「東大阪大生リンチ殺人事件」概要
恋人に手を出そうとした相手を拉致・暴行して多額の慰謝料を要求・・・ひどい話であるが、実はこれは ”殺害された側” が事件前にしたことだった。
その後、立場は逆転する。元々加害者だった2人は、やり込めたはずの相手が ”大勢の助っ人” を連れて報復してくるとは予想もしていなかった。助っ人たちは2人より遥かに狂暴で、2人は暴行を受けたあと生き埋めにされてしまう…。
殺害の実行犯は、”やられた友達のため” 犯行に加わった小林竜司(当時21歳)。彼は犯行グループでただひとり、死刑が確定。履き違えた友情のため、小林は今、大阪拘置所で刑の執行を待つ身である。
事件データ
加害者/判決 | 特徴 |
---|---|
小林竜司(当時21歳) 死刑:大阪拘置所に収監 | 無職、実行犯 |
広畑智規(当時22歳) 無期懲役 | 大阪府立大学3年生 首謀犯 |
徳満優多(当時21歳) 懲役11年 | 東大阪大学短大卒 アルバイト従業員 事件発端者 |
後輩の少年(当時16歳) 懲役15年 | 小林の知人 実行犯 |
佐藤勇樹(当時21歳) 懲役9年 | 東大阪大学3年生 高校時代は生徒会長 |
岡田浩次(当時32歳) 懲役17年 | 小林の知人 暴力団関係者 |
白銀資大(当時22歳) 懲役18年 | 大阪商業大4年生 |
佐山大志(当時21歳) 懲役7年 | 東大阪大学短大卒 無職 |
少年2人(当時16歳と17歳) 家裁送致 |
被害者 | 特徴 |
---|---|
藤本翔士(21歳) 生き埋めで死亡 | 東大阪大学4年生 事件発端者 |
岩上哲也(21歳) 生き埋めで死亡 | 東大阪大学短大卒 無職 |
事件種別 | 集団リンチ殺人事件 |
犯行日 | 2006年6月19日~20日 |
場所 | 岡山県玉野市 |
被害者数 | 2人死亡 |
動機 | 拉致・暴行の被害者側が報復 (恋愛トラブルが発端) |
キーワード | 恋愛トラブル、友達のための殺人 |
「東大阪大生リンチ殺人事件」の経緯
小林 | 広畑 | 白銀 | 佐藤 | 徳満 | 佐山 | 藤本 | 岩上 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中学時代の同級生 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
少年サッカー時代の仲間 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||
サッカーサークル仲間 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
東大阪大短期大学・卒業生 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||
東大阪大学・在学生 | 〇 | 〇 |
先に仕掛けたのは被害者側
事の始まりは、大学のサークル内のよくある恋愛トラブルだった。
大阪府東大阪市にある東大阪大学は4年制と2年制(短期大学)があり、サッカーサークルには両方の学生が共同で活動していた。
この大学の4年生・藤本翔士(21歳)は、サークル内の短期大学1年の女性(当時18歳)と交際していた。しかし、同じくサークルのメンバー・徳満優多(当時21歳)も、この女性に恋愛感情を抱いていた。徳満はすでに短期大学を卒業していて、当時はアルバイトをしていた。
徳満は女性に何度も携帯メールを送信したが、これに藤本は激怒。2006年6月15日、2人は殴り合いの大喧嘩となってしまう。同じサッカーサークルの仲間だった藤本と徳満は、こうして対立を深めることとなった。
藤本がこのことを相談したのが、短期大学を卒業後は無職だった岩上哲也(21歳)。2人は彼女を横取りしようとした徳満を懲らしめて、慰謝料を払わせようと計画した。
2006年6月16日夜、藤本と岩上は、徳満を呼び出す。徳満は同じサッカーサークルの東大阪大3年・佐藤勇樹(当時21歳)についてきてもらい、呼び出し場所の東大阪市の公園まで出向いた。だが、そこで待っていたのは藤本と岩上だけではなかった。藤本らは助っ人として男性会社員(当時21歳)と男子学生(当時20歳)を連れて来ていた。
話し合いをするものだと思っていた2人は殴られて打撲の怪我を負い、約1時間に渡り車内に監禁された。その後、ファミリーレストランにて岩上は、暴力団(山口組)の名前をちらつかせて脅し、慰謝料50万円を6月19日までに支払うことを要求した。
被害者側が”加害者”に
被害に遭った佐藤は事件後、中学校時代の同級生だった岡山県玉野市の無職・小林竜司(当時21歳)に「10万円用意しないとヤクザに埋められる」と電話で泣きつく。小林は同じく中学の同級生で大阪府立大学3年・広畑智規(当時21歳)に相談するよう指示した。
相談に乗った広畑は、仕返しを計画する。
その計画に従って、17日、佐藤らは大阪府警に恐喝容疑などで被害届を提出。また小林は、岡山県内の風俗店で働いていた際の知り合いで岡山市在住の暴力団関係者・岡田浩次(当時31歳・無職)に電話で対応を相談した。
岡田は「相手を拉致・暴行して金を取ってやれ」と指示。さらに、山口組の名前を出して脅してきた岩上に関しては「ヤミ金融や消費者金融で借金漬けにしてやるから、連れてこい」と命じた。
18日、広畑は佐藤、大阪商業大学4年・白銀資大(当時22歳)、無職・佐山大志(当時21歳)を連れ、岡山県に行き、小林と小林の元アルバイト先の後輩だった岡山県玉野市の少年(当時16歳)と合流。広畑はここで、”藤本と岩上” へのリンチ計画を明かし、それぞれの役割を決めた。
小林は事前に指示された通り、特殊警棒など凶器を後輩少年に準備させていた。さらに後輩少年は、玉野市の派遣社員の少年(当時16歳)とアルバイトの少年(当時17歳)を連れてきていた。
藤本、岩上ら3人を拉致
同日(18日)夜、佐藤と徳満は「被害届を取り下げる」「神戸で慰謝料を払う」という嘘の口実で、藤本、岩上、男性会社員の3人と会った。そして神戸に向かうべく男性会社員の車に同乗したが、途中で「岡山まで行けば払える」と偽り、岡山市に誘い出した。
日付変わって19日午前3時過ぎ、山陽自動車道・岡山インターチェンジ付近に到着すると、そこには小林や広畑をはじめ、加害者グループが待ち構えていた。彼らは連れてきた3人を取り囲み、特殊警棒やゴルフクラブなどで暴行を加え、携帯電話と現金約9万8千円を奪った。
この時、岩上が苦し紛れに言った「知り合いのヤクザを呼ぶぞ」という言葉に加害者側が激怒する。彼らは岡山県玉野市の深山公園に場所を移し、執拗に暴行を続けた。
直接暴行したのは小林・佐藤・徳満・小林の後輩少年の4人だった。広畑は指示役、ほかの者は見張りなどをしていた。
藤本翔士を殺害
やがて、藤本がぐったりしてきた。加害者グループはやりすぎたことを後悔したが、もう遅かった。そして彼らが下した決断は「警察への発覚を防ぐため殺害する」だった。
加害者グループは、小林が以前働いていた岡山市南区灘崎町奥迫川の山中にある解体会社の資材置き場に移動した。
小林は、パワーショベルを操作して穴を掘った。パワーショベルの鍵は、小林の指示で後輩少年が現場で見つけ出していた。掘った穴に落とされた藤本は、小林・佐藤・徳満・後輩少年にコンクリート片や石を投げつけられた。最後は小林の指示で、後輩少年がパワーショベルで土をかぶせ、ショベル部分で何度も地面をたたいて土を固めた。
広畑は白銀・佐山に、資材置き場の入り口付近とふもとの道路で見張りをさせ、人の出入りや車の通行を監視した。佐藤・徳満・少年2人は拉致した岩上・男性会社員が逃げ出さないよう監視していた。
午前4時50分頃、加害者グループは藤本を生き埋めにしてしまった。
広畑は他の者に指示するだけで、自分では手を汚さなかった。
男性会社員の殺害は考えていなかったとみえ、解放したあと口外しないよう、無理やり藤本殺害に加担させていた。彼は、泣きながら友人である藤本を特殊警棒で殴ったという。
岩上哲也も口封じに殺害
その後、この騒動にあまり関与していない男性会社員は、解放されることになった。男性会社員は広畑・白銀を自分の車で大阪に送り、19日朝に解放された。その際、「警察に行ったら家族を皆殺しにする。50万円支払え」と脅迫されていた。
岩上については暴力団員の岡田から事前に「連れてこい」と言われていたので、小林は車のトランクに乗せ、いったん自宅マンションに連れ帰った。しかし、岩上は自力で歩けないほど衰弱していた。
そのことを改めて岡田に電話で相談したところ、「それでは金を取れないから、連れて来なくていい」と言われる。さらに岡田は、「事件を知られた以上、処分するしかないだろう」と、暗に殺害をほのめかすような発言をした。
小林が広畑・白銀に電話で処置を相談すると、2人は「埋めたらいい」と殺害を了承。小林は後輩少年とともに20日未明、再び資材置き場に行き、前回と同じようにパワーショベルで掘った穴に岩上を生き埋めにした。
翌21日、広畑・小林・佐藤・徳満・佐山の5人は岡山県内で会い、今後のことについて相談した。話し合いの結果、事件は「小林と後輩少年が2人でやったことにする」と決まり、その口裏合わせをした。また、小林は暴行後に解放した男性会社員に電話で脅しをかけ、数十万円を要求している。
関与した全員を逮捕
2006年6月22日、解放された男性会社員が、大阪府警布施警察署に被害を届け出たことから事件が発覚する。こうして事件は警察の知るところとなった。
6月23日、小林は大阪から母親に「俺が2人殺した。逃げた1人も殺す」と電話している。この告白を聞いた母親は、自首するよう説得。その後、再び母親に電話をしてきた小林は、「自首に付き添って欲しい」と頼んだという。
当初、”小林と後輩少年の2人に罪を着せる” 予定だったが、警察に事件が発覚した以上、さすがにそれでは通らないと犯行グループは思いだした。そのため6月24日早朝、実行グループ9人は小林のマンションに集まり、”自首” について協議する。出した結論は「4人でやったことにする」というものだった。
同日午前中、佐藤、徳満、佐山の3人が岡山南警察署に出頭して逮捕された。その後(翌25日)午前1時頃、小林が玉野警察署に母親らと弟夫婦の車で出頭し逮捕。26日には小林の後輩少年も出頭した。
すべてが明るみに
6月27日、殺害現場の資材置場から藤本と岩上の遺体を発見。2人とも損傷が激しい状態だった。またこの日、事件に加担した少年2人も岡山県警に出頭している。
自首の協議をした時点では、広畑と白銀は無関係を装うつもりだったが、もう逃げきれなかった。6月28日、この2人も逮捕となり、これで実行グループ9人全員が逮捕されたことになる。
残る暴力団員の岡田も、8月10日、大阪府警・岡山県警合同捜査本部により逮捕された。
当初は小林竜司が事件の主犯格と見られていた。だが、事件の主犯は広畑智規であり、小林はあくまで「殺人にエスカレートさせた人物」であることが判明する。
実行犯・小林竜司の生い立ち
小林竜司は1984年12月22日、岡山県で生まれた。
父親はギャンブル狂いで、小林は暴力などの虐待を受けて育った。また、弟達の世話も押し付けられていたという。
小学校時代、学校で粗相してしまい、それをネタにイジメられるようになる。しかし、中学では友だちもでき、本事件で逮捕された広畑智規、白銀資大、佐藤勇樹の3人は中学時代の同級生である。
小林は、かつての同級生や弟から「普段は優しい感じだが、怒ったら何するかわからず、とにかく怖い」と言われている。
広畑は、校内で不良グループのリーダー格だった。小林と広畑はあまり親密な仲ではなかったが、事件の1年程前に一緒に海外旅行に行ったのがきっかけで関係が深まった。
母子の関係は良好
母親との関係は良好だったようで、事件を起こしたあと事件について報告し、「お母さんの子供で幸せでした」とメールを送っている。
また、警察に出頭する時も母親は同行しており、その車中で「死刑にならんかったら出てこれるから。長生きしてな」と言ったという。
中学時代の友人・佐藤から泣きつかれた小林は、”友達のため” に事件に加わる。実際、彼自身には何の関係もない揉め事だった。
”間違った友情”のため、2人も殺害してしまった小林だが、事件後、そこまでしてやった仲間からは罪を全部被るように決められてしまう。だが、解放された被害者が警察に駆け込んだことで、事実は明らかになり、犯行グループ全員が逮捕された。
小林は主犯ではなかったが、実行犯のリーダー的存在として裁判で2011年3月25日、死刑確定となった。10人の犯行グループの中で、死刑になったのは小林だけである。
現在は、大阪拘置所に収監されている。
小林竜司死刑囚の描いた絵
※「極限芸術 ~死刑囚は描く~」展より
小林竜司死刑囚の獄中の作品である。
描いた時期は2010年。控訴審で死刑判決(2008年5月20日)が出てから、最高裁で死刑が確定(2011年3月25日)するまでの間に描かれた。
事件の ”凶暴さ” とかけ離れた、ほのぼのしたタッチの絵である。居住する拘置所独房内の景色なのに、もう一生使うことのできない旅行用キャリーバッグが描かれているのが特徴的。
小林竜司の裁判
2007年1月23日の初公判で、小林竜司被告は「被害者から財布を奪った」ことについて強盗目的ではなかったとしたが、殺人や監禁などについては起訴事実を全面的に認めた。
弁護側は「藤本さん殺害を持ちかけたのは広畑智規被告で、小林被告が明確に殺意を抱いたのは、資材置き場でパワーショベルの鍵を見つけた時点」と主張した。
2007年3月27日の論告求刑で、検察側は小林被告が事件を主導したとし「人間の所業とは思えない。更生の可能性は乏しく、年齢は若いが極刑で臨むほかない」と主張した。
最終弁論で弁護側は「責任は重いが、反省を深めており更生は期待できる」として死刑回避を求めた。
被害者2人の両親ら遺族も意見陳述し、「全員を死刑にしてほしい」と述べた。
一審判決は死刑
2007年5月22日、判決で裁判長は死刑を言い渡した。
判決理由は「犯行を主導し、集団で暴行を加えたうえ、生き埋めという冷酷かつ残虐な方法で2人の前途ある若者の命を奪った。まれに見る凶悪な犯行で、被害者を物のように扱い生きたまま土中に埋めたのは、人として絶対に許されない行為。人間としての優しさが欠如していると言われても仕方ない」と断罪した。
続けて裁判長は「一方的に激しい暴行を加えるなど、粗暴性が如実」と指弾。そして「2人の若い命を奪った結果は重大で、犯行に至る経過や態様もむごすぎる。これ以上残忍な殺し方がないという、冷酷で凶悪な犯行。反省しており更生の可能性も認められるが、極刑は免れない」とした。
そして「共犯者の中でも責任は特に重く、極刑を選択するほかない」と述べた。また、強盗罪の成立も認定している。
弁護側は、量刑不当を理由に控訴した。
控訴・上告ともに棄却
控訴審
控訴審では、一審の認定事実について争いはなかった。
弁護側は「犯行当時は人格が未熟で、集団心理に支配されていた。拘置所で写経するなど内省を深めている。犯行当時21歳と若く、更生は十分可能。死刑を科すのは誤り」と死刑回避を訴えた。
検察側は控訴棄却を求めた。
2008年5月20日、判決で裁判長は「前途ある若者2人の命が奪われた結果は重大。用意周到に計画されたわけではないが、偶発的ともいえず、逮捕を恐れた自己保身のための冷徹な犯行」と指摘。
弁護側が「遺族に謝罪の手紙を書き、冥福を祈って写経も続けるなど反省を深めている」として死刑回避を訴えたことについて、「犯行当時21歳で、更生の可能性は否定できない」としつつも、「残虐非道で人間性を欠く冷酷な犯行。犯行の態様や結果の重大さに照らすと、死刑が重すぎて不当とはいえない」と断じた。
最高裁で死刑確定
2011年2月25日の最高裁弁論で、弁護側は「幼児期に両親から受けた虐待などの影響があった。現在は心から反省している。まだ若く、更生も期待できる」と主張し、死刑回避を求めた。
検察側は上告棄却を求めた。
2011年3月25日、最高裁は小林被告の上告を棄却し、死刑が確定した。
裁判長は「暴力を肯定する発想から、共犯者のトラブルに介入して安易に殺害におよんだ。動機や経緯に酌量すべき点はない。被害者2人に執拗な暴行を加え、生き埋めにした犯行態様も残虐非道。率先して実行しており、果たした役割は大きい」と指摘した。
そして「責任は誠に重く、死刑はやむを得ない」と述べた。
現在、小林竜司死刑囚は大阪拘置所に収監されている。
他のメンバーの裁判
殺害された藤本翔士、岩上哲也、解放された男性会社員、知人大学生は、本リンチ殺人事件では被害者であるが、事件の発端となった恐喝事件などで罪に問われている。
2006年9月15日、徳満優多、佐藤勇樹に「慰謝料名目で金を要求した」として恐喝や監禁の疑いで書類送検されている。
被告名 | 判決 | 藤本殺害 | 岩上殺害 |
---|---|---|---|
小林竜司 | 死刑 | 〇 | 〇 |
広畑智規 | 無期懲役 | 〇 | 〇 |
白銀資大 | 懲役18年 | 〇 | 〇 |
岡田浩次 | 懲役17年 | 〇 | |
後輩少年 | 懲役15年 | 〇 | 〇 |
徳満優多 | 懲役11年 | 〇 | |
佐藤勇樹 | 懲役9年 | 〇 | |
佐山大志 | 懲役7年 | 〇 | |
少年2人 | 家裁送致 | 〇 |
(小林の)後輩少年の裁判
- 第一審判決:大阪地裁・2007年5月11日・懲役15年判決(求刑無期懲役)
- 控訴審判決:大阪高裁・2008年1月23日・控訴棄却、懲役15年が確定
他の少年2人は2006年8月8日、殺人の非行事実で家庭裁判所送致された。(2人は藤本殺害後に帰宅、岩上殺害には問われていない)
3被告の裁判:徳満優多・佐藤勇樹・佐山大志
3被告は藤本殺害後に帰宅したため、岩上殺害には問われていない。
第一審判決:大阪地裁・2007年5月31日
- 徳満優多被告に懲役9年(求刑18年)
- 佐藤勇樹被告に懲役9年(求刑18年)
- 佐山大志被告に懲役7年(求刑15年)
判決では、殺意を認めたものの、関与は従属的だったとした。
控訴審判決:大阪高裁・2008年4月15日
- 徳満被告の一審判決を破棄、「自ら犯した罪を反省する真摯な態度が見受けられない」として懲役11年、上告する
- 佐藤被告に対する検察・被告側控訴を棄却・上告せず懲役9年確定
- 佐山被告に対する検察側控訴を棄却・上告せず懲役7年確定
検察側は、佐藤被告・佐山被告の一審判決を「軽すぎる」と指摘したが、判決後の遺族への謝罪や慰謝料支払いなどの情状酌量を認め、一審判決を支持した。
上告審判決:最高裁・2008年9月16日
徳満被告の上告棄却・懲役11年が確定
暴力団員・岡田浩次の裁判
- 第一審判決:大阪地裁 2007年6月1日、懲役17年(求刑懲役20年)
- 控訴審判決:控訴棄却
- 上告審判決:最高裁 2009年3月17日、上告棄却、懲役17年が確定
岡田被告は、藤本が殺害された後に小林の電話によって加担したため、藤本への殺人罪には問われていない。
広畑智規の裁判
- 第一審判決:大阪地裁 2007年10月2日、無期懲役判決(求刑懲役20年)
- 控訴審判決:大阪高裁 2009年3月26日 控訴棄却
- 上告審判決:最高裁 2009年10月27日、上告棄却、無期懲役が確定
白銀資大の裁判
- 第一審判決:大阪地裁・2007年10月2日・懲役20年判決(求刑懲役25年)
- 控訴審判決:大阪高裁・2009年3月26日・控訴棄却・懲役18年判決(遺族に計450万円の被害弁償をしたとして減軽)
- 上告審判決:最高裁・2009年10月27日・上告棄却、懲役18年が確定
弁護側によると、白銀被告は両親の援助で2人の遺族に1200万円ずつ支払い、受け取りを了承した1遺族には月額2万円の支払いを続けているという。
被害者にも非があった
この事件をひとことで説明すると、「彼女を取ろうとした男に暴行して金を脅し取ろうとしたが、反撃にあって殺されてしまった」というものです。
ストーリーは単純ですが、この事件は登場人物が多いうえに、被害者と加害者の立場が途中で入れ変わるという、とても複雑で難解な事件になっています。
そして、ひとりだけ死刑となった小林竜司ですが、彼はなんとこの揉め事の中心人物ではありません。元々は、ただ相談を受けただけの部外者でした。友人が暴行を受けて金を脅し取られそうだからといって、殺害まで突っ走った彼の心情は計り知れないものがあります。
被害者についても恋愛トラブルで腹が立つのはわかりますが、大学生グループが暴行・拉致というヤクザまがいの犯罪に手を染めるというのも、空恐ろしい気がしました。
「恋人を取られる」なんていうのは、残念ながらよくあることです。そのたびにこんな事件を起こしていたら、国が滅びます。
やはり先に手を出した被害者側にも、大きな非があったと言わざるを得ません。