「本庄保険金殺人事件」の概要
1995年6月から1999年5月にかけて起きた「本庄保険金殺人事件」。主犯の八木茂は、3人の愛人を使って自身が経営する飲み屋の男性客2人を殺害し、約5億円もの保険金を手にした。
”実家や兄弟とは疎遠で孤独な人” をターゲットに選び、住まいや仕事を斡旋して信頼関係を築く。それから愛人と偽装結婚させ、多額のツケ(飲み代)の担保として生命保険に加入させたうえで殺害するのだ。だが、3人目のターゲットが計画に気付いたことから事件は発覚。逮捕までの8か月間、八木は自分の店で連日開催する有料記者会見で1000万円以上荒稼ぎし、その様子はテレビで放送された。
裁判では八木に死刑確定、愛人にもそれぞれ無期懲役、懲役15年、懲役12年が確定している。
事件データ
主犯 | 八木茂(逮捕時50歳) 死刑:東京拘置所に収監中 |
共犯1 | 武まゆみ(逮捕時32歳) 無期懲役:服役中 |
共犯2 | アナリエ・サトウ・カワムラ(逮捕時34歳) 懲役15年:2015年夏に出所、フィリピンに帰国 |
共犯3 | 森田考子(逮捕時38歳) 懲役12年:2009年に獄中で病死(47歳没) |
犯行種別 | 連続保険金殺人事件 |
犯行日 | 1995年6月~1999年5月 |
犯行場所 | 埼玉県本庄市 |
被害者数 | 2人死亡 |
動機 | 死亡保険金の搾取 |
キーワード | 有料記者会見、偽装結婚 |
事件の経緯
1984年、佐藤修一さんは休みの日に遊びに来ていた本庄市で、一軒のバーに入った。東北から上京して孤独に暮らしていた佐藤さんにとって、華やかなこの店は別世界に感じた。
佐藤さんは席についたホステスの武まゆみ(当時18歳)をひと目で気に入り、夢のようなひと時を過ごしたが、飲み代は予想以上に高かった。だが、オーナーの八木茂がツケでいいと言うので、その言葉に甘えた。
こうして佐藤さんは店の常連となり、頻繁に通ううちにツケは300万円を超えていた。やがて八木は「本庄市に引っ越してくれば、仕事もアパートも斡旋する」と提案してきたので、佐藤さんはいい話だと思いそれに従った。
佐藤さんは八木の勧めたアパートに住み、紹介された鉄工所に勤めるようになった。店に通いやすくなったことで、佐藤さんのツケはどんどん膨らんでいくが、それこそが八木の狙いだった。
悪魔の作戦が始まる
ある時、八木は佐藤さんにひとつの頼みごとをした。それは「店のフィリピンダンサーに長期ビザを取らせたいので、佐藤さんに偽装結婚してほしい」ということだった。戸惑いを見せる佐藤さんに、「これが落ち着いたら、武まゆみと本当の結婚をしてもいい」と、甘い言葉をささやいた。
1990年12月、八木に恩義を感じていたこともあり、佐藤さんは言われるがままフィリピン人ダンサーのアナリエ・サトウ・カワムラとの婚姻届を提出。さらに ”まゆみとの将来のため” という口実で生命保険にも加入させられた。
しかし、佐藤さんには知る由もなかったが、まゆみもアナリエも八木の愛人だった。八木の女関係は乱れていて、ほかにも店のホステスの森田考子、すでに店を辞めているが八木の子供を3人も産んだ女性もいた。
まゆみに関しては、彼女が6歳のころから家族ぐるみで付き合いがあり、高校受験に失敗したまゆみを現在の店に誘ったのが八木だった。やがてまゆみは八木に恋愛感情を抱くようになり、今では愛人のひとりになっていた。
まゆみは他の愛人たちの存在を知っていて、「その中の一番でいたい」と八木に尽くしていた。八木はそんなまゆみの気持ちを利用して、事件に深くかかわらせていくことになる。
なかなか衰弱しない被害者
八木が佐藤さんに対して親切にふるまったのは、決して優しさからではなかった。八木は佐藤さんをターゲットに、保険金殺人をたくらんでいたのだ。
佐藤さんはすでに八木の言いなりで、日中は鉄工所で働き、夜はパチンコ店でアルバイト。それが終わると八木の店で朝まで濃い酒を飲ませ、常に寝不足で仕事へ行かせる。こうして衰弱させて、自然に死亡するのを待っていたのだ。
だが、八木はここでひとつの誤算に気が付く。佐藤さんの身体は丈夫で、このような過酷な生活を続けているにもかかわらず、元気なまま暮らしているのだ。そこで、八木はニコチンで煮出したコーヒーをまゆみに作らせ、それを酒で割って毎日飲ませた。
八木らは、佐藤さんを衰弱死させようとしたことを「過労死作戦」、ニコチン煮出しコーヒーと酒で殺害しようとしたことを「成人病作戦」と呼んでいた。
しかし、半年が過ぎても佐藤さんが衰弱する様子はない。しびれを切らした八木は、長野県の山中で自生するトリカブトを採取し、それを細かくして饅頭やどら焼きに混ぜて食べさせた。トリカブトの毒は強力で、さすがの佐藤さんも体調が悪化した。
そして1995年6月3日。
部屋でぐったりしている佐藤さんを気遣うふりで、部屋を訪れたまゆみがトリカブトの毒入りアンパンを食べさせた。毒は致死量で、さすがの佐藤さんも苦しみだし、やがて動かなくなった。八木は、”死んだ” と判断して遺体を利根川に流した。死亡時、佐藤さんは45歳だった。
保険金殺人は成功
その2日後、戸籍上の妻・アナリエが本庄警察に捜索願を出し、数日後には佐藤さんの遺体が発見された。警察は遺体を解剖するも、死因がトリカブトの毒だということは突き止められなかった。佐藤さんの死は ”溺死” と判断され、警察は自殺として処理した。
こうして3年半かけて約3億円の保険金を手にした八木は、それを元手に金融会社を設立。まゆみは昼間、そこの事務員をするようになった。
翌年、八木の愛人のひとりである森田考子が、八木の子どもを出産する。一方、開店当時は盛況だった八木の金融会社も、1997年頃にはバブル崩壊のあおりを受け、株の損失などもあって商売に陰りが見え始めた。
すると、八木は再び保険金殺人のターゲットを探し始めた。目をつけたのは、パチンコ店店員・森田昭さん(当時59歳)と、塗装工・川村富士美さん(当時38歳)の2人だった。
凶器は大量の風邪薬
森田さん、川村さんとも、佐藤さん同様に地方出身者で身寄りがなく独身だった。八木は前と同じように、飲み代のツケで借金漬けにしたうえで計画を進めた。森田さんと孝子、アナリエと川村さんをそれぞれ結婚させ、さらに2人を近所に引っ越しさせた。森田さんを八木の経営するパブの店長に、川村さんを鉄工所とパチンコ店で働かせた。そして2人合わせて約12億円の生命保険に加入させた。
前回と違うのは、足が付きやすいトリカブトの使用をやめたことである。その代わり、健康補助食品(サプリメント)の中身を風邪薬に入れ替え、多量の酒と一緒に毎日20錠ほどを飲ませた。さらに、アルコール度数96度のウォッカに、35度の焼酎を混ぜた特別な酒も飲ませて2人をアルコール漬けにしていった。
そして1999年5月29日、森田さんは体調を崩して急死する。死亡時の体重はたった40kg、検視では「虚血性心疾患」と診断され、八木は約1億7千万円の保険金を手に入れた。こうして順調に2人の男性を殺害し、残る川村さんの体調にも異変は表れていた。
しかし、森田さんが亡くなった翌日、川村さんは八木の策略に気付いた。「このままでは自分も殺される」と恐怖にかられた川村さんは、寝間着姿のまま付近の病院に駆け込み、「急性肝傷害」などで入院。これがきっかけとなり事件は発覚した。川村さんには、約9億円の保険金がかけられていた。
有料記者会見が話題に
1999年7月11日、産経新聞が事件に関する記事を掲載したのを皮切りに、それ以降、新聞・テレビ・週刊誌の記者たちが埼玉県本庄市に殺到し、疑惑の人物・八木茂への取材合戦が行われた。
本庄警察は火葬寸前だった森田さんの遺体を押収し、殺人容疑での捜査が始まった。司法解剖の結果、風邪薬の成分が内臓や毛髪から検出されたが、それが死因であることを立証するには、8ヶ月もの長い期間が必要だった。
その8ヶ月の間に、八木は思いもよらぬ行動に出る。彼は自分の店で連日のように有料の記者会見を開いたのだ。マスコミ各社は仕方なく3000円~6000円の入場料を払い、「八木劇場」とも言える記者会見は203回にもおよんだ。1999年12月以降は、ほぼ毎日どこかで報道されている状態となった。
有料記者会見で八木は身の潔白を訴えるのみならず、カラオケを熱唱したり、エアガンを撃つパフォーマンスを披露したり、キックボードで走り回ったりした。壁にはマスコミ各社の「好感度ランキング」を貼りつけ、カメラの前で毎日新聞の記者を殴ったこともあった。
こうして集めた入場料は、1000万円とも1500万円ともいわれている。
そして2000年3月24日、ようやく主犯の八木と共犯のホステス3人が、偽装結婚による公正証書原本不実記載容疑で逮捕された。その後、殺人罪・詐欺罪などで起訴となった。
当初、まゆみは黙秘を貫いた。しかし、そんなある日、八木から一通の手紙が届く。それには「もしひとりで罪を背負ってくれれば、出所するまで待ってて結婚してやる」と綴られていた。これを読んだまゆみは、ようやく自分が八木の道具に過ぎなかったことを悟る。
呪縛が解けたまゆみは、犯行を認める供述を始め、事件の全容が解明された。
裁判
八木茂被告の愛人だった女性3被告の公判は、分離して行われた。
公判で3人は犯行を認めて遺族に謝罪した。事件に一番深く関与した武まゆみ被告には、2002年2月28日に無期懲役判決が言い渡され、控訴しなかったため3月に確定した。
被告人 | 確定判決 |
---|---|
武まゆみ | 無期懲役:一審判決、控訴せず |
アナリエ・サトウ・カワムラ | 懲役15年:一審判決、控訴取り下げ |
森田考子 | 懲役12年:一審判決、控訴せず |
八木茂の公判
検察側は、「株取引で失敗するなどした八木茂被告が、保険金目当てで犯行を計画・主導した」と指摘。弁護側は「殺害の計画も指示もしておらず、事件はでっち上げだ」と無罪を主張していた。
2002年10月1日、さいたま地裁は八木被告に死刑を言い渡した。裁判長は量刑理由で「冷酷で残忍極まりなく、犯罪史上に例を見ない巧妙・悪らつな犯行」と指摘。八木被告が度重なる有料の記者会見で無実を訴えたことにも触れ「虚言をろうして責任を回避し、反省・悔悟の情は微塵もうかがえない」と厳しく断じた。
また、検察側が立証の柱とした”武まゆみ服役囚の証言”について、「客観証拠や他の共犯者の証言とも合致する」として、信用性を認めた。
弁護側は「共犯女性3人の証言を過大評価した一審判決は誤り」として控訴。”トリカブト毒による殺人”とされた事件は水死の可能性を否定できず、もうひとつの事件についても「風邪薬の大量投与による殺害は不可能」と主張した。
無罪主張するも控訴棄却
2004年10月11日の控訴審初公判で、弁護側は「一審判決は誤判。八木被告が殺害したという証明はない」とあらためて無罪を主張した。
裁判長は共犯とされた武まゆみ受刑者の手紙など、弁護側が提出しようとした証拠のほとんどを却下。さらに裁判官忌避の申し立ても却下したため、弁護側は即時抗告するもこれも却下された。弁護側は「主張を展開できない」として、2004年12月9日に予定されていた弁論を行わず結審した。
2005年1月13日、控訴審判決で東京高裁は一審の死刑判決を支持し、控訴を棄却した。裁判長は、八木被告が被害者に多額の生命保険をかけ、3億円以上の保険金の大半を得たことなど客観的状況を挙げ、「八木被告が保険金殺人におよんだ、という一定の推定が可能」と指摘した。
共犯の武まゆみ受刑者が、女性検察官に「自白すれば死刑を求刑しない」と言われたあとに自供した点について、弁護側が「信用性がない」と主張していたが、「仮にそうだとしても、実際に関与したから自白したと考えるのが合理的」と退けた。八木被告は弁論、判決ともに欠席した。
最高裁で死刑確定
2008年6月16日の最高裁弁論で、弁護側は「共犯の武まゆみ受刑者の証言に証拠能力はない」と主張した。その理由として、「武受刑者は取り調べ段階で、女性検察官に言われた『このままだとあなたは死刑。自白すれば命は助かる』との言葉にすがった。そして、検察側の考えに沿った証言をすることを約束した」と説明した。そして、武受刑者の記憶は検察側の巧みな誘導によって形成された「偽りの記憶だ」と付け加えた。
また、「佐藤修一さんをトリカブトで毒殺した」とされた点については、「佐藤さんの肺と腎臓から発見されたプランクトンの構成が全く違った」と説明。腎臓に到達したのは肺胞を通過できた小さくて細長いものばかりで、「これは生きている人が水を大量に飲んだからこそ。溺死を雄弁に物語っている」と主張した。
検察側は「弁護側の主張は一審・二審の繰り返しに過ぎず、上告の理由にあたらない」と指摘。「判決は、共犯者の証言などの各証拠で認定されていて、疑念を抱く余地はない」と述べた。
2008年7月17日、最高裁は被告側の上告を棄却し、八木被告の死刑が確定した。裁判長は八木被告の犯行と認定したうえで、「計画性の高い巧妙かつ悪質な犯行。2人の人命を奪い巨額の保険金を騙し取ったのに、全く反省しておらず、死刑はやむを得ない」と述べた。
再審請求は棄却
死刑確定後の2009年1月30日、八木茂死刑囚はさいたま地裁に再審請求した。八木死刑囚は、共犯の武まゆみ受刑囚が検事から偽証を強いられたと主張。武受刑囚が逮捕後に家族に宛てて「このままでは死刑になる。とにかく思い出さなければいけない」と記した手紙が新証拠にあたる、と主張した。
この手紙は、東京高裁で提出されたが証拠として採用されなかった。
2010年2月1日、弁護団は日本医大・大野曜吉教授が作成した「佐藤修一さんの死因は水死」とする新たな鑑定書を提出した。鑑定書の内容は「遺体の腎臓と肺から大量の植物プランクトンが検出されたことから、佐藤さんは溺死した」と指摘している。弁護団は「毒殺説を覆す新証拠。佐藤さんは自殺と考えられる」としている。
しかし、さいたま地裁は2010年3月18日付で「弁護団が提出した証拠は、明白性を欠くと退けた」として請求棄却を決定した。弁護団は3月23日付で東京高裁に即時抗告を申し立てた。
再審請求の控訴審で、弁護団が検察側に証拠開示を求めたところ、さいたま地検に佐藤さんの臓器が保管されていることが判明。弁護団は「肺や腎臓に含まれるプランクトンを検査し、溺死か否かを判断する鑑定」の実施を高裁に求めた。
これを受け、東京高裁は2013年12月11日付で、被害者の臓器を鑑定して死因を調べることを決定。その結果、2014年8月6日に提出された鑑定書は、「被害者の心臓や肝臓からプランクトンが検出された。これは、血液を通じて肺以外の臓器に循環したもの」と解釈され、「佐藤さんは川で溺死した」と結論付けた。
2015年7月31日、東京高裁は八木死刑囚側の即時抗告を棄却した。臓器から検出されたプランクトンが少数だったことから「血液によりプランクトンが循環したと断定できる根拠はない」と指摘した。
その根拠として、「遺体を解剖した医師が、細心の注意で臓器を摘出・保存していなかった。そのため、臓器にプランクトンが混入した可能性が払拭できない」と説明。「再審を開始すべき明白な証拠とは言えない」として、再審開始を認めなかった。
8月5日、八木被告側は最高裁に特別抗告。2016年11月28日付で最高裁は、八木死刑囚の特別抗告を棄却する決定を出し、再審請求棄却が確定した。
2016年12月6日、さいたま裁地に第2次再審請求をした。
接見の権利に関する訴訟
八木茂は2008年に死刑が確定して以降、弁護団との接見は拘置所職員の立ち会いのうえ1回30分に制限され、その後、1時間になった。
八木茂死刑囚と弁護団は2009年、「再審準備に向けた接見で、東京拘置所が職員の立ち会いなしの接見を認めなかったのは違法」として、さいたま地裁に提訴。2015年、請求を一部認める判断が最高裁で確定した。
2014年には「職員が立ち会って時間制限した」として損害賠償を求め、さいたま地裁は一部の面会で違法な制限があったことを認め、国に計275万円の支払いを命じ、2審の東京高裁も支持した。
その後、八木死刑囚側は「東京拘置所での接見時間を30分に制限したことは違法」として、国に計1650万円の損害賠償を求めて提訴。2020年8月5日の判決で、さいたま地裁は「再審請求のための接見を拘置所側が時間制限したのは違法」として、国に計225万円の賠償を命じた。
裁判長は判決理由で、「東京拘置所が接見時間を30分に制限したことは、死刑囚が再審請求のために弁護士から援助を受ける機会を保障していない」と指摘。「裁量権の範囲を逸脱しており、接見交通の利益を侵害するものである」と認定した。
一方、「時間制限は裁判を受ける権利の侵害」とする死刑囚側の主張については、「憲法は時間無制限の面会を保障していると解することはできない」として退けた。