小児性愛者には、子どもにしか興味がない「純粋型」と、大人に興味はあるが何かの理由で性的欲求が子どもに向かう「非純粋型」の2種類あります。そして小児性愛者の大半は男性だと言われています。
小児性愛は精神障害とみなされ、治療が可能です。治療方法は「長期的な精神療法」や「テストステロンの血中濃度を低下させる薬剤」によって行われるそうです。
1.東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
事件名 | 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 |
犯人 | 宮崎勤(当時26歳) |
犯行日 | 1988年8月 ~ 1989年6月 |
犯行場所 | 東京都、埼玉県 |
被害者 | 4人死亡 |
判決 | 死刑(執行済み) |
1988年から1989年にかけ、東京と埼玉で4人の幼女が相次いで誘拐された。
- 1988年8月22日、埼玉県入間市春日町の女児A(4歳)が行方不明に。1989年2月7日、遺体の一部が玄関に置かれる。
- 1988年10月3日、埼玉県飯能市の女児B(7歳)が行方不明に。
- 1988年12月9日、埼玉県川越市の女児C(4歳)が行方不明に。12月15日に埼玉県名栗村の雑木林で遺体発見。
- 1989年6月6日、東京都江東区の女児D(5歳)が行方不明に。6月11日に遺体の一部を発見。
1989年2月10日には、「今田勇子」の名で、朝日新聞東京本社に ”犯行声明と女児Aが写ったインスタント写真” が郵送された。声明文には、犯人しか知りえない事実が記載されていたことから、犯人が書いたものと断定された。
4人のうち女児Bをのぞく3人は、遺体が発見されたことから、警察はこれが同一犯による連続殺人事件と断定して捜査したが、容疑者を特定できないまま月日は流れた。だが、1989年7月23日、東京都八王子市で幼女の全裸写真を撮影しようとしていた男を、幼女の父親が取り押さえたことで事件は解決する。
この男こそ世間を震撼させている連続殺人事件の犯人で、東京都西多摩郡五日市町(現・あきる野市)に住む宮崎勤(当時26歳)だった。宮崎は要領を得ない供述をくり返したり、遺体が未発見の女児Bについて殺害を否認するなど取り調べは難航したが、最終的には4人全員の殺害を認めた。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件|戦後犯罪史上、類をみない劇場型犯罪
裁判では「人肉を食べた」「もうひとりの自分」「ネズミ人間が現れた」など奇怪な発言をくり返し、2度の精神鑑定で ”責任能力の有無” が問われたが、2006年1月17日、最高裁で死刑が確定した。
そして2008年6月17日、死刑執行。死刑確定から約2年半後の執行は、異例の早さだった。(45歳没)
2.奈良小1女児殺害事件
事件名 | 奈良小1女児殺害事件 |
犯人 | 小林薫(逮捕時35歳) |
犯行日 | 2004年11月17日 |
犯行場所 | 奈良県生駒郡三郷町勢野東 |
被害者 | 1人死亡 |
判決 | 死刑(執行済み) |
2004年11月17日、小林薫(当時35歳)は下校中の小学1年少女に声をかけ、巧みに自宅マンションに少女を連れ込んだ。部屋に入ると理由を付けて一緒に風呂に入り、少女の体をさわるなどしていたが、少女は嫌がった。少女は思ったよりしっかりした子で、前科のある小林は内心焦り始めた。
このまま帰せば親に言うかもしれない、そう思った小林は「殺すしかない」と考え、少女の顔を浴槽に抑え込んで溺死させた。
結局、小林は逮捕され、裁判で死刑が確定するのだが、殺害が1人の犯行で死刑になるのは異例な判断である。これには、犯行後の極悪非道な振る舞いが関係していた。小林は殺害後、少女の携帯で遺体を撮影し、それを少女の母親に送信していた。ほかにも「次は(少女の)妹だ」と殺害予告のようなメールも送りつけた。
逮捕後、一度も遺族に謝罪しなかったことや、過去に幼い女児へのわいせつ行為で何度も逮捕されていることも、「命で償うべき」と判断された原因のひとつだった。小林は、第一審の死刑判決のあと控訴していたが、これを自ら取り下げ死刑が確定した。
そして2013年2月21日、大阪拘置所で小林の死刑が執行された。(44歳没)
3.新潟小2女児殺害事件
事件名 | 新潟小2女児殺害事件 |
犯人 | 小林遼(当時23歳) |
犯行日 | 2018年5月7日 |
犯行場所 | 新潟県新潟市西区 |
被害者 | 1人死亡 |
判決 | 無期懲役(上告中) |
自宅近くの路上で、下校中の小学2年の少女を車で轢き、大声で泣く少女を車に乗せて誘拐した小林遼(当時23歳)。静かにさせようと首を絞めて気絶させ、少し離れた公園でわいせつ行為に取りかかった。しかし少女が目を覚ましたため、再び気絶させようとして首を絞めたところ、やり過ぎて死亡させてしまう。
小林は自宅近くの線路に遺体を置き、電車事故で死んだようにみせかけようとした。5分後、通過した電車が遺体を切断したが、司法解剖ですでに窒息死していたことが判明する。小林は前月にも女子中学生に対するわいせつ行為で書類送検されていて、警察は当初からマークしていた。
犯行の1週間後に小林は逮捕。裁判は一審・二審と無期懲役が言い渡された。弁護側は上告したが、検察側は断念したため、小林の死刑の可能性は消えた。
”誘拐場所”、”遺棄場所”、”被害者宅” が小林の自宅のすぐそばで、殺害場所もわずか2kmの公園。このような足の付きやすい地元での犯行はめずらしく、短絡的で幼稚な犯行との指摘もあった。
4.松戸9歳女児殺害事件
事件名 | 松戸9歳女児殺害事件 |
犯人 | 渋谷恭正(当時46歳) |
犯行日 | 2017年3月24日 |
犯行場所 | 千葉県松戸市六実 |
被害者 | 1人死亡 |
判決 | 無期懲役 |
2017年3月24日、千葉県松戸市でベトナム国籍の少女(当時9歳)が、登校で家を出たきり行方がわからなくなり、2日後、約12km離れた草むらで遺体となって発見された。
少女は通学路の途中で連れ去られたとみられるが、目撃者もなく、叫び声も確認されなかったことから ”顔見知りの犯行” が疑われた。そして容疑者とされたのが、なんと保護者会の会長である渋谷恭正(当時46歳)であった。渋谷は毎日のように登校の見守り活動をしていたが、事件の日に限ってこれを休んでいた。
また、渋谷の軽自動車が遺体発見場所の付近を何度も行き来していたことも判明、そして少女のランドセルから渋谷のDNAが出たことが決め手となって逮捕された。さらに、遺体からは渋谷のDNAが、軽自動車から少女のDNAが検出されている。
渋谷は一貫して犯行を否認していたが、物的証拠・状況証拠ともに渋谷の犯行を裏付けるものだった。公判でも否認を続けたものの、最高裁で無期懲役が確定した。