「廿日市女子高生殺人事件」の概要
2004年10月5日に広島県廿日市市で起きた女子高生殺害事件は、未解決のまま14年が経っていた。事件が解決したのは犯人・鹿嶋学が別件で聴取を受けたのがきっかけだった。この時採取された指紋やDNA型が、女子高生殺人事件の証拠と一致したことから、鹿嶋の犯行と断定されたのだ。
逮捕された鹿嶋を見て世間は驚いた。なぜなら事件後に公開されていた犯人の似顔絵が、驚くほど鹿嶋と似ていたからだ。鹿嶋はたまたま見かけた女子高生を殺害していた。警察が「怨恨説」にこだわらなければ、この似顔絵を使って早期解決できたかもしれなかった。
事件データ
犯人 | 鹿嶋 学(当時21歳) |
犯行種別 | 殺人事件 |
犯行日 | 2004年10月5日 |
場所 | 広島県廿日市市上平良 |
被害者数 | 1人死亡、1人重傷 |
判決 | 無期懲役:岡山刑務所に服役中 |
動機 | 強姦が失敗した八つ当たり |
キーワード | 似顔絵 |
「廿日市女子高生殺人事件」の経緯
山口県萩市の金属加工会社に勤める鹿嶋学(当時21歳)は、2004年10月4日朝に目覚めた時、一瞬で寝坊したことを悟った。なぜなら鹿嶋の住む寮は会社の目の前にあり、機械音などで就業開始していることがわかるのだ。
鹿嶋が寝坊するは初めてのことだった。定時の出勤時間は午前8時だが、実際は午前6時に出社して機械を動かすための暖気運転をするのがこの会社の通常だった。このように朝の早い職場だったが、鹿嶋はこれまで遅刻などしたことがなかった。
高校を卒業して3年半、無遅刻だった鹿嶋にとって、仕事に遅刻することは他人が思う以上に「重大な過失」だった。「今から出社したら、きっと責められる」そう思うと、一気にすべてが嫌になった。鹿嶋はそのまま原付バイクに乗って、そのままあてもないまま寮を飛び出した。
鹿嶋はゲームが好きで、秋葉原に興味があったことから、東京を目指すことにした。途中でホームセンターに寄り、「東に進めば東京に着くだろう」と方位磁石を買い、「野宿に役立つ」と考えて折りたたみ式ナイフも購入した。
この日は、貯金約20万円を引き出して友人の家に泊まった。翌朝、友人に”餞別”として5万円ほど渡し、原付バイクで山口を発った。その際、車で走行中の両親と偶然出会い、呼び止められるも振り切った。それから携帯を近くの川に投げ捨て、「もう、ここには戻らない」と決意した。
しばらく原付を東に走らせていると、広島県廿日市市に到着した。その時、下校中の女子高生達を見かけた鹿嶋は、「レイプしたい」と思い立った。この時の彼は自暴自棄になっていて「性行為がしてみたい。捕まってもいい」とまで考えていた。
北口聡美さんを殺害
鹿嶋はひとりの女子高生に目を付けた。それは自宅の敷地内に入っていく北口聡美さん(当時17)だった。彼女に乱暴することに決めた鹿嶋は、しばらく様子を伺ったのち、午後3時頃、聡美さんがいる自宅の離れに侵入した。
高校2年の聡美さんは、この日が学校の期末テストの初日だった。テストは午前中で終わり、普段より早い時間に帰宅。「(午後)4時に起きる」と家族に話して、離れの2階で休んでいたところを、鹿嶋に侵入されてしまった。
いきなり知らない男が入ってきたことに驚く聡美さんに、鹿嶋はナイフを突き出して「動くな、脱げ」と脅した。聡美さんは、隙を見て逃げ出そうとするも階段を転げ落ち、鹿嶋に追いつかれてしまう。2人は離れの出入り口ドア付近でもみ合いになり、鹿嶋は脅すために持っていた折りたたみ式ナイフを、聡美さんの腹部に刺した。
鹿嶋は「なんで逃げたんか!」と言いながら、事態が呑み込めない表情の聡美さんを何回も刺した。最後に首のあたりを切りつけた時、物音に驚いて様子を見に来た聡美さんの祖母・ミチヨさん(当時72)と妹がいるのに気付いた。鹿嶋は聡美さんを刺した勢いのまま、ミチヨさんに襲い掛かった。妹は祖母の悲鳴を聞いても動けず鹿嶋と目が合ったままだったが、悲鳴が止んだのが合図のごとく我に返り、その場から逃げた。
鹿嶋は逃げる妹を追ったが途中であきらめ、そのまま原付バイクで東京方面に逃走した。ミチヨさんはは複数箇所を刺されて重傷を負いながらも母屋まで逃げて、家の鍵を閉めてから警察に通報した。そして通報を終えると意識を失った。
ミチヨさんは錯乱して泣きじゃくっていたため、通報では現場の詳しい状況はわからなかったという。 通報後、意識を失ったミチヨさんは、搬送先の病院でたまたま手術の出来る医師が居たために一命を取りとめたが、状況が違えば助からない可能性もあった。
一方、聡美さんは、腹や胸、背中など10カ所近くを刺され、出血多量で命を落とした。ミチヨさんも助かったとはいえ、記憶の一部を失くしてしまい、自分が入院している理由がわからなかったそうである。
祖母の通報で事件発覚
ミチヨさんが必死の思いで通報したことにより、事件はすぐに発覚となった。
事件発生前後には、”バイクに乗った不審な男” の目撃情報が複数寄せられていたが、現場の状況から警察は「動機は怨恨」と判断。聡美さんの知人を中心に聞き込みを開始した。しかし、聡美さんには学校内でのトラブルもなく、犯人の動機は不明だった。警察はおよそ4万人の関係者に事情を聴いたものの、恨みを持つ人物は見つからなかった。
この初動捜査の思い込みが、事件解決を遠ざけてしまう。聡美さんと接点のない鹿嶋の名前は、捜査線上に一度たりともあがらなかった。
重いトラウマを抱えてしまった聡美さんの妹は、事件を思い出したくない葛藤と闘いながら、目撃したした犯人の似顔絵作成に協力した。こうして完成した似顔絵は、驚くほど鹿嶋の特徴を捉えていたが、「怨恨説」で捜査する警察が、これを有効に使えるはずもなかった。
「いつか報復されるのではないかと恐怖心を抱き、苦しい思いを抱き続けてきた。犯人を見たのは私だけ、一生忘れてはいけないというプレッシャーと、見たことを忘れるかもしれないという恐怖がないまぜになり、心が押しつぶされそうになるのをなんとか耐えてきた」(妹の調書より)
一方、東京を目指して逃走した鹿嶋は、やがて所持金が底をつき、何も食べずに数日過ごした。このままでは飢え死にすると思った鹿嶋は、パン屋で電話を借り、餞別をあげた友人に連絡を取って銀行に金を入れてもらった。
その後、実家に戻った鹿嶋は、フォークリフトの資格を取ったうえで、新たに宇部市内の建築会社で働き始めた。凶器のナイフは自室の机の引き出しにしまっていた。
別件の逮捕から足がつき…
2008年3月、広島県警は、犯人逮捕につながる有力な情報に対して最高300万円の特別報奨金を支払うことを発表した。これをきっかけに、テレビなどメディアが事件を報道したものの、事件解決に繋がるような有力情報は出てこなかった。
そして容疑者すら特定できないまま、14年の年月が過ぎた。そんな中、事件は急展開を見せる。
2018年4月3日、鹿嶋は山口市内の仕事現場で「打ち合わせで返事をしない」という理由で部下の太ももなどを蹴っていた。それを見た通行人が警察へ通報したことで、鹿嶋は任意の取り調べを受けることになった。
その際に採取された指紋が、聡美さんの自宅のドアノブに残されていた指紋とほぼ一致。また、DNA型も聡美さんの爪の間に残されていた皮膚片と一致した。これにより、鹿嶋は「聡美さん殺害事件」の容疑者となり、2018年4月13日、殺人容疑で逮捕となった。
逮捕された時のことを、鹿嶋は「突然のことで驚いたが、ホッとした気分になった」と話している。
さらに5月3日、鹿嶋は祖母のミチヨさんに対する殺人未遂罪で再逮捕され、5月24日に殺人罪と殺人未遂罪で広島地検に起訴された。
鹿嶋学の生い立ち
鹿嶋学は1983年、山口県下関市生まれ。両親と妹の4人家族だが、その生い立ちは複雑である。
両親が結婚する前、母親が別の男性との間に授かった子供が鹿嶋だった。そのため幼少期から父親との関係が悪く、鬱屈した思いを抱えて育った。そのせいか、鹿嶋には広汎性発達障害的なところがあり、普段はおとなしいが、カッとなると暴力的になる一面があった。
中学校の頃に宇部市に移り住み、2001年3月、地元の私立高校の機械科を卒業。卒業後は長門市のアルミ加工会社に就職した。
当時の鹿嶋を知る関係者は「無遅刻無欠勤で仕事熱心、暴力的な面など微塵もなかった」と話している。
2004年10月4日、初めて仕事に寝坊したことで、鹿嶋は自暴自棄になり、無断で寮を出て原付バイクで東京方面に向かった。そして翌5日、たまたま見かけた北口聡美さんに乱暴しようとして、本事件を起こした。
その後、フォークリフト等の重機の資格取得後、2004年11月頃から宇部市内の建設会社に入社。それから本事件で逮捕されるまでの13年半、自宅から軽自動車で通勤して真面目に働いていた。
逮捕のきっかけは、部下への暴力を通行人に通報されたこと。この件で採取された指紋とDNA型が、聡美さん殺害事件の犯人のものと一致したことから、2018年4月13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕となった。
逮捕時まで勤務していた建築会社の社長は、「仕事熱心で現場を任せられるタイプ。シャイで暴力的な感じではなく、後輩の面倒見もいい。まだ信じられない」と語った。
裁判で無期懲役
2020年3月3日、鹿嶋学被告の裁判員裁判の初公判が、広島地裁で開かれた。鹿嶋被告は、起訴事実について「間違っていません」とすべて認めた。
3月10日の第4回公判で、検察側は「有期懲役が相当な事案とは到底言えない」として無期懲役を求刑。対する弁護側は、「動機は言い訳できないが、鹿嶋被告には発達の遅れがあり、自分の意思だけでどうにかなるものではなかった」として有期懲役が相当だと主張した。
鹿嶋被告は、意見陳述で遺族に謝罪し、裁判長に許可を得てマスクを取り「自分の身勝手な都合で、大切なご家族の命を奪い、ご家族の方々を傷つけ、申し訳ございませんでした!」と、叫ぶようにこう言った。
3月18日の判決公判で、広島地裁は求刑通りの無期懲役を言い渡した。鹿嶋被告は、”職場の機械音で遠くなった” という右耳に補聴器をつけ、証言台の前で言い渡しを聞いた。
裁判長は「強姦が成功しなかったことの怒りを被害者に向け、八つ当たりした。自宅でくつろいでいたところを突然襲われた苦痛や恐怖は想像に絶する。何の落ち度もないのに、将来ある人生を終えねばならなかった悔しさや悲しみを表現するすべもない」と厳しく指摘した。
瀕死の重傷を負った祖母に対する殺人未遂に対しても「(殺人でなく)殺人未遂にとどまったのは、搬送された病院に心臓血管外科医がおり直ちに手術ができたからであり、偶然の事情によるところが大きい」と、搬送された病院の状況によっては殺人となっていた可能性にも言及した。
そして最後に「動機は極めて身勝手で、結果はあまりに重大」とあらためて強調した。
聡美さんの父親・忠さんは「極刑を望んでいたが、無期懲役の判決が確定したことについては納得するしかないと思っている」と語った。
その後、被告側・検察側双方が期限までに控訴しなかったため、無期懲役の判決が確定した。