁判長は「何の落ち度もない5人を身勝手な理由で殺害しており、冷酷・非道な犯行。安易に殺人に及ぶ傾向が著しく、動機に酌量の余地もない。結果は極めて重大で、死刑を是認せざるを得ない」と指弾した。
同じころ埼玉でも愛犬家が失踪
この事件は愛犬家による愛犬家殺人ということで、”動物好きに悪い人はいない” という概念を裏切るものとなった。そして、ちょうど同じ時期に埼玉県でも似たような「愛犬家の連続失踪が起こっている」という噂が立ち、これにマスコミが飛びついたことで事件が表面化したという経緯がある。
この埼玉愛犬家連続殺人事件は、判明しているだけで4人が被害に遭っている。しかし、一番の物証である ”遺体” が発見不可能な状態のため、捜査は難航したという。主犯の関根元は、遺体を完全に解体し、骨も粉になるまで焼くという徹底ぶりだったのだ。
本事件(大阪愛犬家殺人事件)の余波でマスコミが騒がなければ、未解決事件となっていたかもしれない。