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【3選】イケメンなのに凶悪犯罪者【殺人事件】

事件まとめ

イケメンに生まれたら、普通は交際相手に不自由しません。しかし特殊な性癖だったりした場合、それを満足させようとすれば犯罪になってしまうこともあります。

この記事では、そんなイケメン凶悪犯罪者が犯した3つの殺人事件について説明します。それぞれ詳細な記事もありますので、興味を持った方はリンクから読むことができます。

山地悠紀夫【大阪姉妹殺害事件】

山地悠紀夫【大阪姉妹殺害事件】
山地悠紀夫
犯人山地悠紀夫(当時22歳)
事件発生2005年11月17日
殺害者数2人
判決死刑(執行済み)

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2005年11月17日深夜、大阪市浪速区塩草のマンション4階で火災が発生。通報を受け、現場に駆け付けた消防隊員は、火元の部屋に住む姉妹2人の遺体を発見する。姉妹は別の飲食店で働きながら、姉は翌年に知人と予定していたブライダル関係の会社設立を目指し、妹は介護へルパーを目指すなど、夢に向かって頑張っていた。

姉妹2人は病院に運ばれたが、搬送先で死亡が確認された。遺体にはそれぞれ複数回刺されたあとがあり、この火災が「殺人の証拠隠滅のための放火」であることが判明する。そして複数の目撃証言などから数日前までこのマンションで生活していた山地悠紀夫(当時22歳)が容疑者として浮上した。

山地は、パチスロで不正をして儲けるゴト師集団に所属していて、集団は拠点としてこのマンションの6階で共同生活していた。山地も11月11日から住んでいたが、集団の元締めから稼ぎの悪さを理由に怒鳴り散らされたことで13日に部屋を飛び出し、近所の公園で野宿していた。

野宿しながら今後の身の振り方を考えた山地だが、自分には ”守るものも失うものも、居場所もない” という現状を思い起こし、「やりたいことをやろう」と考えるに至った。その ”やりたいこと” こそが、なんと ”人を殺すこと” だったのだ。

我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人
今年7月、判決確定から2年という異例の速さで戦後最年少で死刑執行された山地悠紀夫の2度の殺人事件を、週刊ポスト記者として取材した著者が、その取材データすべてをつぎ込んだ渾身のノンフィクション・ノベルス

山地は16歳の時、交際していた女性のことが原因で母親に怒りを覚え、金属バットで撲殺した過去があった。だがその時、快感を覚えて射精していたという。彼は女性を痛めつけることで興奮する性的サディストだったのだ。

山地は、数日前まで住んでいたマンション住人の中から「殺しのターゲット」を探した。このマンションを選んだ理由は、数日住んだことで勝手がわかることに加え、自分を罵った元締めに対する当てつけもできると考えたからだった。

確定から2年で死刑執行

11月17日午前2時半頃、仕事を終えて先に帰宅したのは、姉のほうだった。彼女が玄関ドアを開けた瞬間、山地は背後から室内に突き飛ばしてドアを施錠。ナイフで左頬を刺し、部屋の奥まで引きずると何度も刺しながら強姦した。

その約10分後、運悪く妹も帰宅。山地は玄関の鍵を開ける音に気付き、死角に身を潜めた。そして妹が部屋に入ってくると口を手で塞ぎ、いきなり胸を刺した。それから姉の時と同じように部屋の奥まで引きずり、執拗にナイフで切りつけながら性的暴行を加えた。その後2人を殺害すると、貯金箱の中身など現金を強取し、部屋に火をつけて逃走した。

山地は前日からマンション周辺で怪しい行動を取っていたことで、複数の近隣住民に目撃されていた。さらに、岡山県でのゴト行為で逮捕された際の指紋採取により、現場から出た指紋が山地のものと判明し、彼の名前が重要参考人として浮上した。

一方、山地は事件後も現場周辺に留まり、相変わらず近所の公園で寝泊まりしていた。そして事件発生から18日後となる12月5日、山地は100円ショップから出てきたところを逮捕となった。

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山地は犯行動機について「母親を殺した時のことが楽しくて、忘れられなかった」と快楽殺人を主張。反省も後悔もないまま「死刑でいいです」と言ってのけ、送検される車内では報道陣に不敵な笑みを浮かべた。

第一審判決は死刑だったが、山地は控訴しない意向を示した。そのため弁護人が権限行使で控訴するも、山地は自らこれを取り下げ、2007年5月31日付で死刑が確定した。

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そして、そのわずか2年後という異例の速さで死刑は執行された。(享年25歳)

矢野富栄【島根女子大生死体遺棄事件】

矢野富栄【島根女子大生死体遺棄事件】
矢野富栄
犯人矢野富栄(よしはる)(当時33歳)
事件発生2009年10月26日
殺害者数1人
判決被疑者死亡で不起訴
事故死だが自殺の可能性あり)

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2009年11月6日正午過ぎ、広島県北広島町の臥龍山(がりゅうざん)の崖下で、キノコ狩りに訪れていた男性が、切断された人間の頭部を発見した。その後、同じ臥龍山で胴体、左足首もみつかった。

遺体はDNA鑑定の結果、11日前から消息不明になっていた平岡都さん(当時19歳)のものと判明する。平岡さんはこの年の4月、地元の香川県坂出市の高校を卒業し、島根県立大学に進学するため、島根県浜田市にやってきたばかりの女子大生だった。

遺体はバラバラにされていただけでなく、ひどく殴られた跡や首を絞められた跡、火で焼かれたような跡などの損傷があった。胴体からは乳房や内臓もえぐり取られ、遺体を見慣れているはずの警察でさえ、正視できない状態だった。

警察は当初、顔見知りの犯行とみて捜査を開始したが、平岡さんは島根に来てまだ半年。人から恨みを買うほどの深い人間関係もなく、交際相手もいなかった。そのため、顔見知りの可能性は低いとされ、やがて「犯人は猟奇的な性向をもつ人物」とプロファイリングされるようになった。

これに沿い、レンタルビデオ店でホラー映画ばかり借りるような猟奇マニアや、動物の解体技術を持つ猟師などをリストアップした。しかし、これらの見立ても見込み違いだったようで、捜査は無駄に長期化してしまうことになる。

島根県警・広島県警の合同捜査本部は、延べ31万人の捜査員を投入するも、容疑者の特定すらできないまま7年が過ぎた。本事件はいつしか ”不気味な未解決事件” として、たびたび話題にあがるようになっていた。

”不気味な未解決事件”は一気に解決

ところが2016年になって、事件は急展開を見せる。捜査に行き詰った警察は、もう一度不審車両の洗い直しを実施したところ、事件発生前後に浜田市内で不審な動きをしていた車が浮上する。その車は、通行記録が残る幹線道路をほとんど通らず、裏道ばかりを走っていた。

車の所有者は矢野富栄(よしはる)(当時33歳)で、彼は遺体発見の2日後となる2009年11月8日の午後3時過ぎに死亡していた。この日、矢野は周囲に「墓参りに行く」といって母親と高速に乗り、2人とも事故死していたのだ。現場にはブレーキ痕やスリップ痕はなく、車はガードレール3カ所に衝突して炎上していた。

平岡さんの遺体が発見されたことを知った矢野が、焦って自殺した可能性が高いとみられている。

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警察が彼のデジタルカメラとUSBメモリを調べたところ、画像はすべて消去されていた。それを復元した57枚の写真には切断前後の遺体や、切断に使ったと思われる包丁などが写っていたのだ。そして、矢野には性犯罪の前歴があったことも判明した。

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捜査本部は2016年12月20日、矢野の犯行と断定。殺人などの疑いで容疑者死亡のまま書類送検し、捜査は終結した。

水内貴士【現役警官・交際女性殺害事件】

水内貴士【現役警官・交際女性殺害事件】
水内貴士
犯人水内貴士(当時26歳)
事件発生2015年1月24日
殺害者数1人
判決懲役18年

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2015年1月24日、現役の警察官が ”邪魔になった不倫相手を殺害” するという、前代未聞の事件が起こった。その警察官は当時、大阪府警阿倍野署に勤務していた水内貴士巡査長(当時26歳)。殺害された女性との馴れ初めは、事件の2年ほど前にさかのぼる。

2013年4月、大阪府警の巡査長である水内は、東日本大震災の被災地支援で宮城県警に出向していた。同月28日、水内は仙台市内で開かれた「街コン」に参加、福祉関係の大学に通う女性と知り合う。

実は水内は大阪に婚約者がいたのだが、彼はそれを隠してこの女性と交際を開始する。水内にとって彼女は単なる遊び相手で、大阪に戻るまでの ”性欲のはけ口” として考えていた。だが、何も知らない女性のほうは水内との関係を ”普通の恋愛” としてとらえ、周囲にも「自慢の彼氏」と話していた。

水内は高身長で逞しく、精悍な顔立ち。彼女が本気になっていくのも無理はなかった。しかし、その気持ちと反比例するように、水内の態度は冷たくなっていく。やがてはデートをドタキャンされることも多くなっていた。

そんな関係のまま迎えた翌2014年の春、水内は元の大阪府警阿倍野署に戻ることになり、2人の関係は終わるはずだった。だが、ここで水内にとって誤算が生じる。それは女子大生だった彼女が卒業後、大阪に就職したことだった。

最悪な形で関係を清算

社会福祉士を目指していた彼女は、猛勉強の末に資格を取得。大阪市東住吉区のがん治療の拠点病院にソーシャルワーカーとして就職が決まり、大阪に移住した。大阪に決めたのは、もちろん「水内のそばにいたい」という気持ちも大きかったからだ。

しかし同じ大阪に住みながら、2人が会うことはほとんどなかった。8月に水内が婚約者と結婚すると、ますます会うことはなくなり、女性は水内に別れを切り出した。すると水内は「俺のこと好きやろ。別れられないやろ」と言って引き留め、彼女にとってつらい関係は続いた。

そんな彼女が結婚を知ってしまうのは2015年1月12日。水内の知人のフェイスブックを見ている時、水内の結婚式の写真を見つけてしまったのだ。水内は幹事に「フェイスブックに投稿しないように」頼んでいたが、 ”出席者全員” には周知されていなかったのだ。

1月21日夜、女性がフェイスブックに「社会的制裁を受けてもらう」と書き込んだことで、水内は初めて事の重大さに気付く。3日後の1月24日午前7時45分頃、水内は女性のマンションを訪れ、別れ話をするも、今さらまとまるはずもなかった。そして「奥さんや警察に言う」と言われたことでカッとなり、女性の首をベルトで絞めて窒息死させてしまった。

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水内は警察官の知識や特権を活かし、女性の携帯電話を電子レンジで壊すなどの証拠隠滅を図る。しかし、事件はあっという間に発覚してしまうのだ。

いつもまじめな彼女が無断欠勤したことで、職場の人が心配して警察に通報。浴室で息絶えている彼女が発見された。そして、マンションの防犯カメラや周囲の証言などから水内の名前が浮上する。当初は犯行を否認していた水内だが、翌25日に逮捕となった。

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その後の2015年10月6日、大阪地裁の第一審判決で水内に懲役18年が言い渡された。水内は控訴しなかったため、これが確定した。

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