「徳島・淡路父子放火殺人事件」の概要
2012年10月19日、ある男が岡山市の自宅トイレで倒れて死んでいた。同居女性も身元を知らないこの男は、指名手配中の殺人犯・小池俊一容疑者だった。
小池は2001年4月、徳島県と兵庫県で父子を殺害し、指名手配となっていた。指名手配ポスターに書かれた「おい、小池!」の文言は話題になり、当時「日本一有名な指名手配犯」と呼ばれた。徳島県警が執念で追った殺人事件は、意外な結末を迎えてしまった。
事件データ
容疑者 | 小池俊一(当時44歳) 指名手配中に死亡 |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2001年4月20日~21日 |
場所 | 徳島県徳島市 兵庫県淡路島 |
被害者数 | 2人死亡 |
動機 | 金銭目的 |
キーワード | 「おい!小池」 |
事件の経緯
2001年4月20日午後2時過ぎ、徳島市吉野本町4丁目の県営住宅で火災が発生した。焼け跡からは松田優さん(当時66)の遺体が発見されが、松田さんは頭を鈍器で殴られ、首を絞められていた。
その10時間後(翌21日)、今度は50km離れた兵庫県五色町(現・洲本市)の雑草火災の現場から、同じ手口で殺害された松田浩史さん(当時38)の遺体が見つかった。驚いたことに、この2人の被害者は親子で、浩史さんは優さんの長男だった。
父子は殺害されたあと、証拠隠滅のため燃やされたことが捜査で判明。さらに、優さんの4冊の預金通帳が奪われていたこともわかった。預金額は4000万円。これは優さんが、障害のある浩史さんのために貯めていたものだった。
徳島県警は『同一犯人による強盗放火殺人事件』と断定、2001年5月、父子とパチンコを通じた知人である小池俊一(当時44)を殺人と死体遺棄容疑で指名手配した。県警は、指名手配ポスターを作製して全国の交番に掲示した。
このポスターに書かれたコピー「おい、小池!」のコピーは有名になり、容疑者の知名度は上がった。そのため、数多くの情報が寄せられるも、逮捕に結びつく有力な情報は得られず、捜査は行き詰まっていた。
逃亡後の小池の携帯電話の電波は、名古屋、大阪と続き、2001年5月に岡山で足取りが途絶えていた。
意外なかたちで見つかった小池容疑者
2012年10月19日午後9時10分頃、岡山市北区の女性(当時67)から、岡山北消防署に通報があった。
女性がパートから帰宅すると、同居していた男性がトイレで倒れていたのだという。すぐに警察と救急に通報したのだが、男性は搬送先の病院で約1時間後に死亡が確認された。死因は心臓疾患によるものだった。
男性は変死扱いとされたため、岡山県警は警察署内で監察医による検案を行った。この時、指紋の照合は行わなかった。
その後、葬儀の際に「小笠原準一」とされるこの男性の名前が、本名ではないことが判明する。同居女性でさえ ”本名を知らない” ことを葬儀業者は不審に思い、警察に通報した。そこで初めて遺体の指紋を照合したところ、放火殺人容疑で指名手配中の小池俊一と判明した。
この葬儀業者の機転がなかったら、小池の死は永遠に闇に葬られていたかもしれない。
なぜ11年間の逃亡が可能だったか?
預金額4000万円の通帳を奪って逃げた小池だったが、預金を降ろせてはいない。こういう場合、警察は口座を凍結するので、おそらくそのせいであろう。金銭を得ることができなかった小池は、逃亡先の岡山市内でチラシ配りの仕事をしてしのいだ。しかし、当然だが部屋を借りることもできず、安ホテル暮らしをしていた。
もし、そのままの生活を長く続けていれば、悪目立ちした可能性もあり、小池に対して疑惑の眼差しを向ける人が現れたかもしれない。だが、小池は同居女性と知り合ったことで ”隠れ家” を得た。そして警察に捕まることなく、11年間も逃げおおせた。
同居女性の存在
事件翌年の2002年頃、小池はチラシ配りで得た金で、岡山市の飲食店に訪れるようになった。その店で働いていたのが同居女性で、彼女は岡山駅前でチラシ配りをする小池を見かけ、声をかけた。それ以降、2人は気軽に話をするようになった。
やがて、「ホテル住まいをしている」という小池に、女性が「もったいないからウチへ来たら」と招き、2005年頃から同居を始めた。同居後の小池は仕事に就かず、月3万5千円ほどの家賃や生活費は女性が負担していた。女性は早朝4時半頃から午後10時頃まで、ホテルでパート出勤していた。
小池は月2万円程度の財布を任され、食品買い出しや家の雑務を担当し、食事は女性が作っていた。小池は女性に携帯電話を持たされていて、2人はそれで連絡を取り合った。
小池は名前を教えなかったので、女性が勝手に「小笠原準一」と名付けたという。小池についての印象は、「ごく普通の優しい男性だった」と話している。また、小池の素性や事件のことは知らなかったと供述したが、約5年前に巡回連絡で訪れた警察官には「ひとりで暮らしている」と、小池の存在を隠すような虚偽の説明をしている。
この女性の存在がなければ、小池はもっと早く警察に見つかっていた可能性がある。ちなみに、女性が ”本当に小池の素性に気付いていなかったかどうか” は不明である。
同居女性は小池が名前を教えないので、勝手に「小笠原準一」と呼んでいました。
「小笠原準一」と「小池俊一」両端だけ残すと、
- 小笠原準一
- 小池俊一
なんか、似てます。本当は気付いていたのかもしれませんね。
誰も小池を見抜けなかった
2人が住んでいたマンションは、岡山市中心部の繁華街の一角にある。間取りは約6~8畳のワンルームで、家賃は約3万5000円。歩いて数分のところに交番、500m先には岡山県警本部がある。
この人目の多いエリアで、あるときはスーツ姿で、あるときはニット帽にメガネ姿で、堂々と小池は外を歩いていたという。
同じマンションに住む高所作業員男性(23)によると、週1回程度、小池を見かけていたという。しかしその印象は、「短髪で目はつり上がり、頬がこけていた。ポスターの写真とは全く似ていなかった」と話す。小池はマスクや帽子などで顔を隠すようなことはなく、あいさつをかわす程度だったという。
別の近隣住民も「よくコンビニのレジ袋を下げている小池容疑者を見かけた。手配写真とはまったくの別人で、色白で痩せていたし、顔もしわだらけ。手配写真よりもずいぶん老けて見えた」と話す。
小池が通っていた喫茶店の店主は「3~4年前に月に1、2回、ひとりで昼に来て日替わりランチ(780円)を注文していた。ランチ時は100人以上のサラリーマンが来店するが、スーツ姿で来ていた小池容疑者は雰囲気に溶け込んでいた」と話した。
店主は、小池がたまたま亡くなった義弟に似ていたので覚えていたという。
近くの配送業の男性(36)は、10回ほどマンションに荷物を届けたが、受け取りはほとんど小池で受取人欄には「小笠原」と書いていたという。小池は色白で、部屋の中でもニット帽をかぶり、眼鏡を掛けていた。いつも昼間にいるので、「仕事をしていないのかなと思っていた」と話した。
指名手配ポスターがかえって邪魔に?
徳島県警は、加齢による人相の変化を予測し、『52歳になった小池容疑者の似顔絵』を12パターンも作成して公開した。しかし目撃証言によると、この12パターンのどれにも似ていなかったようだ。実際の小池は、実年齢よりもはるかに老化しており、せっかくの指名手配写真が役に立たなかった。
「おい、小池!」のコピーは秀逸で、有名になったのは有意なことである。しかし、それが小池容疑者のイメージを固定し、かえって逃亡生活の手助けをしてしまった可能性がある。小池本人を見ても、誰もあの「おい、小池!」の男だとは思わなかったのだ。