「山梨・新潟連続殺人事件」の概要
結婚して子供に恵まれても仕事もせず、ヒモ生活を送っていた藤島光雄(当時27歳)。傷害事件を起こして拘留されている間に、妻に離婚され逃げられた。だが、判決で執行猶予がつき思いのほか早く出てきた藤島は、元妻の伯母の家を訪れる。その際、藤島は通報しようとした伯母を殺害して、元妻を連れて逃走。その後、逃走資金を巻き上げようと、元妻に好意を寄せる会社員から金を奪って殺害。そして窃盗しながら逃走を続けるも別件で逮捕。その後、殺人でも逮捕となった。
裁判では死刑が確定し、その18年半後、藤島は死刑執行となった。
事件データ
犯人 | 藤島光雄(当時27歳) |
犯行種別 | 連続殺人事件 |
犯行日 | 1986年3月6日、3月11日 |
場所 | 山梨県、新潟県 |
被害者数 | 2人死亡 |
判決 | 死刑:東京拘置所 2013年12月12日執行(55歳没) |
動機 | 通報されるのを防ぐため (執行猶予中だった) |
事件の経緯
藤島光雄(当時27)は、1981年に新潟で結婚して子供を1人設けたが、仕事もせず典型的なヒモ生活を送っていた。1985年、藤島は知人を日本刀で斬りつける傷害事件を起こして逮捕され、新潟刑務所に収監される。藤島の妻は、これ幸いと離婚届を提出して藤島のもとを去っていった。
しかし、藤島の判決には執行猶予が付き、3ヶ月余りで出所した。藤島は保護観察所からの出頭命令を無視して1986年3月6日、山梨県笛吹市(旧春日居町)に住む元妻の伯母(当時73)の所へ向かった。
元妻は幼い頃に両親が離婚したが、母親の再婚に伴い、母親の姉である伯母が元妻を引き取って育てた。また、藤島と元妻が結婚したときも一時同居させるなど面倒を見てくれた。藤島と元妻が京都府内の病院で出産した長男を放置した時も、赤ん坊を引き取って養育してくれていた。そのため元妻が頼るならこの伯母だと考え、藤島はここにやって来たのだ。
藤島は伯母宅に上がり込み、元妻の情報を探ろうとしたが、伯母はそれに答えず口論になった。伯母は隙を見て警察に通報しようとしたため、藤島は逆上。このことが公になれば、執行猶予が取り消されて刑務所行きになる。怒った藤島は、伯母の顔を浴槽の水に押しつけて窒息死させ、遺体は床下に遺棄した。そこへたまたま戻ってきた元妻を連れて逃走した。
元妻に惚れた会社員を殺害
藤島には逃走資金もなく、数日で金に困ってしまう。そこで藤島は、元妻が新潟市のキャバレーで働いていた頃の客から金を奪うことを考える。この客は茨城県の会社員男性(当時26)で、元妻に対して結婚を希望するほど好意を寄せていた。元妻のほうは彼と結婚する意思は無かったが、藤島は以前から会社員を金づるとして利用し、元妻を通して手に入れた金で遊興していた。
3月11日、藤島は会社員を新潟のラブホテルに誘い出した。会社員は元妻が人質にされていると信じ込み、抵抗することなく付いていった。ホテルに着くと、藤島は会社員をナイフで脅して風呂に入らせ、元妻に洗わせたり、情交させるなどした。
その後、会社員から金は奪ったが、藤島は伯母を殺害したことを会社員に話してしまう。そのため口封じする必要に駆られ、会社員の両手足をシーツなどで縛り、元妻と2人で浴槽に押し込んで水死させた。そして遺体は円形ベッドのマットレスを持ち上げて隠した。この空間は、ベニヤ板で覆われた密封状態だった。遺体を隠すには絶好の場所で、腐敗が進むのも遅くホテル側もすぐには気が付かなかった。
犯行を終えると、藤島は元妻を連れて逃走した。京都で2件の窃盗で現金約13万円を奪い、遊興しながら逃走を続けた。だが3月17日、ナイフを所持していたことから、銃砲刀剣類所持等取締法違反により京都府警が現行犯逮捕。この逮捕がきっかけとなり、藤島は本事件への関与を追及されることとなった。
裁判から死刑執行まで
- 1987年7月6日(甲府地裁):死刑
- 1988年12月15日(東京高裁)控訴棄却:死刑
- 1995年6月8日(最高裁)上告棄却:死刑確定
一審で弁護側は、「親の愛情に恵まれない、不幸な環境で生育したことが大きな原因」であると主張。犯行に計画性がないことなどから、死刑の回避を訴えた。それと同時に、死刑は違憲であると訴えた。
しかし判決は死刑。裁判長は、「2人の貴い人命を奪い、その動機も自己中心的で同情の余地がない」と指弾。「両被害者の遺族が極刑を望んでいる」「反省の色が全く見えない」などの理由から、極刑はやむを得ないとした。
控訴審でも弁護側は同様の主張を行い、藤島被告が少年期に在籍していた特殊学級の担当教師ら多数からの嘆願書が提出されるも、判決において控訴は棄却された。「わずか6日間内に連続して2人を殺害したことは、動機・経緯・態様・結果・罪質のいずれの点からしても残忍で冷酷非情、自己中心的な犯行で、矯正の可能性はない」と裁判長は指摘した。
1995年6月8日の最高裁でも被告側の上告は棄却となり、藤島被告の死刑が確定した。判決理由で裁判長は「犯行は冷酷・残虐で、遺族の被害感情も厳しい。被告人の不幸な生い立ちや反省を考慮しても、死刑判決を維持せざるを得ない」と述べた。
一方、元妻は無罪を主張したが、懲役5年(求刑懲役10年)の判決が一審で確定している。
再審請求をくり返すも死刑執行
死刑確定後、藤島死刑囚の弁護側は「殺人は幼児期の虐待が事件の背景にある」として、何度も再審請求をくり返した。
藤島死刑囚側は、元妻の伯母殺害について「犯行時に責任能力があったとは言えない」、会社員に対する殺人については「承諾殺人が成立する」と主張したが、地裁はそれぞれ「それを認める証拠がない」、「要件が欠ける」などの理由で棄却してきた。これまでも、ほぼ同じ理由で再審請求しては棄却をくり返してきた。
2004年2月25日 | 第1次再審請求 棄却 |
2004年3月31日 | 即時抗告 棄却 |
2004年4月21日 | 特別抗告 棄却 |
2004年未明 | 第2次再審請求 棄却 |
未明 | 第3次再審請求 棄却 |
未明 | 第4次再審請求 棄却 |
2010年3月30日 | 第5次再審請求 棄却 |
2013年12月12日 | 死刑執行 |
そして、6度目の再審請求の準備を始めていた2013年12月12日、藤島死刑囚の死刑が執行された。(55歳没)
上告審を担当した秋田一恵弁護士は「学校で落ちこぼれ、父も知らず、母と祖母から虐待を受けるという壮絶な人生を歩んだ彼の生い立ちは、執行にあたって考慮されたのだろうか」と語った。
この日は、DDハウス殺人事件 の加賀山領治死刑囚も、同時に死刑が執行されている。