多摩市パチンコ店強盗殺人事件|エレベーターの恐怖の10秒

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多摩市パチンコ店強盗殺人事件/何力・陳代偉日本の凶悪事件

「多摩市パチンコ店強盗殺人事件」の概要

1992年5月30日、在日中国人グループが東京都多摩市のパチンコ店を売上金目的で襲撃する事件が起きた。犯人グループは王剛勇陳代偉何力の3人。彼らは閉店後、売上金をビル4階まで運ぶ狭いエレベーター内の10秒間で凶行に及んだ。殺害されたのは運ぶ役の従業員2人と駆け付けた店長の3人。
約4か月後に彼らの関与が発覚した時、主犯の王は国外逃亡し、陳と何の2人だけが逮捕された。そのまま王は行方が知れず、裁かれた2人には死刑が確定した。

事件データ

主犯王剛勇(当時29歳)
逃亡して国際手配:現在は不明
共犯1陳代偉(当時31歳)
読み:チェン・ダイウェイ
死刑:東京拘置所に収監中
共犯2何力(当時27歳)
読み:フー・リー
死刑:東京拘置所に収監中
犯行種別強盗殺人事件
犯行日1992年5月30日
犯行場所東京都多摩市関戸2
被害者数3人死亡
動機金銭目的
キーワード在日外国人(中国人)

「多摩市パチンコ店強盗殺人事件」の経緯

本事件は、中華人民共和国福建省出身の王剛勇(当時29)が、仲間の陳代偉(当時31)と何力(当時27)に強盗の話を持ちかけたのが始まりだった。

王剛勇がほかの中国人仲間から、「東京の多摩市にあるパチンコ店では、閉店後2人ぐらいの店員が毎日1000万円を超える売上金を、1階から4階の事務所までエレベーターで運んでいる」との情報を入手する。これを知った王剛勇は、「簡単に金が盗れるパチンコ店がある」と陳代偉と何力に話し、3人は強盗の計画を立てた。

ターゲットにされたパチンコ店は「マルシン 聖蹟桜ヶ丘店」で、現在はもう営業していない。

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3人は役割分担を決め、パチンコ店を下見したり犯行の予行演習などを行った。犯行は、売上金を運ぶ無防備なエレベーター内で行うこととし、もし店員が抵抗したら殺害する、と決めていた。

決行日は1992年5月30日、凶器として王剛勇はハンティングナイフ、陳代偉はバタフライナイフ、何力は木の棒を持参することにした。

エレベーター内での凶行

多摩市パチンコ店強盗殺人事件

5月30日の閉店後の午後11時20分頃、パチンコ店の従業員A(当時39)と従業員B(当時43)の2人が、売上金約1500万円が入った袋を台車に載せ、1階店舗から事務所がある4階まで移動するためエレベーターに乗った。

それを確認した王剛勇が、1階から同じエレベーターに乗り込み、陳代偉と何力も2階から乗り込んだ。そして扉が閉まり4階へ上がろうとした時、狭いエレベーター内で王剛勇がひとりの従業員の背中にハンティングナイフを数回突き刺した。同時に陳代偉がもうひとりの従業員の背後から、サバイバルナイフを背中や大腿部に突き刺し、さらに王剛勇が刺した従業員に対しても背中を数回突き刺した。

何力も店員の頭部を棒で数回殴打するなど、2階から4階へ移動するわずか10秒ほどの間凶行は行われた。予期せぬ襲撃に2人の従業員は激しく抵抗したが、敵うはずもなかった。犯行グループの3人は、それぞれ持っていたナイフや棒で2人を殺害した。

エレベーター内には血が大量に飛び散り、床は血の海になっていた。エレベーターが4階で止まると、陳代偉は散乱した紙幣の中から約234万円を鷲掴みにした。そして逃げようとしたが、そこへ異変を察知した同店の店長兼常務(当時36歳)が駆けつけ、王剛勇らと鉢合わせしてしまう。王剛勇は店長を刺殺し、3人目の犠牲者となった。

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当時はどこにでも防犯カメラが設置されているわけではなく、捜査は難航した。そのため、犯行グループは、捜査線上に浮上することなく数か月を過ごしていた。

だが、陳代偉が別件で逮捕されたことをきっかけに、事件は解決へ向かう。犯行から約4カ月後の1992年10月10日、陳代偉は別の中国人とともに東京都内のスナックに窃盗目的で侵入したところを、警視庁巣鴨警察署に逮捕された。

この時採取された指紋が、パチンコ店強盗殺人事件で現場に残された指紋と一致したことから、陳代偉は容疑者となった。また、何力も不法入国で渋谷警察署に逮捕されたことから、本事件への関与が明らかとなった。しかし主犯格の王剛勇はすでに出国しており、逮捕はできなかったが国際手配された。

2020年時点で、警視庁の「指名手配犯一覧」、警察庁が公表している「国際指名手配一覧」には王剛勇に関する記述がない。そのため、現在は国際手配されていない可能性がある。

犯人グループについて

陳代偉/多摩市パチンコ店強盗殺人事件
陳代偉

陳代偉は犯行当時31歳だった。彼は中国の福建省出身で、1988年5月に初めて来日。以降、数回にわたって帰国と入国をくり返していた。当初は働きながら日本語学校に通学していたが、その後、土木作業員をしたり、中国人を対象に住居や仕事のあっせんなどをしていた。

1991年11月頃、陳は本事件の主犯で同じ福建省出身の王剛勇らとともに、東京都内のマンションに移り住んだ。

何力/多摩市パチンコ店強盗殺人事件
何力

何力も同じく福建省出身で、1964年10月3日生まれ。1988年2月、23歳の時に来日して日本語学校に通学していた。やがて、退学して飲食店などで働くようになった。事件当時は27歳だった。

1992年3月頃、陳と親しかった何力は、陳と王らが住むマンションに同居するようになった。だが、陳と何は仕事をするでもなく、パチスロなどをして過ごしていた。

本事件を起こしたのは、犯行グループの3人全員が同じ部屋で暮らし始めて2、3か月経った5月30日。そして犯行から約4カ月後、陳代偉の別件での逮捕がきっかけで彼らの関与が明るみになり、陳と何は逮捕された。しかし、主犯の王は国外逃亡した。

実録「逃亡者」30人のドラマ (別冊宝島 1893 ノンフィクション)
●逃亡者たち 昭和編 西口 彰(連続強盗殺人事件)/小原保(吉展ちゃん誘拐殺人事件)/重信房子(日本赤軍)/滝田修(朝霞自衛官殺人事件)/鳴海清(田岡組長狙撃事件)/福田和子(松山ホステス殺害事件)/大道寺あや子、坂東国男ら日本赤軍4人/白鳥由栄(脱獄王)宇賀神寿一(連続企業爆破事件)/菊地正(栃木雑貨商4人殺人事件で...

結局、王の行方は知れず、従犯である陳と何の2人だけが起訴となった。そして2002年6月11日、最高裁で2人の死刑が確定。現在、陳代偉何力は確定死刑囚として東京拘置所に収監されている。

死刑囚を対象としたアンケートに陳代偉は「友人、親族との面会が一番楽しい。差別が獄中生活で一番辛い」と回答している

何力が獄中で描いた絵

「辰年」何力(2012年)/多摩市パチンコ店強盗殺人事件
「辰年」何力(2012年)
「いらないもの Ver.2」何力(2013年)/多摩市パチンコ店強盗殺人事件
「いらないもの Ver.2」何力(2013年)

何力死刑囚が、2012年と2013年に獄中で描いた絵である。(「極限芸術ー死刑囚は描く」より)

辰年」の左下に ”2012.3.29(死刑執行当日)” と書かれているのは、2012年3月29日に3人の死刑が執行されたという意味と思われる。

2012年3月29日に死刑執行されたのは以下の3人の死刑囚である。

  • 上部康明下関駅通り魔事件
  • 松田康敏:宮崎連続強盗殺人事件
  • 古沢友幸:元妻の家族3人殺人事件
極限芸術 〜死刑囚は描く〜
日本初の死刑囚の作品集が刊行 下記の確定死刑囚42名の作品を多数収録 林眞須美 風間博子 岡下薫 井上孝紘 北村孝 北村真美 千葉祐太郎 鈴木勝明 藤井政安 田中毅彦 岡本啓三 後藤良次 星彩 高橋和利 熊谷昭孝 迫康裕 何力 謝依俤 原正志 宮前一明 しょがんせん 若林一行 闇鏡 音音 加藤智大 伊藤和史 檜あすなろ...

いらないもの Ver.2」には2人の政治家(亀井静香、福島みずほ)と安田好弘弁護士、力士の大鵬、そしてイルカに乗った自分自身を描いている。「2013世界死刑廃止デー出展作品」と銘打っているので、”いらないもの” は ”死刑” のことなのかもしれない。

この当時、亀井静香・福島みずほ・安田好弘の3人は死刑廃止を訴えていた。

裁判

3人の犯行と判明した時点で王剛勇は日本から出国しており、逮捕はできなかった。そのため、裁判は陳代偉何力の2人を被告として行われた。

一審で両被告は、「主犯は王剛勇で、自分たちは従犯である」と主張。また、事前に周到な計画を立てて現金を奪ったことは認めたものの、殺人や殺意に関しては否認した。

だが1995年12月5日、東京地裁は両被告に死刑を言い渡した。裁判長は「十分下見したうえ、殺傷力の強いナイフで背後から突き刺すなど殺意・犯意は確定的で悪質な犯行」と指摘した。

また、「現場に凶器などの物証が残されており、強盗を計画的に意図して確定的な殺意を持って襲ったことは明らか。簡単に3人の命を奪った犯行は冷酷無比で、極刑をもってのぞむほかない」と判決理由を述べた。

陳被告は共謀と殺害への関与を否認。何被告は「殺意はなかった」として、事実誤認や量刑不当などを理由に控訴した。

しかし1998年1月29日、東京高裁はこれを棄却。裁判長は「もっぱら金銭欲の動機、計画性、残虐性、3人殺害という結果の重大性、極刑を望む遺族感情などにかんがみると、両被告を犯行に誘った首謀者が現在も逃亡していることなどを酌量しても極刑はやむを得ない」と判決理由を述べた。大型のナイフ2丁や棒を用意し、被害者を一斉に襲撃した経緯、両被告の自白調書などから「事実誤認はない」と判断した。

両被告に死刑確定

最高裁でも陳被告は「殺害には関与していない」と主張。何被告も「殺意はなかった」とし、いずれも死刑を回避するよう求めた。

また留置所において「警察官に暴力を振るわれた」「高熱の中での取り調べにおいて、自白を強要された」として、一審、二審の判決には信憑性がないと主張。さらに、「逃亡中の王剛勇容疑者の供述がなければ真相を解明できない。それなのに死刑を言い渡すのは不当である」と述べた。

2002年6月11日の最高裁判決は、両被告の上告を棄却し、一審・二審の死刑判決を支持するものだった。これにより、被告と被告の死刑が確定した。

裁判長は判決理由で「綿密な相談、予行演習などをした上で3人を殺害しており、犯行は冷酷、非情、残虐」と指摘。「国際手配中の王容疑者が2人よりも主導的だったことを考慮しても、責任は誠に重大で二審の死刑判決を是認せざるを得ない」と述べた。

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未解決事件の影に外国人ヒットマンあり! 実行犯の足跡をたどって香港、フィリピン、カンボジアへ…… 著名未解決事件の実行犯と推測される「外国人ヒットマン」とは? 彼らはいかにして作られ、送り込まれてくるのか? 彼らを生み出す者は誰なのか? 著者の独自ルートによる取材から、これまで明かされることのなかった未解決事件の陣実に...

定住外国人に対し死刑が宣告されたのは「横浜韓国人夫婦殺人事件」以来36年ぶりだった。また、来日外国人としては戦後初めての事例である。
中国人死刑囚としては、1999年の「川崎中国人6人殺傷事件」で同胞6人を殺傷した陳徳通が、2006年6月に死刑確定して以来である。(2009年7月に執行)

*横浜韓国人夫婦殺人事件(1964年):犯人は在日韓国人で、一審で死刑となったが控訴せず1966年3月に確定した。1969年に死刑執行。

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